山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

老と情報(ツール)について

2016-02-05 08:17:39 | 宵宵妄話

老をどのように生きるかを考える時に不可欠なのは、生きて行くための必要情報をどのようにして確保するかということです。

高度情報化社会の到来は、ほんの少し昔まで壮年者であった、現在の老世代の人たちが描き、つくり上げて来たものなのですが、それに直接係わった人たちを除く一般老世代大衆は、その恩恵を楽しみ味わうよりも、戸惑いや諦めの中にある人が多いように思います。

 現在はスマートフォンやアイフォン、タブレットPCなどの情報ツールが当たり前の世の中になっていますが、今から25年前の頃は、そのような情報ツールは無く、PCにしても一般の社会の中では特別の人を除いては触れるチャンスが無く、企業内においても情報システムの導入は喫緊の課題ではあっても、特定の部門に導入が開始されたというレベルでした。間もなく高度情報化社会(当時一般的にはそのような呼ばれ方をしていました)が到来するというのは理解してはいるものの、身近にそれを体験するツールが無かった時代では、なかなかそれを実感は出来なかったのです。

その後大幅にPCなどの技術が進展し、一般化が加速し出しましたが、この中で最も進んだのは、携帯電話の普及でした。いわゆる「携帯」は、それこそ、あれよあれよという間に世の中を席巻した情報ツールだったと思います。今の世に「携帯」を知らない人は殆ど見当たらないと思いますが、その「携帯」も20年経った今では、ガラケ―などと呼ばれるほどに過去のツールと化しつつあります。

それらの最新の情報ツールを当たり前の物として使用している若者や子供世代は、情報というものの本質など考える時間も無いままに、雑多な情報に振り回されている感じがします。ここ20数年の急激な情報ツールの技術進展は、それを使う者の情報選択力の未熟など問題とせずに、一方的に利便性や効率性、或いはゲームなどのバーチャルな興味充足を追求し続けています。

これから先この技術進展が人間にどのような禍福をもたらすのか、とても想像できません。今の時代は情報技術の発達が異常に加速しており、一方で生き物としての人間の精神の発達がそれに追いつかず、様々な奇異な現象が生起しています。今までにはあり得なかったような凶悪というか、人道(=倫理)を外れた犯罪や事件が生まれるようになったのも、このギャップが大きく影響しているように思えてなりません。世はまさに人道のカオスの世界に入りつつあるように思えてなりません。

さて、肝心なのは我ら老世代の者が、この異常な高度情報化の社会をどう生きるかという問題です。情報技術の進展の狭間にあった現役時代を経てきた老世代の多くの人たちは、もしかしたら順老世代(65~75歳)であっても、PCやスマホなどの情報ツールから離れて暮らしている人が多いのではないでしょうか。高齢者になるにつれて、今の時代の情報の実態を知らず、その割には矜持は高くて、パソコンやスマホなど、あんなものなど無くても幾らでも生きて行けるというような話しぶりの人が多いのですが、それはやがて愚かな強がりに過ぎなくなってゆくということを知る必要があるように思います。

これからの社会の暮らしの基盤の中に、更に進化した現在進展中の情報ツールが居座るような時代がやってきた時には、その扱いや考え方を知らない老人は、置き去りにされてゆく危険性があるのです。今の時代は江戸や明治、大正、昭和前半時代のようなゆっくりとした時の流れでは無くなっているのです。親の言うことを子どもが聞くには無理があるほど、暮らしや社会の環境が急速に変わってしまっているため、老世代にとっては困惑が溢れている時代ではないかと私には思えるのです。

情報ツールの歴史の変遷は、かわら版や新聞から始まって、有線の電話が普及し始めたのは大正時代の頃からであり、TVが出現し普及し出したのは、戦後しばらく経った昭和30年代後半あたりからでした。その後の無線技術の革新的な進化は、携帯電話やナビゲーションシステムなどの普及をもたらしましたが、それが始まってから僅か四半世紀(25年)ほどしか経っていないのです。これらの情報ツールの急激な変化は、短期間で暮らしの有り様を大きく変え、親から子へという世代間の伝承の在り方までも大きく変えてしまっています。多くの場合、新しい情報ツールは若い世代の方に馴染み易いため、親が子を律するという力が不足し、心も経験も未熟な世代に対して親はもはやアドバイスなど出来ない時代となってしまった感がします。多少極論を述べている感もしますが、親子の係わり合いなどと比べて、この情報ツールの変革のもたらした影響の枠の外に居るのが老世代なのではないかと私は思っています。

 

「老と情報」に関して、私自身が経験した一つの哀しい話があります。それを語ることにします。  

私は準老の世代からくるま旅くらしを夢見て、その実現に取り組んできました。長期間のくるま旅をするようになったのは、還暦を過ぎて現役をリタイアした頃からですが、その頃北海道の旅をしていた時に、日本海側のある場所で、軽自動車で旅をされている老夫妻に出会いました。お二人が仲睦ましく休んでおられるのを見て、近くで手に入れたサクランボを少しおすそ分けさせて頂こうと、家内に持ってゆくように頼んだのがきっかけとなって、話を交わすようになりました。

お話を伺う中で、北陸の金沢市近くにお住まいのご夫妻は、その時家を出てから早や1カ月もの間車での旅をされているという話に驚きました。使われている車は軽自動車で、中を見せて頂くと、驚いたのは全てご主人の手づくりで、狭い空間を巧みに活用できるように工夫がなされた作りとなっており、長旅も大丈夫なのでした。お歳を伺うとご主人は喜寿に近いということで、その時の私の考えでは、くるま旅はせいぜい70歳代の半ば辺りまでかと思っておりましたので、これ又びっくりしたのでした。お別れしたその後も、旅の間に別の場所で再会したりして益々親密となり、もうすっかりくるま旅の先達として尊敬するようになり、ついにはいずれお宅をお邪魔させて頂くこともお願いして、その年は別れたのでした。

その翌年には、ご自宅をお邪魔する機会に恵まれ、宿泊までさせていただいて、益々尊敬の念は高まりました。その後も北海道の旅でご一緒したり、ご自宅を訪問させていただいたりして、もはや旅で出会った単なる知人などではなく、親にも近い大先輩として尊敬するようになったのです。

何年か経って、4月のある時、あるTV局から、私どもにくるま旅の実際の姿を撮りたいという取材の申し込みがあり、6日間の予定ということで、ディレクターとの相談の上、途中のさくらの花などを見ながら、佐渡まで行くとことが決まりました。その時にディレクターから、その際に途中でどなたか知り合いのくるま旅仲間との出会いの場面を入れてもらえないかという申出でがあり、この時とっさに浮かんだのが、そのMさんご夫妻だったのです。

早速電話すると、ちょうどその時期から花を見ながら北上して夏の終わりころまで北海道で過ごされるということで、途中の出会いもOKとの快諾を得たのです。磐越道のSAを待合場所にして落ち合い、翌日は近くの名木滝桜を一緒に観に行きました。そしてそこで別れてMさんご夫妻は北海道へ向かわれ、私どもは佐渡へと向かったのでした。

ここまでは何の問題も無く、双方がTVの出演を喜び、その後の旅を楽しんだのでした。

問題はそれからしばらくして、秋になってMさんご夫妻が旅から戻られた頃に発生しました。TV局での編集が終わり、放映の分が確定すると、その分のDVDやVTRを送って来てくれることになっていました。今回はDVDをMさんの分を含めて私の方へ送って頂き、旅から戻ったら私からMさんに送付すると言うことで、事前に約束を決めておりました。それで、その通りにしたのですが、ここから話がややこしくなったのです。

TV局からDVDが送られてきたので、私としては、旅の知り合いの方などに自分のDVDの分をコピーして何人かの方に送付したのです。この中に旅の知人で福島県在住の方がおり、この方が偶々そのコピーのDVDを持参して北海道の旅に出かけられたのですが、その時にMさんに出会い、その動画を見せて下さったのでした。同じ旅仲間として勿論親切心でそうされたのでしたが、これをご覧になったMさんは、一つ大きな疑問を抱かれたようなのです。それは、何故自分よりも早くこの人がこのようなものを持っているのか。自分のところに来るはずのDVDを、あいつ(私のことです)はこの人の方に先に回してしまったのではないか、という疑問だったと思います。というのも、Mさんのご主人はVTRの世界までは知っていても、DVDやCDの世界については疎くて、コピーについても良く理解されていない方だったからです。

