石川忠久先生が会誌に寄稿された五言律詩を紹介します。
少陵
数里城南路
青田不見家
停車渉溝洫
依杖望丘阿
何是皇妃墓
唯餘枳棘坡
追懐曲江曲
野老唱哀歌
(註)少陵、漢宣帝皇妃の陵墓、杜甫生誕の所
数里城南ノ路
青田家ヲ見ズ
車ヲ停メテ溝洫(こうちょく)ヲ渉ル
杖ニ依リテ丘阿ヲ望ム
何レカ是レ皇妃ノ墓ナラン
唯餘ス枳棘(ききょく)ノ坡
追懐ス曲江ノ曲
野老 哀歌ヲ唄イシヲ
「訳」
長安城の南を数里行く。
青田ばかりで人家が見えない。
車を停めて田間の溝を渉った。
杖に依りかかってはるかに丘を見た。
皇妃の陵墓はどれであろうか。
イバラの坂道がまだ続いている。
杜甫の「曲江の曲」を思い浮かべ、
杜甫が哀歌を唄ったことを思いおこした。
「鑑賞」
少陵は杜甫の号です。少陵は前漢、第九代の皇帝、宣帝の皇后、許后の陵墓であり、杜甫の本籍地はこの辺りともいわれます。
唐詩選にある杜甫の七言古詩 「哀江頭」、「少陵の野老 声ヲ呑ンデ哭ス 春日潜行ス曲江の曲」が下地にあります。石川先生は、長安城の南の少稜を訪れ、漢王朝と杜甫を追慕されました。哀江頭は楊貴妃のことを賦していますが、宣帝の皇妃は、唐代よりはるか昔、前漢の皇妃です。
石川忠久 「學士會会報」No.910 2015-Ⅰ
少陵
数里城南路
青田不見家
停車渉溝洫
依杖望丘阿
何是皇妃墓
唯餘枳棘坡
追懐曲江曲
野老唱哀歌
(註)少陵、漢宣帝皇妃の陵墓、杜甫生誕の所
数里城南ノ路
青田家ヲ見ズ
車ヲ停メテ溝洫(こうちょく)ヲ渉ル
杖ニ依リテ丘阿ヲ望ム
何レカ是レ皇妃ノ墓ナラン
唯餘ス枳棘(ききょく)ノ坡
追懐ス曲江ノ曲
野老 哀歌ヲ唄イシヲ
「訳」
長安城の南を数里行く。
青田ばかりで人家が見えない。
車を停めて田間の溝を渉った。
杖に依りかかってはるかに丘を見た。
皇妃の陵墓はどれであろうか。
イバラの坂道がまだ続いている。
杜甫の「曲江の曲」を思い浮かべ、
杜甫が哀歌を唄ったことを思いおこした。
「鑑賞」
少陵は杜甫の号です。少陵は前漢、第九代の皇帝、宣帝の皇后、許后の陵墓であり、杜甫の本籍地はこの辺りともいわれます。
唐詩選にある杜甫の七言古詩 「哀江頭」、「少陵の野老 声ヲ呑ンデ哭ス 春日潜行ス曲江の曲」が下地にあります。石川先生は、長安城の南の少稜を訪れ、漢王朝と杜甫を追慕されました。哀江頭は楊貴妃のことを賦していますが、宣帝の皇妃は、唐代よりはるか昔、前漢の皇妃です。
石川忠久 「學士會会報」No.910 2015-Ⅰ