梶田半古という画家をご存じだろうか
一度聴いたら耳に残った名前だ
彼は日本美術院で活躍した明治の日本画家だ
明治三年1870年御徒町に生まれ大正6年4月23日48歳で亡くなる
弟子は小林古径、前田青邨ら
むかし友人が梶田半古の軸を待合にかけて茶によんでくれた
雛の節句だった その軸は立ち雛を描く小さな軸だった
誰の作と聞くと 梶田半古だった
知識不足で知らない名前だったが
小品でもロマンのある良い絵だった
その何年かあと横浜のそごうで梶田半古の大々的な展覧会があった
その帰りに展覧会場の出口で
便利堂の写しの色紙を買った
友人の持っている掛け軸は
三月上巳の節句の雛の画だが
わたくしめは
五月端午の節句の鍾馗様の画の
写しだ
今日は五月五日
端午の節句だ
その梶田半古の印刷の色紙だが
毎年いちおう取り出して色紙を見る
今日もその色紙の鍾馗さまにお目もじして
菖蒲湯に入り
柏餅を食べた
一度聴いたら耳に残った名前だ
彼は日本美術院で活躍した明治の日本画家だ
明治三年1870年御徒町に生まれ大正6年4月23日48歳で亡くなる
弟子は小林古径、前田青邨ら
むかし友人が梶田半古の軸を待合にかけて茶によんでくれた
雛の節句だった その軸は立ち雛を描く小さな軸だった
誰の作と聞くと 梶田半古だった
知識不足で知らない名前だったが
小品でもロマンのある良い絵だった
その何年かあと横浜のそごうで梶田半古の大々的な展覧会があった
その帰りに展覧会場の出口で
便利堂の写しの色紙を買った
友人の持っている掛け軸は
三月上巳の節句の雛の画だが
わたくしめは
五月端午の節句の鍾馗様の画の
写しだ
今日は五月五日
端午の節句だ
その梶田半古の印刷の色紙だが
毎年いちおう取り出して色紙を見る
今日もその色紙の鍾馗さまにお目もじして
菖蒲湯に入り
柏餅を食べた