山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

九州春旅の予楽 その3:南九州エリア

2012-03-27 00:31:04 | くるま旅くらしの話

  いよいよ南九州は鹿児島県の旅です。今回の九州行では西九州と並んで、楽しみの大きいエリアです。そもそもくるま旅を始めるに際しては、どういうわけか思いついて、この日本国の中で直接会えることが出来る最長寿の生きものに会いたいと考え、調べた結果それは屋久島の縄文杉なのだと思い込み、前後3日ほどかけてあの巨塊の樹木に会って旅の安全と健康などを祈願して来たのでした。縄文杉参詣は私の旅の出発点なのです。それなのに実際にくるま旅を開始してからは、鹿児島県を訪ねたことは一度もなく、SUN号と一緒の旅は今回が初めてなのです。沖縄県の探訪はくるま旅とは別途に考えようと思っていますので、鹿児島県エリアはくるま旅としては日本最南端の地ということになります。

鹿児島県は、日本の歴史上では、鎖国をこじ開けた後のこの国の経営に多くの人材を輩出したことで知られていますが、そのありようについては、個人的には諸手を挙げて称賛する気持ちにはなれないものがあります。(念のため私は水戸っぽです)ですから維新に係わる人物などについてはさほど関心は無いのですが、単に江戸から最も遠い地にあったというだけではなく、幕末の開国のエネルギーがどこから生まれて来たのか、その背景などはしっかり感じて来たいと思っています。

又今回はくるま旅からほんの少しはみ出して、高速船に乗って足を延ばし、屋久島の探訪を計画しています。既に宿やレンタカーの予約も済んでおり、旅ごころの相当の部分が、屋久島へ飛んでしまっているのを抑えることができません。

さて、南九州の旅は、肥後の人吉を出て、伊佐市から出水市に入ることから始まります。薩摩藩には「麓(ろく)」と呼ばれる武家屋敷が残っている場所が幾つかありますが、この麓というのは一体何なのか、初めは解りませんでした。これは薩摩の地に住む人ならばまさに常識なのでしょうが、関東に生まれ育った者には解りません。調べてみると、それは薩摩藩の藩統治のシステムであり、内城という藩主の住む拠点に対して、外城(とじょう)と呼ばれる分散拠点があり、これが麓と呼ばれるものであったということです。麓はその後「郷」と呼ばれるようになったともありました。その麓の中で最大のものが出水市の麓であったとのことです。出水市に行ったら、真っ先にここを訪れ、薩摩藩の往時の統治体制に思いを馳せてみたいと思っています。

又出水の後はちょっと海の方にも足を延ばし、長島にある道の駅に寄ったり、阿久根の方にも寄り道しながら、薩摩川内市の入来麓も訪ねたいと思っています。阿久根では行政上の大騒動がニュースになりましたが、その後はどんな按配なのか、野次馬としては地元の人たちの声にも触れてみたいなと思っています。九州在住以来阿久根のボンタンのファンなのですが、もうあの巨大な柑橘の実の収穫は終わってしまっていることでしょう。20年以上も昔の、阿久根を訪れた時の思い出が甦ります。

阿久根の後は薩摩川内市から、鹿児島市に向かうことにします。鹿児島市には仕事などで何度かお邪魔していますので、主な観光スポットは承知しているつもりです。出張の際にいつも泊っていたホテルが、今どうなっているのかなと調べて見ましたら、健在だったのでホッとしました。鹿児島市は市内のどこからでも地下を掘れば温泉が湧き出てくると聞きますが、いつもお世話になっていたそのホテルの7階だったか、そこにある浴場で桜島を見ながら朝風呂に入ったことを懐かしく思い出します。でも今回はくるま旅なので、その楽しみを同じように味わうことができないのがちょっぴり残念です。

鹿児島市内の観光でも、心配なのは駐車場です。仙巌園などは大丈夫のようですが、それ以外の場所の状況は不明です。パークアンドライドの仕組みも市として検討中のようですが、まだ出来上がってはいないようですから、ま、出たとこ勝負でチャレンジし、駄目だったら諦めることにします。鹿児島は市内の観光よりも周辺の方がより魅力的な箇所が多いように思いますので、その時はそちらの方に切り替えるようにしたいと思います。屋久島に向かう前に、南九州の観光スポットとして有名な指宿や知覧、開聞岳・池田湖などはぬかりなく観光巡りをしておきたいと思っています。

さて、いよいよ屋久島行です。屋久島には指宿から高速船トッピ―というので宮之浦港まで行き、そこからはレンタカーを借りて島の主な観光スポットを巡る考えです。もっと若くて体力に自信があれば、2~3日滞在して縄文杉などに会いに行けるのですが、最早それは無理だと承知していますので、せいぜい車で行けば会えるという、何本かの屋久杉を訪ねる程度になると思っています。それでも、樹齢千年を超える樹たちに会えると思えば、もうそれだけで十分満足です。以前縄文杉に会いに行った時は、その目的を果たすだけで精一杯の日程でしたので、その他の島の中の様子は全く知らないままに帰っています。今回はそれら果たせなかった分を十二分に補うつもりで島を一周する予定でいます。最大の願望は、夕食にトビウオの唐揚げを肴に、地酒の焼酎三岳を味わいたいということです。さて、どうなりますことやら。楽しみです。

翌日トッピ―に乗って指宿に戻った後は、薩摩半島から大隅半島の方へ向かうことにします。指宿からフェリーで根占まで行くコースも考えてみましたが、錦江湾をぐるっと見ながら行く方がくるま旅的ではないかと、それは止めることにしました。喜入から鹿児島市内を経由して、桜島を右手後ろに見ながら北上を続け、霧島市の隼人にある鹿児島神宮に参詣した後、今度は桜島を右手前方に見ながら南下して、垂水から桜島にぐっと近づいて、幾つかの名所旧跡などを見物したいと思っています。本当は霧島神宮にも参詣したいのですが、新燃岳のその後の噴火状況も判らず、少し遠いので取り敢えず寄らないことにしています。桜島は怖いので、さっと切り上げて大隅半島の南端に向かい、佐多岬まで行って引き返した後は、直ぐに志布志湾方面へ向かう方が普通だと思うのですが、今回はそうしないで、鹿屋市から曽於市の大隅弥五郎という名の道の駅に是非寄ろうと考えています。大隅弥五郎なる人物は、熊襲(くまそ)の英雄のようですから、現地に行ってみれば面白い情報などが得られるのではないかと密かに思っているのです。

弥五郎さんの道の駅を訪ねた後は、志布志湾に出て都井岬に向かうことにします。もう海に出ればそこからは宮崎県となりますが、本来日南海岸辺りは南九州と呼ぶのが当たり前のことでありましょう。ま、一応ここでは都井岬まで南九州とし、それ以北は東九州として区分することにします。都井岬の野生の馬は有名ですが、今頃はどうなっているのかちょっと気になっています。8年前の九州行では東九州側を日南市の飫肥まで来て引き返していますので、都井岬はもう20数年ぶりとなります。青森県の下北半島の尻屋崎にも寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる野生馬がいますが、この北と南の野生馬をじっくり比べて見てみるのも面白いなと思っています。

南九州は8日間ほどかけて回ることになりますが、この間は風と雨の少ない天気であって欲しいと心から願っています。特に唯一予定を確定させている屋久島行の4月24日と25日は無風の好天であって欲しいものです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする