脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

5/17・5/18・5/19ー3日連続の右脳訓練

2019年05月19日 | 私の右脳ライフ

私の人生で、三日間続けて演劇や音楽鑑賞したことはなかったように思います。
たまたまNet検索していたら、国立小劇場での文楽公演のニュースを発見。幸いなことに歯科検診の日と重なっています。早速、チケットをWeb予約したのは4月初めでした。なんと予約開始日でした。

文楽はなかなか見るチャンスがなくて、数回しか見たことがありません。
今回は「妹背山婦女庭訓」の上演だったのですが、演目を選ぶ余裕はありませんからチケット購入後に予習(笑)

いつもは新幹線で東京駅、乗り換えて有楽町へ。有楽町線で永田町まで行って、後は徒歩。
前回、友人と一緒に歌舞伎を見た時に「半蔵門からだとすぐよ」と聞いたことを思い出し、行き方を検索。品川乗り換え渋谷。渋谷で半蔵門線に乗り換えて4つ目まではすぐに判明しましたが、問題は渋谷での乗り換えです。私が東京に住んでいた時には半蔵門線はなかったのです!
ところが案ずるより産むがやすしで、最近はほんとに便利になっていて、検索をかけると乗り換え改札口から、写真入りで行き方が丁寧に解説されていました。

文楽は小劇場です。
去年歌舞伎座で50年ぶりくらいに一幕見をしました。その時定式幕のことを調べました。歌舞伎座は黒-柿色-萌黄。国立劇場は黒-萌黄-柿色ということでしたが、たしかに。

今回のように通しでの上演は、とても珍しいとのことでした。ただ前段だけでも10:30から15:00過ぎ。お尻が痛くなりました。後段も興味はあるんですけど…
翌日は、伊東祐親まつり。

日本で唯一の川上能舞台での薪能がもう20年も続いているのです。能の演目は伊東ゆかりの「小袖曽我」。正直に言うとそれよりも野村萬斎の「樋の酒」にひかれてネット予約しました。

狂言は面白いですね。軽妙なセリフと動きを楽しむのですが、次を予告するような微妙な間や動きがあることに改めて気が付きました。すべてを計算しつくしている・・・それを表現するには厳しい鍛錬が不可欠だろうと、そんなことまで思いをはせてしまいました

そして今日。去年新しくできたギャラリー「森の小屋」を舞台にネイティブアメリカンフルートの演奏会を楽しみました。チケットから遊び心あふれています。羽は紙製ですが「コンドルの羽のつもりで」と渡してくださいました。

ギャラリーですから、こんなおしゃれな空間が迎えてくれました。

会場はまるで林間劇場です。ギャラリー主の友田さんのご挨拶。

演奏はMark Akixaさん(日本人です)演奏の間も、アメリカでの体験、エピソードを話してくださるので興味深く聞かせていただきました。
男性が女性にプロポーズするときに吹くことからラブフルートといわれること、豊穣への祈りや雨ごいなど、神羅万象への祈りのための演奏であること。(彼らは、日本人の八百万の神信仰に似たような自然観を持っているので)
演奏とは無関係の話題も。日本では「インディアン」というのは放送禁止用語ではないのですが、自粛すべき単語で「ネイティブ・アメリカン」というのが慣例になっています。ところがアメリカでは「『インディアン』といわれて気分を害する人はいないが『ネイティブ・アメリカン』といわれると怒り出す人がいる」ということも話してくださり、これは初耳でした。

リコーダーのような構造で、尺八やケーナのように音を出すことそのものが難しい楽器とは違うそうですが、問題は音域が狭いこと。
何より私が感じたことは、メロディがはっきりしない方が、直接的に心に響く楽器だということでした。昨日の能舞台で、「火入れ式」の後「神降しと散華」が行われましたが、その時に「神降し」のために石笛が吹かれました。あのシーンと、今のこの時間は深いところで共通していると、納得しながら聞きました。

アリゾナ州ホピ族は西洋化が最も進んでないといわれる部族だそうです。そのホピ族の主食がトウモロコシ。収穫が多いと神様に祈りが届いたと信じ、収穫が少ないと祈りが足りなかったと信ずるその民族性にも驚かされましたが、トウモロコシを育てるためには不可欠なのが「雨」です。そのホピ族の雨ごいの曲を演奏してくださったのです。短いものでしたが力強い感じを私は受けました。
コンサートが終わって外に出たら、なんと大粒の雨が。
これを単なる偶然と思うか、不思議なことに遭遇したと思うかはその人の前頭葉が決めることです。


