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今日は「利休忌」
千利休の忌日
この「利休忌」は俳句の季語
芭蕉が俳句において、さび・わびを唱えたが、茶道においては利休が「和敬清寂」を旨に侘茶の湯を広めたことが評価されてのことだという
千利休、名は宗易(ソウエキ)、堺の人で、茶道を紹鴎に学び、その道をもって織田信長及び豊臣秀吉に仕え、茶道の改革を行い、盛名大いに揚がったが、秀吉から死を賜わり、天正19年2月28日、従容として切腹した。
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「猫の恋」は春の季語
「恋猫」「春の猫」も同様
春の夜の狂おしい恋する猫の声
それは人の耳にこそ凄まじく聞こえるけれど
彼らにとっては切ない求愛の叫び
発情は秋にも見受けられるが
春のそれは深く悩ましい春の訪れを
痛切に感じさせる
「猫の恋 昴は天にのぼりつめ」
山口誓子
「我猫を よその垣根に見る日かな」
高浜虚子
「ほっといてくれよ 恋猫なんだから」
高田祥聖
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「柳緑花紅」
柳はみずみずしい緑の枝を垂らし、風に揺られる
花は蕾を開き、紅い花を咲かせ、香る
そのものそのままの姿が美しく、その奥に本質的な尊さがある
出典は蘇東坡(そとうば)の詩
「東坡禅喜集」で詠った「柳緑花紅 真面目」
写真は北海道の彫刻家・砂澤ビッキの作品集の一部
そのままの姿も良いが、木の魂を彫る彼の作品もなんとも本質の尊さをもつ。
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二月二十五日、今日は斎藤茂吉の命日
茂吉は1953(昭和28)年に70歳で亡くなるまで、生涯に全17冊の歌集を発表し、15,000首を超える歌を詠みました(精神科医としても有名でしたが)。
学生時代に正岡子規の「竹の里歌」を読んで作歌を志し、伊藤左千夫の門に入った。
大正二年処女歌集「赤光」から「死にたまふ母」連作中の
「のど赤き玄鳥(ツバクラメ)ふたつ
屋梁にいて足乳根(タラチネ)の母は
死にたまふなり」の歌は
歌壇を驚倒させたという。
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「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」(致知出版:藤尾秀昭著)
昨年末から欲しかった本がやっと手に入った。
最近は専ら書籍はAmazonで購入していたのだが、出来ればこの「教科書」は書店で購入したかった。
毎日1話読むのも良し、1ヶ月分を1日で読み12日間で読み切るも良し、暫し楽しみな日々が送れそうだ。
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2月もあと五日で終わり、3月を迎える。
3月は、「弥生」、3月3日は「桃の節句」で所謂「雛祭り」である。
3月といえば春も最中、「春闌(はるたけなわ)」の候にはいったわけで、「麗か(うららか)」「長閑(のどけし)」「日永(ひなが)」などの言葉がよく似合う。
まだまだ寒い日はあると思うが、もうすぐ「風光る」うららかな「春暁」はそこまできている。
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今日は「猫の日」だそうだ。
2月22日
「にゃん、ニャン、にゃん」
ということで・・・
「猫は犬よりも賢い」という人がいる
しかし、脳の重さは犬の方が重い、よって犬の方が賢いという学者先生がいる
ちなみに、猫の脳の重さは32g、それに対して犬のそれは約三倍程度の100g、
知性の指標といわれている大脳皮質のニューロンの総数は、犬のそれが5億3000万といわれている
のに対して猫のそれは2億5000万、というとやはり「犬の方が…」というように考えてしまいがちだが
決してそう単純なものではなく、あくまでもそれぞれは一つの指標であり、どちらが「賢い」とまでは
判断できないということが正しい見解のようだ。
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「音」を人間はどこで聞いているのか?
「耳」なのだろうか?
音の振動は、耳の穴(外耳)に入り、まず中耳との境にある鼓膜を震わせる。鼓膜には3つの耳小骨という人体でもっとも小さな骨が結合していて、これを介して音の振動は内耳に伝わるようだ。
内耳で「信号」化された「音」は音声データとして脳に伝わり、脳は結合されたデータと照らし合わせるという。
よって初対面の人の声を聞いても、すぐに誰の声かを理解することはできません。しかし、家族や友人など身近な人の声を聞くと、顔を見なくても誰の声かを判断することができるという。
これは、身近な人の声は、高さや声色などがパターン化された脳に蓄積されているからのようだ。しかし、初対面の人の場合、声色や高さなどその人の声のデータは脳内に蓄積されていないため照らし合わせることができず、誰の声かを認識することはできないといわれている。
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現在、私たちがTVやradioから耳にする「音」はデジタルな信号だ。映像も同じで、目の錯覚を利用してデジタルな信号を送っている、このデジタル信号は「高画質」で、しかも「音」と統合することや分離することがたやすく同時に送受信できたりする。
対してアナログ信号は増幅することは簡単だが、高解像度化は難しく、調整するのに電気回路が必要になる。
アナログ信号の「音」は、基本的には良い音質と言われているが、コピーすると劣化する。対してデジタル信号の「音」はコピーや圧縮が容易で、最近は「ハイレゾ」などかなり原音に違い「音」が出せるようになってきたという。
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「春遠からじ」の前の句は
「冬来りなば」だ
原文は
パーシー・シェリー(1792年~1822年)
イギリスのロマン派詩人の
"Ode to the West Wind"
(『西風に寄せる歌』)
の中の一節
"If winter comes, can spring be far behind?"
「冬来たりなば春遠からじ」によるものだという
寒く厳しい冬が来た
だけどそれは、
暖かい春もまた
すぐそこまで来ているということだ。
つらさに目を向けるのではなく、
その先にある希望をみつめて、
この時期を乗り切っていこう
という意味が込められている。
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