百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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穀物市場の高騰!! 穀物相場は、生産地の異常気象(オーストラリアの干ばつ等)やバイオエタノールの需要の増加、中国を始めとしたBRICS諸国の消費の拡大により、昨年初めに2ドル/ブッシェル台をつけていたトウモロコシのシカゴ市場は、投機的な意味合いも強まり4ドル台に突入、更に上値を狙う勢い…。
こうなると日本における飼料や食品の原料として、今後も全量輸入が可能かというと難しくなる。トウモロコシは戦後、アメリカを中心に輸入され、現在でも全使用量の90%以上がアメリカ産、国内自給率は1%も満たない。
もし輸入が可能になったとしても、飼料の高騰により、・肉・卵・牛乳等の価格の上昇は避けられず、コーンスターチや糖に加工され、食品に使用されているお菓子やビールも値上げが間近なのではないかと安易に予測される。
大豆や小麦も世界的な価格上昇が始まっており、もうひとつ忘れてはならないのが、そろそろアメリカや南米の農業者が「GMOしかつくりたくない」といっていることだ。有機と慣行栽培とGMO栽培の価格差が20%しかない現場では、出来るだけ手間のかかる栽培は避けたいと思うのが現実の百姓の思いであり、そろそろ日本人も『自国の安全な食をどう確保するか』『食をもう一度考え直し、日本の農業のあり方を真剣に考える』必要がある。
※写真は、シバタプラセールファームの今年の種籾!!かわいい芽が、しっかり出ていて、今年も楽しみです!!!


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「食と農と環境と」と考えていると、決して一つ一つは独立しているようで、関連性があり、密接に繋がっていることにふと気がつく。というのは、食を支えるものが、当然農であり、農は環境ともしっかり繋がっていなければならない。環境と食もしっかり繋がっていて、決して環境だけを語っていては、片手落ちになる。そしてこれらが相互に関連している場面はどこかというと、それは現実の社会であり、それぞれの地域であることに気づく。
ところでその地域についてどう考えるかというと、その地域の中の食と農と環境がどう連関していて、現実はそれぞれが実はどう分断されているか、それらをもう一度再構成していくためには何が必要なのか。また、それらを取り戻すためには、どういうステップが必要なのか、いろいろな視点から、また少し俯瞰してみてみる必要がある。
そのkey wordは“有機”にあるような気がしてならない。有機で農を営むことで、食の充実を図り、有機で農を営むことで環境保全を図る。食の質的充実は、人間に自然への畏敬を再確認させ、環境が保てることが有機を支える唯一の手段であり、それらによって復活する生物多様性の社会は、人類だけがこの地球上に生きているのではないことを再認識させてくれる良い契機になるであろう。

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いつの間にか、高校野球も始まり、噂の大物・中田選手が早くも二打席連続ホームランを打った。プロ野球もパリーグは、もう今夜で5試合目、楽天の田中投手が先発(2回でノックアウトを喰らったようだが…)したようだし、セリーグやメジャーリーグもいよいよ始まる。
こんないよいよ春が本番に・・という今日この頃、今夜は一番下の子供と二人でハンバーグをつくった。子供と料理を作るのは結構久しぶりだったのだが、一緒に何かをするといろいろなことに気がつく。
神経質なところがあったり、段取りがよかったり、しっかり料理を作りながら洗い物が交互にできたりすると、思わず子供の成長を微笑ましく思う。
子供も本当に、個性がそれぞれあり、それぞれの成長過程で、感じ方や表現方法が違ったりする。おそらく植物もそれぞれの成長過程や、育つ環境によって様々な個性をもつのであろう。そう考えると、育つ環境づくりにも必ず正解というものはなく、あくまでも共に成長しながら、共に暮らしながらその個性を知り、その個性に応えられる環境の整備をすることが重要になってくるのだろう。
※写真はハウスの中のアマガエル!!

