村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

良暹 リョウセン

2021-10-25 22:45:55 | 和歌と歌人

 良暹リョウセン
 和歌・歌人117
寂しさに 
宿を立ち出でて 
眺むれば
いづこも同じ 
秋の夕暮れ

りょうせん リャウセン【良暹】
平安時代の歌人。
後朱雀・後冷泉両朝頃の人。
比叡山の僧で祇園別当となった。
橘俊綱家歌会に参加し、
賀茂成助・津守国基・橘為仲らと交流。
私撰集「良暹打聞」を編み、
家集も存在したが、
いずれも現存しない。
「後拾遺集」以下の勅撰集に三一首入集する。
生没年未詳
(コトバンク)

百人一首歌番号70

写真はまた ふくもとのお料理の写真

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菅原孝標女スガワラノタカスエノムスメ

2021-10-23 22:46:23 | 和歌と歌人

 菅原孝標女スガワラノタカスエノムスメ
和歌・歌人116
浅緑
花もひとつに
かすみつつ
おぼろに見ゆる
春の夜の月


菅原孝標女スガワラノタカスエノムスメ
1008~[没]?
平安時代中期の女流日記文学,物語作者。
父の菅原孝標は道真の玄孫。
母は藤原倫寧 トモヤスの娘。
13歳までの4年間を
父の任地である上総で暮したが,
同行していた継母は
後一条院の女房で歌人の上総大輔 タイフ である。
孝標女はこの継母や姉から聞いた
『源氏物語』の話によって,
物語への趣味をうえつけられた。
長暦3 (1039) 年後朱雀天皇の
祐子内親王に出仕,
長久1 (40) 年橘俊通と結婚し仲俊を産んだ。
康平1 (58) 年夫に死別。
『更級 (さらしな) 日記』はその頃書かれたと
推定される。

昨日の夜遅く
スマホが動かなくなってウイルス感染の表示がされた
ウイルス除去のアプリをいれようとしても
固まって動かない
モバイルデータと位置情報をオフにして
電源を切った
妹のスマホからドコモショップの予約をして
今日の夕方見てもらった
だいぶ時間がかかったが
無事にスマホも動くようになって
安心
今はスマホがないと不自由この上ない
夜寝る前にはいつも
ユーチューブの古典講読
このところは「更級日記」を聴きながら寝てるのに
スマホがないとやけに静寂で
テレビをつけたままにしておいた
朝起きてスマホを見ることもできず
どこか変な感じ

写真はふくもと
一つ目のお料理

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相模サガミ

2021-10-18 23:08:53 | 和歌と歌人

相模サガミ
和歌・歌人115

五月雨は
美豆ミズの御牧ミマキの
真菰草マコモグサ
刈り干すひまも
あらじとぞ思ふ

恨みわび 
ほさぬ袖だに 
あるものを
恋に朽ちなむ 
名こそ惜しけれ

相模サガミ
生没年不詳。
平安中期の女流歌人。
中古三十六歌仙の一人。
源頼光ヨリミツの娘(養女とも)。
母は慶滋保章女
ヨシシゲノヤスアキラノムスメ。

初め皇太后妍子ケンシに仕え
乙侍従オトジシュウとよばれたが、
相模守大江公資キンヨリと結婚。
任地に下向、上京後、
藤原定頼サダヨリとの恋愛を経て
て公資と離別、
一品宮修子イッポンノミヤシュウシ
内親王に仕えて
相模とよばれた。
歌人としては
寛弘カンコウ(1004~12)末年からの詠歌が知られ、
長元チョウゲン8年(1035)
「賀陽院水閣カヤノインスイカク歌合」、
永承年(1049)「内裏歌合」、
同6年「四条宮春秋歌合」などに活躍、
能因とともに
和歌六人党歌人の指導者でもあった。

今日は少し片付けもの

写真は友人の写真

鎌倉の海だと

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藤原範永フジワラノノリナガ

2021-10-15 23:27:33 | 和歌と歌人

 藤原範永フジワラノノリナガ
 和歌・歌人114
すむ人も
なき山里の秋の夜は
月の光りも
さびしかりけり

藤原範永 フジワラノノリナガ
生没年不詳
平安時代中期の官吏,歌人。
長和5年(1016)蔵人となる。
阿波,摂津などの国守を歴任,正四位下にいたる。
和歌六人党のひとりで,
藤原頼通の歌壇で活躍した。
歌は「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に30首がはいる。
延久2年(1070)ごろ出家,津入道と号した。
家集に「範永朝臣(あそん)集」。

今日はお謡の稽古
だったが
足が痛くて休んだ
だったらダブルブッキングだった
朝日カルチャーに行こう
と思ったが
これまた無理そうなので
止めた
夕方には美容院の予約日だった
近くなので行って来た
スマホのカレンダーに
段々予定が書き込まれるが
何事も予定どおりには行かない
体力や経済力も伴ってないと
気持ちだけ勢いがあっても
すぐ息切れしてしまう
ぼちぼちソロソロと
体を動かそう
たくさんお茶を楽しむ為に

