レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

晩夏のダイエット 晩年のダイエット?

2018-08-19 03:00:00 | 日記
八月も後半に入りました。アイスランド、特にレイキャビクでは八月は忙しい月になっています。ここ十五年くらいはずっとそうだったと思います。八月はワサワサしていました。

それが、昨今は外国からの観光客の皆さんの数が増えたことにより、それまでの八月のワサワサ感が、余計に増幅されて感じられます。

自分の町に観光客の方たちが大勢いる、というのはそれだけでワサワサした感じを与えるものですね。今まではそんなことを考えたことはありませんでしたが。すみません、京都や浅草にお住いの方。これまでワサワサさせてきました。

ちょうど前回のブログをアップした時は、「レイキャビク・プライド」という祭りの最中でした。そのハイライトは一週間前の土曜日のパレードで、今年も一万人以上の人が集まったとか。

これは、以前は、といいうか、今でも普通には「ゲイ・プライド」と呼ばれている催しで、元来はゲイの人たちの権利をアピールする目的で持たれていました。1999年から催されています。

「ゲイ」ということは主に同性愛者の人たちのことを意味してきました。ですが、彼らの権利の拡充に伴って、今では「LBGTの人たちの権利」の主張へと重点が多少シフトしてきているようです。




レイキャビクプライド メインのパレード
-Myndin er ur Hinsegindagar.is-


そして、昨日の土曜日は「レイキャビク・カルチャーナイト」Reykajvik Menningarnottというお祭りでした。「ナイト」とはいえ、朝から夜中までのお祭りで、町中で無数のイベントが持たれました。今年で23回目の開催ということですから、1996年以来でしょうか?これもすごい人出。

まあ、それはまた落ち着いてから書きたいと思います。「今起こっていることをまとめて書く」というのは、なかなか難しいものでして。(^-^;

さて、今回書くのはダイエットについてです。これも「今起こっていること」の範疇に入りますが、すでにかなりの時が流れているので大丈夫です。

私は先の四月末からダイエットをしていました。直接の理由は四月上旬の日本帰省で食べ過ぎ、72キロ超で帰国。戻ってから三日でダイエットを始めました。

ダイエットの方法は、それまでにやったことのある「朝バナナダイエット」と「野菜スープダイエット」のミックス。方法論的に特に理屈があるわけではなく、「雰囲気」のダイエットです。(^-^;

それでも、体重は短期間にある程度は落ちました。というか、一ヶ月で5キロは落ちたと思います。体重を落とすという意味ではうまくいきましたね。

当たり前といえば当たり前で、朝バナナを一本食べた後は、昼はパス。食べてもバナナか、ヨーグルトにシリアル。夜は色々な野菜を煮込んだスープと、時に魚や肉の「副菜」。夜はナッツを少々と、2〜3杯のワイン(実はもう少し?)、という具合でした。

「食事を抜く」ということ自体は、慣れていてそれほど苦にはなりません。それが健康にいいかどうかは別問題。難しかったのは、ダイエットよりはむしろ「減塩」の方でした。

「減塩」はもう咋夏から行なっているものなのですが、決して簡単にはなりません。って言うか、減塩すると自然にダイエットになるような気がします。「食物」に自然に「制限」がかかります。この辺の事情は以前書いたことがあります。

食欲の秋が 来た〜? 来な〜い?





レイキャビク カルチャーナイト
-Myndin er ur Menningarnott.is-



さて、この方法のダイエットは短期的には効果はあったものの、長く続けるにはあまり賢いものではありません。第一に「食事を抜くというのはいいことではない」と多くのダイエット専門家が口を揃えて言っています。

第二に「煮込んだ野菜スープ」というのは、煮込むことによって野菜のほとんどのビタミン等は破壊されるか、水に溶けてしまっています。だから野菜そのものは単に糖質の塊と化しているわけです。

スープを飲めば、野菜から流出した栄養分を回収できるのでしょうが、そこが「減塩」身分の辛いところ。なにしろ「コンソメ」等味付けの素、すなわち塩分はすべてスープに入っているからです。減塩するなら、スープは飲むべからず。「ラーメンを食べても汁は残せ」と同じです。

ですが、他に「こうしよう!」と思い当たる方法もなく、とにかく5キロほど体重は落とせたので、だらだらとこのあまり賢くないダイエットを続けていました。体重はだいたい67キロ前後。もう少し落としたいのですが、そこで停滞。というか、その辺が私の通常の体重ではあったのですが。




