レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

修道院の夜の惨劇

2018-12-09 03:00:00 | 日記
アズヴェンタ二週目。レイキャビクでは、冷え込んだ前々週から多少持ち直した週後半を経て、また気温が零下になっています。ですが、週間予報では、今週後半は暖かくなり、その代わり雨だそうです。

まあ、雨でも雪でも風が吹かなければそう難儀はしません。先々週は寒さに加えて風もありましたので、しばらくは静かでいてほしいものです。

先週からのこちらでの話題は「クロイストゥルの夜の出来事」です。はっきり言って「惨劇」とも言えます。この話題でニュースは持ちきり。海外にまで飛び火して、スウェーデンやデンマークのニュースでも取り上げられています。

クロイストゥルというのは「黒い椅子を取る」のではなくて(初めの変換で出てきた言葉 (^-^; )、Klaustur(修道院)という名前の市内ダウンタウン, 国会アルシンキのすぐ脇にあるバーのことです。




「惨劇」の余波 主権100周年の祝日に行われた「抗議」集会
Mydin er ur Ruv.is


去る十一月の末のある晩、中道党党首で前首相のシグムンドゥル・ダヴィ・グンロイグルルスソン氏が、党の盟友である前外相グンナル・ブライエ・スヴェインスソン氏ら政治家五人とクロイストゥルでプライベートな飲み会を持ちました。

シグムンドゥルとグンナル以外に同席したのは同じ中道党議員のベルクソウル・オウラソン氏、女性議員のアンナ・コルブルン・アルトナルドティール氏、「人々の党」のオーラブル・イーシレイブスソン氏とカルトゥ・ゴイティ・ヒャルタソン氏の両議員。政治家の集まりです。

皆さん結構飲んだらしく、かなりな大声で同僚の政治家のことを中心にして、あーだこーだ言いたいことを言いまくったのでした。ただ彼らの知らぬ問題がありました。ある女性が隣りの席で会話を秘密裏に録音していたのです。

この女性は自分で「ゲイの障害者」と言っているようで、議員達の話しの内容が自分達にも関係しているみたいだと感じ携帯で録音を始めたとか。録音時間はなんと四時間にも及んだそうです。そして会話の内容に義憤を感じた彼女はDVという新聞社に録音を持ち込んだようです。

で、会話のいっさいが公にさらされてしまいました。

この会話の中では、男五人を中心にして、周囲の人間を軒並み罵倒というか蔑んだ言葉でバカにしまくっているのでした。特に女性議員達に対する、女性蔑視的な発言が多く、さらに身体障害者である前女性議員に対する嘲り、同性愛者のある男性に対しての中傷なども含まれていました。

「人々の党」の男ふたりは、自分たちの党首であるインガ・サイランド氏のことも「無能」「何もできない」などとこき下ろしていたのです。

この会話はあっという間に全マスコミに広がりました。録音そのものも、わざわざ書き下ろしたものも。当然、悪く言われた当人達はもとより、国民全体が怒り心頭に達したわけです。




「惨劇」の主人公六人衆
Myndin er ur DV.is


私はこのニュース、そこまで徹底的にフォローしたいとは思わなかったので、詳細がわからないところもあります。ただ、悪口雑言の対象になっていた人は相当数に上るようで、社会民主連合の党首や、シグムンドゥルやグンナルとは以前同僚だった、現教育文化大臣のリルヤ・アルフレズスドティール氏まで含まれいたと報じられています。

ちらっと見聞きした範囲では、確かに酷い言葉をあびせています。時々あちこちの居酒屋とかでも、相当酔っ払ったサラリーマンの方々が上司をこき下ろしているのを目撃してしまうこと、ありますよね。あんな感じです。

今回のような「隠し録り」の合法性も疑問に思えるのですが、国民の目はそちらの方向へは向かず、すでに「議員を辞めろ!」の大合唱へと発展しています。

実際に人々の党のふたりは、事件?発覚の翌日の党の会議で、即、党から追放されてしまいました。「しまいました」と書いていますが、私は彼らに何の同情心も持っていませんので念のため。

中道党のブライエとベルクソウルは、これも速攻で「休暇」を取り雲隠れ。シグムンドゥルはFacebookで弁解の弁を掲載しましたが、これが「(彼が問題を)何も理解していないことを暴露する内容」と非難され、火に油を注ぐ結果となってしまいました。「なってしまいました」と書きましたが、私は彼に何の同情心も持っていませんので念のため。

女性一人だったアンナ・コルブルンは「私は酔っていなかったけど、ベロベロの酔っ払いの男達を相手にして、それを止めることなんかできないでしょ」と弁明。

ところが、同じ時期に彼女が国会のサイトにある自身の履歴に、事実とは異なる「粉飾」があることを指摘され、こちらも世の非難を免れることはできないようです。

で、私は考えました。「どう考えるべきだろうか?」と。




「惨劇」の舞台クロイストゥルバーより国会を見る
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


まず第一に、私はこの連中 -まあ全員ではなくシグムンドゥルとグンナルですが- が好きではありません。はっきり言って「汚い連中」と思っています。今回のことが明らかになる前から、「前史」がありましたから。

ですが、好き嫌いと、ものごとの良し悪しは別の次元の事柄ですね。

私も日本人ですから、「酒の席での憂さ晴らし」は自身体験してきています。酒の場で言いたい放題言ったとしても、それが本心か?と問われれば必ずしもそうではないように思えます。

そういう時の放言をこっそり録音されて、あとから「ホラッ」というのをされたらちょっと困る、という人は大勢いることでしょう。「それは、酒の席でのことだから...」という合意が日本社会ではありますよね。良し悪しは別として。

酒の席でのあれこれを、素面の時に取り上げるのは、取り上げる方が「ルール違反だ」というような向きもあるのではないでしょうか?少なくとも昔はそうでしたよ。

今回、この騒動を通して感じたのは、ヨーロッパでは「酒の席だから」という言い訳はない、ということです。これは多分、日本とはかなり違うメンタリティというか、社会道徳なのではないでしょうか?

先に少し触れましたように、今回の録音の合法性には疑念がありますし、加えてこの会話は「内々」もので公式の席でのものでもありあません。だから多少は追及の手も緩むかな?という気はしたのです。

ですが、こちらではそれらが問題ではないようです。問題は「あいつら国会議員が、女性のことを、障害者のことを、ゲイの人のことを、あのように考え嘲ったのだ」という事実なのです。

「酒の席」もなし。「内々の話し」もなし。「言った」ということが問題なのです。なぜなら、それは人としてのモラルの関わることだからです。

私の個人的な意見ですが、日本の社会では、行いの是非について考える時でも「バレなければしていいんだ」という考え方が存在しているように思います。これは自分に対するモラルというよりは、他者からどう見られるか、という功利的な判断だろうと考えます。

こちらでは、その点が「その出来事によって誰彼が損した、得した」という結果とは独立して「その出来事自体がモラルにかなっているかどうか」という問いかけがシビアになされるのです。「いつでも、誰に対しても」というところまではいかないでしょうが、政治家を始めとする「公人」に関してはそうあるようです。

いつものことですが、私は日本とアイスランドを比較して、安直に「こっちの方がいい、あっちはダメ」ということを言うつもりはありません。良し悪しを図る物差しはひとつではありませんから。ただ、ここには「違ってるね」と言えるものがあるのは確かだと思います。

この「クロイストゥルバーの夜の『惨劇』」、どのような結果に落ち着くのでしょうか?いま騒ぎようからすると、まだしばらく時間がかかりそうです。

それで私はどう思うか?はっきりしろ?
「さっさと辞めちまえ、オマエら!」が私の言い分です。


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「待つ」のって、好きですか?嫌いですか?

2018-12-02 03:00:00 | 日記
十二月となり、そしてアドヴェントに入りました。アドヴェントの前に言っておくと、昨日十二月一日はアイスランドの「主権国家100周年」でした! というわけで、あちこちでこの日を祝う言葉が聞かれました。

長らくデンマーク王国の属国であったアイスランド。1918年の昨日、デンマーク国王をいただく独立国として認められました。歴史的には「アイスランド王国」だったということ。

デンマークの王を冠として載せていましたから、完全独立ではなかったのですが、識者によると「事実上は、完全な独立」だったのだそうです。「共和国」としての「超完全」独立は 1944年6月17日になってからのことです。




主権国家100周年 新聞も別冊でお祝い


さてアドヴェント。教会の暦では巷より一足早く新年となっています。Adventaアズヴェンタ、英語ではAdventですが、日本語では「待降節」とか「降臨節」とか称されます。

アドヴェントについては、これまでも毎年この時期にはなにがしかのことを書いてきましたので、よろしかったらそちらの方も参考にしてください。

アドベント来たり!

日曜日が三回しかないアドヴェント?



アドヴェントはラテン語のAdventusからきており「到来」を意味する言葉です。教会でこの言葉を使う時に指しているのは「キリストのこの世への到来」ということであり、まず第一義的にはキリストであるイエスの人間としての誕生のことを言います。キリストの「到来」、つまりはイエスの誕生を待つのがこの「待降節」アドヴェントであるわけです。

ですが、今日(こんにち)の教会においては、この「キリストの到来」については第二の意味があります。それは「キリストの再臨」という意味での「『再』到来」です。

どういうことかというと、キリスト教会の教えの中には「世の最後の時にはキリストが再び天より降り、人々に最後の審判を与える」ということがあり、このキリストの再臨を待って、世の中は「完璧な世界」つまり「神の国」に移る、ということなのです。

キリスト教会が世に誕生して間もない頃は、ひとびとはこの「キリストの再臨」、すなわち「世の終わり」ということを、たいそう現実的に、深刻に受け取ったと言われています。

現代ではこのトピックについては、おそらく相当幅のある考え方があるでしょうし、「これしかない」という定番の教えははっきりしていないように思えます。「キリストの再臨」と「世の終わり」を否定するのではなく、それらをどのように理解するかに幅があるように思われるのです。

これ以上突っ込むと、キリスト教に関心のない方をウンザリさせるでしょうから、ここで方向を転換したいと思います。向きを変える先は「待つ」ということに関してになります。

私たちが、アドヴェント「待降節」と言う際には、自動的に「到来」を「待つ」という風に「待つ」ことが「到来」とセットされている感があります。これは言葉の上だけのことではなく、実際にアドヴェントの内容理解について考えても、そう言っていいと思います。




カセドラルのアドヴェントクランツ 日曜日ごとにキャンドルに日を灯します
Myndin er ur Domkirkjan.is


で、この「待つ」ということなんですが、今の世の中では「待つ」「待たされる」「待たせる」ということはすべからく否定的に捉えられている気がします。その理由は簡単で、待つということは「時間の無駄」だからです。

「待つ」ということが、いかに人々にとって苦痛であり、イライラの素であるか、ということを、私はいつも飛行場にいる時に感じさせられます。

私自身、日本への帰省の旅を考えてみても、チェックインカウンターに並んでいる時の待ち時間は、旅行全体を通じて最もイライラがピークに達するプロセスです。最近、セルフチェックインが整ってきて、とても時間が節約されるようになったのは、非常なストレスに軽減ですよ、ワタシ的には。

途中、コペンハーゲンの空港。時間を惜しんでPCを覗き込んで仕事をしている人、音楽で気を紛らわせようとしている人、むずかる子どもを連れてイライラしながら、それでも食べ物を与えようとしている親、あきらめて寝ようとしている人。

いずれも無駄な時間をせめてマシに使おうとする「あがき」のように思えてしまいます。

サービスを提供する側にしても、なんとかして「待ち時間」というものを短くし、あわよくばなくしてしまおう、というのが基本の姿勢でしょう。待ち時間が短ければ短いほど、顧客は喜ぶのですから。「待ち時間は悪」なのです。

私個人としては、幸いなことに、そのような「待ち時間」は必ずしもムダな時間ではありません。教会でのお話しを考えたり、あるいは詩が好きなので、詩を考える時間に使うことができます。メモ用紙とシャーペンはいつでも持つようにしています。

ですが、この「待降節」のことを考えていて思いついたことがあります。「待ち時間」を人生から取り除き切ることはできないことでしょう。人の人生はある意味では最後の日を待ちながら過ごしている日々のことです。そのことの意識が明瞭か否かの違いはありましょうが、皆に当てはまります。

その規模を少し大きくして「人の世」とかを考えてみますと、これはキリスト教的な観点からになりますが、「キリストの再臨」を待ちながら過ごしているのが現在の世なのです。

ということは、これもキリスト教的な視点での話しになりますが、人にしても世にしても「待つ」ことの上に「今」「自分」というものが成り立っていることになります。そうだとしたら、もう少し「待つこと」「待ち時間」をポジティブに捉えるべきなのでは?




「待つ」ことを楽しくさせる知恵、 アドヴェントカレンダーのチョコ 毎日ひとつのチョコです 
Myndin er ur Heimkaup.is


「待つこと」をネガティブにしているもの、あるいは逆にポジティブにし得るものとして、双方に共通するひとつの要因というか、事柄の「核」のようなものがあります。それは「『自分では動かせないもの』があるから、それを待っている」ということです。

自分の人生の終わりにしても、キリストの再臨にしても、あるいは「世の終わり」でもいいですが、自分では動かせないものですね。自殺はここでは論外とします。人は生きられる分だけ生きる、というのがここでの前提としましょう。

自分の人生は、あるいは今のこの世は、自らでは動かし得ないものに結び付けられて存在しているんだ、ということをまず自覚しておくことは大切なことではないかと思います。

それは「あきらめる」とか「悟る」とかとは違うことです。なんというか、ものごとがある様を頭に入れて、そこから変えられないものと、変えられるものを見極めていくことだと思うのです。

非常に単純化して言うならば、木の根と枝を区別して考えるということでしょうか?根は簡単には動かせませんが、枝はある方向へ誘導したり、伐採したりすることができます。

「待つこと」の否定は、単純な類比で言うと、この根を動かそうとすることではないか、ということです。根を動かすことは容易ではありませんし、できた時には木そのものがダメになってしまうかも。

対して、枝は根気よく工夫し、育んでやれば、放っておくだけとはかなり違う姿とすることができるでしょう。それはすなわち、私たちの生き様の中での「動かせる部分」を考えてやる、ということにあたります。

今回は少し教会でのお話の準備のようになってしまいましたが -そして事実そうなのですが (^-^; - アドヴェントですのでご容赦ください。

でも「待つこと」は自分にとって何であるのか?を、しばし考えることは損にはならないだろうと考えます。

アドヴェント。別の言い方をすると、ますます慌ただしくなる師走です。皆さんもイライラをつのらせずに、待つことも勘定に入れてお過ごしくださいますよう。


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Black Firday とマイ Sunshine Thursday

2018-11-25 03:00:00 | 日記
十一月最後の週に入りましたが、レイキャビクでは静かな週末となりました。静かと言っても天候の話しで、気温はゼロ度くらいなのですが、風がなく穏やかな日和です。

天候以外ではそれほど静かだったわけではないようで、おとといの金曜日は「ブラックフライデー」とかの広告が出まくっていました。あちこちのお店でかなりの値引きでのセールとなったようです。

ここ数年間、このBlack Friday -アイスランド語ではSvartur fostudagur となりますが- という言葉が表に出てきていました。今年はこの「セール」に参加するお店の数が過去最高になったそうで、さもありなん、と思わせる宣伝の有様でした。




二大新聞の表紙の「表紙」は「黒キン」の広告


この「黒キン」、もともとは案の定アメリカのものだそうです。株式の大暴落でブラックマンデーとかがあったから、それをもじって作ったのだろう、と思ったのですが、Wikiとかで調べてみると、1952年くらいからあるそうで、アメリカでは意外に長い歴史を持つものであるようです。

感謝祭に続く金曜日、十一月の第四金曜日をセール用のBlack Fidayとしたのですが、これは次にやってくるアドヴェントから本格化する「クリスマス商戦」への橋渡しとして設けられたものらしいです。この辺は受け売りなので、間違っていたらゴメンなさい。

こちらではいくつかのお店は、金曜日だけではなく、週末を通じてセールをしているようで、お店ではきっと騒がしい週末なのでしょう。私には縁がありませんが。私はユニクロのオンラインでお金を使いすぎてしまいオケラです。

と思っていたら、娘が「明日の月曜日も『サイバーマンデー』でセールだから、欲しいものがあったらチェックしたほうがいいよ」何?Cyber Monday?? それは聞いたことがないぞ。

これもWiki仕込みですが、このCyber Mondayもアメリカ生まれで、感謝祭の週末明けの月曜日をセールの日と決めたようです。こちらはずっと新しく2005年から。「黒キン」だけでは宣伝費の元が取れないから、月曜まで「延長」したのでは?と疑います。

でも「サイバー」って何じゃい?と思いますよね。そしたらこれはOnline shoppingと関係があるようです。ネットで買わせようという魂胆か?だったら私はもうユニクロで餌食になっています。

巷ではそういう「マネーウィークエンド」ですが、教会では今日の日曜日は暦上一年の最後の日曜日。「終末 – キリストの再臨」という教会に昔からある考えと引っ掛けて「王なるキリストの日」とも呼ばれる日曜日です。

そして来週からは新年となり、クリスマスへの準備となるアドヴェントに入ります。今年は十二月に入ってからになりますね。

私はおとといの金曜日に休みを取り、家の掃除をしてアドヴェント用の飾り付けを済ませてしまいました。これを済ませておくと、アドヴェントに向かう心も準備された気がして、何となく落ち着いてくるので、毎年早い時期に済ませてしまう癖がついてきました。

庶民に属する私にとって、お金の話しはストレスの元ですが、人の優しさを伝えてくれるような体験に触れることや、他者を傷つけることない良い成功談等は、逆にストレスを軽減してくれる心の柔軟剤のようになってくれます。

この間の木曜日にも、本当に小さいけれども、心が和む体験をしました。思いがけない形で出てきたのですが、その分、嬉しく思える度合いが増した感じがしました。




我が古アパートの居間 アドヴェント準備完了


先の木曜日は、昼からびっちりと教会の「洗礼準備のクラス」が組まれていました。びっちり、といっても三回だけなのですが、それでも結構やりがいがあるのです。参加者は、計八人で、全員壮年の男性で難民申請者。七人がイランからの人。ひとりがトルコ内のクルド領からでした。

英語が十分ではない人がいるので、いずれの会も仲間が通訳するか、通訳用に他の人が来てくれます。といっても、皆「難民=Seekers」仲間です。

クラスは一回目が昼前の十一時半から、一時間半を予定していました。参加者はクルド人の人。言葉の問題があるので、トルコ語ができるイラン人 が通訳で来てくれていました。

ところが、当のクルド人のケスマンさんは遅刻。三十分くらい遅れてやってきました。日本人のような時間厳守は、他の国の人には通用しないのが普通ですので、ここはゆとり。慣れています。

やってきたケスマンさん、「Sorry」を繰り返しながら、「今までアイスランド語のクラスにいて、終わってすぐに駆けつけてきました」なんだ、それなら始めからそう言えばいいのに、と思いながらクラス開始。

まったくの一回目だったので、トルコ語かクルド語で聖書を読んだことがあるかどうか尋ねました。すると、「トルコ語も、クルド語も、話せるけど読み書きはできないよ」

そう言うと、持ってきていたアイスランド語の教科書を開いて見せました。「This is my first time to be at school!」学校というものに、これまで一度も行ったことがなかったのだそうです。ちなみに彼は今、四十二歳。

読み書きのできない人、学校に行ったことのない人というには、私の仕事で接する人の中には、「よくいる」とは言いませんが、それほど稀でもありません。

それでも「OK、ではそういうものとしてプログラムを考えないと... 」と考え始めていると、ケスマンさん、アイスランド語の教科書の始めを開いて「アー、ベー、セー... 」と指差し、口にしながら私の方をチラリ。「初めて、文字の読み方と書き方を習いました」と言うと、破顔一笑。「いい気分だよ!」




アイスランド語のテキストの中身は?こんな


アイスランド語のクラスの後では、皆が大体同じことを言います。「難しい」「やたらにめんどうくさい」「時間がかかるー」等々。

そういう多数派に対してのケスマンさん。本当に他に何のわだかまりもないところから出てきたような、彼の大きな「にっこり」に、私の方がびっくりさせられ、また嬉しく思いました。

四十二歳で初めて参加した授業を楽しみ、生まれて初めて「読むこと」「書くこと」を習ったことを、照れも当惑もなく、そのまんま喜びとしたものに接するのは、こちらの方も初めてでした。

人間誰しも「当たり前」の状況を持っていますし、「常識」を抱えています。それがなかったら、それはそれで困ったことです。それに誰しも「自分の常識が、どこでも通じるものではない」ことも心得ているものでしょう。

それでも「常識」が、思わぬところで破綻し、オロオロさせられることも、おそらく誰でも経験したことがあると想像します。

今回の私の体験も、そういうことの中の一つだったのですが、普段とちょっと違っていたのは、それがなんとも優しく心に浸みてくる体験だったことです。こういう風に常識が覆されるのなら、文句はないなあ。

そういう嬉しさのお裾分け?をもらった木曜日でした。だったらなんでしょうか?「サンシャインサーズデー」?「ブルースカイサーズデー」?
いや、ケスマンさんにあやかって「ビッグスマイルサーズデー」としましょう! 

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末端の男の「隠し金」

2018-11-18 03:00:00 | 日記
十一月も中旬となり、レイキャビクでは朝晩の暗さがいよいよ冬のものになってきました。おととい金曜日の日の出が9:59、日の入りが16:26でした。気象局のサイトにはわざわざMyrkur「闇」という欄もあり、これは暗くなる時間を指しているのだろうと思います。金曜日は17:26に「暗く」なりました。

その反面、気温の方は持ち直していて、週末は8~10度くらいの暖か目の日となっています。そのかわり雨ですが… 雨降りだと気温が上がるのは日本と同じですよね。




今月初めには自宅近辺でも積雪


もうあと二週間でクリスマス前の「アドヴェント」に入ります。今年は少し遅めで十二月に入ってからになります。街もクリスマス用の飾り付けを始めていますが、私の感覚ではいつもより遅いです。

一時期、十月半ばくらいからクリスマスの品が店に並ぶことがあったのですが、今年はそれがないようにも思われます。なにかしら速さを競うのを「自粛」する取り決めが商店街であったのかもしれません。

教会も忙しさが増してくるコーナーにさしかかっています。私のところもです。ですが私のところは、アドヴェント近し、の故の忙しさではなく、例によって難民関係の故での忙しさです。

ところで「忙しさにというのにはふた通りある」というのが私の持論です。エラそうでスミマセン。ふた通りというのは、ひとつは物理的にすべきことの量が多いこと。

そしてもうひとつは心奪われると言うか、時間を取られる考え事がある場合です。その場合、そういう事項そのものはそれほどたくさんではないかもしれません、数としては。

今現在の私の忙しさは、どちらかというと後者の方です。考えなくてはならない事項があるのですが、それがどうもスッキリクッキリ解決することのない類のものなのです。何かというと「お金」。

私は移民の人たちのケアをする牧師なのですが、教会の中の「社会部」とか「奉仕部」(例えばです。そういう部局は実際にはありません)とかいう「組織」には入っていません。故に、一般の部局が活動の基礎にするような「予算」もないのです。

その一方で、普通の教区牧師のように、ある一教区に在籍しているわけでもありません。ですから教区の教会が活動の基礎にしているような「予算」もないのです。

これは私だけではなく、他の特別職の牧師さんたち、例えば障害者の人たちに専門で関わっている牧師さんや、受刑者とその家族の人たちのための牧師さん等も同様の状況にあります。

では、活動資金はどうするのか?というと、毎年、教会本部の基金からの支援金を申請し、それをもとに予算を組むわけです。予算を組むといっても、事実はそれほど大げさなものではなく、出費をその支援金額内で収めるというだけのことですが。

私の場合、活動資金として申請する額は、過去数年はわずか六、七十万クローネでした。日本円でもそのまま六、七十万円相当。来年度は成長分を見込んで少し上乗せしましたが、それでも百二十万くらいのものです。礼拝(ミサ)の時のオルガニストへの謝礼が出費のメインです。

教会の基金というのは複数あるのですが、例えば教会堂の維持管理のための基金などは、やはり額が大きくなり、「何千万」が基本単位になります。それに比べたら、私の予算なのまさしく「小銭」の域なのです。




四十歳の二十周年記念に古巣のヒャットラ教会から頂いたお花


ですが、私のポジションの場合、このわずかな予算とは別の「隠し金」があります。それは -勝手に「難民基金」と呼んでいますが- 難民の人たちが「今夜泊まるとこがない」「バスに乗るお金がない」「弁護士費用が足りない」等々の緊急事態に対応するためのお金なのです。

これがなぜ「隠し金」かというと、もともとこの基金は教会の予算から出たきたものではなく、引退して田舎の農場を売り払い、フロリダへ移住した老夫婦が「困っている人のために使って」と差し出してくれた百万クローネだったからなのです。

このお金は非常に役に立つもので、かの老夫婦には心より感謝しています。説明するのはちょっと難しいのですが、例えば「誰かが野宿をするのを防ぐための宿代」とかいうのは、正規のルートで得ようとしてもなかなか承諾が得られるものではなく、仮に得られるとしても複雑な事務手続きを経ることになり、今夜の用に間に合わないのです。

そういう点を回避できるこの隠し金は、私にとっては「伝家の宝刀」的な価値を持ち始めています。

ところがです。百万クローネは今日(こんにち)ではそれほどの巨額ではありません。三年も経てば残りわずかになってしまいます。何とかしなくては。というわけで、私自身毎月一万クローナを自分の給料から献金していますし、日本からの旅行者の方の結婚式等で得る「臨時収入」もこちらへ回すようにしています。

それでなんとかバランスを保てていたのですが、ここのところ「弁護士費用」「バス代」「緊急食費」等々が重なってきたため、台所が火の車的な状況になってしまっているのでした。

先週末には、アフガン難民の女性(といってもやっと二十歳で、まだ女の子)と話しをしました。とにかく大変な体験をしてここまでたどりついていたのですが、心のケアを専門家に相談する必要がある、と別の難民アドバイザーから言われていました。だのにそのためのお金がない。ということで、そのための費用として16.000クローナを教会が出せるか、出せないか、を決めなくてはなりませんでした。

ジリ貧になってくると、16.000という額は深刻な額なのです。

でも、世の中を見渡してみると「16.000クローネなんて、そう大した額ではない」というのも事実です。ガソリン、一回満タンにしたら7.000かかりますからね。レストランで外食一回したって、ふたりで15~6000くらいはかかるでしょう。




ハウテイグス教会での「難民の人たちとする祈りの集い」


テレビやネット、新聞等での広告を見ても、16.000クローネ前後の額はごく「当たり前」のものとして飛び回っています。人ごとではなくて、自分もそうなのです。この間ユニクロでダウンのロングコートを買いましたが、それが17.900円。正直言って「安い」と思いましたよ、ダウン製品にしては。質もいいし。

それくらい嬉しく使える額なのですが、それが「難民女性が専門家に心のケアをしてもらう」ということになると、急に重く、しんどい額になってしまうのです。「しんどい額」というのは私が出し渋っているということではなくて、「それ用の予算の中から出すには、楽な額ではない」という意味です。

お金の価値は均等ではないし、お金の分配もフェアではない、と感じざるを得ません。公平に考えて、私がユニクロのダウンを求めた必要性よりは、このアフガン女性が専門の精神ケアを求める必要性の方がずっと高いと思います。

結局、16.000クローナは出すことにしましたが、その分の補充を考えないといけません。次が来る前に...

と、いうようなことを考えていて、このところ忙しくなっているのが私の現状です。スケールの大きさ(小ささ)というか、扱う額の小ささというか、ワタシはやはり末端の生き物だと感じさせられます。

まあ、逆にそういう末端だから感じることのできる喜びとか、見ることのできる美しさというものもあるのだろうと思います。例えば、あのアフガン女性が微笑むことができる日が来た時とか。

ウーン、札束よりはそっちの方がいいかな?ワタシは...
やはり末端で生きる生き物ようです。


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四十歳の二十周年記念日

2018-11-11 03:00:00 | 日記
やれやれ、ついに六十の歳に達しました。

毎年十二月の初めに、在アイスランド日本大使館の主催で天皇陛下のお誕生日を祝う祝賀会が持たれます。立食形式で、日本酒やお寿司なども振舞われます。ここ数年はずっと失礼していたのを、昨年は久しぶりに顔を出してみました。

その際、日本大使の北川さんが挨拶を述べられました。北川大使は別に景子さんのお父様ではありません。ですが石坂浩二然としたところのある温厚なジェントルマンで、キャリアではないので?官僚臭くなく親しみが持てます。

その挨拶の中で「還暦を迎えましたが、還暦というのは一周回って元へ戻ってくるということだそうで...」というようなことを言っておられました。その時点で私も「還暦候補生」だったので、聞き耳が立ったのでした。




このような風船も歳別に売っています
Myndin er ur Partyvorur.is


還暦といえば「赤いハンカチ」(おお、裕次郎!)、じゃなくて「赤いチャンチャンコ」。やたらのそのイメージだけが強いのですが、何を意味しているのでしょうか?

「暦が一巡したことで『もう一度生まれたときに戻る』と仮想したお祝い事が行われます。古来、日本では赤い色は『魔除けの色』と考えられ、赤ちゃんの産着(うぶぎ)には赤色が使われていました。そのため、還暦になったときもう一度赤いものを身につけるという風習になったわけです」

というのが、高島屋のギフトコーナーにある説明です。便利な世の中ですね。必ずどこかに答えてくれる人がいる! とにかく、爺さん婆さんはチャンチャンコが良く似合う。ということではないようです。

それでも個人的には「還暦」というよりは「四十歳の二十周年記念」という方が気に入っていますが。

日本では、誕生日祝いというのは子どもなどがまだ小さいうちか、あるいは逆に、まあ還暦はそう高齢ではないですが、喜寿(76歳)、米寿(87歳)等、高齢になってからお祝いをするのが普通だろうと思います。

お祝いをする、というのは本人と家族が祝杯を挙げるということではなく、誕生祝いを周囲を巻き込んで持つ、という意味です。

その点、アイスランドでは事情が異なります。実際、誕生日というのは、アイスランドと日本で文化的、社会的な意味が異なるものの代表選手だろうと日頃から考えています。

こちらでは、生まれ落ちた赤ちゃんから、ずーーーーと、人生最後の誕生日まで、人々はせっせとみずからの誕生日祝いを演出します。「みずからの」というのは、アイスランドでは誕生祝いとは「当人が祝いを用意して、日頃からの厚情を周囲に感謝する」という性質のもので、周囲が進んでお祝いするものではないからです。

ですから、職場などでもAfmaelisbarn(afmaeli=誕生日、barn=子供で、誕生日の子供)が、みずから持参したケーキ等を皆に配って食べてもらう、というのが普通です。

誰にでも、毎年必ずやってくる誕生日ですが(2月29日生まれの人はどうするのかは訊いたことありませんが)、特に四十、五十、六十等の区切りになる誕生日はStorafmaeli(大きな誕生日)と呼ばれ、人によってはかなり盛大なパーティーを催したりします。





今から十五年前の誕生日記事 若い?


