百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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今日は穀雨で七十二侯「牡丹華(ぼたんはなさく)」、つまり牡丹の花が咲く頃だという。
関西では真夏日を記録するところもあり、世間的にはなかなか好天に恵まれたGWの2日目となった。
仕事で車に乗っていると、ツーリング中のバイクの連中やサイクリスト達に沢山出会うが、バイクはまだ秩序があるものの、サイクリストの動きがよく読めず難儀する。
バイクには基本的に左側を開けて先に抜いてもらうようにしている(基本的にツーリング中のバイクを私が抜くことは滅多にない)が、自転車の場合一列に縦に並んで走っているようで、時々自転車を追い抜いたりして並列に膨らんで並走される時がある、普通に走っている時は追い抜くようにしているが、突然膨らんで走られるとこちらはドキッとする、また信号で停車してある時には必ず最前まで皆さんがこられるのでまた一台一台丁寧に追い越さねければならなくなる。どんなルールになっているのか知らないが、今一度こちらもルールを確認して安全な運転を心がけたい。

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モンサントは世界最大の種子企業で、遺伝子組み換えのワタ、トウモロコシ、大豆を用いて、従来の品種を競争によって駆逐するビジネスモデルだが、オキシテックは自滅するビジネスモデルを遺伝子操作で構築したという。
2002年に設立されたオキシテック社は2009年にケイマン諸島で「遺伝子組み換え蚊を野外に放ち、ネッタイシマカ(あのデング熱等の伝染の主な原因と言われている)を80%減少させた」といわれ、マレーシア、ブラジルで2010年、2011年実験され、興味をもつ国も多いようだが、遺伝子組み換えの生物に覆われることを好まない人も多く、一時期ネッタイシマカがいなくなってもヒトスジシマカがその空白を埋めるようなら事態は変わらないという人もいる。何よりも遺伝子組み換え生物と人間が共存する事は可能なのか?もしその蚊に噛まれても何ら問題はないのか?
人は神にはなれないことを論理的に説明できるのか?

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米の減反政策が終わる。
・主食としてのお米の地位が低下
主な原因は洋食化、人口減等によるものと言われているが、年間の消費量(1人あたり)は118kg(1962年)から55kg(2015年)へ低下
・作付け面積の制限
米余りの防止の意味合いで政府は意図的に作付け面積を削減してきた。1969年(317万ha)から2016年(148万ha)で半分以下に
結局、減反政策に従ってやってきた方々は、これまで補助金等でなんとかやってこれたわけだが、これからは全く見えない。また、政策に反対して自らがマーケットを築いてきた方々は今までと同様にコメにこだわることで未来に不安を感じてしまっている
日本の農業の原点とも言える水稲の未来が見えないと日本の農業の将来は見えてこない

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やはり例外に問題がある。
・加工等されているため組み換えDNAやそれによって生成されたタンパク質が含まれていない食品は表示義務がない
・主な原材料ではない(上位3番に入らない)食品にも表示義務はない
・5%以内の意図せぬ混入は表示義務はない。
という理由で、われわれは大量に遺伝子組み換え食品を日々口にしているにも関わらず、表示されていないため何も知らずに“安心して”暮らしている。

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カンボジアへ行ってきた知人が「なかなかカンボジアのお米は美味しかった」と言ってた。
カンボジアは農地のほとんどで水稲栽培がなされており、人口の7割が農業従事者だという。日本の場合、人口の7割が農業従事者であったのは、おそらく戦前(1950年で既に5割を割り込んでいた)になるだろう。
お米はロングライス(長粒)の原種系で、
現状の問題点は・灌漑設備が整っておらず・収量が少なく・肥料が入っていないということらしい。
将来は、出来れば日本と同じような歩みではなく、夢のある農村を築いてほしいものだ。