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ムラづくりの一環として“大工+農業の学校”を核として開講し・ムラの活性化及び・若者の就労/就農支援を同時に行い、ムラの今後のあり方を問いたいという人がいる。
そういえば、その昔、弟子入りをして技術を教えて頂きながら、若干の給料をもらう仕組みや農業をしながら別の仕事をその季節ごとでする働き方など、さまざまな就労スタイルが様々なカタチで存在した(昔といってもつい最近までその仕組みはあったのだが)。
少し考えてみれば、よくわかるように、人は利便性や効率を追求するがゆえに、収入をどこかで得て、そこから得た収入によっていろいろなものを購入することで、出来るだけ手間をかけずにお金をかけて暮らすようになってきた。そうすることで、例えば“家”のように、施主が大工さんと共に創り上げてきたものが、いつの間にか購入するものに変わってしまい、購入するものになったことで、共に創り上げてきたときならば「家は年々いろいろ手を加えることで住みやすくなるもの」という考え方から「家は入居したときが一番良く、何かあれば施工業者にクレームをつけるもの」になりさがってしまう。また、日々の生活で、農作物は裏の畑の野菜を料理に使い、時々鶏を絞めて頂いていた生活そのものから、田舎でも近くにコンビニエンスがないとやはり不便と感じるよう変貌を遂げてきた。
もしかするとニートやフリーターもひとつの就労スタイルであり、昔は、いろいろな働き方(賃金を得ない働き方も含めて)が許されていた社会であったのが、現在は、しっかりと収入を得る就労スタイルでないと社会的に認められなかったり、金銭をはたいてモノを購入することで、買う者の立場が売る者の立場より常に上になり、買う者は、上になってしまったことで、そのものの本質が見えなくなり、売る者は下になることで、変に卑屈になってしまっているのではないか(これはどの産業界にも見受けられる現象だが・・・)。
また別の視点では、現状の都会の生活は、人間の本来持っている自然の生理との狭間をなんとか人間は頭では埋められているものの、もはや身体が埋められなくなっているようで、田舎でもそのギャップを補う手段を徐々に失くしつつあるように思える。
今回のムラづくりへの想いは、そんな都会と田舎の交流の中に、21世紀の人の生き方を考える何らかのスタートになったり、都会の知恵と田舎の技の融合の中に、20世紀に垂れ流してきた問題を、21世紀に何とか修復し、解決するヒントがありそうな気がした彼の、そんな想いの中から沸々と沸いてきたもののようだ。
※写真は大戸洞舎で開催された第七回アグリ部会(滋賀県中小企業同友会)の模様

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JAS有機農作物の普及率って0.19%だという。
何故、なかなか普及しないのか。
様々な要因があると思われるが、
百姓からすると・栽培管理が面倒な割にコストだけかかり、そんなに販売が見込めない。
消費者からすると・有機といっても、特別栽培といわれても、減農薬・低農薬…何がなんだか、それらの違いがよくわからない。
ということは、流通業者や中間業者のためのものだったのか…『JAS有機』って。
ということは、いままでしっかり栽培管理が出来、しっかり自分のお客様をもっている百姓は特別にJAS有機の認定を受ける必要はないのか。
でも、他人には決して言わず、自ら率先して自らの拘りとしてJAS有機の認定を受けている方もおられるという、「現在、日本で認められている唯一の有機の証」だから…という理由で。
今後、何度も有機農業の定義は話し合われていくだろう、それはあくまでも、本質を捉えたものとして、決して枝葉の各論にブレることなく、本来あるべき消費者や生産者の為のものであって欲しいと思う。

