脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

新橋界隈散歩

2024年01月31日 | 私の右脳ライフ
今日の記事は、Googleマップを記事に挿入する試みをしました。Googleマップが入っていないとその部分が多分空白になります。ごめんなさい。

1月は3回上京しました。ここで報告したように、毎回右脳訓練と称して公園や寄席を楽しんできました。(報告済み)
3回目はほとんど徒歩で目的地を回ると言う珍しいスケジュールでした。
スタートは、新橋演舞場。目的地は銀座洋教ホール。みゆき通りをまっすぐ数ブロック有楽町駅方面に歩いて行くのです。そこで高校のクラスメートと会うのです。
便利なGoogle マップ。徒歩で何分かかるかも調べてくれます。約11分ということでした。途中にもなかの空也があることに気づきました。ここのもなかはこの本店でしか買うことができない。またほとんどが予約販売で販売終了と言う、非常に入手しにくい最中です。早速予約の電話を入れるのですが、これがつながらないこと。予約をするのに半日ほどもかかってしまいました。


新橋演舞場は市川團十郎の正月公演の千秋楽でした。新之助、ぼたんとも共演で、私のミーハー興味心がそそられました。孫の学芸会見学的な関心ですね。
花道のすぐ脇といういい席!たまたまネットで検索した時にそのエリアの数十席がすっかり空席だったことも演舞場行きを後押ししてくれました。観劇がいちばんの目的で上京することはあまりなく、東京にいる時に時間的にも無理がない時に観劇するのです。ネット情報は必須です。
華やかな飾りが目について、考えたら正月公演。



幕間に地下食堂で小倉もなかアイスをいただきました。

銀座洋教ホールでは、高校同級生の書家幕田魁心さんの同門展。毎年銀座で開き続けているのです。できるだけ見せてもらうようにしています。

さあ、次はコレド室町。ちばぎんひまわりギャラリーで幕田さんの個展も開催中。地下鉄銀座線で銀座―京橋―日本橋ー三越前。三越前駅直結という情報をもとに出発!
Googleマップは便利です。駅まではごくごく簡単ですが下車後、ちょっと試行錯誤あり。






その後は、地下鉄銀座線で新橋まで。ゆりかもめに乗り換えて一駅汐留のホテルにチェックイン。
失敗談を一つ。
新橋についてゆりかもめ駅を探すのに、どう考えてもおかしい。前頭葉はくるくる動いて「駅員さんに聞いてみよう」これはいいアイディアです。
ところが窓口で大笑い。「ここは虎ノ門。一つ戻ったほうが楽ですよ」
久しぶりのクラスメートと積もる話に盛り上がって乗り過ごした…ホームが違っていたので一駅戻るのは結構大変だったことも白状しておきましょう。

一緒に歩いてくれた友人。綺麗なクラスメートでしょう!

Googleマップ挿入の挑戦にお付き合いくださって、ありがとうございました。
by 高槻絹子





年賀状で小ボケ発見

2024年01月21日 | 正常から認知症への移り変わり

「認知症になったらどうなると思いますか」とか
「どういうことをしたら、認知症になったと言いますか」と聞いてみると、実にさまざまな答えが返ってきます。
まずは「物忘れ」ということば。
「40代ともなると物忘れしない人がいないでしょう?何を忘れたら認知症と断定できますか」と重ねて聞くと
「食事をしたのに食べてないという」とか
「家を忘れて徘徊する」とか
「家族の顔も分からなくなってしまう」という最重度の結論になってしまいます。
次に出てくるのは「一人で生活できない。生活に全面的な介助が必要」という理解でしょう。
こちらは逆に
「突然、目が離せない全面介助になりますか?」
最近の近所の花たち。大寒というのに桜が咲いています。
正月千鶴桜





認知症の始まりを知る必要があります!
このブログで何度も繰り返しているように、認知症の大部分を占めるアルツハイマー型認知症は、誰にでもある前頭葉機能の正常老化が、加速されるところから始まります。そのきっかけや経過はこのブログのカテゴリー「正常から認知症へ」に譲るとして、正常老化が加速され始めたその時に起きる具体例を紹介します。
今年いただいた年賀状です。
まずは84歳の方

宛先に注目してください。我が家の地番は「1030-44」
「一〇三〇-四四」と漢数字を縦書きにするか
数字を横書きにして「1030-44」にしたり「1030」と横書き、その下に「|」を加えて「44」と書くでしょう。(カンマを付け加えることもある)
まとめてみました。赤字がいただいた賀状の表記です。並べるとそのおかしさがはっきりするでしょう。

私たちでも書き間違えは起こします。ついでに言えば、歳を重ねるごとにその頻度は増しますね。
でも「あ、間違えた!」と自覚して、次の策を考えませんか?
年賀状だから破棄する。修正液を使う。修正線で書き直す。小さな紙を貼るetc 


高齢の方が年賀状を書いただけでも素晴らしい。小さな失敗をあげつらう必要はないのに。と思う方は多いでしょう。
もう一つあげつらわせていただくと、郵便番号も間違っています…413-0232ですが113-0222。
この事件は、前頭葉が担う注意集中力および分配力がきちんと機能していない結果なのです。脳から言えば、まさにこの時が前頭葉が老化を加速し始めた時なのです。つまり認知症が始まった時!