政府の数値目標 70代の認知症割合25年までに「6%」減

2019年05月16日 | エイジングライフ研究所から

GWに遊びに来てくれた友人の友人。ちなみに彼女は私たちの仕事の内容を知りません。
気持ちのいい五月晴れの朝は、庭に出て朝食を楽しむことになりました。

自然な話の流れがあって、私が「R子さん、だいたいどんな人がボケると思う?」と尋ねました。
R子さんは即答しました。
「お仕事をやめて・・・何もしてない人。趣味がない。人付き合いもない。気難しい」
続けてまた私の質問「じゃあ、どんな人がボケないかしらね」
こんども即答。
「楽しみごとがある人。友達とよく付き合う・・・だって私の母、81歳だけどとっても元気なんです。今思い浮かべながらお話ししてます。絵も好きだし音楽も好きだし、お花も大好き!仕事も続けてて、といっても独身の弟と同居してるので、家事一般なんですけど。何か作ってはお友達に食べさせたり、よくしてます。毎日がそれなりに楽しそうなんです」

R子さんの答えは正しい!
ボケるかボケないかをその人の生活ぶりで判断することは、世の多くの皆さんがしていることです。
決して職歴や学歴で判断することはありません。
むしろ笑いながら「立派なお仕事をした人は危ない」といわれ、慌てて「立派なお仕事をして、かくしゃくとしている方もいますよ。要は『今、いきいきとその人らしく生きているかどうか』でしょ?」と訂正すると、皆さんは実にスムーズにうなずいてくれます。
(5/11河津バガテル公園)

以下青字の引用は、今日(5/15)のネットニュースで目に留まった毎日新聞が報じたニュースです。下線を加筆しました。
70代の認知症割合25年までに「6%減」 政府が数値目標

認知症の高齢者は25年に700万人前後にまで増えると推計されており、政府は認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)の後継となる大綱の策定を進めている。大綱の目玉は認知症の「予防」で、認知症を発症した人が暮らしやすい社会を目指す「共生」と2本柱になった。

 政府が予防の数値目標にするのは、人口に占める認知症の人の割合を示す「有病率」。厚生労働省の資料によると、約10年前の調査では70~74歳の有病率が約4%、75~79歳が約14%だった。政府は大綱最終年の25年に団塊の世代(1947~49年生まれ)が後期高齢者(75歳以上)になることなどから、数値目標の対象を70代に設定。その上で、19~25年に70代の有病率を全体として6%減らす案で検討している。

 予防策には、社会参加や運動が認知症の予防につながる可能性があるとして、高齢者が通う運動教室やサロン活動、学習講座などの普及を推進。予防に役立つ商品やサービスの認証制度の創設を検討する。認知症の発症や重症化予防、治療について科学的な根拠が不十分なことから、国内外の研究成果から知見を集めて予防の手引を作成し、新たな予防や治療法の開発を進める。

 大綱案を議論する政府の有識者会議では、社会保障費の増加や労働力不足への懸念から予防の推進を訴える声が上がっていた。一方、根本治療薬の開発が進んでいないことから、医療で患者数を減らすことは困難との意見も出ている。【原田啓之】」


まさに、世の中の人たちの実感に沿った認知症予防が行われようとしてます。ボケないためのカギは変化ある生活ぶりというわけです。
そのことをエイジングライフ研究所では「脳の使い方」分けても「前頭葉機能をどのように使い続けているか」という視点から主張し続けてきました。
Photo_4
この図から考えると、厚労省の考えている予防活動は、やや左脳(仕事や勉強)に偏っているかもしれません。運動教室が筆頭に上がっていることはとてもいいことですが、右脳(趣味・遊び・人付き合い)の活躍場所を増やすことこそ、第二の人生を豊かに過ごせる基本的な条件ですから。

「治療薬の開発が進んでいないこと」を悲しむのではありません。認知症は薬で治すものではないからです。
専門家や研究者の方々は、重度の認知症患者の形態的な脳を対象に原因究明を進めたために、アミロイドベータやタウタンパクに注目してしまいました。それを薬物を使って、除去するとか発生を抑えるとかの方向に研究が進んでしまったのです。
最近になって、海外の有力な研究機関が「認知症発症には、生活習慣が大きくかかわっている可能性がある」という報告を始めました。

アミロイドベータやタウタンパクが原因ではなく、それらは老化の結果発生してくる。そして使わなければさらに増えていく。
このようにシンプルに考えると、生活ぶりこそが認知症になるかならないかのカギであるという一般的な理解と一致すると思います。

いずれにしても、財政的に立ち行かないということから目をそらすわけにはいきません。もっとわかりやすく「みんなが大ボケになってしまうと(そしてなかなか死なない状況になってしまうと)、それを支えるだけのお金がありません」という率直な言い方はできないものでしょうか?