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大弐三位ダイニノサンミ

2021-10-04 23:15:43 | 和歌と歌人

 大弐三位ダイニノサンミ
 和歌・歌人113
有馬山猪名の笹原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする

大弐三位 ダイニノサンミ
1000?-1082? 
平安時代中期の歌人。
藤原賢子フジワラノケンシ。
藤原宣孝・紫式部の娘。
上東門院につかえ,
藤原兼隆と結婚。
万寿2年に親仁親王(後冷泉天皇)の乳母となる。
のち高階成章と再婚,
従三位・典侍にすすむ。
歌は「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に39首みえる。
越後弁,弁乳母,典侍,藤三位などと呼ばれた。
家集に「大弐三位集」。


平安、鎌倉時代の歌人は
なにかと重要 故
覚えておくことに
しくはない

歌人はその和歌を書き付けるゆえ
その書いたものは
古筆とよばれ茶の掛物になる
後の人もいにしえの和歌を色紙に書き
掛物になる
その時、歌人も和歌も
名前だけでも知っていると
楽しい

和歌に親しみ短歌を詠もう
唱和の式、香付花月のとき役立つ

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藤原定頼フジワラノサダヨリ

2021-09-25 23:21:54 | 和歌と歌人

 藤原定頼フジワラノサダヨリ
 和歌・歌人112
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに
あらわれ渡る瀬ぜ瀬のあじろ木
『千載集』

藤原定頼フジワラノサダヨリ
995~1045
平安中期の歌人。
藤原公任と昭平親王の娘の子。
四条中納言。
中古三十六歌仙。
管絃,読経にも秀で,
能書家。
関白藤原頼通に信任され、
正二位権中納言に至り兵部卿を兼ねた。
『後拾遺集』以下の勅撰集に46首入集。
家集に『定頼集』がある。
また,軽率な言動により後一条天皇から勘当を受けるなどの失敗譚も多く伝わる。
和泉式部の娘小式部内侍に戯れて,
逆に返歌に窮した話は有名。
社交に長じた多才な風流人。

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藤原道雅フジワラノミチマサ

2021-09-24 23:08:34 | 和歌と歌人

 藤原道雅フジワラノミチマサ
和歌・歌人111
今はただ思ひ絶えなむとばかりを
人づてならで言ふよしもがな
『後拾遺集』

藤原 道雅フジワラノミチマサ
平安時代中期の公卿・歌人。
藤原北家、儀同三司・伊周コレチカの長男。
官位は従三位・左京大夫。
小倉百人一首では左京大夫道雅

朝、八時半にピンポンとゆうパックが届いた
時間が変更できるものは
午後にしているのだが
今日は早い
まあ起きていたから良いものだけど
明日は朝寝坊出来ますように

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能因法師ノウインホウシ

2021-09-20 23:53:06 | 和歌と歌人

 能因法師ノウインホウシ
 和歌・歌人110
山里の春の夕暮来てみれば
入相の鐘に花ぞ散りける

わが宿の梢の夏になるときは
生駒の山ぞ見えずなりぬる

嵐吹く三室の山のもみじ葉は
龍田の川の錦なりけり

都をば霞とともに立ちしかど
秋風ぞ吹く白河の関

能因ノウイン
988~ 1050か1058
平安時代中期の僧侶・歌人。
俗名は橘永愷タチバナノナガヤス。
法名は初め融因。
近江守・橘忠望の子で、
兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。
子に橘元任がいた。
中古三十六歌仙の一人。


茶入を探していた
たどりつくまで
色々な箱を開けたところ
あるメガネ箱に
肝心の茶入が入っていない
探すと前に茶会で使ったままで
一つだけ違う箱に入っていたので
ちゃんと元に戻した
ある箱には仕服が二つ入るようになっているのに
一つは空だった
どうしたのだろう

写真はとんぼう と たそば

 

 

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小式部内侍コシキブノナイシ

2021-09-04 22:02:11 | 和歌と歌人

 小式部内侍コシキブノナイシ
 和歌・歌人109

大江山
いく野の道の
遠ければ
まだふみもみず
天の橋立

小式部内侍コシキブノナイシ
長保元年(999年)頃 - 万寿2年(1025年)
平安時代の女流歌人。
女房三十六歌仙の一人。
父は橘道貞、
母は和泉式部。
母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。
そのため、母式部と区別するために
「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。

