yoshのブログ

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明治初期の優れたキリスト教徒

2016-02-09 06:41:42 | 文化
明治時代初期において、日本男性の中にはプロテスタントの教えに感化されてキリスト教に入信する過程で、女性への教育や女性の社会進出を強く叫ぶ者たちが現れました。彼らの大半は江戸時代の武士階級の出身者でした。なぜでしょうか。

内村鑑三(1843~1930)高崎藩士の子
新島襄 (1843~1890)上州安中藩士の子。同志社大学を設立しました。
成瀬仁蔵 (1858~1919)長州毛利家にゆかりの吉敷毛利家に仕える下級武士の子。後に、広岡浅子らの支援を得て「日本女子大学」を設立しました。なお、広岡浅子は明治時代に活躍した女性実業家であり、NHK「朝ドラ・あさが来た」のヒロインです。

司馬遼太郎は、明治初期の優れたキリスト教徒の出自について次のように述べています。

「かつて、武士が忠誠を尽す対象は主君でしたが、明治維新で主君が消滅してしまいました。武士たちの内ある者は、忠誠を尽す新たな対象を神と考え、神に忠誠を尽す道を選びました。」

また、作家の長尾剛氏も次のように述べています。

「つまり、歴史に名を残している優れた日本近代のキリスト教徒の男は皆、武家階級の出なのだ。(中略)こうした歴史背景の中で、建て前と本音、旧弊と新風入り混じり、近代日本の女子教育は、紆余曲折を重ねていく。女学校が立ち並び、少女たちは新しい教育を受け、ある者は、女性の自立に目覚めて立ち上がる。ある者は、旧態依然とした男尊女卑の家風との板挟みとなって、我が身を呪う。ある者は、上っ面だけのファッションとして新しい教育を受け、さして似合わない洋風のドレスに身を包んで、おぼつかないステップでダンスを踊り「これぞ新時代の女よ」とばかりに、悦に入る。そんな時代の中、浅子は、ある時は炭鉱の中で泥だらけになって荒くれ坑夫たちを従え、ある時は銀行のデスクで帳面と睨めっこしながら、男性行員たちに檄を飛ばしていた。(中略)少女時代に芽生えた自主独立の精神と学ぶことへの渇望は、決して衰えてはいなかった。」

  長尾剛「広岡浅子 気高き生涯」 PHP文庫

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