良寛の七言絶句を紹介します。
半夜
囘首五十有餘年
人閒是非一夢中
山房五月黄梅雨
半夜蕭蕭濯虚窓
首ヲ囘(めぐ)ラセバ五十有餘年
人間(じんかん)ノ是非ハ一夢ノ中(うち)
山房五月黄梅ノ雨
半夜蕭蕭トシテ虚窓ニ濯(そそ)グ
「訳」
過ぎし五十余年の生涯を顧みるとき、人間社会のことは、自分ひとりのことに限らず、是も非も、善も悪も、すべて夢の中のことのようにしか感じられない。夜中にただひとりこの山の庵に座して物思いにふけっていると、五月雨がさびしく窓に降り注ぐことである。
「鑑賞」
良寛の作品はその天衣無縫の性格のごとく、格式にかなったものはほとんどない。この詩にしても平仄が合っていないし、起句の「年」は踏み落としであり、さらに近体の詩では通韻は使用しないのが通常であるのに、この点でも破格です。しかし、一種の諦観にも似た心境は、時世や世代の違いを超えて何人の人の心にもなんらかの共感を呼ぶでしょう。
石川忠久 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興
半夜
囘首五十有餘年
人閒是非一夢中
山房五月黄梅雨
半夜蕭蕭濯虚窓
首ヲ囘(めぐ)ラセバ五十有餘年
人間(じんかん)ノ是非ハ一夢ノ中(うち)
山房五月黄梅ノ雨
半夜蕭蕭トシテ虚窓ニ濯(そそ)グ
「訳」
過ぎし五十余年の生涯を顧みるとき、人間社会のことは、自分ひとりのことに限らず、是も非も、善も悪も、すべて夢の中のことのようにしか感じられない。夜中にただひとりこの山の庵に座して物思いにふけっていると、五月雨がさびしく窓に降り注ぐことである。
「鑑賞」
良寛の作品はその天衣無縫の性格のごとく、格式にかなったものはほとんどない。この詩にしても平仄が合っていないし、起句の「年」は踏み落としであり、さらに近体の詩では通韻は使用しないのが通常であるのに、この点でも破格です。しかし、一種の諦観にも似た心境は、時世や世代の違いを超えて何人の人の心にもなんらかの共感を呼ぶでしょう。
石川忠久 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興