山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

気を揉むだけの一日(常総大水害)

2015-09-12 05:11:23 | その他

 昨日から一夜明けて、我が家の空は被災地に救助に向かうヘリコプターの音が、早朝から日没まで響き渡っていた。我が家から数百メートル離れたM社の工場の敷地内が救援の基地となっていて、ひっきりなしに騒音が続いていた。しかし、今度ばかりはどんなに爆音的な騒音であっても、あの中にはとんでもない難事に遭遇された人たちが運ばれているのだと知っているので、文句を言う気持など更々なく、少し羽音の高い天使の翼が行き交っているのだと思うことにした。それにしても、一日が経った今でもまだ救助を待っている人がいるとは、普段のこの辺りの暮らしぶりからは想像だにできないことである。

 今朝は5時過ぎに、珍しく自転車に乗って市中見回りに出かけた。何時もの散歩コースの内の、小貝川堤防コースとそれから鬼怒川コースとを歩くには、徒歩だと4時間くらいはかかってしまうので、今日は特別に自転車とした。まだ夜の明けきらぬ中、家を出てTXの基地を回って小貝川の堤防に出たのだが、川の水は予想以上に溢れていて、何時もなら川原に生えている樹木たちが川の流れを見るのを遮っているのに、今日は水没したそれらの樹木の向こうを濁流が勢いよく流れているのが見えた。時々渡っている沈下橋は完全に水没していて、今はその存在すら全く見当もつかない濁流の中だった。堤防の上をしばらく走ってつくばみらい市の谷和原大橋に至り、そこから鬼怒川の方へ向かう。実のところ自分としては30年ほど前に大暴れした小貝川の氾濫の方を心配していたのだが、その後の補強工事が力となっているのか、今回の大雨では小貝川のこの辺りの堤防はびくともしなかったようである。何時も歩いている時よりはかなり水量は多かったものの、無事だった事を改めてありがたく思った。

      

つくばみらい市筒戸地区を流れる小貝川の様子。ここには向こう岸に渡る沈下橋があるのだが、今は完全に水没している。

 谷和原大橋から鬼怒川までは1kmほどはあろうか。途中国道294号線と地方道のふれあい道路と呼ばれている道を横切るのだが、国道もふれあい道路もそれぞれの交差点で通行止めの規制が行われていて、多くの車が立ち往生していた。まだ6時を少し過ぎた時刻だったが、運送業の人たちには厳しい一日の始まりとなっているのを気の毒に思った。

 鬼怒川にかかる玉台橋を渡る。この橋の先に常総市の内守谷地区の工業団地があり、そこを目指すトラックなども多いので、今日は大変なのだろうなと思った。玉台橋から覗く鬼怒川は、いつもとは様相を変えた凶悪な色をしていた。この上流十数キロのところで堤防を決壊させ、それを無視して流れて来た濁流がそのまま押し寄せ続けているという感じがした。川の両側に茂っている篠藪や樹木の茂みも濁流に表われて、従順な様相を呈していた。

     

つくばみらい市と常総市とを結ぶ玉台橋から見た今朝の鬼怒川。これは下流の方を見た景色である。左方が守谷市、右方が常総市側となっている。

 その後は何時もの散策コースを守谷市の滝下橋の方へしばらく行ったのだが、途中内守谷の工業団地に入る道があるのだけど、そこは完全に水没していて、その向こうに見える工場の建物は大丈夫なのかと心配になった。その傍に鬼怒川から水を引くポンプの機械室があるのだが、その傍にいた近所に住むおばさんの話では、昨日はその機械小屋のすぐ傍まで水が来ていたとのこと。今はその時よりも5mは水が引いているのだと、勢いよく言っていた。かなり興奮されていたようだ。

滝下橋は鬼怒川に架かる橋で、守谷市と常総市をつなぐ最重要の橋なのだが、このところ老朽化が問題となっており、大型トラックの通行に支障をきたしており、いろいろ話題になっている橋である。その下に流れる鬼怒川は少し先で利根川と合流するのだが、その少し手前あたりが鉄道等に主役を奪われるまでは船便での交易で栄えた河岸があった所である。橋の上から覗くと濁流は相変わらずだけど、恐らく昨日は今見えているあの川岸の辺りまで水が来ていたに違いない。守谷市で避難勧告が出されたのは、恐らくこの辺りに住む人たちではなかろうかと思った。そのあと、河岸の方にも行ってみたが、いやあ、こりゃあ、この辺に住んでおられる方は昨日は穏やかではなかったろうと改めて思った。          

       

守谷市の滝下橋(上方の赤い橋)下流の河岸跡辺りから見た鬼怒川の様子。昨日はこの鉄柵辺りも濁流に洗われていたようだった。

その後あちこちと野次馬根性を発揮しつつ一回りして、家に戻ったのは7時半近くだった。利根川近郊はどうだったのかは判らないけど、トータル的に見れば守谷市は幸いにして被害は少なくて済んだようで、先ずは安堵した。

その後の常総エリアの災害状況が気になったが、被災情報は関係者以外には全く届かず、すぐ近くに住んでいても北海道や九州の人達と同じようにTVを見て知るしかないのである。非常時は野次馬などが入る余地はなく、関係者に万事委ねるしかないということなのであろう。しかし、何だか物足りない気分は拭われなかった。何度も往復するヘリの爆音を聞きながら、先ずは一時でも早く一人でも多くの被災者が救われることを、やきもきしながら思った一日だった。

コメント
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