山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

金木犀は薫り始めたのに

2015-09-17 19:25:54 | 宵宵妄話

 

 

常総市の大水害のことを考えながら歩いていた。

常総という言葉からは、今時ならば高校野球の常総学院のことを思い浮かべ、あの学校がある市ではないかなどと考えてしまう人が多いに違いない。しかし常総学院は土浦市の所在で、鬼怒川や小貝川からは遠く離れた場所にあり、洪水に見舞われる可能性は皆無と言っていいと思う。 

そもそも「常総」などという曖昧な地名を市名として冠するなんて、何だか変だなと、以前から違和感を拭えないでいた。水海道市と石下町が合併して常総市となったのだが、旧市町名をそのまま使うことに勢力争いの様なものが入り込んで、双方に差し障りのないようにと新しい名称を持ってくるという奴で、お陰で以前の市や町の存在がさっぱり判らないものとなってしまう。常総市もその例の一つである。今回の災害でも石下とか水海道とかいえば、直ぐに場所がイメージできるものを、常総などというから何処なのか見当もつかないと感じた人は多い筈だと思う。

「常総」がなぜ曖昧な地名なのかといえば、それはこのことばが古代の領制国の呼び名である「常陸(ひたち)」と「下総(しもうさ)」から作った合成語だからである。守谷のこの辺りをふざけ半分に「ちばらき県」などと呼ぶ人がいるけど、これは千葉県と茨城県をミックスしたエリアというほどの意味であり、「常総」というのも似たようなものだ。この地が常陸の国でも下総の国でもない、その双方がミックスしている風土だということからは、必ずしも間違ってはいないと思うけど、「ちばらき県」でもないのに、常総市などと名乗るのは、何だか変なように自分には思えるのである。

それはともかくとして、この常総市だが、2006年の年初の合併から9年が経過した時点で、これ程の大水害に見舞われようとは、まさに神のみぞ知るという出来事だったのかもしれない。結果論としてこれから様々な問題点の指摘が浮上してくると思うが、ふと思うのは、常総市というのは、この9年間の間に果たして本当に常総市になっていたのかということだ。水海道市と石下町が一緒になっただけのままで、合併によるメリットがこのような非常時に活かされるような体制が出来上がっていたのだろうか。逆に言えば、合併などしなかったなら、それぞれが石下町、水海道市としてよりきめ細かな対応が図れたのではないかという疑問である。

もし合併によるメリットが住民の暮らしの安全・安心の向上に寄与せず、経済性などの効率向上に偏っていたとするなら、住民は合併というものについて、安易な判断を下すべきではなかったのではないか。平成の大合併というものについて、予てから不可解な部分を拭いきれない自分には、ついそう思ってしまうのである。

9月10日の堤防決壊以来、ここ数日ほぼ毎日鬼怒川と小貝川の傍を歩きながら、あれこれと考え続けている。人間の営みの大自然の中での危うさを想わずにはいられない時間だった。

如何に想定外の出来事とはいえ、今の時代に一つの市がこれほど壊滅的な災害を被るとは。 如何に大自然の猛威によるものだったとはいえ、それだけの理由で嘆息して済まして良いのであろうか。大いなる油断があったに違いない。その油断に対して国も県も市もそして市民も、又我々地域の住民も、絶大な反省をしなければならないのではないか。そう思った。国は全国すべての河川の氾濫を食い止める堤防造りを早期に完成させるべきであり、県も市も非常時の対応・即応体制をより現実レベルでしっかり構築すべきであろう。そして住民も又われわれ一般国民も、それぞれの状況に合わせて、いざという時に何をどうすればよいかの現実的な確認を、己自身の普段の暮らしの中で、しっかり行っていなければならないのだと、改めて思った。

歩きの途中で突然鼻腔を刺激する高貴な香りが流れて来た。ハッと気づいて道端の樹木に目を移すと、そこに咲き始めた金木犀の橙色の花があった。ああ、もういつものように金木犀の香る季節になったのだなと、そう気が付いた。素直に花の香を愛でられる時間が早く戻ってくればいいのになあと思った。

 

コメント
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