山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

真老3/10年目を迎える

2019-01-04 00:43:46 | くるま旅くらしの話

 新しい年となりました。めでたい気持にはなれないので、敢えておめでとうございますとは言わないことにします。真老というのは、自分の勝手な老人世代区分の中で、75歳辺りから85歳辺りまでを言うのですが、自分は今年その3年目を迎えることになります。真老が終わって次の深老(85~95歳)となると、もう一度めでたいという新年の挨拶が欲しくなるのかもしれませんが、真老というのは未だ老人としての生意気な部分がかなり残っていて、特に自分のようなややひねくれた人間には、今の世の中の有り様を見ていると、何一つといっていいほどめでたいと言えるようなものは見当たらないのです。

 特に目に余るのは、政治の横暴というのか、はたまた官僚の悪知恵というのか、この国を借金で水膨れにしてしまっているということです。政治のことは避けるように努めているのですが、体制政党もその反対側の政党もこの国の未来を大変危うい状態にしており、博打をしている感がするのです。見た目には好景気が続いているように思えるのでしょうが、足が地についているとは思えず、世界の動静によっては、上っ面の経済状況が一気にひっくり返るような危うい要素を幾つも抱え込んだ状態となっている気がするのです。

加えて悪の蔓延(はびこ)りは止まることを知らずに増大・膨張しているように思え、ネット社会などというものを単なる効率的利便性だけで弄(もてあそ)びながらつくり上げている感じがして、これが悪を増長させる根源にある感じがします。

人間はもっともっと不便さに学ぶ必要があると思います。利便性の追求は、結果的に人間を堕落させ、無力な生きものになり果てさせる危険を孕んでいる感じがします。

昨年北海道の旅の中で、胆振東部大地震によるブラックアウト現象というのを体験させられましたが、電気が消え、使えなくなった世界が突然やって来た時、人間の無力さを痛感しました。2日ほどで回復したので救われましたが、もしこのような事態が1カ月も続いたら、恐らく北海道から直ちに逃げ出す以外に生き延びる方法が見出せない人間が殆どではないかと思いました。インフラの基盤たる電源が失われ、水が給配水されず、ものを買うことも移動することも困難な状態がやって来た時、自力で生き延びる知恵を持つ人間がどれほどいるのか。かつて北海道に住んだアイヌの人たちが持っていたような、大自然に学んだ知恵を持つ現代人がどれほどいるのか。150年をかけてつくり上げて来た北海道という大地には、バーチャルなどが入り込む余地がないほどの開拓の血と汗と涙とギリギリ生きるための知恵があった筈なのに、現代の人々はそのプロセスを忘れ果てて、新たに獲得した利便性に溺れ、我を忘れているのではないか。交通信号機も水洗トイレも停まり、ガソリンスタンドの給油機能も停まって、冷凍冷蔵の停まったショーケースの空っぽになったコンビニを覗いて、ブラックアウトが教えているのは不便性を知ることの大切さではないか。そう思ったのでした。

 まさかこの先、そのようなことが全国至る所で起こるとは思いませんが、特に大都会に住む人たちは、生き物としての本能や知恵を忘れ、利便性に甘えていると、いざという時に無力な生きものになり下がるということを、思い知っておく必要があるのではないか。可能な限りコンクリートの建物の外に出て、まさにアウトドアの生き方の知恵を学ぶべきだと思いました。不便を知るというのは不便を味わうことであり、これは実体験で学ぶしかありません。野外に出て、キャンプなどの体験を通して身につけることかと思います。大自然の有り様を可能な限り数多く体験することが大切ではないか。それを改めて強く感じました。

 今年もまた自然災害が多発しないかと不気味な予感が渦巻きます。今のところまだ旅の計画は出来ていませんが、自分達の場合は不便には馴れていますので、その知恵を活かしながら慎重に旅を楽しみたいと思っています。

コメント
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