百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
ビジネスブログランキング
 

  


「桜」というと流石に季語は多い
山桜 彼岸桜 枝垂桜 糸桜 吉野桜 八重桜
初桜 初花 遅桜 朝桜 夕桜 夜桜 花の雲 花吹雪 落花 散る桜 花時 花過ぎ 花の雨 花の山 花便り
ちなみに 「糸桜」は枝垂桜(しだれざくら)の別称
「朝桜」は朝日に映える潔さを賞でる表現

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




三月三十日
何かが大きく変わろうとしている
今年からは「風の時代」へとよく言われるが、
大きな変化の時代に直面している気がする

そんな時代だからこそ、動く人
そんな時代だからこそ、動かない人
蛸壺にいることで難を逃れることも
先を急いでも、それだけでは万全とは言えない

約200年ごとに世の中を構成する元素が変わる、「火・土・風・水」の4種類が交互に変わっていく、「土の時代」から「風の時代」へ、ある日突然変わるのではなく、少しずつ変化して、価値観が変わっていく

カタチやモノに拘らず自由に、
持つことの充足感から持たないことの自由さを、
捉われず選択肢を増やし、お金ではなく信用や信頼が決め手となる
自分の言葉で、「つながり」を大切にして、想いや心を大切に!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


満月  


「満月」
3月の満月は、worm moon(ワームムーン)と呼ぶらしい
寒い冬が終わり、虫達も動き出す季節
温かな春の兆しが感じられるという意味からの
名付けのようだ
「啓蟄」のような意味合いなのだろう
少しお洒落でないことが少々気になるが、
今日は「夏日」を記録したところもあり、
なんとも「春」ではない「初夏」の陽気に
汗をかいた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


踏青  


「踏青」 青きを踏む
春の野に出て若草を踏んで遊ぶ

「葛城の神臠はせ青き踏む」 
「踏青や古き石階あるばかり」   高浜虚子

「野遊び」とはまた異なる趣がある

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「番茶」と言われると、何か「低級な緑茶」と思われがちだが、なんとも美味しい「緑茶」であったりもする。
この「ばんちゃ」は、季節外れのこの春先に採ったものだが、なんと「雪の華かな香り」がする。
若葉ではないということで、摘採期が外れているからといって侮ってはいけない、もっともっと「お茶」のことを知りたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨年の3月25日の新聞には
「東京五輪」の延期が大きく報道されている
そして一年の月日が流れ、コロナ禍のもと、今日から国内における「聖火リレー」が始まった
昨年の新聞には安倍総理が、今年は菅総理が、
昨年はマツダやトヨタがコロナ禍のもと工場の操業停止を余儀なくされ、今年は脱炭素をにらみ電動化を急ぐため「トヨタ・いすゞの資本提携」が発表された
コロナ禍は時代の変革を促し、安易なグローバル化ではない、未来を見据えたそれぞれの国の独自性が問われる時代を私たちに要求している
その要求に人類は応えられるのだろうか
今の日本ではなかなか難易度は高そうだと思うのは私だけではなさそうだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


木蓮  


木蓮(モクレン)
別名を
シモクレン(紫木蓮)
マグノリア
モクレンゲ(木蓮華)
[生薬] シンイ(辛夷)
ハクモクレン(白木蓮)

そういえば2000年に公開された『マグノリア』
ロサンゼルスを舞台に、一見関係のない男女9人の24時間を描いた群像劇。
3時間近い長編。
第72回アカデミー賞3部門にノミネートされ、
ベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)を受賞。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


播種  


「播種」の時期を迎えている
植物は「種子」のカタチで子孫を残すもの
「胞子」のようなカタチで残すもの
「根」で増やすもの
「芽」で増やすもの
さまざまな環境に対応すべく、植物達はそれぞれ知恵をつかっている
そもそも発芽するためには、酸素と水と温度が必要で、場合によっては光が必要といわれている
適当な水と温度がなかなか難しくて、あまり与え過ぎても良くなく、与えなさすぎると枯れてしまう(もしくは発芽できない)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


覚悟  


「覚悟の磨き方」
不安と生きるか。理想に死ぬか。

この副題がいい
「理想に死にたい」ものだ

覚悟を持たないことには何も生まれない
覚悟がないと迷いが生じる
覚悟は道に光を灯してくれる

吉田松陰は三十歳でその生涯を閉じた。
そんな彼は総理大臣2名、国務大臣7名、大学創設者2名を「松下村塾」から送り出した。

「教育は、知識を伝えるだけでは意味はない。
 教える者の生き方が、学ぶ者を感化して、初めてその成果が得られる。」
そんな姿勢が、日本を変える人材を育てたと言える。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「ひとりの悲しみ」はあの「白いサンゴ礁」で有名なズー・ニー・ヴー(Zoo Nee Voo)の4枚目のシングル。
実は1971年第13回日本レコード大賞受賞のあの尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」の元歌として有名だったようだ。
共に阿久悠作詞、筒美京平作曲でアレンジも全く同じであるが、符割りが微妙に違う、つまり曲はほぼ同じだが、詩が異なり、「詞」が異なることでまったく世間の受けが違った代表的な作品だという。
実は阿久悠と筒美京平がコンビを組んだ作品はそう多くはない。代表作には尾崎紀世彦「また逢う日まで」や大橋純子「たそがれマイ・ラブ」はあるが、デビューから連作した岩崎宏美の大ヒット曲「ロマンス」や「センチメンタル」などは、曲先行の作品に「軽業的に詞をつけていました。~こうくるとは予想もしていなかっただろう、とかね」(阿久悠作詞集「人間万葉歌」より)と阿久悠自身が述懐している。先輩にあたる筒美京平の曲に後輩(作詞家としてのデビューが遅いという意味で)にあたる阿久悠が「詞」をのせた、「ひとりの悲しみ」も曲は良いので、「詞」を再考したというのが本当のところのようだ。
ズー・ニー・ヴー(Zoo Nee Voo)からすると誠に残念なことだったと思うが、「また逢う日まで」は曲といい、「詞」も「唄」も時代を捉え、後世に残る名作になったと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