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よろず世の中98・我々は田中角榮の「何」を知っていたのか?

                 よろず世の中98

           我々は田中角榮の「何」を知っていたのか?

今太閤と言われ総理大臣に上りつめた田中角栄。

本人は自身を織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人から似たタイプを選ぶと、「織田信長」的だと言っていたようだ。

その意味では豊臣秀吉を連想させる今太閤という言われ方は好まなかったという。田中角榮の気性と生きざまから、言われてみればそうかも知れない。

ところで、田中角榮と言えばロッキードという印象が強い。マスコミが真実を国民に知らせていれば、田中の無罪は明らかだったのであるが・・・

我々一般国民は、「田中角榮の人となり」についてどれほどのことを知っていただろうか、知っているつもりでほとんどのことを知ってはいなかったのではないか。

今日はそこのところを少し探ってみようと思う。

                      ☆

               (米国による田中排除の理由)

コンピューター付きブルドーザーとも称された彼は、日本が石油の供給において米国一国からだけでは日本の首元が常に米国に押さえられ、常時米国の都合に左右される危険性から脱皮すべく、新たな供給先を中国に求め、米国の意向を無視して日中国交回復を成し遂げ、中国から共産国以外へ初めて日本への輸入を開始した。

フォード大統領政権下のキッシンジャー大統領補佐官はこれを激怒し、田中角栄のやり方を見逃せば、真に日本の独立を認めてしまうことになると、米国側の勝手な算段(既得権保持)から、田中角栄追い落としの画策がなされた。(ロックフェラー副大統領・ブッシュCIA長官も当然絡んでいた)

これが世に言うロッキード事件の米国側から仕掛けられた田中角榮追い落とし、政治的抹殺の謀略であった。

今日では「田中角榮の無罪」は誰もが認める動かしがたい事実である。

(田中角榮の人となり)

数限りなくあるエピソードから一部を紹介する。
田中がなぜ人の心をつかみ、最大派閥を構成していったかがよく理解できるであろう。

数の力を悪く言うものがあるが、数は議会制民主主義の基本である。物事の基本は多数決で決定されるからである。

◎田中派の一年生議員が美人局(つつもたせ)に遭(あ)い、解決のために多額の金銭が必要となり、様々な伝手(つて)に頼ったがどうしても100万円(今の300万円以上)ちょっと足りない状況となった。

選挙を終えたばかりで借金のあった議員は万策が尽きて止む無く田中に借金の申し込みをしたところ、田中はこれを快諾したという。議員は田中の事務所に急いで向かったが、田中は急用で留守にしており、田中の伝言を預かっていた秘書から大きな書類袋を受け取った。中を確認すると何と300万円入っており、同封されたメモには以下のように書いてあった。

「トラブルは必ず解決しなさい。以下のように行動すること。
1、100万円を使ってトラブルを解決すること。
2、100万円を使ってお世話になった人へ飯をおごるか、必ずお礼をすること。
3、残りの100万円は万が一のトラブルのために取っておくように。
4、この金はすべて返却は無用である。」

その議員は感涙にむせんだ。
                               続く

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