山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

佐原のお雛様は可哀そう

2016-02-26 04:56:50 | 宵宵妄話

 先日真壁のひな祭りを見に行って来たので、今回は佐原のひな祭りを見に行ってきました。佐原のひな祭りは、「さわら雛めぐり~お雛さまの舟遊び」と称して、1月29日から3月21日までの長期間に亘って開催されるイベントです。どんな様子かと楽しみにしての来訪でした。

 さわらとは「佐原」と書き、元の千葉県佐原市であり、平成の大合併策で、佐原市の他小見川町、栗源(くりもと)町、それに山田町を加えて、現在は人口約9万人の香取市となっています。栗源と山田地区は、市の西部に位置する丘陵山地エリアですが、佐原と小見川は、利根川に近い水郷地区として名を馳せています。特に佐原は利根川に連なる水利を活用した江戸との交易が盛んで、今でも小江戸と呼ばれる往時の町並みが残っており、千葉県唯一の重伝建(=重要伝統的建造物群)指定地区となっています。また、佐原を有名にしている人物に伊能忠敬がおり、その測量技術は現代にも通用するほどのものと高く評価されており、町では彼をして大河ドラマに描いて貰う運動が起こっているようです。

 さて、その香取市を訪れたのですが、何よりもまず現在の市名となっている、その大本(おおもと)である香取神宮に参拝することにしました。香取神宮は、利根川を挟んで少し離れた場所の鹿島神宮とは親戚のような関係にあり、共に軍神を祀った場所として古来より尊崇されています。合併の度に著名な地名が消えてゆくのを寂しく思っていますが、この香取市の場合は、佐原が消え去ってようやく本命の地名が表に出て来たような感じがしています。

 香取神宮に参拝するのは確か2度目で、前回はもうかなり前だったので、境内のレイアウトなどはすっかり忘れている状況でした。近くを何度も往来しているのに、なかなか参拝に至らないのは、自分の神に対するご都合主義の現われであり、今の世は軍神や武道などの必要性はゲームのなかに閉じ込められつつあり、現実の世の中では、今一ピンとこないからなのかもしれません。

車を留めて鳥居をくぐり、参道を真っ直ぐ進むと左手に階段があり、そこをあがると拝殿と本殿が控えていました。やはり神域はイヤシロチ(癒代地)であり、境内の森のなかに入ると一気に心が洗われる感じがします。古来から浄化されて来た溢れるほどの大気を呼吸していると、心身が自然と清められるのです。来て良かったと、改めて感じながらの参拝でした。境内では丁度結婚式なども執り行われていて、真にめでたいなと祝福の気持になりました。

     

香取神宮本殿の景観。どっしりとした風格のある佇まいは、さすがこの国の武神の住まいに相応しい。歴史を感じさせる貫録がある。

     

要石。これがオオナマズを抑え込んでいる石棒の頭だという。水戸の黄門さまが、数日かけてこの石に沿って掘り起こさせたけど、途中で諦めたという話も伝わっているとか。

その後、鹿島神宮と対をなす要石(かなめいし) [この地の地下に棲むオオナマズが悪さをして地震を起こさぬよう、その頭と尻尾を抑えるために、石の棒を打ち込んだ、その石の先端部が現れているのが、要石だという。香取神宮のは尻尾に打ち込まれており先端が凸の形、鹿島神宮のは頭に打ち込まれていて先端が凹の形となっている] などを見物して神宮をあとにし、近くの道の駅にて昼食休憩の後、街中のひな祭り散策に出発しました。

 

もう何度も佐原の古い町並みを訪ねていますが、ひな祭り関連では2度目だと思います。この祭りは家内の方のテーマなので、自分的にはお雛様よりも町自体の昔を訪ね歩く方に関心があり、ホンのついでにお雛様を覗くというのが実態なのです。今回もそのような形となりました。前回は東日本大震災の後でしたので、被災した家もかなり多くて、ひな祭りのイベントに参加するのは厳しい状況だったと思います。特に古い家ほど被災の程度がひどかったように見えました。あれから4年が経って、表面的には回復しているように見えても、その実の世界では未だご苦労が続いているように思える今回の来訪でした。

     

水郷さわらの小野川の景観。中央の橋は樋橋(とよはし)で、通常はじゃあじゃあ橋と呼ばれ、用水を流す働きもしており、丁度今水が流れているところ。この近くに伊能忠敬の住まいもある。

一時間ほど町中を歩き回った後に、ひな祭りの中心地区の水郷の象徴ともいうべき小野川の掘割りに沿ってしばらく歩きました。所々に船着き場のような箇所があり、その何箇所かにお雛様を飾る壇囲いが設けられて、そこに幾つかのお雛様が飾られていました。しかし、遠いのでお顔などは見えず、近くへ行っては、これ又近過ぎて横から覗くくらいしかできない状況でした。きちんと正対して飾りを見られないというのは、どういうことなのだろうかと疑問を持ちました。掘割り沿いのひな飾りは、どうやら舟での観光客のためのもののようで、陸を歩いている者には無縁のもののように思われました。

     

小野川川端の雛飾り。このような船着き場に3箇所ほど雛飾りが設けられていたが、これらは舟遊びの観光客用のもので、陸路からの見物には無理があるように思えた。

民家のお雛様を覗くのは止めましたが、あとで家内から聞いた話では、食事ができる店では、食事をしない者が見るのはお断りということらしく、少し憤慨していました。交流施設のようなところに飾られているお雛様もありましたが、作者名しか表示されておらず、いつの時代のどんなものなのかなどという情報は皆無の案内で、残念に思いました。

思うにひな飾りというのは、ただ賑やかに派手に飾れば良いというものではなく、代々大切に引き継がれてきた子女の幸せを願って飾るものであり、そこには家々の思いのようなものがたくさん籠められているものではないかと思います。ですから、折角飾って公開するのであれば、そのお雛様の歴史・情報のようなものを表示することが大切ではないかと思うのです。この町のひな祭りイベントには、そのような心配りが何だか抜けているようで、残念に思いました。「さわら雛めぐり~お雛さまの舟遊び」というタイトルとそのPRポスターは立派でしたが、お雛さまの舟遊びという優雅さはどこにも見出すことができず、ただ堀端に吹きさらしの遠いお雛様の憂い顔を想わせるだけの景色を寂しく思いました。

祭りを比べてあれこれコメントするのは、まともな人間のすることではないとは承知していますが、真壁のひな祭りの関係者の思い入れと佐原のそれとでは、随分と違うなと思わずにはいられませんでした。香取の軍神は、恐らく真壁の方に軍配を挙げるに違いないと思いました。旧佐原市内の重伝建エリア辺りの道路状況は厳しく、歩道が無いため道脇を歩くのですが、何段もの細かい段差に満ちていて歩きにくく、すぐ傍をスピードを上げた車がひっきりなしに通り抜けてゆくので、生きた心地もしない状況でした。歩行者天国は無理としても、このまま放置しておくと、折角の重伝建目当ての観光客の中から、交通事故の犠牲者が発生するのではないかと思えるほどです。真壁と比べると遥かに観光の条件が良いのですから、もう少し工夫して頂くと、安心して観光を楽しめるのではないかと思いました。

2~3年後には、孫娘を連れて見物に行ければ良いなと思っています。老人の不満混じりの退屈話でした。

コメント
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