脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

二段階方式の説明

2024年02月26日 | エイジングライフ研究所から
友人から問われて、二段階方式の話をしました。残念ながらzoomだったんですが。後で考えて、一番大切なことの説明が足りなかったのではないかと気になっています。
思いついてブログで解説をしてみることにしました。今日の投稿は保健師さんたちに対する基礎の復習のつもりで書いてみます。
「二段階方式」においては、認知症を三つの側面から理解します。

  • 神経心理機能テストによる「脳機能テスト」の実施と判定(A)
  • 30項目問診票による「生活実態」の確認と把握(B)
  • 過去数年間における脳の使い方という視点からの「生活歴」の聴取(C)
という三つの側面をリンクさせて総合的に判定、鑑別します。AのレベルとBの生活実態が一致して、さらにそれを説明でき得るCの確認ができた場合、つまりA=B=Cのみアルツハイマー型認知症と解釈することになり、初めて個別生活指導の対象となります。その割合は90%を超えますが、A=B=Cにならない場合は専門医受診という流れになります。
A=Bであっても説明できる「ナイナイ尽くしの生活歴」Cをはっきりさせられなければ、アルツハイマー型認知症とは言えません。(散歩途中に見つけた春の花)

Aは研修会での講義をもとにマニュアルAを利用して正確な検査を心がけましょう。できることよりもできないことをはっきりさせてあげるために実施していることを忘れないように。できないことがわからなければ、生活の援助法がわかりません。
例えば、生活の基盤をなす「時の見当識」について考えてみましょう。
今日の日付を完璧に理解していれば、それに応じた生活ができます。今日の日付が曖昧になれば曖昧でもできる生活なら可能です。今日の日付がわからなくなったとしても、教えてもらえば「あぁそうだった」と言うふうに了解できればほとんど家庭生活なら困ることがないと思いますが、教えてもらってもまたすぐにわからなくなってしまうと言う状態だとかなりの配慮が必要になってきます。
もちろん今日の日付に関して、全くお手上げの場合はそこを十分に配慮しないと様々なトラブルを引き起こすことになります。
日がわからなくても、大体その月の上旬中旬下旬ぐらいはわかる人もいます。まったくわからない場合もあります。
今年が何年かわからなくなっている人に年齢を尋ねても、正しい年齢が答えられるはずもありません。多くの場合若くなっていくことが多いです。
季節がわからなくなった人に関しては、夏にセーターを着て汗をかくと言うような状況が生まれてきます。
さらに低下すると、昼夜の区別がつかなくなります。その時になって初めて夜中に騒いで、家族が困ってしまう状況が生まれるのです。
こう考えると、何ができないかを知ることがどんなに大切なことか、少しはわかっていただけるかと思います。目の前の人の実力を知る姿勢が大切ですから、問いかけの言葉一つでもマニュアル通りを心がけるようにしてください。もし正答でない場合に、検査者の言い方が悪いのではなく能力の低下があると確信するためですから。

Bを知るための問診票は私が脳外科に勤務していたときに、以下のような経緯で作りました。
最初は1000冊のカルテを広げて、受診の理由を書きだすことから始めました。そのカルテは全員が脳機能テストを受けていましたから、脳機能が正常レベル、小ボケレベル、中ボケレベル、大ボケレベルの方々の訴えに分類できます。そしてそれぞれの段階で特徴的な訴えを10項目ずつまとめて、小ボケレベルの脳機能になったら訴えられるものを1~10とし、中ボケになってから訴え始められるものが11~20。そのときは1~10の症状よりも、現在の症状に困って受診しますから小ボケの訴えは不思議なほど出てきません。脳機能が大ボケレベルにならないと訴えられない項目が21~30。もちろん1~20の症状の訴えはありません。
ところがあてはまるものすべてに〇をつけるようにしてもらうと、小ボケは1~10まで、中ボケは1~20まで、大ボケは1~30に〇が連なることになります。

具体的に説明しましょう、物忘れではこういうことがクリアになりました。
正常:知ってる人や物の名前が出てこない。
小ボケ:言ったことを忘れて何度も同じことを言う。一日何回も言ったり、言い終わったらすぐ又いうこともあります。(私はオルゴールシンドロームと名付けました)
中ボケ:今日の日付がわからない。薬を飲んだかどうかわからない。
大ボケ:食事をしたかどうかわからない。家族かどうかわからない。
食事したかどうかもわからない状態では、服薬管理ができないとは訴えないのです。でも服薬管理はできるかと尋ねられたらできないと答えることになります。
物忘れといっても、脳機能に応じた訴えになるのです。それを明確にしたのが30項目問診票です。
保健師さんたちは、脳機能レベルと30項目問診票が示すレベルが驚くほど一致することにびっくりすると思います。それは以上のような経緯から作った問診票だからです。

A≠Bになってしまう時には、家族の人間関係も影響するので考慮してください。
妻の評価:だいたい正確。関係性が悪いとより悪い。世間体を気にするとより軽い。
夫の評価:実際よりも軽く申告。介護のキーパーソンなら正確。
同居の息子:実際よりも軽く申告。介護のキーパーソンなら正確。
嫁に行った娘:実際よりも軽く申告。月に一度以上、泊りがけで介護する場合は正確。毎日立ち寄っても一言二言の会話では気が付かないこともある。
同居の息子の嫁:最も客観的で正確。家族関係が破綻していれば情報は得られない。

それでもA≠Bの場合
脳機能レベルAが悪いのに、生活実態Bが良好なら失語症。
脳機能レベルAが高いのに、生活実態Bが悪い場合は精神的な問題。






A=Bであっても説明できる「ナイナイ尽くしの生活歴」Cをはっきりさせられなければ、アルツハイマー型認知症とは言えません。保健師さんたちはAとBまでは情報が取れますが、Cが難しいとよく耳にします。
ナイナイ尽くしの生活が始まって小ボケはだいたい3年間。中ボケはさらに2~3年。6年もたつとだいたい大ボケレベルになることは頭に入れておきましょう。詳細はマニュアルBで解説してあります。
最初に低下が始まる前頭葉機能が不合格のとき「生活が変わって、ナイナイ尽くしになっていったきっかけがない」という人がいますが、それならばその人は、前頭葉機能がきちんと動いていない状態で生きてこられたことになります。前頭葉機能が足りないと社会生活はできませんから、誰かから指示をされるか、援助される生活を続けてこられたということになります。
認知症の定義は「いったん完成された脳機能が、何らかの理由で全般的に低下して、家庭生活や社会生活に支障を生じた状態」ということになっています。つまり言い換えると、社会生活をこなしてきた人だけが認知症になるのです。目の前の方をよく理解してください。この方の人生に思いを馳せてみましょう。家庭生活や社会生活をされている時のその人らしい色々な思いや苦労やもちろん楽しみや喜びが見えませんか?
でも今は違う。前頭葉機能が正常に働いていなければ「その人らしさ」は出てきません。
正常な老化を重ねていくだけでは、高齢になっできなくなることが増えていってもその人がその人らしくなくなることはありません。
このようなことを考えながら、きっかけは必ずあると思って生活歴を丁寧に聞いていってください。

「このような前頭葉の出番が極端に少ない、ナイナイ尽くしの『単調な生活』が続くならば、脳は居眠ってしまい、老化が加速されるだろう」
「この人の三頭建の馬車は、御者が指令を出さないので動いていない」と、テスターが、納得できるまで、具体的な生活実態を聞きだすことが大切です。丁寧に生活歴を聞くことで、脳のリハビリが具体的に見えてくるものです。
二段階方式の目的は脳機能検査をすることでもなければ、生活実態を根掘り葉掘り聞くことでもなく、ましてだれにとっても楽しいことであるはずもないナイナイ尽くしの生活に入るきっかけを聞くことでもありません。
目の前の高齢者がアルツハイマー型認知症であるならば、そして回復が可能なレベルであるならば、残りの人生をその方らしく駆け抜けていっていただきたいと思うから、生活改善につなげるためにAもBもCも必須な情報なのです。





活動の初期に脳リハビリで印象的な方がいました。
小ボケの男性。校長先生を定年退職なさった後、教育委員会に勤務その後退職して第二の人生へ。1年ぐらいで相談に見えました。(今考えるとよく受診につながったものだと思います)
小ボケの方たちは「なんだか以前の自分とは違う。どうしてもやる気が出ない。何事も面倒…」という自覚があります。初期ほど強く、中ボケに近ずくとだんだん消えていきます。
30項目問診票に自分でチェックして○をつけることができるのです!○をつけることができれば小ボケレベルにとどまっているとも言えます。
第二の人生に入ってナイナイづくしの生活を続けたから、脳がサボって元気をなくしてる状態ということを納得してもらって、さあ脳のリハビリ指導の開始です。

散歩:用もないのに歩けるか!
ゲートボール:バカとは遊べん。
家事の手伝い:男はそんなことはできん。
趣味(近所の絵手紙教室):絵筆を持ったのは中学まで。
まさに「ああ言えば、こう言う」状態です。この時の対応は「ボケるのとどっちがいいですか」と直截的にいいます。脳の正常老化が加速されたものが認知症であると言う確固たる信念がないとなかなか言えないようですが、このためにA=B=Cの段階を経てきたのです。
軽ければ軽いほど理解してもらえます。
理解できても実際には、御者が居眠っている訳ですから自動車で言えばスターターが効かないような状態です。ちょっとした後押しが必要なことがほとんどです。
ゲートボールはだめでしたが、散歩は毎日欠かさず出かけることができました。そして絵手紙教室に行くようになって、その作品を離れて住んでいる中学生の孫に送り文通が始まったそうです。こうして小ボケは改善していきます。

中ボケの女性。夫の死亡後、元気をなくしていたところに本人の体調不良、腰痛まで加わって大切にされていました。ところが同居している中学生の孫が急性白血病で緊急入院。慌てて入院させたら、入院直後より不穏な状態になり(このような場合は中ボケであることがほとんど)、驚いた娘たちが、交代で病院に行ってはリハビリなどに勤めようやく退院。その時の脳機能レベルはまさに中ボケの半ば。

中ボケになると自覚がないので、小ボケの時のように背中を押すだけでは行動につながりません。
文字通り手を引いて一緒に歩く。
手芸が好きな方だったので、毛糸編みモチーフを勧めてみました。模様編みのセーターが編める人だったのに四角のモチーフが丸になる始末。ところが根気よく付き合っていくうちにできるようになるのです。最終的にはこたつ掛けやベッドカバーまで完成させることができました。
刺子なら線の上を縫うのだからと布巾から始めた刺子作品も、最終的にはこたつ掛けまで完成させました。

女性の場合は、家事の手伝いという分野があります。多くの場合嫌がらずにやってくれますが、中ボケの人の場合は、その成果はほとんどやり直しが必要な状態です。例えば、グリーンピースを皮から外してもらうと、最終的には全部がグチャグチャで選り分けないと使えないとか、お茶碗を洗ってもらうと洗い直しが必要とか。
この方の場合は、花も歌も好きだから、生活に変化を持ち込むことが容易だったと思います。援助は必要でしたが。
一旦元気をなくした脳の元気を取り戻そうとする時、手を添えてくれる家族や友人がいるかどうかは、そのご本人がどう生きてきたかというところに帰着すると思います。
そこまで含めて認知症は生き方の問題だといつも思います。
家族は「大事なおばあちゃんが元気がなくなったので、何もさせないで大切にしてきたのですが、それは大切にしたことにならなかったのですね。できることはやらせてあげることが本当に大切にしてあげることだということがよくわかりました」と言いました。
まさに正答です!「できること」を教えてくれるのが脳機能検査です。

by 高槻絹子

















小布施の仕事の後で楽しむー角野栄子「魔法の文学館」

2024年02月25日 | 私の右脳ライフ
小布施町での仕事を済ませて、すぐ駅へ送っていただきます。電車が来るまで時間がありませんがそれでも一枚パチリと。2024年2月16日の小布施駅からの景色です。「この次まで。またね〜」

長野で新幹線に乗り換えて、新橋からゆりかもめに乗り換える時、今晩ホテルで合流する予定だったもう1人の友人とバッタリ。こういう偶然は気分を「あげあげ」にしますね!

