山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第1日

2010-11-28 05:37:11 | くるま旅くらしの話

 

 

1日 <10月23日(土)>

          

行 程】 自宅 → (R294・R50)→ 北関東道・大田桐生IC → (北関東道) → (高崎JCT) → (関越道) → (長岡JCT) → (北陸道) → 小矢部川SA(富山県) (泊)  <511km>

 

朝の3時過ぎにはもう起き出して、あれこれと今日の行程などに思いを巡らす。旅の出発の時のいつものパターンである。今回の旅では、今までの考えと打って変わって、最初の目的地までは高速道を利用することに決めている。出発日を敢えて土曜休日とするのも、通行料を千円で済まそうという魂胆が働いているからである。このような旅の仕方が本当に良いのかどうかは判らない。とにかく一度やってみなければということで、今回初チャレンジとなった次第。

 

家を出てからはしばらく一般道のR294を走り、筑西市でR50に入り、それを直進して群馬県の桐生まで行き、未だ部分開通の北関東道の大田桐生ICに入って、関越道に向うのだけど、高崎JCTからはそのまま関越道を行くのかそれとも少し戻って藤岡JCTから上信越道を行くのか決めかねている。とにかく高速道に入ってからどの道を選ぶかを決めなければならない、という真に曖昧なままでの出発なのであった。

 

細かなものの積み込みや点検が終わって、出発は9時半を少し回った頃となった。今日は抜群の好天で、朝からスッキリとした青空が広がっている。朝の内は清々しいけど、日中はかなり暑くなるのではないかという予感がした。日射しが強くてまばゆいほどになると、長距離運転には厳しい状況となる。願わくば少し曇り気味であって欲しいなどと、真に人間の願いはわがまま勝手である。しかし、天気というのは人間のわがままなどを遙かに超えたスケールの大きいわがままであり、これはもうなるようになるしかない。

 

R294は我が家の直ぐ近くを走っているが、茨城県の起点は取手市のR6であり、その終点は福島県猪苗代町近くのR46である。福島県に入るとこの道はかなりの山道となるのだが、我が家近くのR294は、片側2車線のこの辺の大動脈道路となっており、交通量もかなりのものである。R50に入る筑西市までは、結構神経を使いながらの運転を余儀なくされる。とはいうもののその殆どは田園風景の中である。道の両側には、もうとっくに刈り取りの済んだ水田の切り株から、新しい生命の芽生えが一気に育って、早くも稔りにつながらない実をつけて広がっている。その様な景色を見ながら、この地はもしかしたら米の2期作も可能なのかも知れないな、などと思いながらの運転だった。

 

 筑西市は元の下館市である。筑波山の西に位置するから合併を機にこのような名前をつけたのだと思うけど、何となく違和感があり、どうして元のままではいけなかったのかと、通る度に疑念を覚える。都市の名前やその他の地名などは安易に変えるべきではない。何でも新しくすればいいというものではなかろうというのが持論である。合併をするのであれば、一番著名な名前をそのまま使用すべきである。それが見当たらない場合は、仕方がないのであろうが、この齢になってやたらに新しい都市名を覚えなければならないのは迷惑千万なのだ。国が大合併とやらを奨める度に、大切な昔からの名残りが消えてゆくようで、特に旅をする者には、ガッカリすることが多い。筑西などという名になってしまってから、県西の拠点都市だった下館市は消え去ってしまった感じがする。ま、どうでもいいことなのかもしれないけど。

 

 R50に入ってしばらく走ると結城市となる。ここは紬(つむぎ)で有名な所だが、通過するばかりで未だ一度も訪ねたことがない。邦子どのはその結城紬の方にかなりの関心を持っているようだが、これは高価らしいので、君子危うきに近寄らず、である。ここから小山市を通過するまでは、少し車が多くなって渋滞気味である。小山からは栃木県で、ここはその昔家康が上杉を討つべく会津に向う途中に、三成等の西軍が旗揚げしたとの情報に、引き返すための評定を行なった場所だ。でも未だその史跡にも行っていない。近場の史跡訪問などは忘れていることに気づくのは、このような時である。いつも同じ反省ばかりを繰り返している。凡人である。

 

 小山市の郊外にある道の駅:思川に着いた時は、早や11時近くになっていた。この道の駅は人気があって、かなりの収容能力のある駐車場は超満杯となっていた。ようやく端の方に居場所を見つけて小休止。お天道様は益々上機嫌で、車の外に出ても汗ばむほどだった。一息入れて直ぐに出発。その後1時間ほど走ってようやく桐生市内に。高速道の案内板に従って北関東道へ。北関東道は、常磐道から東北道まではつながっているけど、未だ東北道から関越道にはつながっておらず、鋭意工事中のようである。これがつながってくれると、我が家から桐生までは随分と早くなるのになあ、と高速道建設批判のことなどは忘れて、我が身の都合を思った。

 

 勿論この道を走るのは初めてのことである。しかし走ってみると、道路は新品とは思えず、結構傷んでいる所も多いように見えた。道路というものは、一旦使い出せば、新品などというイメージはあっという間に消え去ってしまうものなのかのかも知れない。それでもいよいよこれからしばらく高速道ばかりの運転になると気を引き締める。とにかく一番左の車線をせいぜい90km以下の速度で追い越され続けるつもりである。

 

 しばらく走って、高崎JCTが近づく。どちらに行くかについては、既に決めており、少し遠回りになるけど、新潟県周りで長岡JCTから北陸道を行くことにした。というのも上信越方面は、秋の観光シーズンに入りつつあり、休日の今日当たりは混雑による渋滞が予想されるからである。ラジオの道路情報によると、軽井沢辺りが混んでいるとのことだった。ということで関越道に入ったのだが、いきなり渋滞情報が入ってきて、こりゃあ又失敗したかとチョッピリ不安になった。結果的には僅かな区間だったので、事なきを得たのだった。

 

 関越道を長岡まで走るのは初めてである。群馬県の月夜野ICまでは行ったことがあるのだが、スキーをしない自分には、湯沢や石打など関越トンネルの向こう側には殆ど用がなかったことがその最大の原因だと思う。旅の際には一般道のR17を行くのが当たり前という考え方があったので、高速道のことなど考えたこともなかった。従って関越トンネルを通るのも初めてだった。10kmを超える長さのトンネルは、かなり走り甲斐があった。トンネルは好きではないけど、覚悟を決めて通るしかない。いつものことだけど、出口が見えてきたときは、悪夢から抜け出したような安堵感がある。

 

 トンネルを出て直ぐの場所に土樽という無人のPAがあったので、少し休憩する。谷川岳の裏側の高山に囲まれた小さな台地を削って造られた場所のようで、四方は見上げるような山ばかりだったが、上部の方の樹木は紅葉真っ盛りだったけど、周辺近くは未だ紅葉には遠い感じだった。間もなく11月だというのに、やっぱり今年は季節が1ヶ月くらいは遅れて動いているようだ。猿に餌をやるなという注意板があったけど、猿は居なかった。ここには熊君たちは居ないのだろうか。今年は全国至る所で、熊君を初めとする野性の大型動物による被害などのニュースが喧しいけど、元々の加害者は彼らではなく、人間サイドの方にあるのは明らかなのだから、あまり騒ぐべきではないような気がする。せいぜい深い山の近くに居る時には、熊君たちに早めに恐れをなして遠ざかって貰えるように、予め準備をしておくというのが人道の仁義のような気がするのだけど、如何なものであろうか。そんなことを考えながら、今ここに熊君が現れたら、さてどうするか、などと考えたのだった。

 

一息入れて、再び走り出す。山を降りてからは、長い下り坂が続いてSUN号には嬉しい走りの条件となった。米どころの越後の中でも格別に美味といわれる魚沼ブランド米の産地の中を通って、やがて平野部に入ると間もなく長岡である。長岡JCTからようやく北陸道へ。もう15時を過ぎていた。このままでは金沢を通過するのは難しいかもしれないなと思いながらの通行だった。とにかくひたすら走るだけである。

 

上信越道からの上越JCTを通過した時は、16時を少し回っていた。あと1時間もすれば暗くなり出す。日中はかなり暑い癖に、日暮れだけは確実に冬に向っていることを如実に示しているこの頃の午後なのだ。何とか富山の辺りまでは届きたいものだと、少しばかりスピードをアップする。しかしこの辺りの北陸道はトンネルに続くトンネルばかりで、とても思い通りにはゆかない。何しろその昔は、越後筒石親不知といわれた通行の難所なのである。30近くもあるトンネルを潜って、ようやく有磯海SAに到着。そろそろ給油をと考えていたのだが、この次で良かろうとなどと油断していたら、メーターがリミット近くにまで針を下げてきていて、チョッピリ焦っていたのだった。ようやく満タンにして先ずは安堵する。かなり暗くなり出してきているが、もう少し先まで行くことにする。邦子どのは、昨日は準備に追いまわされていて(本当は追い回していたのだと思うけど)昼寝もできず、今日はずっと助手席に坐り続けてかなりお疲れのようである。無理をして明日以降に響いてはいけないので、次の小矢部川SAにて今日は錨を降ろすことにする。小矢部川SA到着17時35分。少し早いけど疲れたときは早めに休むのが一番。夕食は富山名物ますの寿司を食べて、寝床の中へ。

コメント
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