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昨日の朝、能登半島の沿岸を震源に震度6強を観測した地震について、気象庁は、新潟県中越地震以来二年半ぶりに『平成19年能登半島地震』と名付けた。
現在、地震による死者は1人、けが人は214人。全半壊や一部損壊した家屋は786棟に上っているという。原因は横ズレの活断層だそうだが、阪神淡路大震災以降、活断層の調査は全国でなされたようだが、海域・沿岸部の調査は、まだまだ手付かずであったようで、政府が以前に公表した「確率論的地震動予測地図」(www.jishin.go.jp/main/は、アクセスが集中しているせいかなかなか繋がりませんが・・・)によると、現地で地震の起こるであろう確率は1%を下回っていたといわれている。
備えあれば憂いなし・・・でもなかなかな備えられないのが実際のところで、日頃備えていても途方に暮れてしまうのが実際に震災を経験した方々の本音のところのようだ。日本にはいろいろなプレート(太平洋・フィリピン海・ユーラシア・北米の4プレート)が集まっおり、活断層も縦横無尽に走っているため、縦揺れや横ズレ等いつの時期にどのくらいのレベル(規模)で発生するか予測することはなかなか難しい、やはり常に何かあれば対応出来るように心得ておく必要がありそうだ。
今回そうはいえども地域の顔見知りのネットワークでたくさんの方が助かったという。どこそこの○○さんは大丈夫か?○○さんは今何処にいる?○○さんの脚の調子は悪かったんでは・・・等、互いにみんなで声を掛け、お互いが他人のことを思い、助け合えたというから、現代社会の持つひとつの大きな問題の解決の糸口がここにもありそうな気がする。

 


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お茶は、805年にあの天台宗の最澄が中国より種子を持ち帰って、比叡山に植えたのが最初だという。中国では古くから薬用・飲用として活用されており、摘んだ葉を発酵させるもの(紅茶など)と日本のように発酵させないもの(緑茶の類)、そして半発酵させるもの(ウーロン茶など)など様々な種類がある。
お茶を入れるというと『急須』を使ってお茶を出す(具体的には「お茶の抽出液を作る」)ことを本来指すが、お茶を買ってきて欲しいというと、最近では『緑茶』を買ってくる人の数が『ペットボトルのお茶』を購入してくる人の数を下回るという。
酒席などで飲むウーロン茶と緑茶は何故か意味合いが違い、あがりとなると(本来は「お召し上がり」の意味だからお店側の立場になるが)暖かいお茶を指し、料理の最後に出して頂くものをいう。
お茶の栽培をしている友人は、薬用として活用されていたお茶の効用を忘れ、入れることさえなくなった現代の日本のお茶の文化を嘆く者とそれでもペットボトルで何とかお茶文化が残っていることに淡い期待を寄せる者の2つのパターンにわかれる。
お茶を入れる『間』をとりながら、ゆっくりとコミュニケーションを図るも良し、お茶に『薬用』としての効用を見いだすも良し。お茶を通して、それぞれの土地の文化や歴史を振り返るも良し(茶道となると生き方や考え方・宗教的になるが、あの戦国時代にあっても茶室に一旦入るとその一服の味わいに当時の殺伐とした想いや階級社会の厳しさを忘れ去ったという)。
本来あるべきお茶の道・・・『お茶』をもっと知ってみたい!!
※写真は今年のトマト!!


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「しが2030年の姿」を検討するために、一昨年から昨年の秋にかけて滋賀県政策調整部 企画調整課 しが2030年の姿検討チーム では、「これから25年後の2030年の滋賀県はどうなっているか?」というテーマで 滋賀県民の意見を広く募集し、各地で数度にわたるワークショップを繰り返し、全体の絵姿を別紙『みんなで描くしがの姿~2030年の姿~』(滋賀県企画調整課http://www.pref.shiga.jp/a/kikaku/2030nen/)でまとめている。
2030年というと、ちょうど子供達が僕たちの年代になりかけている時であり、我々は結構それなりに年齢?!を重ねている・・・。地域では我々のような老人が半数以上占め、活力のある地方と活力のない地方に明確に二分される。おそらくポイントは地域資源を如何に活用出来るかということになるのではないか。商店街や郊外型モールの役割は明確に分けられ、街全体がどういう交通手段を用いて移動が可能になるか、官公庁や病院等インフラの整備がどう図られるかが重要視される。森林や里山、農地や河川、湖を地域や社会でどう守り、どう活かしていくかは、小さなモデルをいくつもつくり、それをネットワーク化する方法や面として拡張する方法をとるべきで、そこには従前の効率と効果ばかりを追求しない価値観が必要になってくる。子供達が安心して育ち、大人達が豊かさを実感する、老人が不安なく暮らしをおくれ、2050年のあるべき姿もある程度想像出来る、そういう社会になるため、そういう社会をつくるためには、今何をしなければならないか。日々の暮らしや仕事の中で優先順位を考えてみたり、もっと大切なことを発見してみる、もしみんなでそんなことが出来たら、結構楽しい社会が未来に待っていそうな気がする。その時の留意点は決して自分勝手にならない、人類のエゴを極力排除するということになりそうだ。


