脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

讃岐路で出会った魅力的な人たち

2024年05月16日 | 私の右脳ライフ
消滅してしまうJALのマイレージがあったので「どこかにマイル」という方法で消化しました。日時は指定できても行き先は4カ所のうちどこになるかわからないという面白いチケットなのです。(交換比率がとても良い)
高松空港という知らせがきたので、さあ、讃岐路観光の検討が始まります。
まず日本のウユニ湖と言われる、父母が浜(ちちぶがはま)。どこかで写真を見て以来、一度は行ってみたいと思いつつ、実現の可能性は低いだろうと諦めていた気がします。
警報級大雨予報の伊豆を出発。午前中雨だった高松も到着時には薄曇り。
父母が浜はベストに近い気象条件を整えて待っていてくれました。とにかく無風、雲が少々あって、さらに大潮(海水の引きが大きいので潮だまりが大きい)。日没前から瀬戸内の島々、青空と白雲と緑の木々、その反射を愛でながら、潮だまりのこちら側やあちら側で写真を撮っては見せ合っているうちに1時間以上もたってしまいました。それから日没タイム。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかや」を持ち出すまでもなく雲があるのとないのとでは印象は全く違ったと思います。
陽が沈みゆく時の、自然の醸し出すグラデーションは想像以上のものでした。




幸先の良い旅が始まりました。
父母が浜がある香川県最西端の観音寺市と愛媛県最東端の四国中央市は考えてみれば隣町!
四国中央市には54年前からの旧友がいます。
夫の初任配属時に、同じように卒業したてのフレッシュウーマンが夫のアシストをしてくれました。その彼女との交流がずっと続いているのです。
「かくかくしかじかで高松空港に急に行くことになって…父母が浜へ行きたいの。それから銭形砂絵」と遠慮しながら切り出すと「うわ〜思いがけない申し出。嬉しい!」

高松空港から四国中央市までの讃岐ウドンに引っ掛けたポケモンヤドンのリムジンバスに乗った私をピックアップしてくれて、ご夫婦と三人で父母が浜を楽しんだのです。
翌朝、まず銭形砂絵へ。


私にこの観音寺市の銭形砂絵を教えてくださったのは、清水玲さん。つい先日5月6日にヒロ画廊伊豆大川でのインスタレーション展を見せていただきました。

「吉野川上流に3ヶ月滞在する機会があって、四国をいろいろ回ってみました。たくさんの気づきが今回の作品にも反映されています」その時にこの観音寺市の銭形砂絵にも触れられたのです。
難解な清水玲さんの作品も、お話を伺ううちに「見方」が少しわかったような気になってきました。だから見たかった!全く単純ですが、人生で期を同じくすることが起きる時にはその流れに乗っていくのが私の方針です。
実は、銭形砂絵は父母が浜の並びにありました。銭形砂絵を見ながら、すぐそばに清水さんの作品と清水さんをはっきり感じていました。
清水さんの作品。

それから少し標高を上げて、荘内半島で視野330度の瀬戸内多島海を満喫。ここは隠れたビューポイントです。
上潮の様子がくっきりと見えました。

福山市も、もっと右には瀬戸大橋も見えたのです。

ランチはもちろん讃岐うどん。
彼女の一押し讃岐うどん店「福田」であん雑煮(うどん)とおいなりさんをいただき、確かに今回の四国旅での出色のお味だったと思います。





お腹を満足させて次は68番札所神恵院と69番札所観音寺。八十八ヶ所のお寺で同じところにあるのはここだけと教えてもらいました。
モダンな神恵院。

歴史を感じる観音寺。



「納経所」に興味を惹かれて、また出会いが。
胸にかけられた袈裟に惹かれてついつい見つめていたら、気さくに声をかけてくださって「97歳の父を連れてお遍路しています。父は85回結願していますが、今は車で待ってもらって。この中先達というのはお遍路さんに色々なことを教えてあげるお役目があるのです」ということを、穏やかな口調で説明された吉田さん。

お父さまはとうぜん大先達ですって。初対面というのに、この包み込まれるような雰囲気に、ちょっとあっけに取られるような気になりました。讃岐の人たちには、明るくフレンドリーな感じを醸し出す人が多いと思います。

錫杖の意味や「同行二人(どうぎょうににん)」の説明をしてくださっています。
吉田さんの納経帳。「1回お参りすると3個朱印をいただけます」

お父さまの納経帳!最初赤地の納経帳があるのかと思いましたよ!