レイキャビク カルチャーナイト
-Myndin er ur Menningarnott.is-


一方で、その頃から私はボディメイキングのエクササイズを始めていました。ボディ「再」メイキングと言ったほうが正解か?老化を促進しないように、ある程度はボディエクササイズをしよう、と目覚めたわけです。

それで、エクササイズを自己流で始めながら、そういう関連のYoutubeビデオや本などを参考にして知識も集め始めました。

ボディメイキングの世界は、必然的にダイエットと結びついています。ただここでの「ダイエット」とは、「体重を落とす」「痩せる」ための食事療法というよりは、「ボディメイキングを促進する」「よっては健康を促進する」という積極的な意味でのダイエットであるようです。

ボディメイキング、あるいはボディビル関係のビデオでいつも言われるのは、「筋肉を作るのはタンパク質。だから食事はタンパク質を十分に取らなくてはいけない」ということ。

六十歳間近にして、さすがにその程度のことは承知していましたが、この歳になってティーンエイジャーのように、プロテインドリンクを飲むようなことはバカバカしさが先に立ってしまい、No thank youのつもりでした。

ところがボディビル界のレジェンド的な存在である北島達也さんによると、「高齢の人ほど十分にプロテインを取らなくてはいけない。さもないと筋肉がどんどん脆弱化し、代謝の悪化に拍車がかかる」というのです。

筋肉は、存在するだけで基礎代謝を促すので、筋肉が多いほど代謝は促進されるそうで。なぜ代謝が活発な方がいいかというと、代謝が人の摂取したカロリーを消費する最大の源だからです。

つまり代謝の良い人と悪い人が同じ量のカロリーを摂取した場合、代謝の悪い人の方がエネルギーを消費しきれず、体内に脂肪を抱え込む率が増えるのだそうです。

それを聞いてから、私もせっせとプロテインをシェイクして飲むようになりました。「プロテインは5時間しか体内に保存されない」そうで、定期的に補充した方がキンニク君の育ちが良くなるのだそうです。

そういう雑学的な知識を蓄えていくうちに、私のダイエットは「タンパク質重視、糖質回避」型になっていきました。そして、その過程で行き当たったのが「ケトジェニック・ダイエット」と呼ばれる食事法です。

これはここ十年くらいの間に(あるいはもっと前から)、欧米や日本でも注目されてきている食事法だそうで、「理論に裏打ちされた糖質制限ダイエット」ということになるようです。

今は、私のダイエットはこの「ケトジェビック方式」に拠っているのですが、次回、もう少しきちんとご紹介してみたいと思います。

まあ、正直言って、シェイプアップのためのエクササイズも相当面白くなっていますが、ダイエットもかなり面白いものがありますね。こんふたつに相関関係があるからかな?やはり何事も相手がある方がいいか?そう思うと寂しい晩夏でした。


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アイスランド−「世界の田舎」   で、いいぞ

2018-08-12 03:00:00 | 日記
ここアイスランドでは、八月の第一の週末はVerslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギ「商人の週末」と呼ばれる月曜までの祝日。そしてその週末の後は「夏休み終わり」の感がやってきて、生活が日常に戻り始める、ということはこれまでにも何回か書いてきました。

今年はヴェルスルマンナヘルギの間は夏らしい好天に恵まれ、気温もそれなりに(13―16度)「夏らしい」ものになりました。野外どんちゃん騒ぎパーティーの愛好者の方々はさぞかし楽しんだことでしょう。羨ましくもなんともありませんが。

そのお祭り週末が明けた火曜日は、風が強くなり半袖シャツに革ジャケットで外を歩いた私は、すっかり冷えてしまいました。寒かったですよ、マジで。翌水曜日も強風。典型的な八月の天気で「大気が不安定」という言葉がいつも頭に浮かんできます。

その翌日の木曜日の晩は、レイキャビクのダウンタウンにあるTjanidチャルトゥニズ「池」のほとりで、恒例の「ヒロシマ・ナガサキを偲ぶキャンドル流し」が行われました。この日は風もおさまり、多くの人が参加しました。今年で三十四回目ということです。