したたかに雨が降ってる
低気圧で体がより重い
九月に入り今日は四日
小村雪岱のカレンダー九月

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伊勢大輔イセノタイフ

2021-09-03 23:48:57 | 和歌と歌人

 伊勢大輔イセノタイフ
 和歌・歌人108
いにしえの
奈良の都の八重桜
けふ九重に
にほひぬるかな

伊勢大輔
イセノタイフ/イセノオオスケ
永祚元年〈989年〉頃? - 康平3年〈1060年〉頃?)
平安時代中期の日本の女流歌人。
大中臣輔親オオナカトミスケチカの娘。
高階成順孝タカシナナリノブに嫁し、
康資王母ヤススケオウノハハ・筑前乳母・源兼俊母など
優れた歌人を生んだ。
中古三十六歌仙、
女房三十六歌仙の一人

今日は
昼間はたまっていたビデオをみる
「明蘭」と「優雅な母娘」
気に入ってる
ご飯を食べると眠い
お風呂を出て
まだ8時過ぎなのに
横になるや否や眠ってしまった
友達から電話があり
はじめは眠たかったが
お喋りしているうちに
すっかり目が覚めたが
まだまだ夜だ
もう一度眠ろう

猫のミーちゃん
暑さ負けだったようで
元気になった。

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和泉 式部イズミシキブ

2021-08-23 23:53:19 | 和歌と歌人

 和泉 式部イズミシキブ
 和歌・歌人107
待つ人の今も来たらばいかがせむ
踏ままく惜しき庭の雪かな
『詞花集』

和泉 式部イズミシキブ
天元元年〈978年〉頃 - 没年不詳)
平安時代中期の歌人である。
越前守・大江雅致マサムネの娘。
中古三十六歌仙、
女房三十六歌仙の一人。

三食とって
テレビだけ見てる
一日はあっという間
いいのかしらね
本を読む気はあるようだが
積んどくだけで読めない

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紫式部ムラサキシキブ

2021-08-22 23:27:17 | 和歌と歌人

 紫式部ムラサキシキブ
 和歌・歌人106
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影

紫式部
平安時代中期の作家・歌人、
女房(女官)。
作家としては、
日本文学史を代表する一人。
正確な誕生年は特定できないが、
近年の研究では、
天禄元年(970年)から
天元元年(978年)の間に生まれ、
寛仁3年(1019年)までは存命したとされる
(ウィキペディアより)

 今日は市長選挙で選挙会場へ向かう
学校の正門が開いていて
中に入った
写真はその校庭の土
こんな感じ なのか

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清少納言セイショウナゴン

2021-08-21 23:18:58 | 和歌と歌人

 清少納言セイショウナゴン
 和歌・歌人105
夜をこめて
鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の関は許さじ

清少納言セイショウナゴン
平安中期の女性文学者。
生没年未詳。
歌人清原元輔の女。
祖父深養父フカヤブも有名な歌人。
993年ごろ一条帝中宮定子に仕えた。

朝起きると10時半
今日も朝寝坊してしまった
友人から電話があってお喋りした
今は月に一度だけ
近所のお友だちとお稽古してると
もっと難しいお点前をしたいわ
お茶会を開くなら呼んでね
お歳は87歳になったが
気持ちは前向きだ
昔の茶会や茶事のお話しをして
懐かしむ
先のことが見えない今は
それもありかな

写真は山手線の駅から撮った
8/6のもの
最近は朝日カルチャーもなくて
どこにも出掛けない

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赤染衛門アカゾメエモン

2021-08-20 23:19:07 | 和歌と歌人

 赤染衛門アカゾメエモン
 和歌・歌人104
やすらはで寝なましものを
さ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな
(後拾遺680)

かはらむと祈る命は惜しからで
さても別れむことぞ悲しき
(詞花362)

赤染衛門
アカゾメエモン
956~1041
平安時代中期の女流歌人。
大隅守・赤染時用の娘。
中古三十六歌仙、
女房三十六歌仙の一人。


写真は山手線のある駅のホーム
写真を撮ったのは8月の6日
今日は
朝寝坊して
昼寝して
もう夕方
お風呂入って
電話して
また電話して
お休みの時間だ
特に何もしなかった

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儀同三司母ギドウサンシノハハ

2021-08-16 23:31:21 | 和歌と歌人

 儀同三司母ギドウサンシノハハ
 和歌・歌人103.
忘れじの行末まではかたければ
今日を限りの命ともがな

高階貴子 タカシナノキシ
?-996 
平安時代中期の歌人。
高階成忠の娘。
円融天皇につかえて,
高内侍コウノナイシと称され,
従三位にのぼる。
関白藤原道隆と結婚し,
伊周コレチカ,隆家,定子テイシらを生んだ。
伊周の通称から,
儀同三司母ギドウサンシノハハとよばれた。
歌は「拾遺和歌集」「新古今和歌集」などに6首みえる。
長徳2年10月死去。

写真は七月通りすがりに撮ったもの

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