中国産の野菜の問題から考えてみる日本の食の問題は実に奥が深く、『食の自給』の課題もさることながら、日本人の『食』に関しての考え方や今後の国のあり方を今一度どうあるべきか考える良い機会になると思っています。
1980年代以降世界標準(アメリカンスタンダード)を目指した結果、食も全世界から低コストで集めることが出来るようになりました。しかし、経済原理の中、資本力を持ち続けない限りは、その構図の安易な維持は難しくなることに全く気付かなかった事実があります。
また、スーパーに並ぶ食材も全世界から集められるようになり、国産野菜が重宝がられたり、有機JASが決して浸透することもなく、飽食の時代を満喫していたのがつい最近までの現実であり、今後先ず私たちが認識しなければならない大切なことは、
◇様々な『食』は実は、日本に入ってこなくなる可能性があるということ。
◇50年後、100年後の子供達の『食』をどう考えるか、どうあって欲しいと思うか。
また、加工食品の食文化とその食材の生産コストについてですが、加工食品といえば、天然の食材に様々な加工を加えた食品のことを指し、古くからある味噌、醤油など微生物の活動を活かしたものが主流でしたが、現代社会になると様々な添加物を駆使することでわざと人間の味覚を倒錯させているのが現状であり、“食文化”をどう位置づけ、“食”を単なる餌に成り下げるのか、いのち育む食としてもう一度捉え直すのか大きな岐路に立たされていると思います。
また、生産者のあり方(生産者というコトバ自体違和感がありますが)も工場の生産ラインで栽培しているのではないことを充分認識した中で、その土地その土地にあった作物を栽培することが大切であり、工場野菜と農家の栽培野菜はおそらく棲み分けされると思われますが、現状だと露地で栽培されている作物よりも工場栽培の野菜の栄養成分の方が高い事実もあり、再度近代農法のあり方、有機農業の浸透が重要になるでしょう。
こんなことを最近思いながら日々過ごしている百姓の独り言。只の戯言。。
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