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在来種、固有種と呼ばれる昔から存在する品種の種子にはやはり力が宿っているように思う。
古代米には赤と黒と緑があるが、無肥料でも育てやすく、干ばつや冷害にも強いが、脱粒性があり収量も一般と較べて少ない。
赤はタンニンを含み、黒はアントシアニンを含む、緑は米に葉緑素を含むことで緑色になっているという。
※写真の黒米は長粒種でモチ米

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種子に関して、少し考えてみると、遺伝子組み換え(GMO)は論外だが、1代交配(F1)についても次世代を生むことができない種子から成長した農畜産物を食するということはあまり身体にとって良くないのではないか?と最近少し思う。
また、雄性不稔という花粉をつくれない突然変異の作物を使って異なる作物と人工授粉させる(例えば人間でいうなら不妊,無精子症の男性ということになるのかなぁ)技術は、品種改良を大きく進化させることとなるが、ミツバチ達を戸惑わせたり、そういう技術で創作された農畜産物を食することはほんとうに身体にとって悪くないのか?等々、一般論として普通に考えるとどうしても何かおかしい、へんな感じがする。効率と効果にだけ着目してきた現代社会の問題点を今一度振り返る時代を迎えているのではないだろうか。

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最近「自然栽培」が、また注目を集めている。
有機農業、有機栽培でも、慣行農法、慣行栽培でもなく、化学肥料や農薬を一切使わず、堆肥や有機肥料も決して施さない栽培方法を自然栽培というが、よく誤解されるのが、種子だけ蒔いて後は“ほってけ”栽培のように紹介される点だ。
自然界においてあくまでも人間が手をかけて栽培する(種子を蒔き・・・)農法を「自然栽培」と言い切れるのか? もしかりに有機栽培や慣行栽培でない自然のカタチに近い農業に名前をつけるとするとどう呼ぶのが適当なのか?
あくまでもわれわれがわれわれ自らが食するために、蒔いたり植えたりする、自然に出来るだけ近いカタチで、育てたいとするのなら、もっと自然に学び、種子にもこだわっていく必要があると思う。
陽あたりや水はけ、温度、湿度や風向きや降雨量や降雪量、緯度や標高等々、いろいろなファクターを勘案し、あくまでも在来種(もしくはそれに近いもの)を播種し、表層に有機物(地元にある有機資材)を施肥しながら成長を阻害するファクターを取り除いていく。見えない土の中の微生物の動きを想像し、朝夕の植物の姿を観察することで植物の心の中を感じ取る、そんな栽培が本来求められている姿なのではないかとつよく思う。

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主要農産物種子法(以下「種子法」)は、稲、麦、大豆の種子の開発や生産・普及を都道府県に義務づけています。食糧としての重要性や、野菜などと違い短期間での種子の開発・普及が困難であること、などのためです。
 この制度の下で、都道府県は試験研究の体制を整え、地域に合う品種を開発し、「奨励品種」に指定、さらには原原種や原種の生産圃場の指定、種子の審査、遺伝資源の保存などを行ってきました。
制度発足から半世紀以上が経過し、食料・農業をめぐる状況が変化したとはいえ、稲などの品種の開発・普及に公的機関が責任を負うことで優良品種を安定して供給するという大事な役割は今日でも変わりません。
そうなのにこの種子法を廃案に持っていこうとする動きがあり、国会が籠池問題で揺れている際中に、こっそり法案を通してしまいました。
この廃止法案は一部ではモンサント法とも呼ばれており、日本の種子を根こそぎ外国の企業が
取り上げようとしている。
「種子を握れば、生命を手に入れたようなもの。食糧を支配できるのだから。」
未来を見つめた政治を進めていってほしいものだが、なんだかヘンな世の中、世の流れになってある。

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彩春  


「彩春」
彩り豊かな山の木々
野原や田んぼや畑のみどりがなんとも心をおだやかにしてくれる
読みは「さいしゅん」としたいところだが、最近のキラキラネームで「いろは」「あやは」と呼ばれるようだ

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