歳上の友人から電話がありました。
「とにかく、ボケずに逝きたいの。子供達に迷惑をかけたくない。断捨離も頑張ってるし。そう思いながらちょっと心配もしてる。だっていろいろ忘れる…だんだんひどくなってる」
実はこの友人からいただいた年賀状も気がかりなものでした。

差出人に「様」がついていました。しかも夫婦連名で二人とも…まさに注意集中が逸れてしまった…毎年下さるのですがもちろん今までにないことです。書かれているのはご主人(81歳)なので
「ご主人様はおかわりないですか?お元気ですか?」と尋ねたら
「体は特に問題ないと思うけど、なんだかいつもよく寝てる…することがないとテレビ見てるかと思うと寝てるんです」

前頭葉は司令塔。先の例のように注意の集中をかけたり、分配したりする要の役割を担っています。状況を判断してどのように脳を使うか決める役割も重要な前頭葉の機能です。
指令が出なければ、脳としてすることがない。それは日常生活では居眠りという形で現れます。
ハガキと居眠り。思いがけずはっきりと前頭葉機能低下を確認できてしまいました。どのように説明をすべきか、ちょっと思いを巡らせていました。
友の言葉が続きます。
「家の片付けも済み、庭木の手入れも今までにないほどバサバサ切って当分は手入れも不要。それに寒いからすることがないと言えばないんだけど、とにかく意欲がないのよね」
そこですかさず言いました。
「ボケ始めって何だと思いますか?」
「物忘れでしょう?だって『物忘れはボケの始り』っていうでしょう?」

(ホトケノザ)
「いいえ違います。確かに世間では『物忘れはボケの始まり』って言いますが、間違ってるんです!脳の検査をすればよくわかります。記憶力に何の支障もないのに、前頭葉機能がうまく働かなくなっている人がいるんです。その人たちがボケ始め。
日常生活で一番気がつくことは(思わずここで一息入れました)意欲がなくなるのです。結果、前頭葉は脳に指令を出さないので居眠りが目立つ。同時に好奇心も無くなるので、いよいよすることもなく居眠ることになってしまいます。
居眠りは危険信号ですよ」

熱を込めて言いましたが、怪訝な感じが電話から伝わってきました。
「だって普通に話すし、日常生活は自立してるし、遠くはやめたけど近くへの運転も問題ないし(本当は問題がある)、もちろん徘徊も夜中に騒ぐこともない。この歳なら普通…」
私は言葉を飲み込みましたが
「じゃあ、あなたが年賀状の差出人に『様』をつけてしまい、それを指摘された時『歳だもの普通』と平気でいられますか?」と言いたかった。
些細なことに心を配っていないと、ボケ始めは見逃すことになります。
失敗はいいのです。失敗した時にどう対処できるか、その人らしく対処できるなら、前頭葉機能はちゃんと機能していると言うことです。これが「歳のせい」と笑って済ませていい事件。
どこまで私が感じた切迫感が伝わったか、正直言って心許ない気がしています。

by 高槻絹子










1月の右脳訓練-④歯科治療終了

2024年01月17日 | 私の右脳ライフ
先々週、治療済み奥歯の縁が欠けてしまい、歯の耐用年数に思いを馳せて加齢を実感しつつ治療をスタートしました。先週の初回で型取りまでしたので、8日目の今日また上京しました。
欠けた時はショックでしたが、欠けたところまで一体化したセラミック製の詰め物でしたので、なんだかすっかり生まれ変わったような気持ちです。
いつも感心するのですが、詰めた後の噛み合わせの調整が本当に短時間!院内に歯科技工士の方たちが仕事をされる広い部屋があるので、やはり連携の具合が優れているのかなと思います。
「神経がありますから、痛みがあります」と事前に言われて、風が当たってチクリと痛いのと、何も言われないでチクリと痛いのを想像すると、刺激は同じでも受け取るものは全く違います。
「知る」ということは大切なことですね。
東京駅八重洲口前のビル、再開発中。NHKの解体キングダムに取り上げられたとか。

さらに驚いたことがありました。
診療代金が2160円!先週も通常の健診に加え詰め物の型取り、上との下の噛み合わせの型取りで2000円ちょっとだったので、詰め物をきちんと入れて下さる時に請求されるものと思っていました。
あまりにも安いので間違いがあったらいけないと思ってお尋ねしました。
「もともとの詰め物の治療をこちらでさせていただいておりますので、特別に料金はいただいておりません」

調べた範囲では2009年にはもう受診していました。そろそろ15年。
なんいう誠実な対応、なんという自己技術への確信。かく生きたいと思いました。



今日の右脳訓練は映画鑑賞です。
東京駅から一駅有楽町駅まで歩いて、イトシア4階のヒューマントラストシネマ有楽町で上映中の「葬送のカーネーション」

荒涼としたトルコの自然のなかを、粗末な木造りの棺桶に入れた亡妻の遺体を運ぶ祖父と孫。ヒッチハイクや時には祖父と孫が二人で人力で運ぶという設定はあり得ないほど特殊ですが、セリフも少ないし、だいいち色すらほとんどない淡々としたシーンが続きます。小さなシーンの中で、ハッとするような様々な言葉が発せられます。その言葉が映画制作の主張だと思いました。

葬送のカーネーションの公式サイトを貼っておきます。映画『葬送のカーネーション』オフィシャルサイト

映画『葬送のカーネーション』オフィシャルサイト

2024年1月12日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBIS GARDEN CINEMA ほか|圧倒的な映像が静かに問いかける、現代トルコ映画の到達点 リアリズムと...

映画『葬送のカーネーション』オフィシャルサイト

 
映画館も小規模でもおしゃれな新しいタイプのものでした。前から気になっていた映画館に行けたことも満足感の一部。
一人ランチは、同じイトシア館内の和食のお店響。オープンキッチンのおしゃれなお店で落ち着いて食事を楽しんでいる人が多く、良いお店をチョイスしたものです。映画館の一階下にあっただけですが。

瀬戸内の鯛料理主体のランチ。

宇和島に行った時にいただいた鯛のお刺身は確かにこういう食べ方でした。
そうそう、こんなサービスもありました。なんでも挑戦してみるタイプです。
いつものように、歯科受診だけに終わらない楽しい東京行きでした。
(夕食から治療済みの歯は快調に使えています)

by 高槻絹子







アルツハイマー病と型

2024年01月17日 | エイジングライフ研究所から
  1. 友人からのメールが届きました。
英語が得意な人です。たまたまでしょうか、FAST(Functional Assessment Stagingの略で、 主にADL(生活自立度)の程度から認知症の重症度を評価するスケール)に目を通したら、疑問が湧いてきたという内容です。
ひとつは
アメリカではアルツハイマーは「型」ではなくて病気ですね。」
このブログでも何度か書いてありますが、もう一度まとめてみましょう。
稲取のアニマルキーパーズカレッジを見学しました。

アルツハイマー博士が「記銘力障害」と「見当識障害」を訴える(つまり痴呆症の要件を満たしている)51歳という若さの患者に出会ったのは1901年。この珍しい自験例を、「アルツハイマー病(Alzheimer's disease、略してAD) 」と名付けて報告したのは従来言われてきた「老年痴呆(senile dementia)」とはその経過が全く違うからでした。
①若年発症。
②急速に悪化。
という特徴がありました。博士のこの症例は、初診時51歳、54歳死亡という経過をたどりました。病理学者でもあったアルツハイマー博士はあまりにも普通の「老年痴呆」と違うということで実施した死後剖検で
③老人斑(アミロイドベータによる)・神経原繊維変化・脳萎縮が顕著。という特徴を発見しました。ここまでが第一段階。

もともと普通の経過を辿った「老年痴呆」は解剖をすることはなかったのですが、解剖をした症例で「アルツハイマー病」の特徴と言われる「老人斑・神経原繊維変化・脳萎縮」の3兆候が認められたのです。つまり「アルツハイマー病」も「老年痴呆」も最終段階は全く同じ病理構造を持っているということが明らかになりました。その症例がたくさん集められたのは20世紀半ばのことです。
ここで第ニ段階に入りました。

そして第三段階はイギリスそしてアメリカです。
このような鑑別法が入ってきた時に「最終的な脳の病理状態が同じなので、まとめてアルツハイマー病と表現する。ただし発症年齢65歳で区分けをして早発型(early-onset:EO-AD )と晩発型(late-onset:LO-AD )の区分けをつける」

第四段階。
日本には、ドイツからの情報も、アメリカ経由の情報も入ってきたために混乱が起きてしまいました。
本来なら若年発症で急速に悪化していくものこそがアルツハイマー博士の提唱した「アルツハイマー病」。痴呆を「アルツハイマー病」と一括りにしたイギリスやアメリカでも「早発型」と「晩発型」の区別はつけていたのですが、みごとにその差は無視されてしまって、アルツハイマー病、アルツハイマー型痴呆(のちに認知症)、病名ではなく人名そのままのアルツハイマーまで、まったく自由な呼び方になっていきました。最近では「アルツハイマー病」が多い印象ですが、介護の現場ではアルツという言い方まであるようです。

このようなことになってしまった原因は発症の機序や経過を無視している。さらに言えば重度認知症のみに対応していれば早期の段階や経過を知ることがない。
だからこそ、若年層で発症した側頭葉性健忘症を、若年性認知症とする大きな間違いが起きてしまいました。重度認知症の家族が訴える徘徊や粗暴行為や日常生活が自立できないなどという症状が皆無で、記銘力障害による困り事を本人が感情を込めて訴えるタイプを、認知症のごく初期の段階と誤解したためなのです。
厚生労働省による分類でも、若年性認知症は発症年齢が65歳以下と書かれています…若年発症だけ
でなく急速な症状の進行を伴ってこそ本来のアルツハイマー病です。
側頭葉性健忘症の人たちは、適切な生活指導や生活環境さえあれば、脳機能を長く維持します。

興味がある方はもう少し詳しく書いてありますので読んでみてください。長くてすみません。
「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」前提の誤り - 脳機能からみた認知症

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」前提の誤り - 脳機能からみた認知症

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」の根本的な問題点、特に若年性認知症の臨床的分類に関する考えをまとめておきたいと思います。わざわざ「共生社会の実現を...

goo blog

 
ブログカテゴリーの「側頭葉性健忘症」には具体例が挙げてありますから、まず側頭葉性健忘症がどういうものが実感してみてください。
脳機能から認知症を理解する立場なら、前頭葉機能が機能しているかどうかをチェックすればすぐに早期認知症と違うことがわかるのですが。

もう一つの質問はFASTの'Loss of ability to smile' に関してでしたね。
「笑い」のことについては次回に書きましょう。

by 高槻絹子






石原慎太郎さんは左利き-右脳梗塞で失語症に(再掲)

2024年01月13日 | 右脳の働き

どういう訳か、2017年3月に書いたこの記事が集中的に読まれています。何か理由があるのかもしれませんが、それを探るよりも再掲してみます。

脳には場所でその働きが異なる「機能局在」という考え方があります。左脳はデジタル右脳はアナログ。脳機能をそんなにシンプルなものと断定するのは危険ではありますが、この記事や記事中に紹介している前記事のような症例こそが、脳機能の局在を知る手掛かりを教えてくれます。


iPadを使っているのですが、購入した時にドコモショップのサービスで「dマガジン」というアプリがついてきました。


いわゆる週刊誌から月刊誌まで。男女ライフスタイル誌、男女ファッション誌、お出かけグルメ、エンタメ、ビジネス IT、スポーツ等々180誌が読み放題。
一か月後から有料でしたが、400円/月!ウソみたいな安さです。 
dマガジン導入の前は、週刊新潮や週刊文春は新聞の広告欄の見出しで十分と思っていましたが、今はときどき読むことがあります。何しろ無料ですから(笑)
今日は週刊文春3月30日号を読んで、またもや右脳に言語野がある(かもしれない)ケース発見。
週刊誌の見出しはちょっと恥ずかしくて転記しにくいですねえ。でも。
「石原・浜渦『逃げ恥』を許したおバカ都議」3ページにわたる記事でしたが、気になったのは9行のみ。
「石原氏は脳梗塞の後遺症が残る利き手の左手ではなく、右手で宣誓書にサインし、冒頭『(記憶を司る)海馬がうまく働かず、平仮名さえ忘れました。記憶を引き出せないことが多々あります』と断ったうえで質疑に応じた。」
ここでお断り。今回の記事は、書かれていることが正確であるという前提でお話ししています。

3月27日。小雨の庭の花たちです 。貝母

この短い9行の記事から、いろいろなことがわかります。
まずは「利き手が左手」ということですね。 その左手に「署名ができないほどの後遺症としてのマヒがある」ということもわかります。
ということは、脳梗塞は「右脳に起きた」ということになります。
びっくりすることに「平仮名を忘れている」つまり、「平仮名が読めない」とカミングアウトしたのです。
もう一つは「(利き手でない)右手で名前は書ける」のですね。

ミニ水仙

右脳の働きはアナログ情報の処理、色や形や音楽さらには感情的な処理までも受け持ちます。左脳はデジタル情報の処理をします。つまり言葉は左脳の担当ですから、右脳にダメージを受けたときには「失語症」の心配はしなくていいのが普通です。
ただし大切なことは、このざっくりしたわけ方は、右利きの人の場合だということです。左利きの人は、言語野が左脳にも右脳にもあると言われています。

石原さんの「平仮名が読めない」ということは、言葉の障害と考えられます。理由は、石原さんは左利きですから、脳梗塞でダメージを受けた右脳にも言語野があったということなのです。

先日のニュースで、石原慎太郎さんが百条委員会での証人喚問に際して、次のように発言したと伝えられました。正確な情報のためにネットで全文記載してありそうなものを見つけましたから、ここに転記します。
「お答えする前に一言、お断りしておきますけど。私ごとになりますが、私、2年ほど前に脳梗塞を患いまして、いまだにその後遺症に悩んでおります。現に、利き腕の左腕が使えず、字も書けませんし、絵も描けません。患部がですね、右側頭頂部だったために、その近くに「海馬」と言う不思議な部分がありまして、記憶を埋蔵している箱のようなものですが、これがうまく開きません。そのため、残念ながら全ての字を忘れました。平仮名さえ忘れました。物書きでありますから、ワードプロセッサーを使ってなんとか書いてますけど、そういう点で記憶を引き出そうとしても思い出せないことが多々ありますので、一つ、ご容赦いただきたいと思います」
うーん、週刊文春の短い記事はけっこう正確に伝えてくれています。
冬アジサイ

一般の読者はびっくりしたでしょう。
こういう場所ですから「まさか嘘は言わないだろうから、脳梗塞の後遺症で海馬がうまく働かなくなると平仮名も忘れてしまうんだ」とそのままに受け取ったのではないでしょうか?
発言内容はさておき「その割には、ちゃんと話すことはできるんだ」と思ったでしょうね。
単に「宣誓書にサインをした」とだけ書かずに「脳梗塞の後遺症の残る利き手の左手でなく、右手で」と「左手が利き手」であることを省略してないことに拍手です。
左利きの人は、言語野が左脳だけでなく右脳にも一部あるといわれています。
そのことは、左脳にダメージを受けても言語野がすべてやられることになりませんから、「左利きの人は失語症が軽くて済む」といわれることにつながります。
今回のように、右脳にダメージを受けたのに、普通なら左脳障害の後遺症である言葉の障害(軽症のことが多いですが)を起こしてしまうことにもなりますけど。
たまたま、前回の記事「例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります」も同じ例です。
クリスマスローズ
 
実は「また『忘れる』ことが、種々のトラブルの原因にされてしまって・・・困ったこと」と、私は思っていました。
その前に解説が必要だということに、週刊文春の記事は気づかせてくれました。
平仮名を「忘れてしまって」分からなくなったのではなく、平仮名の理解をする脳の機能に、脳梗塞の後遺症が起き「読めなくなって」しまったのです。形のレベルで「わからない」場合も、形はわかっても「意味と関連付けること」ができなくなってしまう場合もあります。
漢字の方がわからないケースと、仮名の方が難しくなるケースがあります。一文字が問題の場合もあるし、文が難しい場合もあります。
「失読」という症状です。細かく調べないと正確なことは言えません。
「失読」には「失書」も伴うことがよくあります。「字が書けない」という症状です。ところが自分で書くことはできなくてもパソコンを使えば書ける場合もありますから、石原さんの発言の後半はうなずけるものだといえます。
脳機能という切り口を持っていると、たった9行の記事からもいろんなことがわかるものです。
コリアンダー
 
認知症も「物忘れ」こそ大切な症状と思われています。何か問題があれば「物忘れ」「記憶力がおかしい」「思い出せない」「覚えられない」と言います。

認知症の最初の症状は「記憶力低下」ではありません。
前頭葉の機能低下こそ、認知症のもっとも初期の症状の原因となります。
例えば小ボケの症状である「鍋を焦がしたり、やかんの空焚き」をしてしまうのは、鍋やヤカンを火にかけているのを「忘れる」のではなく 、他の用事をしていると、前頭葉の中核的な働きである「注意分配力」がうまく働かない状態なので、注意を振り向けることができなくなるから起きる失敗なのです。
いろんなことを思いついたり、企画したりするような「意欲」も前頭葉の役割です。
認知症が始まってすぐ、記憶の障害が目立つ前に「意欲」がわきませんから「何もせず、ボーとして居眠りばかりしている」のですが、そのことを指摘すると「あんたもこの齢になったらわかるわよ」などと妙に納得させられるような反論にあったります。そうすると「『物忘れ』もそんなに目立たないし、やっぱり歳のせいかなぁ」と、折角の認知症を回復させられるゴールデンタイムを見逃してしまうのです。

ホンコンドウダン(ピンクシャンデリア)

by 高槻絹子

 



1月の右脳訓練-③新宿末広亭

2024年01月13日 | 私の右脳ライフ
新宿西口のヒルトン東京に友人と一泊しました。
友人は仕事のため、新宿駅に翌朝10時半過ぎには着かないといけません。つまりそれからは一人の東京タイム。
考えてみたら新宿に行くことはあまりありません。ここはひとつ新宿で過ごしてみようとまず第一段階の決断。(庭のビオラを見てください)

新宿で体験してみたい新しいニュースがない。そういう時、歳を重ねた人たちだけができることがあります。思い出の中を探ってみる…
母が体調を壊して長く慶應病院に入院したのですが、主治医の異動に伴って東京医大に転院しました。大学3年生の時だったか。
地上が開いている地下1階の西口広場は、もうできていました。今の新宿中央公園はまだ淀橋浄水場。もう使ってなかったかもしれませんが大きな浄水池が並んでいました。
最初の高層ビルの京王プラザホテルは建築中。

その頃新宿西口は、学生たちの町。フォークソングから始まってプロテストソングが響き渡るそんな町だったのです。一方で大学では急進的な学生たちが大学紛争と言われることになる大学当局との対立を繰り広げていました。大学構内のあちらこちらに、全共闘、革マル、中核派などの言葉が踊る、特徴的な字体の立て看板が立てかけられていた景色が今胸の中に広がります。
学生たちの活動はどんどんエスカレートしていきました。国際反戦デーの新宿西口では投石放火などだったでしょうか、とにかく駅の機能をストップさせてしまい、機動隊と激しく対立、多くの逮捕者まで出てしまうような事件すらありました。
そんな学生闘争真っ盛りに大学生活を送ったのですが、当時の言葉で言えばひよっていた私…正確に言えば幼すぎて問題意識を持つところまで至ってなかったと思います。

通学は池袋↔︎渋谷の山手線を使っていました。毎日新宿で途中下車して東京医大病院に寄って、母とあれこれ今日の出来事の話をしあって、夕食を見守り(残ったら私が食べて)帰宅。世の中の騒がしさとは無縁の学生生活でした。

私の生きてきた人生があるので「新宿」という言葉がこんなにも厚みを生んでくれる…歳を重ねるということもいいものですね。
私は、たまたま東京で学生生活をし、母の入院もあったので「新宿」が厚みを持って立ち現れましたが、もし全く知らない地名や言葉であっても「その時の私」は何をしていたか、何を思っていたかなどに思いを巡らせることで、きっと同じように厚みが生まれてくると思います。これが長く生きてきたことが持つ力です。

第二段階の決断は「そうだ。末広亭に行ってみよう!」
大学生になった時には2歳上の兄と一緒に暮らしました。入学後ちょっと落ち着いた頃に末広亭に連れて行ってくれました。
「こういうところも東京らしいよ」と兄が言ったことは覚えていますが、演目はすっかり忘却の彼方。


だいたいの計画が立ったところで、さあ行動開始。友人と二人でまずは新宿駅西口を目指してスタートです。
中央公園も木々が大きくなって、ここに浄水池があったとは誰も思わないでしょうね。

新宿西口まで歩いて行ったら小田急デパート大改築中…今度はどんな西口になるのでしょうか。

JR新宿駅で友人と分かれた後、ホテルへのシャトルバスを見つけたので、今チェックアウトしたホテルまで乗ってみることにしました。ピストン輸送していましたから、そのまままた新宿西口まで。都庁をはじめ高層ビル群の位置関係がよくわかりました。こういうことは私の趣味のようなものです。(好みは十人十色です)

まさに淀橋浄水場の跡に建てられた東京都庁舎。展望台に行ったのはいつのことでしょう?行けるようになったらすぐ行ったような…今度また展望台に行ってみましょう。

末広亭に行くには新宿駅を西口から東口まで連絡通路を使って横切ります。

私が住んでいるところにはUber Eatsがありません。半世紀経っても東京と地方には大きな格差がありますね。
東口のネコちゃんに会わなくっちゃあ。2021年の公認心理師試験を受けに来たときには、新宿駅が乗換駅だったのでわざわざこのネコちゃんを見にやってきました。

しばらくネコちゃんを見て、紀伊國屋を横目で見ながら通過、伊勢丹は1階を通り抜けて、さらにもう一区画進んで左折。右を見るともう末広亭の通りになります。

ちょっと検索してみたら、新宿末広亭は昭和21年に建てられた木造の建物。あらま!私とほとんど同じだけの歴史を持っているということです。
お弁当とお茶を持ち込んで、左右の桟敷席にも心惹かれましたが、一番前の椅子席に。
一番ずつの出し物が短いのです。5分くらいでしょうか。落語だとさわりの部分だけみたいな感じです。だんだん名前の知られている人たちが出てくると、持ち時間が長くなる。
春風亭昇太はもちろん「笑点」の話から入りましたが、なんと「時そば」を語ってくれました。私の目の前に、昨日見たばかりの深川江戸資料館のそばの屋台が見えましたよ。想定外の出来事が起きてくるのも生きていくときの楽しみの一つです。
色物というそうですが、落語以外の出し物も合間合間に演じられます。講談。切り絵。漫才。手品。曲芸。イキイキとした表情が手に取るようにわかります。小劇場というより、芝居小屋はこうでなくっちゃあ。
客ぶりというか、笑声のタイミングがいいお客さんがいて、雰囲気を引っ張ってくれました。歌舞伎の大向こうからの掛け声のようなものですね。
もう一つ。切り絵のモデルになった男性が、その作品を受け取りに行きながらお札を小さくたたんで芸人さんに手渡していました。「お。粋だなあ。経験を積まないとこうはできない」と拍手に力を込めました。
12時から、新幹線の時間に間に合うように4時半まで。楽しみました。
建物内の写真は不可ですから、せめて寄席看板を。

帰宅後、江戸文字について調べてみました。
江戸時代に使用された図案文字。
芝居文字:勘亭流。歌舞伎の看板、番付に使用。
相撲字:根岸流。大相撲の番付、広告に使用。
寄席文字:橘流。空席がないように字間を詰めて書くのが特徴。
新宿のビルの場所を知るのも、江戸文字の種類を知るのも、新しい知識を得ることは私の喜び。喜ぶ時間は脳を活性化しますが、これはあんまり深くはないかもしれません。
私的な遊びの記録をブログにあげるのは、こういう脳の使い方もある。こういう楽しみ方もあるという具体例を提示しているつもりです。参考にはならないかなあ…

by 高槻絹子






1月の右脳訓練ー②清澄庭園

2024年01月12日 | 私の右脳ライフ
歯科受診のついでの東京散歩は私のルーティン。
今回は友人の誘いで清澄庭園に行きました。
清澄庭園の前に荒川江戸資料館に行ったので割引になった入場料は、50円でした!正規料金は65歳以上で70円。

都立庭園は9ヶ所もあるのです。
東京に住んでいた時に行ったのは、学校の近所にあった小石川後楽園と私たち夫婦が出会った六義園だけ。東京を離れてから行ったのが浜離宮と旧芝離宮、それにバラに合わせて旧古河庭園。
旧岩崎邸はすぐ側まで行ったのに、なぜか入っていません。向島百花園と清澄庭園は土地勘のない下町エリアなのでなんとなく足が延びず。そんな訳で、友人の「清澄庭園に行きましょう」の言葉には即オッケーを出していました。
(もう一つは国分寺の殿ヶ谷戸庭園)

清澄庭園は「回遊式林泉庭園」と言われるだけあって、お庭の中心に大きな池があります。池の周りには手入れの行き届いた松を中心にした樹木が配置されていて、まさに日本庭園の風情です。
雪吊りの松

菰を巻かれて藁ぼっちも被されて。万全な防寒対策!

見事な松



風もない穏やかな日でしたから、池面に映る景色がまた一興でした。

友人は、ビルが見えることを残念がっていましたが、「それだけ町中に、これほどの庭園があることでもあるよね」と納得しあいました。
冬らしく、さまざまな鳥たちが集っています。





このお庭の由来は、紀伊國屋文左衛門の屋敷に始まり、享保年間に下総国関宿藩の下屋敷そして明治11年に三菱の岩崎彌太郎の手に渡り、その後も造園工事が継続されて「岩崎家三代が築いた名石の庭(都立庭園のパンフレットより)」が完成しました。
岩崎家が自社の汽船を用いて全国の名石を集めたと説明がありましたが、なんと伊豆石が一番多かったと思います。




飛び石(磯渡り)も見どころと説明されています。確かに!


深川あたりには芭蕉にゆかりの地がたくさんあるようです。芭蕉が奥の細道に旅立った庵も、すぐ側の小名木川の向こう岸にあるということで、あの「古池やかはず飛び込む水の音」の句碑がありました。
初めてなのに、どこか懐かしいような何か見えるような気がしていたのです。帰宅してからはたと気づきました。
嵐山光三郎著『芭蕉紀行』を読んだのは数年前。本なのに場面場面がはっきりと見えるような独特の魅力あふれた文体に引き込まれ、一緒にその場にいるような気持ちになりました。

古池やの句がデビューした、芭蕉庵で開かれた「蛙合(かわずあわせ)」の詳細もこの本で読みました。
この本は嵐山光三郎が芭蕉と同じように歩いて、自筆の地図が挿入されます。

そうだ!深川に一度は行ってみたかった。
この本を読んだ時、深川をいろいろに想像したのでした。
「体験こそが人生を深め、彩りを与えてくれる」最近よく思うことです。勉強でも遊びでも体験してきたことは、今の体験をより楽しませてくれるものですね。