この懐疑はなかなか解けることが無かったようで、やがてそれは確信となってしまったのでした。それからしばらく経った後、ご主人から何故自分の分を福島の方に先回ししたのかという咎めの電話がありました。これはまさに寝耳に水、青天の霹靂(へきれき)の話でした。驚いた私は、電話だけでは足りないと思い、事情を詳しく書いた手紙を書きましたが、なかなか事情を理解しては頂けないようでした。恐らくご自宅まで行って説明しても誤解を解くのは難かしいのではないかと思いました。

なぜならMさんのご主人はDVDやCDのコピーのことを知らないのです。又、新しい情報ツールには興味があって、携帯やデジカメなども保有してはおられるのですが、それらは昔からの機能を使うだけで、付加されている新しい機能については知識を持っていない方なのでした。携帯はご主人専用管理であり、「もしもし、ハイハイ」の交信ツールとしての使い方だけだったのです。メールも写真もネットを覗くのも全く無しの、他の使い方などあり得ないという使い方だったのです。又、デジカメも持参しておられましたが、中に入っているメモリーカードは、今までのカメラのフィルムに相当するとだけの理解で、PCに取り込んで画像を保存して、何度も繰り返して使用するという発想は無く、旅先でカードがフルになってしまうと、その都度新しいカードを買い足して使い、旅から戻ってからカメラ屋でプリントアウトして貰うという使い方だけだったのです。このような状態でしたので、DVDのコピーの話をしても理解してもらうのは到底無理なことなのでした。

その後一年ほど経ったときにもお電話があり、「おまえは、世界一の嘘つきだ!」と決めつけられてしまいました。情報ツールに関する世代間のギャップは大きいなと、その時しみじみ思い知らされ、ご老体には、もはや新ツールの知識も技術も簡単には伝わらない時代となっているのを実感したのです。勿論、どのような世代でも新技術を取り入れ、慣れて使いこなす人もおられることは承知していますが、深老世代(85~95歳)以降の老の世代では、今の世の普通の情報ツールから取り残されている人が圧倒的に多いように思います。これはご本人の問題というよりも、世の中の進展変化が早過ぎるという方に問題があり、解決不能の課題ですから、手の施しようもありません。

それ以降私は、Mさんとの交流を断念せざるを得ませんでした。あれほど親しくお世話になったのに、誠に不本意とは思いながらも、どう説明しても「世界一の嘘つき」と決めつけられてしまっては、心を通わすことはできません。Mさんのことは、くるま旅の優れた先達者として、今でも尊敬していますが、もはやお会いすることは無いのだと覚悟しています。哀しい出来事でした。

この事件以降、旅先でのどのようなご老体の方との出会いにも慎重を期しています。歳を重ねるほどに思いこみも又強さを増すようなので、自分よりも年長の方とのお付き合いは、「淡交」をより一層「淡」とするようにしています。

これらの体験等を踏まえて、私は老と情報について、まず何よりも自分自身が置き去りにされないように留意することにしています。それは相棒である家内についても言えることで、現在PCはそれぞれが自分で活用することにしており、通信ツールについては先に家内にスマホを使って慣れて貰うようにし、自分はガラケ―で必要最小限の事案の処理をするようにしています。TVの録画や再生等については家内の独壇場であり、私は必要に応じでリクエストを出すだけです。平素は一応もの書きの暮らしスタイルなので、ブログを初めその他エッセーなどの作文作業は全てPCで行っており、ネットなども深入りしない程度で扱うことにして活用しています。

このブログ記事を書きながら、果たして同世代(=真老)のどれほどの方がアクセスして下さっているのか、いつも気にしているところです。この先、同世代からのアクセスが少しずつ膨らむのを期待しています。

老世代の情報の問題は、政治や行政などの社会へ依存できる問題ではなさそうであり、一人ひとりが、何よりも老に溺れずに自助努力を発揮しなければならない課題であるように感じています。

コメント
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