哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

人間はデジタルデータに置換される

2018年07月26日 | yyy64不老不死は可能か


現在はその技術が未熟で実現できないけれども、私達人間は、結局はデジタルデータに置換されたり逆にデータから再置換されたり、あるいは改造されたりできてしまうものであるという事実は否定できないでしょう。すでに生物の根幹であるDNAはマッピングが可能な純粋なデジタルデータとして表現されています。








拝読ブログ:


レジェンダリーゴジラ第2弾の公式トレーラー



拝読ブログ:


工夫 大工の作業と手のひらメモ



コメント

この私はソフトウェアである?

2018年07月25日 | yyy64不老不死は可能か


それを空想している今のこの私というものも、堅固な存在というほどのものではなく、単なるソフトウェアであるものをハードウェアだと勘違いしているだけなのかもしれません(拙稿30章「私を知る私」)。
現実には、マッピングしたデジタルバックアップデータから人の記憶を再生できる技術は、今は、ありません。しかし現在は技術的に不可能だとしても、いつかは実現可能となるような原理的な事実があれば、現在の現実も実は、潜在的にはそういう世界の上にできあがっている、といえるでしょう。








拝読ブログ:


猛暑テレワーク、今年も、私も。



拝読ブログ:


Chromebook でどれだけ仕事はブーストできるのか? [ハードウェア]



コメント

自分の身体は空想

2018年07月24日 | yyy64不老不死は可能か


現実の私たちには、これは空想の不可思議な世界の話にすぎません。しかし、もしかしたら、この現実世界も、その空想世界と異質ではないのかもしれない、と考えることもできます。つまり、私たちが信じている生とか、死とか、自分の身体とか自分の人生とかいうもののほうがもしかしたら空想なのかもしれない、と言えなくもない(拙稿29章「生きるという生き方」)。







拝読ブログ:

ワンダー君は太陽を見た感想です。



拝読ブログ:

水無月、大暑・若潮



コメント

死がなければ生もない

2018年07月23日 | yyy64不老不死は可能か


その空想の未来時代には、一度死んでしまってもパソコンの復元のように、バックアップしておいたデジタルデータから死ぬ直前の記憶を持つ人体を、いつでも、何度でも、復元できる、となるかもしれません。そうなると、死という概念は意味がないことになります。死がなければ生もない。不老不死という言葉も意味がありません。







拝読ブログ:

もはや論議の余地はない! (1)



拝読ブログ:

カレー



コメント

不老不死を願望する

2018年07月22日 | yyy64不老不死は可能か


まあ、そのような未来技術の時代になっても、人は不老不死を願望するのでしょうか?






拝読ブログ:


美女願望



拝読ブログ:

空気読みたくない(願望)サーのブログ一覧



コメント