山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

三椏の告げる春

2012-01-28 07:05:10 | 宵宵妄話

  三椏という木をご存知でしょうか?三椏と書いて「みつまた」と読みます。この木は楮(こうぞ)の木と並んで、和紙の原料として有名です。和紙の原料として有名なことは知っていても、楮も三椏もその木の姿や花や実となると、意外と知らない人が結構多いようです。茨城県の北部に生まれ育った私は、幸いなことに子どもの頃からそれらの木にお目にかかることが出来ました。茨城県の常陸大宮市に山方町という所があり、そこの西野内という地区は黄門様の時代からの和紙の産地となっていて、今でも僅かながら紙を漉いている家が残っているようです。

 

 子供の頃は楮や三椏のことは知っていても、それは単にこの木から紙が出来るんだと思っていたくらいで、木そのものに対する関心は殆どなく、50歳代になる頃まで、それらのことはすっかり忘れ果てていました。それが紙の原料などということは抜きにして、これらの木や花に興味や関心を持つようになったのは、糖尿病になって運動療法としての歩きを余儀なくされた頃からの自然観察を始めてからでした。道端の野草や樹木たちの名前を覚えることから始めたのですが、様々な草木たちに毎日出会っている内に、それぞれの個性に気づくようになり、たくさんの発見をするようになって、今まで忘れていたものに対しても、格別の興味や関心を持つようになったのです。

 

 今住んでいる守谷市近郊には三椏も楮の木も結構点在しています。楮の方は自生というか空き地の藪の中などに他の灌木に混ざって逞しく生きているようですが、三椏の方は紙の原料という目的ではなく、鑑賞用の樹木として、早春からの花を愛でるために家の庭先に植えられていることが多いようです。

 

 さて、その三椏のことですが、この木の命名の謂われは、この木の幹から別れた枝が、全て三又に伸びていることにあることは明らかだと思います。枝の全てが三又になっているなどという木はそうそうあるものではなく、逆にいえば三又になっている木を見かけたら、それはもう三椏なんだと思って間違いないということかも知れません。

 

 三椏の木が目立つようになるのは、年末近くなった辺りからではないかと思います。新しい年を迎えて、しばらくは寒さの中で樹木たちのことなどは忘れてしまっているのですが、歩きの中で春の到来を気づかされるのは、三椏の木を覆う花のつぼみなのです。隣の常総市の鬼怒川運河に近い畑の脇に、2本の三椏の木が植え残っている場所があるのですが、今頃その脇の道を通ると、大きなグレーのビロード色の塊が光っているのに気づかされます。そう、その塊こそが春を告げる三椏の花のつぼみなのです。あっ、そうだ、三椏の木がここにあったんだっけ、そう、もう直ぐ春なんだ、というのが毎年の所感なのです。今年も同じでした。先日春告草のことを書きましたが、樹木の中では今のところこの木に気づいた時が、春の到来を実感する時となっているようです。

 

         

散歩の途中の常総市小絹地区、鬼怒川運河近くの畑の端にある三椏の木の一本。木全体を覆っている小さな白い塊は、膨らんできたつぼみである。(2012‐1‐22撮影)

 

 三椏のつぼみは、それから2カ月以上も経った3月の半ばを過ぎた頃に本物の花を咲かせます。これはなかなかのものです。美しいといっても言い過ぎではないように思います。やや厚ぼったい黄色い花びらが目立ちますが、嫌らしさなど微塵もない楚々たる風情を持った花なのです。三椏の花は、黄色のものが一般的なのですが、中には園芸種なのか赤い花を付けたものもあまりますし、又両色が入り混ざったものも散見されます。これなどは、恐らく人間が自分たちに都合が良いように、悪さをして作り上げたものに違いありません。しかし、花はともかくとして樹木そのものはやっぱり三又ななので、この木の特徴を変えるほどの力は人間には無いのだということを確認出来てホッとしている次第です。

 

         

3月下旬、満開の三椏の花。約2カ月かけてつぼみは春の日差しを吸い続けて膨らみ、やがて美しい花に変身する。(2010‐3‐23撮影)

 

 何はともあれ、今年の冬はちょっぴり冬らしい寒さが続いており、春の到来も遅れるのかなと思っていたのですが、なんの、なんの、三椏のつぼみは例年にも増してその全体の膨らみを増して、しっかりと春が近づいているのを教えてくれているのでした。「冬来りなば春遠からじ」ですが、三椏の春の先取りは、これはもう大したものだと思っています。

 

         

黄色と赤のの入り混じった花を咲かせている三椏の木。こうなると和紙のことなどすっかり忘れ果ててしまうのが、現代人の性向なのだ。(2010‐3.23撮影)

コメント
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