山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

歩ける喜び

2012-01-15 01:33:13 | 宵宵妄話

  このところ些か我が体調に疑念を感じていました。昨年辺りから身体の随所が思う様には働かなくなる感じが一挙に増して、どうやら本格的な老化が始まったことを思い知らされたのでした。元々身体を動かすのが好きで、体力には自信があったのですが、それが次第に思うように行かなくなり出しました。

 

 例えば、旅先での水汲みは楽しみの一つで、わざわざ水場からは少し離れた場所に車を停め、ポリタンで重さを味わいながら水を運ぶのですが、旅を始めた10数年前は20Lのポリタンでも苦になりませんでした。それがやがて10Lになり(それは今でも辛うじて続いていますが)この頃は5Lのものにしようかなどと考えています。というのも昨年の夏辺りから右肘の筋肉と神経が痛みを発するようになり、10Lの重さをもてあますようになってしまったからです。今は左手を使うようにしていますが、これとて使い過ぎると何時痛みを覚えるようになるやもしれず、ちょっと心配です。筋力の減退は腕だけではなく身体の全身に万遍なく及んでいる感じがします。

 

 ま、このようなことは老いを迎えた者なら誰でも体験しなければならない道筋なのだと思いますが、今年に入って急に心配が膨らんだことがあるのです。それは、左の足の裏の違和感なのです。歩きの際、土踏まず辺りの部位に綿を含ませ敷いたかのような感覚喪失感があり、加えて指先が痺れを感じ出したのでした。このような感覚異常は昨年の春の終わりごろから少し感じてはいたのでしたが、一応医師(内科)の診断を受け薬を処方して頂き、その後さほど進行している様子もないので、そのまま過ごしていたのですが、今年の新年を迎えて数日後に急にその違和感が強くなり、慌てました。

 

思うに私は20年を超える糖尿病の患者であり、それなりにこの病と付き合って来たつもりでいたのですが、それがどうやらまやかしだったということがここへきてバレてしまったようなのです。この足裏の違和感も恐らくそのまやかしに起因した糖尿君の怒りのなせる業だったのだと思いました。これはもはやいい加減な自己管理を止めて、もう一度原点に戻った病の管理をしなければいけないと覚悟したのでした。

 

何といってもくるま旅くらしを指向している私にとって、足の異常から歩けなくなるということは致命的ともいえる大問題なのです。足裏が感覚を失うなどということが本格化したら、旅など不可能となってしまうかもしれません。いや、それ以上に自分から歩きを取ってしまったら、人生の楽しみがいっぺんに失われてパニック状になるに違いありません。

 

 糖尿病の宣告を受けて以来20年以上、運動療法の一環として毎日万歩計の数値を記録し続けているのですが、凡その年間目標は500万歩であり、今まで未達成の年は皆無でした。多い年には700万歩を超えたこともあるのです。昨年も500万歩はクリアしていますが、このところややしんどさを覚えて来ており、もしかしたら足裏のトラブルも歩き過ぎが一つの要因となっているのではと心配になり、専門医の診察を受けるまではしばらく歩くのを休むことにしました。歩きを休んだ場合の1日の普段の歩数がおよそ6千歩だというのも判りました。

 

そのようなことから、昨日(1/13)専門医(糖尿病・内分泌科)の診察を受けたのでした。その結果はほぼ予想通りでしたが、足裏の違和感の症状は、全てが糖尿病に起因するとは思われず、左足のみが異常を来たしているのは、腰に何らかのトラブルがあるのではないかとの診立てでした。そして何よりも安心したのは、歩き過ぎと足裏のトラブルの因果関係は全く無縁だと断言されたことです。足指の痺れに関しては、糖尿病が関係していることは間違いないとのことで、これはもう自分自身がそう思っていることなので、やっぱり、という思いなのです。このまままやかしを放置し、グータラな食生活を決め込んでいると、痺れに止まらずやがてはちょっとした傷を治すことも出来ずに、壊疽の症状を来たして指を切断するとか、指に止まらず足を切断するというような重大な事態に進展するやもしれず、改めて糖尿君との付き合いのこれからを厳粛に受け止め、実践することを覚悟したのでした。幸いなことに、今のレベルではそのような重大事態に直行する心配は少ないようなので、全てはこれからの自分自身の実践に掛かっていると己に誓ったのでした。

 

 ということで、今日は10日ぶりに歩きに出かけました。快晴で少し風があり、関東の守谷市といえどもかなりの寒さを覚える天気でしたが、久しぶりの歩きは、そのような条件など全く気にならない嬉しさでした。歩ける、歩かせて貰えるということは、何と素晴らしいことだろうかと改めて思ったのです。田んぼのあぜ道に、冬の寒さにじっと耐えながら春を待つ野草たちを見ながら、時に真っ青な青空を見上げて、今自分がここを歩いている幸せを噛みしめたのでした。歩くのを休んでいた間は、車で諸々の所用を足していましたが、ずっと物足りなさを感じており、やはり自分の足で大地を踏みしめることが大事なのだと思ったのです。この先糖尿君とのお付き合いでは、面倒でがっかりするようなことがたくさん控えていると承知していますが、この歩けるという喜び、ありがたさを大事にして行きたいと思います。

 

            

歩きの途中にある蝋梅の植えこみ。丁度今が開花の最盛期を迎えようとしており、傍を通るとほのかに花の香りが漂ってくる。生きていることの喜びを実感できるひと時でもある。

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