風は冷たそうでしたが、天気がいいので朝散歩することになってフロントでウオーキングマップをゲット。Googleマップで調べると大体30分も歩けば、芝公園の増上寺に着くことがわかりました。
後期高齢者3人のトリオで、3人とも歩行に障害がないというのはありがたいことだとまずは感謝しながら、汐留の高層ビル群を歩きます。
日本テレビに人だかりを見つけて、行ってみたいのは私だけだったので横目で見るだけで通過。

高層ビルがなくなってだんだん芝公園が近づいてきたところに日赤本社。
その先を曲がると東京タワーが見えました。スカイツリーとは違う感慨が浮かびます。初めて東京に行った時、東京タワーに行きました。他に行くべきところも知らない私には東京を象徴するものだったような気がします。333mとスカイツリー634mの約半分しかないのですが、今でもその存在感は素晴らしい。赤い色がいい!
増上寺とツーショット。
根上の梅が満開でした。

この写真も捨てがたい…

お参りもしましたよ。

無事帰着。朝食の前に、友人を激写。

さあ、今日のメインイベント「魔法の文学館」へ出発です。
「江戸川沿いに去年オープンした『魔女の宅急便』の角野栄子さんの記念館に、今度行きましょう」と約束したのは1月末。この友人と清澄庭園に行った時です。こんなに早く実現するなんて。
変化ある楽しい生活が認知症予防には必須ですが、友人の存在は大きいですね。
隈研吾設計は角野栄子さんのたっての希望だったそうですが、白い花びらのような建物でした。
内部は一転して、ピンク。それだけで角野栄子ワールドに入り込めます。

角野童話の世界の仕掛けを楽しめる。

ゆっくり本を読める。

ウサギの耳のような椅子。

角野さん収集の魔女たち。

角野さんのオシャレの原点。

角野さんは90歳を超えてなお明るいピンクや水色の似合う女性です。
認知症予防には「自分の人生をいかに自分らしく充実させて生きるか」という視点がどうしても必要です。「脳の使い方」「前頭葉の出番を持ち続ける」
角野さんは、こういう世界を持ち続けているということですね。


by 高槻絹子


















小布施に行く前に楽しむー善光寺お朝事

2024年02月22日 | 私の右脳ライフ
年に2〜3度小布施町まで出かける仕事は、私にとってはちょうど幼い頃夏休みに父の田舎に行く時のような高揚感を感じるものです。田舎に行った時のように待っていてくださる人たちにも恵まれて、20年以上もよくも楽しく仕事が続けられたと感謝の思いが湧き上がってきます。
小布施に行くとよく仕事もするのです。講演会だけでなく、事例検討会も大切な時間です。今回は中ボケの方お一人、右脳障害(理由は不明ですが)の方がお一人、側頭葉性健忘症の方がお一人。正確に伝えると17人中14人は、脳機能が正常か小ボケレベルということになります。認知症の相談窓口でこのような割合で相談者が訪れるというところは、日本中探してもないと思います。(実は通常では、ほとんどが正常者と小ボケレベル)
仕事とはいえ左脳中心にはなりえず右脳の出番が多い小布施行きですが、それでも旅の前後に右脳訓練の時間を用意しています。
今回は、次男の幼稚園時代の先生とご一緒だったので、今までに行ってこれは良いという体験をなぞることにしました。
長野駅の到着がお昼前になるように新幹線を決めました。それからバスに乗って、昼食を「藤屋御本陣」で頂こうという企画です。

善光寺の門前、今は名前だけの大門傍にクラシックな建物が目につきます。



元々は本陣。今は結婚式の披露宴にも使われているというおしゃれなレストランです。建物そのものに歴史が感じられます。

調度品も素敵。玄関入っての待合はタイル作りの暖炉です。
ダイニングルームの壁一面に、藤の花の絵が飾られていました。
オープンキッチンになっていました。中庭の雪釣り松を見ながら、美味しいイタリアンをいただきました。

今回は初めて善光寺の宿坊に泊まります。仁王門を潜ってすぐの良性院。
チェックイン後と翌朝に善光寺を満喫しました。
まず仁王門。仁王像は高村光雲と米原雲海により大正8年に出来上がったそうです。阿吽像が左右逆に備え付けられています。
山門にも登楼しました。写真は不可でしたが、四国八十八ヶ所霊場分仏がお祀りされているので、全国から参拝者があったようです。
ご本尊は文殊菩薩でした。
真正面に表参道。仲見世から山門下までの石畳は1714年寄進された7777枚!310年間踏み締められて角の取れた石、石、石…

山門の係のおじさんが「あそこに行ってぐるりと回してくるんだよ」と言ってくれたので、行きました。
経蔵。八角形の輪蔵の中に一切経が収められていて、輪蔵についている横木を押し回しながら一周すれば、全部のお経をあげたことになるというありがたい体験ができるのです。なんと重要文化財ですよ。
 


ここからは翌朝の出来事。この体験のために宿坊に泊まったのです。
善光寺お朝事。ホームページから説明を抜き出しておきましょう。
日の出とともに本堂で始まるお朝事【あさじは、善光寺全ての僧侶が出仕して行われる法要で年を通して毎日欠かさず行われています。法要は毎朝天台宗と浄土宗の順に二座行われ、法要の中では普段閉ざされている御本尊前の戸帳が上げられ、善光寺の御本尊である一光三尊阿弥陀如来像が納められた瑠璃壇【るりだん】と厨子【ずし】を垣間見ることができます。

今朝のお朝事のために出仕なさっている良性院のご住職。毎朝ですから考えたら大変なお勤めですね。右は良性院の案内人でとても丁寧に案内してくださいました。いろいろなところで敬けんに祈りを捧げていらっしゃるのが印象的でした。