吉田さんありがとうございました。
弘法大師に出会えた気持ちになれました。
見事な観音寺鐘楼。

「弘法大師生誕の地ですから善通寺は外せません」とお遍路さんを2度も結願されて、今年(閏年)は作法通り逆打ちされているミスターが言いながら、善通寺へ。
途中、捨身が嶽で有名な73番出釈迦寺にも立ち寄ってくれたのです。




いよいよ72番札所善通寺。清潔に整えてられていて、参拝者も思いのほか少ない境内からは清新の気も漂ってくるようでした。
今度の旅では、さまざまな年齢の弘法大師像に出会いました。





善光寺のように真っ暗なお胎内くぐりがあり、本堂の弘法大師像の真下でお説教をいただく工夫がされていました。
充実した旅の立役者。友人もミスターもありがとうございました。

この旅の最大イベントは、友人ご夫婦に再会できたことかもしれません。お寺も風物も私たちが生きている間くらいなら変わらずあると思いますが、肝心の私たちが一番予測が立てにくい年齢になってきています。
こうやって元気に会えることはこのうえない僥倖だと思いました。

翌日スケジュールは、12年前に今は亡き友人と訪れた直島と全く初めての豊島!12年前に初めて訪れた直島には新しい着眼点の芸術を根付かせようとする意図と意気込みを強く感じました。現代美術のために、現代美術だからこそ自然に溶け込むようなプレゼンテーションの工夫が、設計家安藤忠雄によってなされていました。
2度目の直島ですから、新しいANDO MUSEUMを訪れたいと思ってました。安藤忠雄には会えませんでしたが、ラフなスケッチや光の教会の模型に、そこに安藤忠雄の息遣いのようなもの安藤哲学を感じてしまいました。







護王神社も再訪しました。友人と来た時には「杉本博司」を知らなかったので「階段がガラス(ほんとはアクリル樹脂です)ね!」とその斬新さだけが印象的でしたが、その後「江の浦測候所」も訪ね、つい先日熱海MOA美術館でも杉本博司プロデュースを感じた後なので、まるで杉本博司がソコにいるような気持ちになったのは、ANDO MUSEUMの時と同じ。



直島のシンボル草間彌生の「南瓜」。
安藤忠雄の作品に対峙した時と同じように、作者がそこに存在しているような気持ちになるのが不思議なほど。

12年前にはなかった「赤かぼちゃ」。

私は直島を訪れる前から、前回一緒に直島を楽しんで、2021年11月に亡くなった大学時代の友人のことを思わずにはいられませんでした。まるで姉妹のような関係が半世紀続きました。
直島という場所で生々しく邦子さんの声や笑顔や仕草を感じて、死んでも誰かの心の中にいる間は、生死には大した違いはないという、私の考えがもう一つ力を得た気になりました。
2012年3月の記事から。
友人が!このあと写真を撮ったのですが、彼女は写真を撮る人ではなかった…珍しい姿です…
12年前の「南瓜」。右端に見えるのは小さな雪だるまを載せられた建造物です。

この日の朝、8年ぶりの雪で喜んだのは私たち観光客。島の人たちは困ったものだというのが正直なところだったでしょう。

豊島(てしま)は初めて。外国人にとても人気があるというニュースをよく耳にしますが、確かに外国の方が多かったと思います。
豊島情報はまたの機会に譲ることにして、豊島美術館カフェ&ショップで出会った素敵な笑顔をお届けします。




