山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:旅に出る前に

2010-11-26 18:15:01 | くるま旅くらしの話

 

 

2010年西日本への旅 でこぼこ日記

 

期 間:10月23日~11月12日

宿泊日数:20泊21日

総走行距離:3,414km

旅の人:山本拓弘&山本邦子

旅のくるま:SUN号       

 

<旅に出る前に>

 

海道の旅から戻って、2ヶ月が過ぎた。帰った当初はまさに狂気じみた暑さだった。その後も今年の異常気象は老人の活力を削ぎ続けたが、彼岸を過ぎる頃からようやく、暑いねえ、という口癖のような愚痴もおさまって来たのだった。10月に入って朝夕の冷えが心地よくなり出すと、今まで眠っていた旅への衝動が俄然頭をもたげ始め、それが次第にエネルギーを溜め込んで、もはやジッとして入られない有様となって、遂に出発の日と行き先を決めることとなった。

 

北海道から戻ってからは、暑さと雨降りの日の間隙を縫って、農事に勤しんできた。旅が動ならば、農事は静の世界である。旅は見るものが動くことが多いが、農事は動くものが少ない。汗を流しながら土をいじり、ジッと作物の生長を見守り、作物からは阻害された雑草と呼ばれる草たちの生態を観察する。その様な日々が存外自分の満足できる生き方のような気もして、ある種の安堵感の中で時間を過ごしてきたのだが、旅への衝動は、そのエネルギーの大きさの桁が違うようである。間もなく収穫期を迎える幾つかの野菜たちが制止するのを振り切っても出かけたいのである。これはもう、ひとつの病なのかも知れない。

 

毎年秋になると西方の旅に出掛けることにしている。西方などというと最後の旅となるであろう西方浄土のことを考えたりするけど、まだ当分の間は、たとえそれが極楽であっても遠慮したい。西方浄土ではなく、関東以西への旅であり、自分的にはそこには生きていることを実感できる出会いの宝物が数多く埋もれているのである。

 

 さて、今年の旅は、先ず衝動的に本州の西端に近い萩の街を訪ねることにしている。どうしてかといえば、何のことはないTVの影響なのである。日本の歴史の中で、ドラマの材料を拾うのに幕末ほど魅力的な変革の時代はないように思う。本当は古代だって中世だって変革の時は幾つも存在していて、材料を探そうと思えば幾らでも見つかるに違いないのだが、何といっても江戸の幕末は現代という時間から近いのである。今年のTVの大河ドラマでは、坂本龍馬にスポットが当っているけど、歴史の跡を覗きたいという観点からは、高知という所にはさほど行って見たいという気にはなれない。薩摩の鹿児島は遠すぎる。長州の萩ならば、高速道を走れば、今は1000円に近い料金で一気に到達することが可能である。それに萩はいつも素通りばかりしていたので、一度は足を踏みとどめてじっくり街を歩いてみたいと思っていたのである。

 

萩の街に罪はないのだと思うけど、自分的には長州というのはあまり好きでないイメージが固まっていた。明治維新のリーダーを多数輩出した国であり、薩州と並んで、その功績は大であったとは言えると思うけど、気にいらないのは、閥を作り、恰も公私混同が入り交ざっていたかの感がするからである。中国地方の雄藩でありながら、長いこと貧地に押し込められて、溜まった徳川に対する反発のエネルギーが、新しい国づくりに向ったことは善しとしても、その後の閥の形成は気に入るわけにはゆかない。

 

ま、そうは言うけど日本人にのみならずどんな人種も閥を作りたがる本性があるようである。実際に他国のことを調べたわけではないけど、TVのドラマなんぞを見る限りでは、中国や韓国はもとより、欧米各国においても幾つもの閥と呼ばれる仲間というか贔屓(ひいき)集団のようなものが存在していることは明らかである。仲間を集め、その力を相乗的に使って権力の中に安泰しようとするのは、動物的な本能に基づくものなのかもしれない。我が水戸藩などは、もっとひどい状況だったようだから、長州のことを批判するのは本末転倒もいいところだということかも知れない。

 

どうも脱線が多すぎるようだ。要するにTVの大河ドラマなどを見ていて、急に行きたくなったということだけなのである。自分のくるま旅の場合は、初めから目的地を決めて出発することは少ないように思う。行こうと思えば何処へでも行けるのであるから、何も最初から目的地など決めなくても、方向さえ決めておけば、あとは行き当たりバッタリでも結構面白い旅ができるのである。その様な経験を振り切って最初から目的地を決めて出発するのは、自分としては珍しいことである。大河ドラマが終わる前に、自分なりに長州の歴史の跡を覗いて見たいという好奇心が急に湧き上がったのかも知れない。