大泉水の周りには松が多いのですが、巨木も目につきました。



巨木ではありませんが、友人激写。腕を突き上げた私に「動きが出て芸術性が上がった」と。私たちポジティブなんです(笑)

かわいい芽が力一杯春を待っていました。

駅へ向かう道でも、早い春を発見。




年末には広大な三溪園も二人で楽しみましたが、清澄庭園には比較することが難しい良さがありました。それよりもおしゃべりを楽しみながらの散策は、体にも脳にも良質の刺激になったことは間違いないと実感しました。
友人からのメール。
昨夜、清澄庭園の案内を復習していたら、涼亭40名3時間半5500円ですって。花見弁当持ち込みの集まりにいいですね」
さすが、私の友人!

by 高槻絹子






1月の右脳訓練-①歯の治療から始まる東京散歩

2024年01月11日 | 私の右脳ライフ
「歯」にも耐用年数があるのですね!
「歯質がいいですね。ご両親に感謝ですよ」とドクターに言われ続けてきたのですが、事件発生。下の治療済みの奥歯の縁が欠けてしまったのです。
硬いものを食べたのなら諦めもつきますが、歯間ブラシを使っていただけという情けなさ。
「体」全体の耐用年数は間違いなく延びてきているわけですが、部品で見ていくと目にしろ、耳にしろ、髪にしろ、そうそうお肌も「耐用年数」とはいいませんが品質や機能の低下は否めない…ことはわかっているのです。
講演で「誰しも老化はあるのです。正常老化を認められなければ生きていかれないでしょう」ということもあるのですから、甘受するしかないですね。でもチラッと心に浮かびます。長生きをしなければ「歯質がいい」ままだったのに(笑)と。
息子の勧めで、東京駅からすぐの歯医者さんにお世話になっています。
丸善の隣。

プラザビルの2階。

理念、技術、対応、雰囲気、設備全て素晴らしい。
待合室の展示。今回ちょっと待ち時間があったのでゆっくり見ました(名前を呼ばれたのは、予約時間ぴったりでした)。


個室の治療室。各室違う素敵な天井画があります。

私の力尽きた歯(リアルだと失礼ですから、スケッチ風に加工してあります)。リアルタイムで撮った写真で説明してくださるので、治療がどう行われるのか納得できます。

そのうえ、型取りした時は二回になりますが、通院がだいたい一回で済むのです。治療費が不思議なほど安いことも書いておかないといけないでしょう。

私にしたら、東京でついでにやりたいことをやってくるという付録も楽しみですし。
歯が欠けちゃったというショックからはすぐに回復しました。
「さあ今回は何をしようかな」楽しい時間が始まります。最近は理解ある夫の後押しもあって、だいたい一泊してきます。
友人に声をかけてみたら「清澄庭園にしましょう」と即答。私はスケジュールを立てるのも好きですが、人の勧めにもすぐ乗れるタイプです。
実は「清澄白河」という駅名にも惹かれるものがありました。
待ち合わせ時間まで余裕があったので、荒川江戸資料館へ。
だいたい私は新聞や人との会話から興味あることにピッピとアンテナが反応して「機会があるときに行こうっと」と胸の中にメモしておくのです。最近はネット経由の情報がどんどん増えてきましたねえ。ところが荒川江戸資料館はグーグルマップで清澄庭園の行き方をチェックした時に発見するまで、全く知りませんでした。

天保年間の江戸深川佐賀町の町並みを実物大で再現しています。翌日新宿末広亭に行きましたが、落語を聞きながら景色が見えるようでした。

小売のお店。八百屋

つき米屋

肥料など扱う大店

船宿

猪牙舟(ちょきぶね)

庶民の長屋の町並み。狭かったのですね。

部屋の様子も復元されていました





川端の蕎麦屋の屋台。


深川江戸資料館のことは知らなかったのですが、充実した時間を楽しむことができました。
清澄庭園に行く途中「江戸みやげ店」の看板を掲げているお店がありました。
遊び心満載の店主が見えましたから、引き込まれてしまいました。

こんな素敵なカードも「持っていきなさい」と。

奥にいた奥さんが「私が作ったのだけど」とちょっと控えめな印象で言われましたが、ご主人は、どうも一目置いている感じでした。
今見てきた江戸の町並みの中で生活しているご夫婦、それもチャキチャキのしっかり者のおかみさんにちょっと頭が上がらない職人さん、をみているような気持ちになりました。
清澄庭園を楽しんで、ホテルは新宿。江戸時代から現代にひとっ飛びしました。
ついでに翌朝の都庁庁舎も、現代ですね!

ホテルはまだまだお正月気分です。

(続く)
by 高槻絹子


今年のお正月

2024年01月06日 | 私の右脳ライフ
サルがミカンを食べてる。我が家の庭で! 
元旦の能登半島地震で少らからぬショックを受け、1月2日はいつもと違う気持ちで洗面所から外を見ました。
あれ?本来ならばこういう景色が見えるはず。

ところが、いないはずのものが、堂々と座っている。

「我が家の庭にサルが!ゆったり座ってミカンを食べてる!しかも皮をむきながら!」少し唖然としてしまった後、夫にも見せてあげたいと、バタバタとご注進に走る。
さいわい間に合って、二人でしばらく黙って観察。そのうち、急に動きが出たっと思ったら、姿を消してしまいました。
「おなかがいっぱいになったの?」「それとも私たちに見られたから?」と聞きたい気持ちはいっぱいでしたが、その術がありません。
奥にシークワーサーがたくさんあるのに、手前のカボス(多分)だけを食べてくれました。猿にも味の好みがあるのでしょうか?
私が試食してみたところ、どう考えてもシークワーサーの方が食べやすいと思うのですが。
それにしても上手に皮がむけるのですね。ちょっと綺麗なシーンになっていました。

