一番の問題は都市と農村の対立構造を作り出しかねないという点にあるという人がいる。
都市と山村が分断されてゆく、それは実は都市的な暮らしが、農山村に及んでゆく姿でもあるという。
都市的な暮らしが快適な暮らしなのか、農山村の暮らしが本当の豊かな暮らしなのか、何ともいえないが、ますます都市的な暮らしは進化(荒廃?!)し、農山村の暮らしとの格差が激しくなる一方、都市的な暮らしが農山村の暮らしを確実に侵食する。
フェイスブックによって自由度は平準化されているように見えても、各々の立ち位置における自由度はみんな同一では決してない。
一度壊れた集落の再生には時間が必要になってくるという。それには、外部からの押し付けではなく、内部から沸きあがってくるエネルギーが最も大切であり、私達に必要なことはゆっくりとそれらに寄り添うだけの余裕であり、今の時代にあった新しい寄り添いの仕組みであり、焦ったところで何もできないという自覚、そしてゆっくり待ち、時の訪れを感じ取ることが出来る感性のようだ。
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