第三者が逃げない人々について考える場合、とにかく命を大事にしろ、と言いたくなるでしょう。あるいは哲学者が言う場合、いやただ生きるのではなくよく生きることのほうが大事だ、と言ったりする。しかし拙稿の見解では、そういうことは、逃げるか逃げないかのとっさの状況で当事者の感じていることと少し違う。身体を動かす気がしない、というところから来ている、それがまずある、と考えます。
そこから、逃げる人と逃げない人の運命が違ってくるのでしょう。
第三者が逃げない人々について考える場合、とにかく命を大事にしろ、と言いたくなるでしょう。あるいは哲学者が言う場合、いやただ生きるのではなくよく生きることのほうが大事だ、と言ったりする。しかし拙稿の見解では、そういうことは、逃げるか逃げないかのとっさの状況で当事者の感じていることと少し違う。身体を動かす気がしない、というところから来ている、それがまずある、と考えます。
そこから、逃げる人と逃げない人の運命が違ってくるのでしょう。
目に見えない、音も聞こえない、想像でしかない、そういうものは感じなくても良い、という気もする。そういう気がしているとき、人は逃げないでしょう。逃げることはかえって危ない気さえする。そして逃げない理由を考えてしまう。そう思うことがあります。特に老人はそういうことがありそうです。
このままでよい。今までいつもこのままだったから、今もこのままでよい、と思ったりするのでしょう。
身体の深いところでそう感じてしまうと、周りの人がよほど強く呼びかけない限り、人は逃げない場合がありそうです。
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そういうものであるとしても、極端に怠惰ということでもない人が逃げない場合、なぜか、と疑問のような思いが残ります。逃げる気にならない。そういう気になれない。このままここを動かなくてよいのではないか、という気になるということでしょう。
想定される危険はかなり確実と思われる。それでもそれは想定でしかない。顔に向かって黒い大きなものが飛んでくれば人はそれを避けるでしょう。そうでない場合、こちらに向かって襲ってくるものが想像でしかない場合、目前には見えない場合、人は逃げないことがある。逃げる気がしないことがある。
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逃げるのが得意な人とそうでない人がいるのかもしれません。生まれてから一度も一人だけで逃げるという行動をしたことがない人は、いざという時にどうしていいか分からずに固まってしまうのかもしれません。逆に、いつも一人だけ逃げてばかりいる人はいざとなればさっさと逃げるでしょう。
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人の評価を無視する、という点では怠惰な人と言えます。たしかに中年あるいは老人に多そうです。しかし一日中寝そべっているような人ばかりではない。日常的には職業や家事をきちんとこなす人が、突然、逃げなければならない状況に遭遇した場合、逃げない。そういう人々がいます。
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