百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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部分最適、全体最適・・・言い換えると
『合成の誤謬』かなぁ?
部分、個々では正しくっても、全体で
は必ずしも真理にならないってことで
「循環」もそうだが、「農業」でも言える。
農業は、やはり自然の中で育まれるも
ので、経済合理性のみでは語りきれない
何かがある。土や風、水や太陽が様々な
要因で絡み合い、やっと美味しい農畜産
物となる。それなのにあまりにも環境に
負荷をかけ過ぎ、効率ばかり追求すると
土が壊れたり、風や水が邪魔をする・・・
工業生産のようにならない中に、真理が
あり、また面白みがある。


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部分最適から全体最適へ!!
すべてがそうとはいわないが、
・・・フラクタル理論もあるの
だから・・・部分部分の繋がりから
全体像を浮かび上がらせること
も不可能ではないが、全体像を
明らかにしてその全体から部分
の効率化を図ったほうが、ベター
の場合も多い。その場合の留意
点は総論賛成、各論反対にならな
いように、しっかり大所高所から
議論が必要になってくる。

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経済も農業分野からみる方法があ
るようだ。
高度成長時代に、大量生産を要請
された農業は、農薬と化学肥料で
その要請に応えてきた。それは、
30年間で4倍以上に増えたといわ
れる。しかしその数値は、全世界
平均なので、日本の特定地域はその
10倍を数えてもおかしくない。
高収穫少品種は、生物学的多様性を
無視し、ある特定の品種に限定した
生産体制にシフトを余儀なくしてお
り、日本の米(コメ)の収穫内容で
、コシヒカリは10品種で70%以上に
も及んでいる。現在の農業政策で大
規模化が推進されているが、大規模
単作はスローバーニング現象(麦農
家は昔は麦わらを農閑期を利用して
麦わら帽子に加工していたが、それ
をやめて圃場で一斉に燃やすことに
よって大気を汚染し、気象条件に悪
影響を及ぼす)を起こしている。
農業がミクロの社会でどう影響を及
ぼし、マクロの社会の中でにどう位
置付けられ、他の社会や産業、環境に
どう経済効果(外部経済・外部不経済)
を与えているのかを学問するという。

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笑う門には、福来る!!っていうのは
やっぱりホント?!みたいです。
河合隼雄さんって臨床心理で有名な
方ですが、今は文化庁長官・・・他には
『日本うそつき協会の会長』らしい
です・・自称ですが。
『うそつき』っていうとアメリカ人
等からは蔑まれるようですが、日本
人にとっては、「嘘も方便」という言
葉があるように、アメリカ的にいう
なら「ジョーク」みたいな感覚が大変
人間関係にとっては重要なようで、
みんなで『笑う』みんなで『語る』
その中に、人間関係が育まれるって
いうことらしいです。
ひとまず、笑う門には・・福来たる
みんなでしっかり笑いましょう。

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水って不思議・・・停まってしまうと腐る・・
そういえば・・。
腐るっていうことは、腐敗なの!?腐敗と発酵っ
て。
水は動いている(=水がかき回されている)と、
酸素(=空気)が十分に溶け込んで、(有機物)
が早く分解する・・それは腐るってコトとは違
って・・。
腐敗と発酵は、微生物が有機物質を分解する点
では同じことだが、悪臭や有毒物質が生まれる
のが腐敗。
発酵は、有効微生物が有機物質を分解する過程
で代謝物質を生み出し、保存性が向上したり、
香りや味が良くなったり、ビタミンや必須アミ
ノ酸が生成されたりすることを指す。


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倒木更新・・・『雪におおわれた北海道の森の中では、
倒木の上でしかエゾマツの種は育つことができない。』
といわれている、たくさんの種子を野に放っても、笹
や霜や雨に邪魔されてなかなか育つことが容易ではない
・・・そんな中で倒木の上に落ちた種子だけはしっかり親の
栄養を吸収しながら育つことが出来る。親が身を呈して
子の成長を支えるという子孫繁栄のサイクルの象徴のよ
うに語られることがあるが、その若木の根はしっかり親を
抱きかかえるように張り巡らされる。親は子を思い、子は
親を思う、決してひとりで生きているんじゃない。いろ
いろな人やモノや環境に支えられて生きている・・生か
されているともいいますが・・ことに気付く瞬間がそこ
にはある。

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今日はあるところで、「藤井妙法」さんの
お話を聞く機会に恵まれた。
彼は、天台宗で得度を受けた人生哲学を語
る情熱僧侶として有名であるが、そんな彼
がこの前、60~80歳の社長さん達を前に、
『あなたは何故生きているのか?』『何故、
生まれてきたのか?』と問いをかけたとい
う。
社長さん達は結構悩まれたそうだが、『答え
はご自身の中にあり、人さまざま!』と言わ
れたそうだが、僕自身も『なーるほど』と
大きく頷いた。
僕は時々、『何故、生きる』と自分自身に問
い掛けて生きてきた・・・人にいわせると変
な人らしいが・・そんな中で最近の結論は『
生かされている、生きているとは決して思うな
!しかし主体は自分自身だ。様々な自然や人
や環境によって生かされており、それぞれに常
に感謝し“忘己利他”の精神で自己を棄てた
中に本質がみつけられる。』と思っている。
やっぱり変な人???なのかなぁ。
ブログは
『藤井妙法 成功の哲学』
 blog.livedoor.jp/myouhou1/ 

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有機栽培が何でもいいわけじゃありません。
でも、減農薬や低農薬、無農薬栽培っていろ
いろあるなかで、なんだかよさそうな気がす
るのは何故なのでしょう。
それは、有機、有機ってあまりにも言い過ぎ
のような気がします。有機だったら何でも言
い訳ではなく、やっぱり使いすぎは野菜には
よくないし、どうやって土に地力をつけてい
くのかの方が大切に思う時も多いです。
基本は・低農薬(どれだけ農薬を減らしている
のか全く不明確)<・減農薬(従来の基準より
半分以下に減らしている点では評価は出来るが
、従来の基準は恐ろしく高い??)<・無農薬
(栽培時には農薬を使っていない・・・それでは、
栽培前の土や種子は??)<・有機 の順には
なるのですが、有機農産物は化学合成農薬や化
学肥料、化学合成土壌改良材を使わないで、3年
以上を経過し、有機質肥料による土づくりを行
った圃場において収穫された農産物のことをい
う。 「有機栽培」は有機農法によって栽培さ
れたものと思いがちですが、今の基準は「有機
JASマーク」が付けられたものでなければ、
「有機栽培○○」、「有機○○」といった表示
ができなくなっており、「有機低農薬栽培」等紛
らわしい表示はしてはいけなくなっています。
いまやもう『有機栽培』は有機で育てた・・・と
いう意味ではなくなっている・・・ようだ。フンニャ!


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朝、10℃を切った模様。
やっぱり肌寒い・・・今日から長袖に
変えました、作業服を。
季節はしっかり変化していきます。
世の中がどう変わろうが、着実に冬は
近づいてきています。
10℃を切ると植物達には確実に変化が
見られます。低温に強い植物と弱い植
物・・・そりゃそうですよねぇ、もう
半袖ではなく、人間も長袖に替えてる
んだから。

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1980年代のアメリカのように、まさに今、
富める者と貧しき者の格差の拡大に加速
度がついて来ているのではないかと思う。
かたや放送局の買収や宇宙旅行ビジネスへ
の参入を考え出している企業があるなか、
まだまだ人員削減に追われている企業が
企業規模に関係なく混在している。
農家も政府の政策??で大型化されはじめ
ている。大型化は大量生産大量社会の失
敗を教訓にすれば決して間違ってはいな
いが、かつての成功体験がただ単なる規模
の拡大を誘う可能性も高く、よほど強い信
念をもった経営者でないと、心が揺らぐ・・
何を農業に求めるのか。生産性や効率化だ
けでは日本の農業の将来は危ない。

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