 

萩を訪ねた後の日程は全く未定だけど、邦子どのの希望などを取り入れながら、山口市(ここは大内氏の本拠だった所)経由で山陽道を行き、錦帯橋や厳島神社などを観光しながら尾道に至り、そこからしまなみ海道に入って途中の何処かの島で何日か過ごした後、四国に渡って、淡路に向かい、玉ねぎを買ってから明石海峡大橋を渡って神戸に渡り、その後は奈良方面に行きたいと思っているけど、その具体的な内容は全く未定。とにかく関西エリアの後は、信州経由で帰途につきたいと考えている。

 

  

今回の旅でも一番の心配は邦子どのの健康である。健康というのは大事だが、大事をとり過ぎると過保護になって却って健康を阻害することにもなり兼ねない。さりとて、やたらに無理強いなどをすれば、一層具合が悪くなってしまうかも知れない。そこのところは本人自身で決めてもらうしかない。自分がつべこべ言うのは、なるべく控えようと思っている。ま、旅が薬となることは、今年の北海道行で立証済みなので、大丈夫だと思っている。

 

 

さて、今回はどんな宝物が手に入るのか、楽しみだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日から西日本への旅の記録を掲載します

2010-11-26 03:13:04 | くるま旅くらしの話

このところブログの投稿が断続的になってしまっています。気になりながらもあれこれと所用が飛び込み、書く時間がおろそかになってしまっているようです。

現在、旅に行かない間は、毎週1回(その殆どは水曜日なのですが)1泊して石岡市にあるRVランドの八郷フルーツ農園にボランティアの農作業をしに出かけています。この時にはブログの投稿を休むことになります。ブログの発信は、現在は自宅に居る時にだけ行なうことにしています。ですから、毎週木曜日は原則として休みとなります。

八郷フルーツ農園は、文字通りフルーツ(=果樹)が主体の農場ですが、野菜なども作っており、私の主な作業は今のところそちらの方です。昨日も来春のイチゴの収穫を夢見ながら防寒用のトンネルを作って来ました。用材も場内にある竹を伐って割り、作っています。使用する用具は、出来る限り新しく購入することを避け、傍にあるものを活用するように考えています。この農場の基本的な考え方は、無農薬・無肥料へチャレンジすることにあり、これは農場主のAさんの大切な主張なのです。イチゴの栽培も一つの実験であり、トンネルなしの畝も作って、その差がどのようなものなのかを調べてみようと思っています。無農薬・無肥料というのは、本来の自然のままの環境で、その植物が本来の力を発揮したときに、成果を得ることが出来るのだと考え、その植物の強さをチエックしながらやってみようと考えているわけで、私も一緒になって研究をさせて頂いています。

この仕事は実に楽しく、それは毎週1回小さな旅に出かけているようなものなのです。つまり旅車を駆って、泊りがけで農事の旅を楽しんでいるのです。種を播き、苗を植え、その生長を見守るのは楽しいものです。土と植物との関係を調べ、生長のための最適関係をどう作るかを工夫することは、無農薬・無肥料栽培の基本のように思っています。

先日このような私の取り組みをAC誌(月刊オートキャンパー)の方が取材に来られました。同誌の「車遊人」というコーナーに取り上げられるのだそうです。(2011年1月号掲載予定) 仲間と一緒の取材だったのですが、旅車を駆っての農事通いをしている方は、私の他にも何人か居られるのではないかと思っています。果樹の面倒や野菜作りは、本当は「遊」ではないのだと思いますが、私の場合はAさんに共感してのボランティアということもあって、まさに「遊」なのかもしれません。

ま、そのようなことで前置きが長くなりましたが、近況報告のつもりでした。明日から先日の西日本への旅の記録を掲載することにします。このタイトルをどうするかについて少し悩みました。四国・九州にも行っていないのに、あまりにも大げさになってしまいます。もっと正確にと思ったのですが、そうすると大変長いものとなってしまうのです。やむを得ず西日本で行くことにしました。

まだ記録の全部が出来上がっていません。掲載中に完成できなくて中断することなどないように、覚悟しながら取り組んでゆきたいと思っています。今日はその案内のみです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする