百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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「我思う、故に我あり」とデカルトは言った。
西洋文明の理論の枠組みは、このデカルトの二元論(主体と客体、精神と物質、心と体)が根幹にある。この二元論は、「分離する哲学」といわれるように、自己は他者から独立して存在するという幻想を我々に与え、自我は他者とは無関係に自身の意思で行動することが可能であり、すべては自我を中心に据えている点に特徴を持つ。
逆に、仏教では『因縁生起(相互依存の現象)』といい、全ては繋がっている、「存在することは、相互依存することである」と説く。つまり、「君あり、故に我あり(あなたが存在する、故に私は存在する)」であり、地球の賜物によって養われ、太陽が私に暖を与え、水が私の渇きを癒し、私は空気を呼吸する。これらの元素が存在する、故に私は存在する。とサティシュ・クマールは『君あり、故に我あり』(講談社学術文庫)で説く。
単純に考えても、それらは物の見方であり、分離してみるか、繋げてみるかのアプローチの違いである。しかし、大切なことは、分離したことで強者と弱者を生み出し、終わりのない競争社会を作り出し、我々は途方もない不安な時代を生きる破目に陥っている事実であり、これを回避するためには考え方を根本的に転換し、それに基づいて行動する準備をし、対立と調和の間に均衡を目指し、全体性の獲得に努めることが必要な時代を迎えているのではないだろうか。

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あなたが握りしめている紙切れには雲が浮いている。雲なしでは、雨は降らない。雨なしでは、木は育たない。木がなくては紙を作ることはできない。雲は、紙の存在には不可欠なのだ。もし雲がなければ、この紙もまた存在することはない。だから、雲と紙は「ともにある」。
この紙をもっと深く見ていくと、そこに太陽の光を見つけることができる。もし太陽の光がなければ、森は育たない。事実、何も育つことはない。わたしたちといえども、太陽の光なしに成長できないのだ。だから、太陽の光もこの紙切れの中にあることを知る。紙と太陽の光は「ともにある」。
もっと、紙を見続けてみよう。すると、そこに木を伐採し、それを紙に変えるために粉砕器に持ち込んだ木樵が見えてくる。そして小麦も。木樵は、毎日のパンを食べなければ存在できない。ゆえに、木樵のパンになった小麦もこの紙きれに入っている。そして、木樵のお父さんとお母さんもその中に入っている。
さらに、深く見てみよう。この中には、わたしたちも入っている。なぜなら、紙を見ているとき、紙はわたしたちの知覚の一部だからだ。
すべてのものが、この紙の中に入っている。時、空間、地球、雨、土壌の中の鉱物、太陽の光、雲、皮、熱。すべてのものが、この紙きれの中にともに存在している。「あること」は「ともにあること」。あなたは、一人では存在することさえできない。あなたは、他のどんなものとも「ともにある」。紙切れは、ゆえに、他のどんなものである。紙切れは、こんなにも薄いものだが、その中に宇宙を宿しているのだ。
「仏の教え ビーイング・ピース ―ほほえみが人を生かす―」ティク・ナット・ハン 中公文庫 より




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堆肥  


堆肥とは、本来有機資材の中でもほぼ未分解の有機物残渣を含んでいないものを指すのですが、コンポスト (compost) とも含めて堆肥と表現される場合も多く、堆肥の意味合いが大変曖昧になっているのが現状です。
そもそも肥糧法上、堆肥は「堆積または攪拌して腐熟させたもの」としか定義されておらず、発酵熱は何度以上で、かつ何時間(期間の長さ)経過したものと明確に記されていないことに問題があるように思われます。
土壌に対する堆肥の役割は、腐植質の供給と土壌状態の改善につきます。腐植質を入れることで土の団粒構造を作り出し、アンモニアやカリウム、カルシウムの陽イオンを保持力を強め、微生物の増殖は菌の偏りを阻害するのです。
しかし近代農業は、未熟堆肥を供給する場合が多く、本来施用する際には、減肥することが望ましいのです。特に、カリやリン酸が蓄積する可能性があります。また堆肥の多量施用は、ガス障害や濃度障害などを引き起こすおそれがあり、かつ環境に負荷を与えるといわれています。しかし、あまりその点が強調されていないため、窒素過剰に陥りがちで、化成肥料と未熟堆肥の組合せは、決して良い土づくりにはならないように思えます。



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『秋日和』といえば、あの小津安二郎監督の1960年の作品。
今朝は少し寒かったが、全国的には快晴、つまり『秋日和』。
そんな中、ここ三年一緒に土づくりをしてきた仲間から吉報が!!
新米を食味鑑定に出したところ《ヒノヒカリ・・・食味値 82 味度値 91》!!
一年一年苦労して、何も食味鑑定だけが評価ではないのですが、収量も上がって、味も更に進化したといわれるとなんとも嬉しい!!
デジタル化してなんでも数値で評価するという行為には決して賛成できないが、人間とはなんとも数値化されると弱いもので、何故かその数値に左右される弱さがあるある、イトカナシ。。


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和歌山の山本さんは、このバラの栽培で農林水産大臣賞を受賞されました。
(本当の受賞作は大輪スタンダード「スイートアバランチェ+」なのですが・・・)
実は、昨年12月23日の天皇誕生日を間近に控えた12月19日に天皇陛下へ献上、他には農林水産大臣、副大臣、総理大臣、NHK会長他に贈呈され、雑誌、TVでこの希少な品種のバラ「スイートアバランチェ+」は一躍脚光を浴びたのでした。
しかし、本来もっと注目を浴びるべきなのは、彼の栽培技術なのです。資源循環型の低コスト栽培、花は美しいだけではなく、花持ちが違うのです。花にもカルシウムを如何に効かせ、炭素中心の堆肥の活用で微量要素をうまく施し、表層マルチの技術を使いこなすことによって、植物本来の“力”を充分に引き出されているのです。
野菜も果樹も花卉もすべて栽培方法の基本的な考え方は同一なようです。


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これが23日から滋賀県内のセブンイレブン全店で販売されている『滋賀県東近江市産ぶどうのちぎりパン』!!
人気沸騰で、当初販売予定の三倍以上の売れ行き!!来月の下旬までの季節限定アイテムのはずが、今月末で販売終了になるようです。
“おいしがうれしが”の一環で・・・県環境こだわり農産物の認証を受ける愛東ぶどう生産出荷組合のマスカット・ベーリーAを使用、今後もいろいろなアイテムで地産地消をコンビニで実現されるようです。
地産地消もいろいろなカタチで展開されるとそれはそれでタノシミになるものです。

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『雨も嬉し、晴も好し』
今日は第三回“住まいの小学校”の勉強会に参加させて頂いた。
鈴木有(たもつ)先生の伝統工法に学ぶ暮らしのありかたについてのお話をお伺いし、その後少しの時間ではあったが、意見交換させて頂いた。
先生曰く「住まいが変わり、暮らしが変わり、暮らしがかわると考え方がかわる」なるほど!でもやはり根本的な“気づき”は日々の暮らしの中にあり、その“気づき”を感じる『力』を如何に身につけるかが大切になるのだろう。
※写真は宋の詩人・蘇東坡の詩の一節

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明朝、自然の恵みへの感謝、実りの秋への感謝を捧げる秋祭り「そうもく祭」が行われる。
明日は早朝から餅米を蒸して“おこわ”がつくられ、氏子達に配られる。

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『顧客のニーズに応え続けることは自らが進化し続けるということ。
 自らが進化し続けると、さまざまな顧客のニーズに更に応えられるようになる。
 さまざまなニーズに応えられるようになると、更に顧客の輪が拡がる。
 「負けるが勝ち」・・・顧客からの声に、ひとつひとつ応える努力をする。
 必死に努力し、自己研鑽することで自らがレベルアップ、
 つまり負けているようで、いづれは勝てる!!
 実は顧客がビジネスの核になる部分を教えてくれる。
 顧客の声の中に本質がある。』
 という話をしてくれる人がいる。
 日々の出会いは、学びである。感謝!!



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閉鎖型の野菜工場は全国に約50箇所(三菱総研調べ)あるといわれているが、イニシャルもランニングもまだまだ実用化を図るにはコスト高!!
そんな中、出来るだけ簡易にどこでも栽培することが出来るプレハブ式の「野菜工場」が登場した。
こちらも実用化にはまだまだ改良が必要だが、さまざまなノウハウをいろいろな企業とうまく連携することで大きく進化する可能性がある。
農業を科学することは簡単ではないが、あまり詳細に拘ることなく、未知数な部分も含めて先ずは大きく体系出てていくことから始めることが大切なのではないだろうか。

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