言語を使う人間集団における群行動の場合、言語による運動共鳴の機構は、物質世界に存在しない錯覚のシミュレーションをも仲間に伝達してしまう。しかし、錯覚だから役に立たないということはない。私たちのだれもが共有しているような錯覚は、むしろ、便利で実用的なものが多い。現在まで伝えられて、私たちが意識せずに毎日、使っている多くの錯覚は、どれも、きわめて実用的なものです。たとえば、暗いと危ない、とか、声が高い人は親切だ、とか。これらの錯覚は、社会を維持し、集団として人間が物質世界の環境を生き抜いていくために役に立つ(拙稿第4章「世界という錯覚を共有する動物」)。
天狗にさらわれることを恐れて子供に気を配るような一族は、幼児死亡率が減って人口が増えたでしょう。そうして天狗伝説は生き残っていく。それは、それらが実体のない錯覚であろうとも、それらの共有が集団的団結をもたらし、厳しい自然環境に置かれた人間集団の生存と繁殖に役立ってきたからです。
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