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有機農業って何??
実は有機農業の定義は未だ明確になっていません。
化学肥料を使わず有機質肥料を使っただけで有機だといったり、農薬を使用しなければ、一部化学肥料を使っても有機農産物といったりしているのが現状で、生産者もそうですが、消費者も同様なことが多々あります。
日本有機農業研究会は、その目的に『環境破壊を伴わず地力を維持培養しつつ、健康的で味の良い食物を生産する方法を探究し、その確立に資するとともに、食生活をはじめとする生活全般の改善を図り、地球上の生物が永続的にに共生できる環境を保全すること』を掲げており、化学肥料や農薬を一切使用せず、環境保全資源循環型で、安全・安心な食としっかり結びついた農業のことを私達は有機農業と考えています。
日本有機農業学会では『有機農業が社会的に拡大することは、とりもなおさず生命や環境への負荷が軽減されることであり、高く評価すべきことではある。しかし、有機農産物の一面的な商品化が先行し、「日本農業をめぐるトータルシステム(生産-流通-消費)の構造変革」と「経済主体(生産者、消費者、関連事業者など)の意識変革」を目指す有機農業の思想や運動の理念が無視されるのであれば、有機農業の健全な発展は期待しえないし、単純・無制限な利潤動機に基づく新たな市場競争を招来する可能性すら存在する。』と単純な有機農業の普及は有機の本質を見失う可能性があることや社会全体で思考が変革されないと市場原理主義に侵されることを可能性があることを危惧しています。
ということは、有機農業は、単に農業のカタチを指しているのではなく、食と農と環境のあり方を語り、更には未来の社会の在り方にまで、もしかすると今や社会や文化がどうあるべきかを問い掛けるような哲学的なものになっているような気がします。




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おかげさまで、本日で二周年を迎えることが出来ました。それも、これも、毎日であったり、時折であったり、ぶらっとであったり、その訪問の仕方は様々ありますが、覗いて頂く皆様のおかげさまで、大変ありがとうございます、本当に感謝しております。
僕にとってのブログとは、・日々の気持ちの書き綴り ・みなさんとのコミュニケーションツール ・初めての方との自己紹介ツール 等の意味合いが強く、ブログによって日々支えられてきた事も多く、ただ書くという行為だけではなく、自己反省というか日々のごく個人的な自己総括というか、やはり日記的な意味合いを持っていたり、ブログを通じて日々の暮らしぶりを仲間や友人や協力して頂いている方々と相互に確認し合ったり、初対面の方とも、単なるお互いの自己紹介だけではなく、ブログを読んで頂く事で、より僕自身を理解していただいたり、様々な関係の持ち方の中に、ブログが活きている、つまり生活の一部ではあるが、生活の中で様々な役割を果たしてくれている何とも頼もしい仲間が、僕にとっての現在のブログということになります。
まだまだホームページとブログの役割、「農業」と「企業」と、整理がついていない部分も多く、読みにくいとご指摘を受けることもあるので、今年の中で、一度、全体を整理し直し、もっと読んで頂きやすいブログやホームページを目指したいと思っています。乞うご期待、ってところですが、これからも日々精進して参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます。本当に二年間ありがとうございました、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
※写真は藻を3t敷き詰めたトマトハウスの最近の模様

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