以前十年の間、居候をしていたネス教会。当時ふたりの六十歳前後の男性牧師さんがいました。主任牧師のOさんは2009年に六十歳になりました。その際Oさんは「六十の誕生日だから、日曜日の礼拝に来てくれ」みたいな感じで呼びかけ、礼拝後のお茶の時間を自分の誕生パーティーみたいな感じにしていました。

私は礼拝の手伝いをボランティアでしていたのですが、「公私混同も甚だしい」と不快に思ったものです。Oさんは、まあそういう感じの見栄っ張りの牧師さんでしたね。今はノルウェーで働いています。

ネス教会にいたもうひとりの牧師さん、Sさんはそれから四年後の2013年に六十歳になりました。こちらは、教会の集会棟を会場とはしましたが、あくまでプライベートな集い。それでも百五十人くらいのゲストを呼び、相当大きな祝いの会にはなってはいました。その時もそこにいたのですが、義務の時間が終わるとさっさと退散いたしました。

で、お分かりと思いますが、私はあまりパーティーが好きではありません。絶対嫌!というわけでみなく、結構楽しく過ごすこともあります。例外なく、話しの合手になってくれる素敵な女性がいる時ですが、それはそうそう毎回巡ってくる幸運ではありません。

私は性格的に、自分が話すよりも話を聞くことの方が好きなタイプで(意外に思われましょうが、牧師にとって必要な第一の条件です)、そういうタイプはあまりパーティー向きではないように思えます。

というわけで、六十の誕生日を迎えても当然パーティーとかはしませんでした。娘と食事に行ったのと、親しくしてくれている邦人の方が後日食事に誘ってくれているのをお受けしているだけです。

もちろん何もなくてはつまらないので、何がしかのことはしようと思ったのですが、それが以前から何度も書いているダイエットと筋トレです。概ねうまくいきました。六十だからといって「年寄り」でくくられるのは嫌ですからね。お腹が平らだと、多少プロテストにも喝が入ります。

付録でついてきた楽しみもあります。新聞です。誕生日祝いが文化の一部になっているアイスランドでは、新聞等も誕生日祝いの人たちを取り上げます。フリェッタブラージズ紙が私の「還暦」に注目してくれ、短いインタビューを記事を写真と共に掲載してくれました。




今回、私の四十歳の二十周年記念を扱ってくれた新聞


実はワタシ、結構この「誕生日のお祝い記事」では人気があり、過去にもフリェッタブバージズ紙で、2003年(45歳)、04年、ちょっと小さ記事で05年、一年飛んで2007年、そして五十歳の2008年と、五年間で四回載せてもらったことがあります。ちょっとしつこいですよね。

よほど11月8日はニュースがなかったのでしょう。それにその頃はまだまだ「ガイコクジン」で目立つ人は少なかったのでしょう。幸いに、今では相当変わってきたと言えると思います。

今回、十年ぶりに誕生日のインタビューを申し込まれて、意外と嬉しかったというか「ああ、まだ完全に忘れられてはいないんだ」という安心感?って、そういうのがまさしく「過ぎてしまった人」の感想ではないか!? やばいです!!

とは言いながら、やはりこれからの十年(すべての条件がうまく整って、という条件で)が、仕事をできる最後の十年であることは確かです。ということはそれなりに、しっかりと目標を立てて、どのようにして仕事を終えるか、ということは絶対に視野に入れておかねばなりません。

それを思うと、「あと十年しかないのか」ということが、非常に具体的に迫ってくるのですよ。何にプライオリティーを与えて、何を「できれば」という副菜に下げておくか。これはこれで、結構考えるのが楽しくなるトピックです。

そういうことですので、とにかくおかげさまで還暦を迎えることができました。それで何かがすぐ変わるということはありません。このしょうもないブログも、まだまだ続けていくつもりです。

内容的に見て「どうしても六十のオトコの書いたものとは思えん」という方もいらっしゃいましょう。でも、それだけのオトコが書いているものなのです。急にその事実が変わろうものでもありませんので、そこはそのままにして、毎日をありがたく、大切にしていきたいと思います。

ブログを通してのお付き合いに感謝いたします。皆様も良い誕生日を迎えられますよう。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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