行く蛍
雲の上まで
いぬべくは
秋風吹くと
雁に告げこせ
暮れがたき
夏のひぐらし
ながむれば
そのことゝなく
ものぞ悲しき
「伊勢物語45段.行く蛍」
目離メカるとも
おもほえなくに
忘らるゝ
時しなければ
面影にたつ
「伊勢物語46段.うるはしき友」
目離メカる→しだいに会わなくなる。
今日は久し振りの文の会
いつものイタリアンで
おすすめのパスタ二つ
赤ワインとおつまみで
一人の料金は2,700円
家に戻って珈琲に
お持たせのミスドのドーナツ
止まらない食欲とお喋り
そろそろお勉強しましょうか
と時間を見ると
4時少し前
大変
ちょっとだけでも
お勉強せねばね
伊勢物語を45段と46段の二段だけ読んで
今日は終了
日付メモを見ると4回目
何度読んでも
ボーッとしてるだけなので
ちっとも身につかないけれど
まあそれで充分
今日は文の会
もともとは昔の手紙を読んだが
このところは古典を読んでいる
今は伊勢物語
今日は四十二段から
原文をよみ
読み下しを読む
今日は四十五段まで
ほんのすこしだけれども
無理はしないで
お喋りお喋り
四十二段
昔 おとこ
色好みと知る知る
女をあひいへりけり
されどにくゝはたあらざりけり
しばしば行きけれど
なほいとうしろめたく さりとて
行かではたえあるまじかりけり
なをはたえあらざりける仲なりければ
二日三日許障ることありて
え行かでかくなむ
出でて来し跡だにいまだ変らじを
誰が通ひ路と今はなるらん
写真はいつものイタリアン
二人ワインで乾杯
よみ人しらず
たのめこし君はつれなし秋風は
けふよりふきぬわが身かなしも
今日は文の会
いつものイタリアンでお昼
それから家に戻ってお勉強のはずが
お喋りだけで
お勉強はなし
怠け者だ
まあそういう時もあるでしょう
写真はいつものイタリアン
今日は
ビールにおつまみ
アラビアータとたらこクリームパスタ
寛平カンピョウノ御時オオントキ
后宮キサイノミヤ歌合ウタアワセ
紀秋岑キノアキミネ
夏山に
こひしき人や
いりにけむ
声ふりたてて
なく郭公
寛平御時后宮歌合とは
寛平元~五年
(八八九‐八九三)の間に、
光孝天皇の后(当時皇太夫人)
班子女王ハンシジョオウが主催した歌合。
今日は文の会
バイ様と二人で伊勢物語を読んで
色々お喋りする会
お昼はいつものイタリアンの店で
グラスワインに四種のおつまみ
サラダとパスタ二種をシェアして
満腹
春日野の若紫のすり衣
しのぶのみだれ限り知られず
今日は文の会
いつものイタリアンで
ワインとおつまみ
パスタを2種類シェア
満腹ほろ酔い
それから
本の少し伊勢物語を音読す
ほんの少し
伊勢物語は
平安時代前期に書かれたとされる
歌物語
段ごとに必ず和歌が入ってる
作者は不詳
在原業平をモデルとした「男」の
恋愛を描いた短編小説
伊勢物語は源氏物語同様
歌人に必須の教養とされる
伊勢物語の嵯峨本もある
嵯峨本とは、
江戸初期,京都嵯峨の素封家角倉素庵スミノクラソアン(角倉了以の子)が
本阿弥光悦の協力のもとに
刊行した私刊本の総称。
角倉本,光悦本ともいう。
雲母を刷り込んだ美しい用紙に
かな文字の木活字を用いた
美術的価値の高い印刷物。
《観世流謡本》
《伊勢物語》
《徒然草》
その他が現存
嵯峨本については
朝日カルチャー新宿の一日講座へ行った事があった
けど
行っただけ
在原業平
けふ来ずは
あすは雪とぞ
降りなまし
消えずはありとも
花と見ましや
今日は文の会
お昼はいつものイタリアン
グラスワインにパスタを2種
お昼なので、サラダ付き
おつまみは止めておいたところ
キットカットを手土産に持っていったら、
おつまみをサービスしてくれた
良かった
そのあとは
いつものように
伊勢物語を声を出して読む
声があまり出ない
お腹に力を入れて
必死だ
第十七段 年にまれなる人
第十八段 白菊
第十九段 天雲のよそ
第二十段 楓のもみぢ
第二十一段 おのが世々
写真は新古今集の古筆
橘忠幹タチバナノタダモト
わするなよ
ほどは雲ゐになりぬとも
そらゆく月の
めぐりあふまで
(拾遺集)
伊勢物語
第十一段
空ゆく月
に出てくる和歌だ
今日は文の会
伊勢物語を音読するのだが
いつもより読んだ気分
第十段 たのむの雁
第十一段 空ゆく月
第十二段 盗人
第十三段 武蔵鐙
第十四段 くたかけ
第十五段 しのぶ山
第十六段 紀の有常
読むときには
お腹にしっかり力をいれないと
声が出ない
それは
お謡と同じ
そういえば最近は
お謡のお稽古を全くしてない
お謡は毎日少しずつするのが
こつらしいが
全くしてない
前々から発表会を五月にする予定だったが
延期になった
ほっとして
かつ怠けはじめた
わするなよ
お謡は毎日少しずつする事
写真な今日のお昼
いつものイタリアンで
お昼ワイン付
結構なこと
伊勢物語
第一段(初冠ウイコウブリ)の和歌
春日野の
若紫の
すりごろも
しのぶの乱れ
限り知られず
第二段(西ノ京)の和歌
おきもせず
寝もせで夜を
明かしては
春のものとて
ながめくらしつ
第三段(ひじき藻)の和歌
思ひあらば
葎ムグラのやどに
ねもしなん
ひしきものには
袖をしつつも
第四段(西の対)の和歌
月やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身一つは
元の身にして
第五段(関守セキモリ)の和歌
ひとしれぬ
わが通ひ路の
関守は
宵々ごとに
うちも寝ななん
今日は文の会
待ち合わせは
いつものレストラン
メニューが変わったようで
味の方は
変わらないが値段が高くなった
このコロナ禍での
お店の経営は大変だったようだ
まずはグラスワインで
乾杯
今日は伊勢物語
何度でも読もう
実朝
秋萩の
花野のすすき
露をおもみ
おのれしをれて
穂にや出でなん
今日は文の会
大和物語の
139段 芥川てふ津の国
の辺りを読んだ
人をとく
あくた川てふ
津の国の
なにはたがはぬ
君にぞありける
(拾遺集)
来ぬ人を
まつの葉に降る
しら雪の
消えこそかへれ
あはぬ思ひに
(後撰集)
声を出して原文で読むことが
健康によいと
大和物語長いが内容が面白い
いつの時代も人の想いは
変わらないようだ
今日は文の会
お昼は崎陽軒の焼売弁当を
家で食べる
バイさんは
ネスカフェの珈琲と
永谷園の味噌汁をご持参
美川様はパイナップルとスイカのカットフルーツ
まずはお茶を飲んでお昼
そのあとフルーツと珈琲
満足するまで食べた
オリンピック開会式から
コロナの話し
お喋りは止まらない
2時過ぎたから
ようよう少しは読みますか
大和物語
126段
むばたまの
わが黒髪は
白川の
みづはくむまで
なにりけるかな
檜垣の御
(後撰集)
写真は加賀の千代女
昔より
思ふ心は
ありそ海の
浜の真砂マサゴは
数も知られず
(大和物語第118段 閑院の大君)
今日は文の日
午前中にバイ様とヒロコ様が見えた
お昼は崎陽軒の焼売弁当
それに蛤のお吸い物
デザートはヨーグルト
食べてお喋りして
本を読む
大和物語ヤマトモノガタリ
平安中期の歌物語。
作者は、
花山院、敦慶親王女房大和など諸説ある。
天暦(九四七‐九五七)頃の成立。
百七十余段からなり、
前半は当時の貴族社会における生活儀礼としての和歌の諸相を、
贈答の軽妙さなどに重点をおいて示し、
後半約三〇段は、物語的、
説話的傾向の大きい歌話を集めている。
「伊勢物語」が作り物語、
日記文学への移行を示すのに対し、
説話文学への契機を持つといわれる。
(精選版 日本国語大辞典ヨリ)
会員三名で
ひたすら原文を読み
現代文の読み下しを読む
文字を見ながら声を出す
老齢者の脳トレだ
読むのは一時間いないのわずかの時間でも
終わったあとは気持ち良い
ではまた来月
写真は
アマゾンに注文し
今日届いた山野草10種
何だかわからないけど
小さくてかわいい
写真は友人が送ってくれた
5/1イングリッシュガーデンでのもの
みているとバラの香りがするようだ
とき満ちて
薔薇の蕾はかたくなに
打ち畳たる
花びら抱く 村雨庵
今日はわが家で文の会
会員三名
崎陽軒の焼売弁当のお昼
珈琲に苺を食べて
さんざお喋りして
「大和物語」を音読
今日は3段くらいしか読めなかったが
それでいい
春山朝といへる心を
鴨祐為
よしの山峰のはなぞのほのぼのと
おもかげにほふ朝かすみかな
今日は文の会
大和物語を音読する
しおりの入ってるところを見ると
令和2年2月29日
一年以上前
その間は本も開かずいた
一人では何もせず
と言うことだ
大和物語とは
平安中期の歌物語。
作者未詳。
天暦(947~957)ごろの成立、
のち増補されたといわれる。
和歌を主とし、
恋愛・伝説などを
主題とする170余編の説話を収録。
久しぶりに会うのがとても嬉しくて
雑談に明けくれたのち
ようやく読み始めたのが
少しでも満足
楽しかった
誰もみな
人に逢いたいのだ
三月以来か久しぶりに
今日は文の会
かつては桑田忠親の
茶人の名書簡をよんでいたが
その後伊勢物語そして
今は大和物語を
読んでいる
大和物語は
平安時代中期の歌物語
作者は不明
今日も少し何段かを読んだ
その中九十九段
「峰のもみぢ葉」
亭子の帝の御供に、
太政大臣ダジョウダイジン
大堰オオイに仕うまつり給へるに、
紅葉、
小倉の山に色々
いとおもしろかりけるを、
限りなく愛で給ひて、
「行幸もあらむに、
いと興ある所に
なむありける。
必ず奏して
せさせ奉らむ。」
など申し給ひて、
ついでに、
小倉山
峰のもみぢ葉
心あらば
いまひとたびの
行幸待たなむ
となむありける。
かくて帰り給うて、
奏し給ひければ、
「いと興あることなり。」
とてなむ、
大堰の行幸といふこと初め給ひける。
亭子の帝とは宇多上皇のこと
太政大臣とは
藤原忠平(貞信公)のこと
小倉百人一首に載っている
忠平の子は藤原師輔モロスケ
師輔モロスケの子は藤原伊尹コレタダ(謙徳公)
伊尹の子は藤原義孝ヨシタカ
義孝の子は藤原行成ユキナリ
ここで三蹟の行成登場
升色紙は伝藤原行成
ついでに
継色紙の小野道風
寸松庵色紙の紀貫之
と三色紙
同じ事
何度書いても忘れてしまう
久しぶりに大和物語92
三十六歌仙の一人
今は亡き権中納言
藤原敦忠アツタダ(906-943)の歌
故権中納言ゴンチュウナゴン、
左の大臣オホイドノの君を
よばひ給うける年の、
師走のつごもりに、
もの思ふと
月日のゆくも
知らぬまに
今年は今日に
はてぬとか聞く
となむありける
写真は
王様のビーフシチュー
他にパスタ二種と帆立貝のアンチョビソース
グラスワインは私は飲まず
久しぶりのイタリアンで
嬉しい