yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

山本五十六(戦争と一尾の鯛)

2011-02-04 05:59:03 | 歴史
日露戦争当時、高野五十六と言った、後の山本五十六は、日本海海戦で東郷平八郎が率いる連合艦隊(旗艦三笠)の第一戦隊、六番艦、「日進」に少尉候補生として従軍していました。戦闘の初期段階において、バルチック艦隊のすさまじい砲撃を受け、第一戦隊司令官三須宗太郎中将と航海長は負傷し、松井健吉参謀は戦死、高野五十六は血みどろになったと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にあります。この時、五十六は、左手の人差指と中指を欠損し、右大腿部に重傷を負いました。指を欠いたまま軍服の正装で立っている絵が私の母校、長岡高校の講堂に掲げられていたのを記憶しております。日露戦争に従軍した山本五十六は、後に海軍武官として次々に要職に就き、常々「百年兵を養うはただ平和を守るためである」と言っていたにもかかわらず、皮肉なことに、後に対米戦争を行うための連合艦隊司令長官となり、心ならずもアメリカと戦端を開く役目を負わされました。出陣を前にした昭和16年12月3日(真珠湾攻撃の5日前)山本は郷里、長岡で家族とともに最後の夕餉をとりました。食卓には一尾の赤い鯛がありましたが、その鯛には、とうとう誰からも箸をつけることがなかったと、五十六の長男の山本義正氏は後に手紙に書いています。
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