案内人の先導で、天台宗大勧進の貫主さまがお朝事のお勤めのために本堂にいらっしゃる、そのお出ましのところでお待ちすることができました。

上の写真と下の写真の間に「お数珠頂戴」が。

目の前を通過される時に、お数珠で頭を触ってくださるのです。
善光寺住職である大勧進の御貫主【おかんす】様、大本願の御上人【おしょうにん】様が導師として本堂に出仕される際、その往復の道中にてひざまずく参拝者の頭へ、手にされた数珠で触れ、功徳を授けてくださいます」

お数珠頂戴が実現したことで本堂へ。そして階段を下がってまっくらなお戒壇巡りが始まります。その時本堂内陣では、出仕されているお坊さん全員の天台声明が流れているという素晴らしいシチュエーション。頭上からかすかに聞こえてくる声明に守られているような気持ちになりました。
それから時間が許すまで、法要に参加させていただきました。本堂を出た時に、同行の友人は「見送った人たちを身近に感じてとてもすっきりとした気持ちになれました」とちょっと涙されていました。
本堂。国宝。

善光寺境内の様子。

良性院で朝食をいただいて、長野電鉄善光寺下駅発8:32で小布施駅へ。脳のスイッチを切り替えて、さあお仕事が待っています!

by 高槻絹子

小布施町 脳のリフレッシュ教室交流会

2024年02月21日 | 認知症予防教室
今年も小布施町 脳のリフレッシュ教室交流会に伺いました。
一番最初に山王島の教室が始まったのが2002年。それから町内各地区に1教室ずつたちあげて、2007年から教室交流会を年度末に開催するようになりました。コロナ禍で実現できない年もありましたが、山王島の教室が20周年を迎えた去年の交流会再開はみんなが待ち望んだことだったと思います。
小布施町 山王島「脳のリフレッシュ教室」20周年
今年は北部地区の教室が20周年を迎えます。
毎年うれしくなるのですが、地域包括支援センターの皆さんはなんと豊かな前頭葉を持っていらっしゃることでしょう。皆勤賞や継続賞の文言、賞品…
今年は櫻井町長さん、副町長さん、保健福祉課長さん、どなたも出席がかなわず(例年どなたかが必ず出席されるということは、この認知症予防活動が評価されているということでしょうね)「今年は町長もどきが登場します」と予告がありました。
「櫻井町長もどきからご挨拶です」本間センター長は明るく紹介した後、いったん袖に入り再登場したら会場大盛り上がり。

挨拶も低い声色で、完璧!町長さんには椅子に座って交流会に参加していただきましょう。

そのままの和やかな雰囲気のまま継続賞授与式へ。継続賞の言葉がなんだか素敵で、見せていただきました。
コロナの影響でたくさん集まっていただくより規模を縮小したほうが安全ということで2回に分けての交流会で、初日は東部地区と北部地区の発表でした。


幕開けは東部地区。

東部地区はハモニカ伴奏つきの合唱です。
「青い山脈」の替え歌合唱で十分楽しいのですが、ハモニカ伴奏が付くとみなさんで合わせる努力をなさったのが一層感じられますね。

替え歌の歌詞に私は胸を突かれました。「悲しい時に分かち合う」というだけでなく「楽しいこともみんなで一緒」という歌詞で、高齢期を生きていくときにはこういう気持ちが必須ではないかと思ったのです。
認知症から身を守るには、自分で自分の脳を正しく健康的に使う自助と近隣がお互いに支えあう共助とそれでもおぼつかなくなった人に手を差し伸べる公助の三段階がありますが、共助は普段からの関係性が続いていないと難しいでしょう。脳のリフレッシュ教室の長い歴史が(東部地区は来年20周年ではないですか?)こういう温かい支えあいの気持ちを育ててくれたに違いないと涙がちょっと出てしまいました。

北部地区はカラフルな法被を身にまとっての登場です。演目は紙芝居。新しい取り組みでした。
紙芝居の筋に乗って、指示通りに会場に大きな声が響くところが小布施町の脳リフ教室生の素晴らしいところです。もちろん演ずる側も楽しげです。
 
山王島!山王島教室は大人数で始まりましたが今日の参加者は8人。人数が減ったことよりも、初回にお顔を拝見した方がいらっしゃるということ、21年間継続されたことに感動してしまいました。心からありがとうをお伝えしたいと思いました。



スタッフの皆さんはいつも紫色のTシャツ着用して「紫色のお姉さん」と名乗るのですが、紫色のお姉さんの背中が「がんばれ」と声援を送っているとしか思えません。会場の皆さんの手拍子もやはり山王島の皆さんへのエールのような気がしました。
飯田地区も派手な法被で登場。

歌いながらの手遊びを披露してくれたのですが、もちろん「皆さんもぜひやってみてください」という声掛けがあります。



会場にとても自然に二人組ができるんですよ。この楽しそうな笑顔。せっかくの発表を見ている人がいなくなって、皆さんけっこう夢中。「すご~く久しぶりだったので楽しいね」って聞こえましたよ。


最後の横町地区。登場してくる教室生の楽しげなこと。あたま、手首、足首の飾りを決めるときにもこんな笑顔だったのでしょうね。



『365歩のマーチ』に合わせた、体操です。もちろん「体も動かしながら、歌も歌ってください」はお決まり。


この頃よくデュアルタスクということばに出会います。歌いながら調理するとか歩きながら暗算するなどのように、二つのことを同時に遂行すれば脳が元気になるというのです。もちろん同時進行の課題があれば、前頭葉の注意集中や分配力がなければお手上げになるので、その意味では正しいといえます。
ところで一人で黙々とデュアルタスクを遂行するときと、みんなで笑いながらするときとでは脳の働き具合は飛躍的に変わります。人は一人で生きるようになっていません。なぜこのような視点が入ってこないのでしょうか?脳はもっと複雑に機能します。認知症の研究をネズミやマーモセットでできるという発想をどう思いますか?