そばの夫が言いました。
「どこから来たんだろう。シャボテン公園かな?」
私もおなじ疑問がわいてきていましたが、シャボテン公園ではないというのはほとんど確信。
「うーん。多分違うんじゃない?野生でしょう?」
続くことばは想定外。
「かわいそうに。よほど食べるものがないんだろう…」常の夫の言葉からは想像できない発言で、私は申年なので一体化しちゃったのかと思ってしまいました。
ただ、フェイスブックで先にお知らせしたら「忠男さん、やさしい」という反応が続き、みなさんのイメージだと想定外ではないようです。
私にとっては、クスッと笑える想定外続きで開けた正月二日でした。

去年のクリスマス飾りは、友人が送ってくれたクリスマス飾りの動画に触発されて、なんと12月24日に飾りました。当然パスするつもりだったんです。

クリスマスは小さなツリーだったので、お正月飾りはちゃんとしたものを用意しなくてはと思いました。

今年のお正月飾りは、ちょっと珍しいものです。友人のところのお嫁ちゃんがなんとシャドウボックスの先生!アメリカ駐在時にシャドウボックスに出会ってアメリカでも研鑽を積み、帰国後は日本の第一人者の先生にも指導を受けているそうですが、流石にきらりと光るものを持った作品をいくつか見せていただきました。
お正月用にとプレゼントされたものがあるのです。

17世紀のイタリアで始まったシャドウボックスの手法を使って「和」をテーマにしているところが素敵です。
さらに、辰年ということでこんなぴったりの可愛い作品も出番を待っています。
穏やかな辰年でありますように。

シャドウボックスは、何同じ図版を何枚も重ねて作るのです。

帰省した息子のお土産はワインでした。考えたら赤ワインと白ワイン。紅白だからしばらく飾っておくことにしましょう。



さようなら おサルさん (付録)

by 高槻絹子

過ちては則、改むるに憚ること勿かれ

2024年01月02日 | 前頭葉の働き
初夢を見たわけではないのですが、今朝ふと思いついた言葉があります。
この記事の題は「あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ」と読みます。
理由はあまりにもクリア。
年末に息子から「2023-2024季節のご挨拶」を受け取りました。年内に年賀状を書くのはちょっと気持ちが乗りにくいものですが、今年のことを報告するのは、とても自然…続けてきたるべき年の抱負を書く。
「これこれ。この方法にしよう!」
決めたら、動き始めるのは早い方だと思います。
2023年にもいくつもの楽しい出来事がありました。
旅が解禁されたので、屋久島へ。前後泊して5日間。サンカラホテル&スパでゆったりとホテルライフを楽しみました。





倉敷での姉弟会。その後兄弟で六甲有馬温泉。私には初めての有馬温泉でした。
美観地区で姉弟会

有馬温泉からの雲海

六甲高山植物園で青いケシ

7月には友人が蓼科聖光寺に誘ってくださいました。
コロナ禍のためしばらく実施できなかった久しぶりの「柴燈大護摩供と交通事故者慰霊万灯供養と交通安全夏季大法要」に参拝して、護摩焚きを拝見して火渡りの体験もさせていただけるという得難い経験でした。

我が家には二人の息子がいますが、息子を自称する若者たちもいるんです。その息子の一人が結婚したこともビッグイベントでした。


韓国に住んでいる娘(自称)が新居を求めたので韓国にも行きました。初めて夫婦一緒に訪れてから22年目。

二人とも、もともと才能に恵まれてはいるのですが努力もして、素敵な新居を構えていました。そして22年前の旅をなぞるという企画も用意してくれて、感動のひとときでした。
2002年の時の私たちの年齢に二人がなっていて、私たちはあの時想像もしなかった未踏の70代後半。20年間の重みを噛み締めました。
「この韓国行きにしよう」用意してくれていた、22年前の写真と今回の写真を取り込めば面白いものになりそう…
一年を振り返ることの楽しさに、今年もまた幸せな一年だったと感謝の心も湧いて「これからはこのシステムでいこう!」といい気持ちで作業を進めました。
そして完成。

さあ、送付しましょう。
メールのアドレスがある人にはメールで。
ラインで繋がっている人にはラインで。
グループになっていると、夢のように簡単です。
パソコンの作業とiPhoneの作業は違うので、ちょっと頭を使いました。
両方ともない人もいるので、その人たちには葉書に打ち出して。

送った後に、ワードのまま保存したことに気づき、写真の位置が動いていないかちょっと心配しました。
チェックしたら、どうも重なってしまうようですが、「まあいいかッ。2024−2025年の時は気をつけよう」と安易に考えていましたが、とうとう友人から指摘されてしまいました。
2階からの初日の出

一日二日知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいました。でも喉に骨がかかっているように気になるのです。今朝起きたら「改むるに憚ることなかれ」と心の声が聞こえました。この心の声こそ前頭葉が発しているのです。
全部やり直して、とってもいい気持ちのお正月になりました。

元旦の能登半島地震…
被災された方々を思うと、言葉がありません…
気楽な投稿をして申し訳ない気持ちが湧いてしまいます。

by 高槻絹子




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