素晴らしい5月のバラ園を楽しむことができるのは、まったく私たちの脳の働きのたまものです。
あふれる色彩と、さわやかな風と、かぐわしい香りと。同行の夫や友人との語らい。そしてこの感動を刻みこむ働きと。そうそう歩くことそのものも心地よい。
なんと沢山の働きを私たちの脳はしてくれているのでしょうか。
脳は使い続けなくてはいけません。脳を使うことは日々を楽しくさせるだけでなく認知症予防にも直結するのですから。

 


令和元年5月の右脳訓練-国立歴史民俗博物館

2019年05月03日 | 私の右脳ライフ

令和の時代が始まりました。三つの時代を生きていこうとしてる私。
千葉での仕事に便乗してかねてから行きたかった国立歴史民俗博物館へ行くことにしました。開館したニュースを目にしたときから行きたかったのですが、検索してみてびっくりしました。一般公開は1983年だったのです。36年も前!36年間も行きたい気持ちを維持しているということも、我ながらなかなかにすごい。

原始時代を先史時代に改めるというメッセージから、展示が始まっていました。次のコーナーは日本が成立していく過程で、夫が興味がある時代なのでたくさん写真を撮ってお土産に。
歴史を体感させるような工夫が随所にみられ、結構時間がたっていってしまいます。
ふと思い出して笑ってしまいました。高校時代日本史を学んだときです。明治まで来たら息切れしたように「あとは自習」。
ですから、後ろ髪惹かれながらどんどん進みました。第5展示室(近代)からは明治日本の産業革命遺産(世界遺産)の官営八幡製鐵所の門標ひとつを。ふるさと北九州を代表するものですから。

次の第6展示室(現代)1.戦争の時代(1931~敗戦)2.占領の時代(1945から7年間)3.高度経済成長の時代(1955~1970年代まで)に分かれていましたので3を選択。私が小学生だった時代からのスタートです。
「だっこちゃん!」と声が出てしまいました。いつの間にか、父が買って来てくれていました。そうそう、ちょっと向きを変えるとウインクするのも珍しかった…左腕にくっつけたのですがその感触やにおいが立ち上ってきました。

子どもの頃の我が家の台所とそっくり。かまどの前にしゃがんだ母の姿!ちょっと煙のにおいがして。ふたを開けたときのご飯の炊けたおいしいにおいも。
我が家の台所は、かまど(おくどさんといっていました)の右横から廊下が続いていてそこの雑巾がけをしてはよく褒められたものです。七輪も使っていましたっけ。

高校2年生の時、東京オリンピック開催。

どんどん高齢化が進んだということと、この時代にそれが起きたことは歴史に残る出来事だと納得させられました。

1970年代までの展示とありましたが、このようなものを発見しました! 
歴博は佐倉城址に建てられています。その公園を横切ってくらしの植物苑へ。途中の姥が池には菖蒲が花開いていました。
生活文化を支えた植物を系統的に展示してある「くらしの植物苑」は武家屋敷の門から入るというアプローチでした。
伝統の桜草展

今回はもう一つ懸案の美術館を訪問しました。現代美術の収集で有名なDIC河村美術館。歴博と最寄り駅は同じ佐倉駅です。そしてそこから送迎バスがあります。

おしゃれな美術館が建っていました。お天気もあって幻想的です。
現代美術だけでなく、印象派から、ピカソ、シャガール、レンブラント。20世紀のシュルレアリズム、そして現代にいたるアメリカ美術まで。写真は不可。
ここでも不思議な体験をしました。昔、マグリット展を見たことがあります。場所も時期もはっきりしないほど昔です。
ここでマグリットの作品に出会ったとき、昔訪れた会場の様子や、いくつもの作品が鮮やかに思い出されるとともに、「顔がない」とか「ありえない構図」とか「なぜこの題名?」などと考え込んだその心理状態が強烈に湧き上がってきました。

美術館前玄関横のフランクシュテラ作「リュネヴィル」

清水久兵衛「朱甲面」

噴水池。敷地は北総台地の緑豊かな自然を生かした30ヘクタールという広大さです。

実は鑑賞前にランチをいただきました。とってもおいしかったので、ついレジでそのように言いました。そうしたら「シェフに伝えます」と嬉しそうな笑顔で返してくれました。こういうちょっとしたやり取りも、きっと後でふわっと思い出されるものでしょうね。

ほとんどの美術展では音声ガイド500円というところが多いのですが、時々スマホにダウンロードして番号のところで解説を聞くというシステム(もちろん無料)を導入するところがあります。DIC川村美術館はさすがに導入されていました。

思いがけず郷愁に浸るミニトリップでした。
令和になっても、楽しい時間を追求しようと思います!

 

 


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