流暢ですが、多分日本人ではない方だと思います。レジを打ちながらの「美術館はいかがでしたか?」というあまりにも単刀直入な質問がそう思わせたのかもしれません。ちょっと慌てながら「うーん。水がいろいろな生まれ方をして、いろいろな道を辿りながら最後は一つの大きなものに帰っていく。というのは人が生きることと同じ意味かなあと思ったのよ」と答えました
ニコッと笑って「時々、お客様となんかピタっとくるやり取りができるのがすごく嬉しいんです」というので写真をお願いした後、ちょうどお客さんが来たカフェに慌てて飛んで行きました。
たったそれだけのことなのに、心がじわっと暖かくなるような体験でした。
最終日の屋島。初めてではないのですが前回の記憶は何もない!
84番札所屋島寺。鑑真和上創建の寺ということすら知りませんでしたが、本堂や境内の佇まいは風格あるものでした。



ホテルから琴電屋島まで電車で移動。そこから山上バスがあるというところまでしかチェックしていなかったら、なんと1時間以上も待たなければいけない…これはタクシーだと決めました。
同じ電車から降りた外国人女性を一緒にのせてあげようと思って、喋れないのに誘いました。
どうしてもシェアと言われるので「同行二人」の話と「自分は行かれないけど連れて行ってください」とお布施する風習のことを、話せないのに話しました。
フランスニースから来たイバンヌさん78歳!
「世界平和を祈ってもう1ヶ月間遍路さんをしている。フランスに来ることがあったら連絡ください」という出会い!
写真は撮っていないけど、心温まる出会いでした。


ヤシマールという施設ができているということを知り、楽しみに屋島寺を後にしました。
その途中に樹齢400年という桜を見つけました。
可正桜。
1665年に高松藩家老松平半左衛門可正が植えたもので「自分が死んでも花と名が屋島の峰に残る」という説明板に「その通り!」と会ったことのない可正さんに一票を投じる思いでした。
山頂の新しい施設。斬新なヤシマール。




そこのカフェでお茶を飲んでいたら、男性グループ11人が「椅子を貸してくださ〜い」とにぎやかに登場。
なんだか楽しげなのと、皆さんおしゃれ。そして聞こえてきた会話から全員が古希。
注文は「右にならえ」ではなくて、半数のコーヒー以外は、この決して多くはないメニューから、よくもさまざまに注文できると感心したくなるほど自由な注文内容で「全部で11人になってますか」とどなたかかの声が。

どうしようかと躊躇ったものの、やはり興味に負けて聞きました。
「男性だけの旅行って珍しいですよね?それにこんなにも自由で楽しそう…」途中から説明が始まりました。
「僕たち同期入社。全国展開している会社で、つまりは転勤族。定年になって一年に一度、一泊の同期会をやってるんです。たまたまいろんなところに住んでるので、その人が幹事になってね。コロナの時は流石に中止だったけど、去年は広島。今年は僕が住んでる香川。来年は富山だね」
みなさんニコニコ聞いてくださっていました。
お元気でいらっしゃる限り、認知症とは無縁な方々ですね!
杖を持っている方もいらっしゃいましたが、その意気やよし。とにかくなかなかに自主的で効果的な認知症予防活動実践中のグループに出会うことができました。きっと自覚されているでしょうね。
なるべくお顔が映らないように外から撮ってお見せしたら「全然構わんよ」といくつかの声が聞こえました。
お邪魔してしまってごめんなさい。そしてご説明ありがとうございました。
屋島は晴天ただし強風で、風の又三郎が来ていたのかもしれませんね。見えなかったけども。


by 高槻絹子






















1 コメント

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Unknown (たけし)
2024-05-17 19:05:57
おつかれさま! と言うよりも、「疲れ知らずのきぬこさん」。
遍路も旅も、行った先での一期一会の出会いがありますね。
好奇心👀を持ち続けて、まだまだ頑張りたいと思います。
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