昨年は雨で、私はくじけて参加しなかったのですが、今年は心改めて参加してきました。このイベントについては以前にもブログで書きましたので、よろしければご一覧を。

レイキャビク式灯籠流し




「キャンドル流し」会場の池 午後十時半からですが、十時にはまだ誰もいない


この集まりに参加すると、いつもアイスランド人の良い部分を感じる思いがします。「他人のことでも親身になる」というのか、素朴な田舎っぽい人の情愛を感じてしまうのです。

特に大掛かりな宣伝がされるわけではありませんし、凝った趣向もありません。人たちはただ来て、短いスピーチを聞き、キャンドルを灯して、静かな池の面に祈りと共に浮かべるのです。

仰々しいイベントではないが故に、むしろ心にじんわりと伝わってくるものがあります。

直接には、広島にも長崎にも、あるいは日本にも特別な関係がないであろう人たちが、この日のことを毎年覚えて、哀悼と平和への願いとお祈りを運んで来てくれる、ということは当たり前のことではないし、大切に受け取りたいと思います。

時々そこここで、そのようなアイスランド人の「田舎っぽい情愛」を感じる機会があります。家族的な情愛という言い方もできるかもしれません。「たとえ表面的に先進国の衣装を纏(まと)ったつもりでいても、衣装のほころびをつつけば、田舎社会が顔を出す」というのが、私のアイスランドに対する基本的な意見です。

この、そこここに顔を出す「田舎臭さ」が気にならないか、あるいは私のようにむしろ気に入ってしまう向きは、アイスランドとうまく折り合いをつけることができるでしょう。

そういう田舎臭さに我慢がならず、どうしてもトーキョーやニューヨークでのようなセンスで物事を運んで欲しい向きには、おそらくアイスランドは正しい場所ではないのではないか、と思います。

これはレストランやホテルでのサービスのような、表面的な事象についてだけではなく、何と言うか、社会の成り立ちから行政一般の運び方等、かなり社会生活の根本にあるもの全般に関して言えることだと考えます。

先日の水曜日に面白い話しを聞きました。いろいろな教会の有志が集まる、お昼の祈りの会に参加しました。その集まりに定期的に出席しているベンニさんというおじさんが、前日に電話してきて「どうしても会ってもらいたいシリア難民の女性がいるから」ということでした。

ベンニさんは特に親しい友だちではないのですが、いろいろと難民の手助けをしている優しいおじさんで、時々一緒に活動をすることがあるような関係の人です。




十時半にはかなりの人だかり


会の後、ベンニさんとその難民の女性の方と、三人でカフェで話しをする時間を持ちました。この女性アイラさんは、シリアにいた時から聖書に関心を持ったそうで、難民となって滞在していたギリシャでクリスチャンになりました。

で、ベンニさんは、アイラさんが孤独にならないようにと、教会の中で親しい友だちを見出しやすいような環境を探してあげていたのです。

教会の集会というものは、いろいろな仕方で無数に持たれているのですが、それらの中で、アイラさんが最も居心地がよくなるのはどこか?とベンニさんなりに、助力したかったようです。

私は、アイラさんは市の真ん中にある、ある教会の英語礼拝に参加している、と聞いていたので、そこでいいじゃないか?と思ったのですが、ベンニさんは気に入らないらしく、「あそこの英語の礼拝に来る人は、来ては去る、という性格が強く、あまり継続した親交が持てない」と言うのです。これは初耳。

さらに同じその教会のアイスランド語での礼拝については「そこは私自身の教会だし、いいんですけどね。ただ、あそこはみっつかよっつの『家族』によって形成された集会なので、外から来た者は入りにくいというか、入れない部分があるんです」へー、なるほど。これも初耳。

「でも他の国民教会のあちこちの集会を見ても同じだと思う。昔からいる『家族』が中心に座っていて、それ以上の『コミュニティ』が成長しないところが多いように思うんだ」そう。これは初耳ではなく、私も実体験してきました。

で、私が口をはさみました。「教会というよりは、アイスランドの社会そのものがそういう感じしますよ」

つまり、これは私がいうところの「田舎臭さ」の一面でしょうし、ネガティブな方向の局面だと思います。「内側」に入ってしまえば、居心地は良くなるのですが、「外側」にいるうちは、「内側」にいる連中の気の利かなさにイライラしたり、閉め出されたような疎外感を感じたりしてしまうのです。

まあ、新来者が疎外感を持たされたり、イライラさせられてしまうことはよくないことですし、これはいくら言い訳を連ねても正当化されません。アイスランド社会の改めていくべき点だと思います。

ですが、その一方で、今あるこの「田舎臭さ」そのものが損なわれないように、ということも私は願っています。何というか、均一のマニュアル的な「洗練さ」や「スマートさ」が入ってくることによって、これまでのアイスランド社会が「地」で持っていた温か味や人間味が損なわれて欲しくはない、と思うのです。




午後十一時には懐かしい闇が訪れます


要するにうわべは丁寧で、礼儀正しく感じ良いのだけど、実際にはそう振舞っているだけで、なんの実際の心もそこに付いて行っていない、というようなことです。

まあ、「都会」とされるところの大方ではそのようなことが現実になっていると思っていますが。すべてではないでしょう、ということは付け加えておきますが。

私は都会が嫌いなわけではありませんし、むしろ都会好きな方なんですけどね。でも、ここがトーキョーやニューヨークのようになって欲しいとは思いません。そうなったら、そこはアイスランドではないですから。規模の問題というよりは、... 生活の基盤、社会の組み立て方の問題だろうと思いますが。

先述のシリア難民のアイラさんですが、うまく教会に溶け込んでサポートを受けることができるよう願います。アイスランドの「田舎臭さ」が出てくれますよう。相当な辛い出来事をくぐってきたようなので、この地で新しい生活の基を据えてくれることを、おそらく周囲の誰もが望んでくれるでしょう。

アイスランド、「世界の田舎」で居続けて欲しいものです。


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「なりきり」ボッシュ刑事の短い夏休み

2018-08-05 03:00:00 | 日記
八月を迎えています。日本では八月はまさしく「夏の真只中」の感がありますね。ですが、ここアイスランドでは八月はすでに「夏の終わり」を運んでくる月なんです。

この時期には、夜も十時を周りますと、辺りは相当暗くなってきます。ふと目を窓の外にやると「あれ!? もう暗いじゃん」とか気がつき、驚かされます。夏至から一ヶ月以上経っているのでうから、当たり前ではあるのですが、明るい夜に慣れてしまった自分の意識の方が不意をつかれてしまうわけです。

八月の第一の週末、つまり今のこの週末はVerslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギ(商人の週末)と呼ばれ、明日の月曜日にかけての祝日となっています。野外どんちゃん騒ぎの週末なのですが、この週末が終わると「夏も終わった」感が一気にやって来ます。

この週末に関しては以前にも書きましたのでそちらも参照してみてください。

八月のアイスランド「準備中」




有名になった?ウェスターン諸島での野外パーティー
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私はこの夏は長い夏休みを取らないつもりでしたが、それでも七月の最後の週からこの週末が終わるまでは「休みにしようか?」と考えていました。多少の気分転換は誰でも必要ですし、周囲が「夏休みの最後のあがき」的な雰囲気になっているので、落ち着いて仕事に向き合えないのです。

そのような中途半端な状況だったら、お休み宣言して気を楽にした方が良い、とこれまでの経験から学んだわけです。「7月25日から二週間は夏休みにしよう」と。

日本の皆さんからすれば、それでも十分に長い夏休みでしょうが、こちらではこれは普通の夏休みの半分に過ぎません。ですが、私は日本へ戻る計画が別にありますので、これで十分。

ところが、いくつかしなければならない事項が出て来てしまい、結局お休みに入れたのは7月30日の月曜日になりました。ちょうど二ヶ月ほど居候していた息子が、新しい住居へ移って出ていく時だったので、いろいろ手伝いもあり、まあ休みにした甲斐がありました。

ところが同時進行で、月曜の夜からいろいろ相談事が入ってきたりして、あまり休みに没頭はできません。で、少し迷ったのですが、木曜日には夏休みを切り上げて、仕事をまた始めました。(^-^; 結果、足かけ五日間の夏休みとなりました。

まあ、この夏は過去三年間の夏のように、仕事がわんさかとはなかったこともあり、結構のんびり目の夏を過ごしていましたから、それほど「夏休みが欲しい」というところまで追い込まれていなかった、という前提はあります。

その上で夏休みを切り上げることにした第一の理由は、やはり仕事の必要があることです。いろいろな相談事が五月雨のように流れ込んでくるのは、牧師や、お医者さん、弁護士さんのように、人の相談に乗ることを生業としている方々には共通のことでしょう。

それでも、例えば歯が痛くなったら歯医者さんに頼らざるを得ませんよね。比べて、牧師さんのところへ流れ込む相談事は、歯医者さんの場合の歯痛の痛みを処置するという問題の解決よりは、「問題があることを聞いてもらいたい」というものの方が多いように思います。解決そのものを求めるのではなくて。