今回講演でお話しするときにこんな試みをしてみました。北部地区の北沢さんは替え歌つくりの名人で、たくさん作っていらっしゃいますが、一番最初の作品から一つパワーポイントに入れておきました。
これも『青い山脈』の替え歌です。事前の打ち合わせなく、その場でマイクを向けると抵抗なく歌い始めてくださいます。もちろん皆さんも大きな声で合唱です。
このような脳の使い方ができることは、間違いなく認知症予防に直結する脳の使い方です。
今年は北部地区が20周年ですから、表彰式がありました。記念品は春を告げる鉢植えの花。皆さんがあれこれ選びながら、自分の選んだ花が一番かわいいと思っていらっしゃるのがよくわかりました。口々に「マスクを外したほうがいいね」「お花がよく見えるように」などとお世話を焼きます。


ポジティブ思考も大切なことです。北沢さんのもう一枚の替え歌も上げておきましょう。

北部地区の長老である田中七郎さん。奥様が先立たれ、千年樹の里近くのホームに入所なさったと聞き、ちょっと心寂しく思っていました。2年前にこんなに交流会を楽しまれていた田中さん。その時94歳と聞きました。

なんと当日施設の職員の方と一緒にいらっしゃってくださいました。
そして皆さんと一緒に歌い、運動もし、北部地区の20周年記念品も選ばれました。



終了時には、北部地区のみんなが田中さんの周りを囲み、田中さんが一人ずつの名前を言われ、そうするとみんなが笑顔になって。きらきらした濃密な時間を楽しんでいらっしゃいました。96歳の田中さんが交流会を楽しまれたことはみんなを幸せにしてくれました。
20年前に始まった北部地区の脳のリフレッシュ教室が、2年前のあの元気な94歳の田中さんを実現させてくれたことは間違いなく、しばらく参加できない期間が続いてもその積み重ねが今回の交流会での珠玉のひと時を生んだ…
認知症を予防するということは、ほんとうに生き方そのもの。その時その時を充実させながら生きることだと教えていただいたような気がしました。


by 高槻絹子




「体の健康」と「脳の健康」

2024年02月14日 | エイジングライフ研究所から
の最後の段落は、認知症だけが予防的福祉の対象になり得ると主張しました。2022年度の介護費用トータル11兆2千億円と認知症を関係付け過ぎと思われた方がいるかもしれません。

認知症が介護が必要となった原因では認知症が一番多いことは多いのですが、それでも20%弱ではないかという声がきこえてきそうです。
今日は少し違う視点からお話をしてみようと思います。
私たちの主張は、一言で言えば認知症は脳の使い方が悪いために起きる生活習慣病であるということです。脳をイキイキと使わない、特に状況を判断し自分の行動を決める前頭葉の出番がない生活こそ認知症を生み出すものだと思います。いわゆるナイナイ尽くしの生活、生きがいも趣味も交遊もなく、運動もしないで家に閉じこもっているような生活こそ、認知症にとっての元凶です。
明日の小布施に備えて長野前泊。善光寺。
アルツハイマー型認知症の方々から直近の生活歴を伺って行くと、ナイナイ尽くしになるきっかけをどの方も持っています。
前頭葉機能だけが老化を加速している人たち(小ボケ)はきっかけを自覚し、説明することが可能です。ほとんどの場合、それは3年以内に起きています。(小ボケの期間はだいたい3年間)
前頭葉に加え、脳の後半領域のいわゆる普通の認知検査が低下してくると、本人には生活が困難になっているという気持ちがないし、もちろん自分の生活がどの時点でナイナイ尽くしになったのか説明はできません。家族に生活上の変化が起きたきっかけを聞くと、4〜5年前の「あのできごと」に気づくことになるのです。
仁王門

阿形金剛力士像(高村光雲・米原雲海作)

吽形金剛力士像(同上)

たくさんの方のお話を聞かせていただきました。
大きく分けてみると、それまで生きがいだった仕事がなくなる。病気や怪我。親しい人との死別や生別。心配事トラブルなどの勃発。老老介護などの楽しみのない単調な暮らしなど。
きっかけは、起こったそのことや状況が当人にとってはとても大きなショックだということを理解しなくてはいけません。
確かに同じ状況が起きても、それに負けずにまた新しく前を向ける人もいるのです。
でも目の前にいる脳を老化させてしまった人は、そのできごとがその人の生きる意欲を削いでしまうのです。心が折れたという表現が適切な気がします。何もしたくないという場合もあるでしょうし、何に対しても心が動かないというほうが適切な場合もあるでしょう。
山門







上にあげた「65歳以上の要介護者の介護が必要となった主な原因」のグラフに戻ってみましょう。
脳卒中、心臓発作、関節疾患、骨折などなど。このようなことが起きてしまったとき…
将来に目を向けてリハビリをがんばったり、日常生活の注意点を理解して前向きに生活を組み立てることができる人は次第に認知症になっていく恐れはありません。
がんばろうと思える人は大丈夫!
六地蔵

でも、そういう方ばかりではないことには、すぐ気づいてくださいますよね?
高齢期になって病気や怪我などが起きるとそれをきっかけとして脳が正常老化にとどまらず加速していく、つまり認知症になっていく人たちがあまりにも多くいます。そしてそれは「病気(や怪我)になったのだし、高齢だから無理はさせられない…」と妙に認めてしまう風潮を、私は憂えます。
その病気や怪我に対する働きかけだけでなく、認知症予防の働きかけも必要なのです。
まず病気や怪我というとんでもない災難に会いました。これは避けられなかったわけですが、その後の生活ぶりによっては、本人が望んでもいないし、周りの介護を担当する方々にとっても大変な認知症という状況を生んでしまうということに気が付いてほしいのです。これは避けることができる災難です。
介護が必要な状態の時、脳機能が正常であれば介護者が如何に楽に介護ができるか…介護者の心身にも経済的な面でも、介護される側の脳機能が正常であるかどうかは大きな差を生みます。介護していらっしゃる方々からの声にも耳を傾けてみてください。
「体の健康」に対する教育や指導、最近は疑問も投げかけられていますが検診などが徹底されて、世界に冠たる長寿国になった日本。
次のステップとして「脳の健康」への興味や関心を引き出す必要があります。
皆が本当に望んでいるのは「体の健康」だけではありません。そこには「脳の健康」が必須…
「脳の健康」に関する健康教育。認知症を防ぎうる脳の使い方をみなさんに知ってほしいものです。
年齢に関わらず、どのような状況下にあっても、前を向いて、楽しい生きていることの意味と喜びを、今見つけられなくとも見つけていい、今見つけられなくても見つけるべきだという励ましが必要です。
なぜならそれこそが「脳の健康」を生み、認知症予防につながることだから。自分のためだけでなく、家族のため、国のためになることだからです。

by 高槻絹子




2022年度介護費用11兆2千億円をイメージする

2024年02月11日 | エイジングライフ研究所から
今週は、認知症予防活動の指導で小布施町に行きます。各地区に「脳のリフレッシュ教室」を立ちあげていて一番古い地区は今年22年目を迎えます。
講演も何度もしていますから、少し切り口を変えて介護費用の話に重きをおいてパワーポイントを作ってみました。
「脳のリフレッシュ教室」の目的ははっきりして
いました。

つまり正常者に対する認知症予防活動なのです。
もちろん20年も経てば、鬼籍に入られた方も、入院入所なさった方もいらっしゃいます。
ところで厚生労働省が「認知症になるのを一年先延ばしにしてほしい」と言っていることをご存じですか。介護保険にとても多額の国費がかかっているのですから、本当に正直な希望だと思います。
教室参加者の方に聞いてみると、皆さん異口同音にこのように言われます。

「教室に来てみんなと楽しい時間を過ごしていれば、脳がイキイキ元気になってボケずに済みそう」という実感を持っていらっしゃる。
年度末に「今年も一年経ちました。認知症に一歩近づきましたか?」と尋ねると、シャイな小布施の人たちでも「いやいや。そんなことはない。今年も元気に楽しく暮らせたよ」と答えると思います。(今週確認してみますね)
厚生労働省の希望はここに実現しているのですよ!

介護保険は認定のレベルに応じて以下の介護費用がかかります。そのうち自己負担金は1割から3割ですが、認定されたら月額限度額としてこれだけかかるのです。
要支援1:  50,320円
要支援2:105,310円
要介護1:167,650円
要介護2:197,050円
要介護3:270,480円
要介護4:309,380円
要介護5:362,170円
ひとりの人が要介護1になるのが1年先送りされたら、167,650円✖️12月=2,011,800円、200万円セーブできる!200万円(マイナス自己負担金)を国・県・市町村に寄付したことと同じです。延べ人数をチェックしてみたら、すごいことをやってきたと思うのですが、小布施町のこの「脳のリフレッシュ教室」が、どのくらい小布施町の財政に寄与したか調べるよい方法はないでしょうか?

莫大な介護費用を理解してもらおうと作ったパワーポイントです。スクリーンショットがうまく撮れませんでしたからPC画面を写真で撮ったものをあげてみます。
一枚目は左脳に訴える数字をベースにしました。
1兆円を超えたこと、その増加のスピードがだんだん速まっていることなどはわかりやすいと思います。

でも「1兆円」がどのくらいの金額か実感できる人は多分いない…実感できるのは予算作成をする官僚くらいでしょうか?
そこで工夫しました。「1万円札を積み上げていくとどのくらいの高さになるか?」
幸いなことに100万円の新札の札束が1㎝というキリの良さですから、日本で一番高い富士山と比べてもらいます。計算をしてみる時間はなしで、感覚的にとらえた感想を言ってもらいます。
「富士山より高いことはないだろう」から「とても富士山では間に合わないはず」までいろいろ想像できますね。

正答を説明するための次のスライドは、自分のために作ったようなものです。何度も間違いがないか確認して、最終的に愕然としました。

もちろん地学的な用語は検索してみました。
・対流圏は雲や雨などの天気現象が起きる層でだいたい10㎞の高さ。上空ほど温度が下がる。
・成層圏は大気の対流が起こりにくく温度は上昇していく層でだいたい50㎞まで。境界にあるオゾン層で紫外線を吸収。
・中間圏は、温度が再び下降していく層で、だいたい80㎞までの高さ。マイナス100度。流れ星はこの層で起きることも知りました
・そしてその先は熱圏。1200度ともいわれる高温のこの層は広大無限の宇宙空間につながっている…
11兆円は110㎞なので熱圏に入ってるんですよ。ここはオーロラの世界。一万円札が宇宙空間に拡散されて見えなくなっていくシーンが胸に迫ってきて、私はこの図で圧倒されましたが、小布施町の皆さんにもう少し実感していただく方法はないかと模索して、今度は100万円の札束を横に重ねていく(もちろん札束は立てて)と、長野駅から新幹線でどこまで行けるのかを調べてみました。
小布施駅と長野駅の距離が17.5㎞ですから、それを足して合計で110㎞の駅。
上りは安中榛名駅。下りは糸魚川駅。

どちらの方が、たくさん使ってしまっているかを実感できるでしょうね?それは見る方が決めることですが、とにかく毎年毎年これだけの札束が消えていっているという現実を、私たちは知らないといけません。
最後に、介護保険は認知症高齢者だけに使われているものではないことを確認しておきたいと思います。厚労省HPより
ちょっと前までは、脳血管障害が最多だったのですが、とうとう認知症が最多になってしまいました。
あまりにもわかりやすいことですが、認知症の場合は最初から対応に苦慮する重度の認知症状を出すわけではありません。「いったん完成された脳機能が、全般的に低下して社会生活、家庭生活に問題が起きる」という定義からして、さかのぼれば普通の社会生活をしていた時があるわけです。
もちろん権威ある筋はアミロイドβなどの変性疾患として理解しているのですが、エイジングライフ研究所は脳の使い方が足りない生活、特に前頭葉の出番がない生活実態そのものが脳の老化を徐々に加速させていくものであり、世に言われるような認知症症状が出てくるまで5年以上はかかると主張しています。
他の疾患は、選択の余地のない介護状態が避けられませんが、現在は症状が重くならないと認定されない認知症だけが、予防的福祉の対象になり得るのです。


