山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2018年北海道の旅、後楽の苦しみ

2019-02-18 04:52:43 | その他

 昨年は「北海道生誕150年の今めぐり旅」というのを思いつきそれを実行した。110日をかけ、1万1千キロ余りの長旅だった。この旅は、自分たちにとっては珍しい目的的な旅だった。目的的というのは、それまでは行き当たりばったりに旅先でのできごとを楽しむというだけだった。「北海道生誕150年の開拓の歴史を訪ね巡る」というような大げさなテーマを掲げることなど考えてもみなかったのである。140カ所以上の歴史民俗資料館や博物館、役場などを訪れたのだが、未だにその整理が終わっていない。集めた資料類は、大型の書類袋に10個もあり、その他にも撮った写真類も万を数えるほどで、それらをつき合わせて確認してゆくのは大仕事なのだ。それらをチエックしている内に情報不足に気づいて、今度はネットなどで調べたりしていると、益々仕事のボリュームが膨れ上がって、何だか絶望的な気分になって来る。

 これらの資料をチエックした後、もう一度新たな気持ちで紀行の記録などを書いて見ようと思っていたのだが、この調子で資料を整理していると、もしかしたらあの世に行くまで時間が掛ってしまうのではないか。そのような恐怖に時々襲われたりするのである。これはもう後楽どころではない。苦しみそのものではないか。一体何のためにこのようなことをしているのか。葛藤が続いている。

 いつも作っている旅日記の方は、旅から戻った半月後には完成している。何しろ長期間だったので、枚数も膨れ上がってしまい、B5判に細かい字で印刷して240ページにもなってしまった。とても多部数の印刷は無理なので、15冊だけ作って、お世話になった関係者の方に送付しただけである。もし紀行文を書くとしたら、只の日記だけでも240ペーにもなるのだから、集めた資料などを使って取り組んだりしたら、その倍くらいの枚数になってしまうかもしれず、これはとんだことになるなと、迷い始めている。もうそのようなものを書くのは止めにしようか、と。

紀行文というのは、松浦武四郎や間宮林蔵、菅江真澄などの著作に刺激されて、現代版の北海道遊覧記のようなものを書いて見ようと考えたのだが、いざ取り掛かって見ると、これは個人の思いつきでは到底無理なことが判った。何しろもはや間もなく傘寿を迎える老人であり、しかも思い立ったのが1年ほど前なのだ。せめて10年ほど前に気づいて取り組んでいたら、北海道開拓の歴史情報は、もっともっと豊かだったと思うのだが、たった110日ほどの旅では、北海道の各地の150年といっても、ほんの一部を掠(かす)めるに過ぎないのではないか。やっぱり無理だなと思った。

さて、どうするのか。今思っているのは、やはり後楽のレベルで、今回の旅の中で拾ったあれこれを書いて見るしかあるまいということ。大上段に振りかぶっての遊覧記など志すべきではないということ。分相応に楽しんで人生の残りの時間を活用すべきなのだ。今はそう思っている。

それにしても今回の旅で、北海道という北の大地に関する(歴史)認識が大きく変わったのを実感している。ぐっと身近になった感がする。北海道の179の自治体名と地理情報は頭の中で定着しつつある。どこにどんな市町村があり、そこを通過したり訪問したりした時の景観などをすぐに思い浮かべることができるようになった。もしかしたら北海道に住んでおられる人よりも詳しいかもしれない。そのような小さな自信が生まれつつある。その市町村が何から始まって今日につながっているのかについては、まだまだだけど、この後の知る楽しみが膨らんでいる。先住民であるアイヌの人たちについても少し理解が進んだように思う。彼らは縄文人を正統に引き継ぐ人々だと思っている。弥生時代のない北海道には、1万年以上の縄文人の知恵の文化がアイヌの人々を通して残っているに違いない。それは現代のような技術情報文明の行き過ぎの時代にとって、これから重要度を増すに違いないように思う。

 

後楽の苦しみの中から、少し光明が見えて来ていると感じている。これからは、オーバーに構えることなく、この貴重な旅で拾った出来事や考えの数々を少しずつまとめて記してゆきたいと考えている。そして、この場でも披歴していきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする