百姓通信
自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!
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1969年3月30日の日曜日、フランシーヌはパリで焼身自殺をした。
あれから45年、時代は変わったが、未だに世の中からは争いごとは絶えない。
フランシーヌは、ベトナム戦争やナイジェリアに心を痛めていた。
当時の日本は学生運動が全盛期、運動の目的は政治的な色彩からノンセクトにかわり、ついには武装も辞さなくなる。
誰も望んでいない“争いごと”を、何故いつの時期も人類はおこなうのか?
『少欲知足』でありたいものだ。

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「納屋を焼く」は村上春樹の小説だが、これは今朝行われていた琵琶湖の葦焼きの様子。
ある地域では大気を汚す等の理由で中止になったこともあったというが、実は水質の浄化や生物にとってのハビタットとして大変重要な役割を果たしている。
本来、3月の上旬に行われ、水郷の早春の風物詩といわれている。

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大工さんが育たなくなっているという。
そういえば、“刻み”の必要のない木材(プレカット)で組み上げられている建築現場をよくみかける。

自動車をはじめ、さまざまな機械のIT化が進むことで、機械の面白味がなくなったという。回路図等を読み込む技量が問われなくなり、故障すると電子回路を交換するだけで済むようになってしまったことで、若いエンジニアも育たなくなったという。

高度成長期には、強く頑丈な機械が日本の経済を支え、安定成熟期には、見かけは良いがあまり長持ちしない機械が世に蔓延る、それで良いのか?

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日本人が愛してやまない鮪は、ほぼすべての部位が活用されているが、日本にはないマグロの加工品が他国にはあるという。
それは地中海沿岸地方で古くから嗜好品とされてきた“ボッタルガ”だ。
マグロの卵巣を塩漬けし、天日で乾燥されたものがボッタルガで、ボッタルガはイタリア語で、日本でいうとカラスミにあたる。
古代のギリシャやローマの時代に地中海地方で文明を支えたのは地中海の豊富な水産資源だといわれており、特に鮪は多く漁獲されていたようだ。

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「百忍千鍛事遂全」
「ひゃくにんせんたんことついになす」
「百の苦難を耐え忍び、千の訓練で鍛えれば、目標を達成することが出来る」
豊田佐吉氏の言葉。
豊田家ゆかりの妙心寺の住職・延兼山日陽和尚という方によるものだそうだ。

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安西水丸さんが、執筆中に倒れ、お亡くなりになった。
1970、80年代のサブカルチャーの代表的なイラストレーターで、湯村輝彦さんやペーター佐藤さん、原田治さんと共に何とも懐かしい。
異色のコラボで和田誠さんと執筆された「青豆とうふ」は、しりとりエッセイで、タイトルは村上春樹さんがつけたことで有名。

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今日は梶井基次郎の命日。
「桜の樹の下には」の中で、基次郎は、人には見えない世界が、美しい現象や平衡の中に隠されているといっている。
「水晶のような液」や「美しい結婚」がある一方で「屍体はみな腐乱して蛆が湧き」「何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ」と記している。
農業をしていると、見えないものがたくさんあることに気がつく、そして農業はその見えないものを想像して日々を過ごすことが大切であり、そのような同じような思いを大切にした作家がいたことをいつもこの日に思い出す。

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今日は万願寺唐辛子の種取りをすることに。
ここで注意が必要なことは、唐辛子の胎座には決して触れないこと。
胎座とは、種が付着している果実の中の額に近い白い部分のことで、この部分には辛味成分『カプサイシン』が最も多く含まれており、手についたりするとそれだけでヒリヒリし、その手で眼や頬や額を触ったら何とも厳しいヒリヒリが数時間続く、以前眼を触って眼を開けることも出来なくなり何とも困ったことになったからだ。
『カプサイシン』は種子や果肉にはあまり多く含まれてはいないことをこの時初めて知った。何事も経験が大切だが、眼が見えなくなるのは、何とも困った。

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開花宣言は、気象庁が全国各地の特定の株を標準木と定め開花状況を職員の目視で観測を行い宣言がされることは良く知られているが、 対象とされる桜はソメイヨシノで、ソメイヨシノが品種改良の賜物であることはあまり知られていない。
ソメイヨシノは、若木から花を咲かせることが出来、葉よりも先に花が咲くことから、明治時代以降人気となり全国に拡がったが、自家不和合性が強く現存しているものはすべてがクローンで、しかし不稔性ではなくソメイヨシノ以外の桜と交配をすることが可能なことから遺伝子汚染が危惧される。
花見が庶民の風習になったのは江戸時代以降で、それ以前は宮中行事だったという、また江戸の徳川時代の8代将軍吉宗が隅田川東岸等に植樹したのが庶民の花見の始まりで、当時の桜は“エドヒガン”や“山桜”という品種で、それぞれが大木で樹齢が100年を超すものも多くみられたが、空襲等で当時のものはほぼ現存しないようだ(ソメイヨシノは小木で寿命は80年前後といれている)。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」というが、最近は切り口が細菌感染しないように施す技術が進化したため、桜も剪定することが可能になり、ソメイヨシノの寿命も多少伸びたようだが。

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10年前の週刊エコノミストを読み返してみる。
丁度、農業関連の仕事に就こうと模索している頃に手にした雑誌だ。
内容は、「農業は高収益産業だ!」と題して・ケーススタディー1)地方ゼネコンの参入・ケーススタディー2)あの手この手(直売所、特区)・ケーススタディー3)ニホンブランド(輸出)と話は展開していく。
10年後、どうなったか少し検証してみると1)1勝1敗1分、ブルーベリーで日本一を目指していた島根の会社は3年前に倒産していた。2)直売所は、やり方にも様々あるが、ここ10年で大変伸びた分野になる。一方、特区はなかなか上手くはまっていない気がする。3)輸出は以前からよく話題にはなるが、高収益に短絡的に繋がるかというと、あまり期待出来ない。

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