by 高槻絹子















笑う能力

2024年02月02日 | 正常から認知症への移り変わり
英語が得意な友人から質問が二つ届きました。
ひとつは「アメリカではアルツハイマーは「型」ではなくて病気ですね」
これについては、解説をしました。
「アルツハイマー病と型」
もうひとつはFAST(Functional Assessment Staging of Alzheimerʼs Disease)
ー主にADL(生活自立度)の程度から認知症の重症度を評価するスケールーを読んでいて生じた疑問でした。
「FAST (認知症機能評価)の7の段階に、'Loss of ability to smile' 笑う能力の喪失という項目がありますが、これはどういうことなのかしらと思っています。顔の表情はなくても周囲の人への感謝を伝えたりという人間の感情はあるからです。今年の夏に、信号機の下にしゃがみこんでいる高齢の男性がいましたが、病院に行く途中で動けなくなってしまったそうです。立ち上がりたいというので手を貸しましたら無表情でしたが「ありがとう」と言いました。
まだ歩けるくらいですから7の段階とは違いますが「ほほ笑む能力」とはどういうことなのかな、と思います。専門的には感情もないことを意味する
のでしょうか...」

質問に答える前に一つ問題提起しておきたいと思います。
「ありがとう」という感謝の感情を伝えるときに一番大切なものは、ことばではなくて心情そのものではないでしょうか。心が込められたら言葉に奥行きが生まれてくると思います。ありがとうございます。ほんとに助かった。途方に暮れていたときの心細さといったら。声を聞いたときの安堵の気持ち。それらを全部まとめて「ありがとう」の言葉に加味することが本当の意味で感謝を伝えるということだと思います。
さまざまな思い(右脳)を言葉(左脳)に加えるときに、私たちは声の高低、大小、速度、調子などを利用します。それから表情もしぐさも言葉に奥行きを与える大切なツールです。
人が人として社会生活をする時には、このようなコミュニケーションが不可欠ではないでしょうか?自販機の「ありがとうございます」からは感情はくみ取れないと思います。「無表情でしたがというところに、脳の力のなさを感じました。
ニューヨークランプミュージアム。2/1写す

もうひとつ「笑い」とは何なのかを考えてみないといけないでしょう。
昔、老年精神医学会でびっくりするような研究発表がありました。笑いに関する研究でしたが、まず笑いの定義として口角の筋肉が上方や後方に何度(忘れました)転位するというところから始まり、人形、かわいい子供の写真、おもちゃなどを提示してその反応を見るというものでした。結論は「ほとんどの刺激に反応しない。反応は例外的」というものだったと思います。
被検者すべてがMMSE10点以下。半数は測定不可だったと思います。(記憶がいい加減で申し訳ありません。とにかく二段階方式で言えば見事な大ボケレベル)
最初に感じた正直な感想は、筋肉の動きを計れば「笑い」が理解できるのかという疑問でした。
MMSEが測定不可ということになると、あ、私は失語症でない方でMMSEが0点の方を検査したことがありません。通院や相談の場に出てくることがなく、施設で全面介護を受けて生活していらっしゃるのだと思います。言語的なコミュニケーションはできないという状態で、そこに「笑い」はあるのでしょうか?
そしてMMSEが10点というと、昼夜の区別や今いるところはどうやら理解できる。見知ったものの名前が言え、オウム返しに単語や文章が言える。問われていることが視覚でも聴覚でも少しは理解できる。もちろん名前は言える。だいたいこういう能力で生活している状態です。
このように脳機能からみていくと、MMSEが10点ならば、それでも「笑い(らしきもの)」が生じる可能はありそうです。

新生児微笑というものがあります。生後2か月くらいまでに見られる微笑み。実は微笑みというよりは神経系が発達してきて顔の表情筋が動かせるようになっただけだと学びましたが、周りの人がその微笑みに出会うと、幸せ感にあふれてあやさずにはいられない。たしかに「笑い」のスタートはこういうメカニズムが働くのでしょう。生後3ケ月になれば、あやされたことに対しての「笑い」という反応が誕生してくる。次にその「笑い」に反応する周囲の対応でさらに「笑い」がふえてゆく。

幼児の笑いは、複雑な理解を加える必要はありません。
楽しいから、うれしいから、面白いから、美味しいから…プラス要因があればはじけるように笑います。
小学生になってくると、失敗した時の照れ笑いや恥ずかしさを笑いでカバーすることもあるでしょう。
青年期は「冷笑」も出てくると思います。
そして大人の「笑い」の複雑さ。おかしくない時や悲しい時に笑うのはいつごろからでしょうか?ここに書き連ねることは私の能力を超えています。



このように「笑い」といっても様々なレベルの「笑い」があります。
あたかも「認知症」といっても様々なレベルの「認知症」があって、どのレベルを言っているのか、そこの確認から始めないと話が通じ合わないことと同じようだと、解説を書きながらちょっと驚いています。

二段階方式では、認知症を理解するためにはその人の脳機能を知るところから始まりますから、ADLを通して重症度を知るというやり方はありません。逆に脳機能レベルによって生活遂行能力を理解するという姿勢です。つまり私はFASTは使ったことがありませんので、なにごとも勉強ですから検索してみました。『アルツハイマー病の臨床診断 神﨑 恒』より 
 
1 正常成人 主観的にも客観的にも機能障害なし 
2 正常老化 物の置き忘れ,もの忘れの訴えあり.換語困難あり.
3 境界領域 職業上の複雑な仕事ができない.熟練を要する仕事の場面では機能低下が同僚によって認められる. 新しい場所への旅行は困難
4 軽度 パーティーの計画,買い物,金銭管理など日常生活での複雑な仕事ができない 
5 中等度 TPO に合った適切な洋服を選べない.入浴させるために説得することが必要なこともある
6a やや重度 独力では服を正しい順に着られない
b 入浴に介助を要する,入浴を嫌がる
c トイレの水を流し忘れたり,拭き忘れる 
d 尿失禁
e 便失禁
7a 重度 最大限約 6 個に限定された言語機能の低下 
b 理解しうる語彙は「はい」など,ただ 1 つの単語となる 
c 歩行能力の喪失 
d 坐位保持機能の喪失 
e 笑顔の喪失
f 頭部固定不能,最終的には意識消失(混迷・昏睡)



脳機能から症状を考える、脳機能が発揮された結果としての症状という考え方からすれば、脳機能の記載がないので全く推論の域を出ませんが、いちおう脳機能が低下する順にレベルが決められていると思います。
1 正常老人2 正常老化にはほとんど差がないのではないかと思います。ただ高齢になって「物の置き忘れ,もの忘れ.換語困難」を自覚していない人はいないはずです。1 正常成人  主観的にも客観的にも機能障害なし」というのは実態を表しているものとは思えません。高齢者は「若いころとは違うなあ」と機能障害を自覚しています。ただしこれは正常老化というもので何ら問題にすべきものではないのです。それが異常レベルかどうかは、前頭葉機能検査が必須です。

3 境界領域4 軽度ここにも実はほとんど差がないのです。職業上の複雑な仕事をこなすには前頭葉の注意分配力が、熟練を要する仕事には前頭葉の注意集中力が不可欠でしょう。家庭生活でも、客人を招くとなれば①メンバー選定②献立を決める。その時は客人の年齢。嗜好。季節的、経済的な条件。その集まりの目的など配慮すべきことが目白押しで、これはもう前頭葉なしではお手上げです。さらに③料理は食材の準備、手順、盛り付け。④客人を迎えるための掃除、しつらえ。家庭生活といっても、とても高レベルの前頭葉機能が必要です。つまり3 境界領域4 軽度は前頭葉が万全に機能していない段階ということになります。
たしかに2 正常老化から3 境界領域4 軽度までは緩やかなカーブで前頭葉機能低下が進行しています。二段階方式で言えばここまでが小ボケ(の、しかも前半)

5 中等度になると、4 軽度までの緩やかな症状推移から突然階段を踏み外したように症状が重症化しています。5 中等度の症状は中ボケの後半レベルの脳機能で起きてきます。
なぜこのような記述になったのか?
FASTは介護者がADLを観察して評価する方法ですから、観察ができる施設や病院にいる認知症者は中ボケ後半より重度の人ばかりだったのではないでしょうか。そのために中ボケ前半群の症状が抜け落ちたのだと思います。こう考えると、3 境界領域4 軽度の症状も少ない人数の観察か訴えから推定したのではないかとも思えるのですが。

着衣のことが書いてあるので、重症度に沿って解説してみます。
小ボケではおしゃれだった人がおしゃれでなくなる。それから食べこぼしが目立ったり、下着がのぞいたりだらしない印象が強くなる。
中ボケになると重ね着、前後ろ、裏表などの着方をする。セーターの上からシャツを着るなど着衣の順がおかしいのは中ボケ前半でも見られる。汗をかいても脱がない。そしてようやく葬式に喪服を着ていかない状況が生まれる。
さらに進行して大ボケになると、着脱に非常に時間がかかるようになり、着衣失行も起きるので、介助せざるを得ない状態となる。
脳機能と症状をリンクさせてみていくと、着衣でも、トイレでも、風呂でも、食作法でも、見当識でもこのように脳機能の低下に沿って問題が進行していくものです。

二段階方式の区分とずれるところもありますが、認知症が6 やや重度7 重度の状態で突然生じてくるのではないことをFASTはみとめていますよね。
6 やや重度で日常生活全面介助の状態です。そしていよいよ7 重度

FASTの7 重度を読んでイメージ化してください。
身体的な状態の方が想像しやすいでしょう。
「歩行能力の喪失。坐位保持機能の喪失」これはわかりやすく言えば寝たきりということですね。寝たきりでも、お話しできる人もいますが、「最大限約 6 個に限定された言語機能の低下。 理解しうる語彙は「はい」など、ただ 1 つの単語となる」言語的なコミュニケーションは取れないということです。
その状態で「笑顔の喪失Loss of ability to smile」という条件が付けくわえられている…
たまに苦痛を表明することはあるでしょうが、笑うことすらなく無表情で寝たきりの高齢者をイメージできますか?

話が飛びますが、私が浜松医療センター脳外科に神経心理測定担当として働き始めた時に、上司である脳外科医の金子先生が「脳は壊れてしまったらそこが担っていることができなくなります。そのできないところをはっきりさせてください」といわれ、なんと無慈悲な表現かと愕然としました。でも今は納得です。例えていえば運動野に障害が起きてマヒがある人に対して「動かす気がないから動かない」とは決して言いません。「少しでも動けるようにリハビリしましょう」と障害を前提にした励ましをします。
大脳皮質が全滅しても脳幹の機能(生命維持の中枢)が残っていたら、植物状態で生きるしかありません…植物状態は回復の可能性があるといわれますが、従前のその人のように生活ができるということはありえません。

笑うことをつかさどっている脳の領域がもう機能しなくなっているのなら、笑えません。
ここで新生児微笑にもう一度戻ってみましょう。神経系が未発達で生まれてきた赤ちゃんが2か月ごろに、笑っているわけではないのにちょうど微笑むような表情を見せるというところから周囲の働きかけがあって「笑い」が誕生してくる。その道筋を逆にたどっているのですね。二度童子という表現は言いえて妙な表現といえます。
その次の症状として「頭部固定不能」。これは首が座っていない状態の赤ちゃんと同じようなレベル。そして「混迷・昏睡」
このように認知症となって亡くなる人ももちろんいらっしゃるのですが、脳は正常老化のままで、人生にさようならする生き方を皆さんに教えてあげなくてはいけません。それは三頭立ての馬車を駆使する生き方、自分らしく生き続けることしかありません。

by 高槻絹子

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