そういう場合でも「夏休み中だから遠慮しておこう」とはなかなか考えてはくれないようなのが、つらいところです。「強制送還の通告を受けた」とか「滞在許可が認められなかった」とかいうが多いのですが、牧師はそれらの問題になんの直接的な解決も与えることはできません。しかし本人にとっては大問題ですから、話さざるを得ないのです。

そういう事情はありましたが、それが夏休みを切り上げた理由ではありません。理由は五人ほど、新しい難民申請者の人たちが教会を頼って来たからです。




「難民の人たちと共にする祈りの会」の一コマ


この人たちはすでに洗礼を受けているクリスチャンが四人、そうではない人がひとりです。私が責任を持っている「難民の人たちと共にする祈りの会」は、まさにそういう人たちのことをまずもって考えて持たれています。

で、そのような時に「悪いけど、今週は夏休みだから」と言って、教会へ迎えるのを先延ばしにするのは、好ましくありません。特に、この国に来てまだ間も無く、右も左もわからない人に対しては、致命的に良くないことと言っても良いでしょう。

というわけで、夏休み切り上げの第一の直接の理由は、この五人の人たちを放ってはおけないからということでした。なんというか、むしろやる気がムクムクと湧いてくるのです、こういう状況に出くわすと。

夏休み切り上げにはもうひとつの理由もあります。もしかしたらこちらの方がさらに直接の理由かもしれません。それは、「夏休み、することがなくてタイクツ!」ということです。

家庭のある人は旅行へ行ったり、サマーハウスに滞在したりと、いろいろ計画もありましょうが、ワタシのように、婚姻解消者(バツイチよりも響きがいい)で、子供たちはそれぞれに独立して生活していますと、「咳をしてもひとり」というか「何をするにもひとり」になってしまうのです。

お茶ひとつにしても、声をかけられる邦人の人たちも帰省中だったり、前回登場したシノブママもクロアチア旅行へ行っちゃってたりして、相手がなく、要するに皆それぞれの夏休み中の事実に負けているのでした。

そんな侘しい四、五日の夏休み中にしたことのひとつが読書。マイケル・コナリーのLAPDハリーボッシュ刑事もの最新作「燃える部屋」をEbookで一気に読破。続いて、その前々作と前作のふたつの作品を読み返しました。




TV化もされているハリーボッシュ刑事シリーズ でもこの俳優さんはイメージと違う
Myndin er ur Realsounds.com


このハリーボッシュには、どうしても自己投影してしまう部分が相当あります、特に五十を過ぎてから。要するに「なりきり」で読んでしまうということにほかなりません。(^-^; これが大のお気に入りのシリーズであることは、前にも書いたことがあります。

Connelly World & Harry Bosch


このボッシュ刑事も、娘に関することと、Jazzが好きなこと以外は仕事が生きがいというタイプ。それゆえの喜びと哀しさがストーリーに織り込まれているわけです。

(*ハリーボッシュシリーズに関しては、ハンドル名Heartbeatさんという方が、ファンサイトを通り越した「研究サイト」を作っておられます。関心のある方はぜひお訪ねください。Hearbeatさん、ありがとうございます。大変参考になります。
ハリー・ボッシュをもっと知りたい! )

ボッシュの考えの基本にあることのひとつが「過去の殺人事件犠牲者の声を聞く」こと。ボッシュ刑事、(シリーズ終盤は)LAPDの未解決事件班に所属しているので、過去の犠牲者の「声なき声を聞く」ことを信条のひとつにしています。

これを「なりきり」牧師のワタシは、同じように難民の人たちのような、色々な意味で「声を持たない人たち」の声を聞く、ということに重ね合わせて受け取ってしまいます。「そうだ、Voiceless voices を聞くのはいつなの?今でしょ」 

という、バカバカしいほど単純にスイッチが入ってしまったワタシは、夏休みを切り上げて、仕事を続けることにしたのでした。私の中の牧師の部分は、きちんと聖書を人生の書として範に挙げ、糧としていますが、私の中のワタシの部分は、ハリーボッシュ刑事ものも我が人生の書として傾聴しているのでした。

とにかく、ハリーボッシュはリゾートホテルのポールサイドで、ブルーハワイをストローで吸うようなことはしないのだ。ハリーボッシュは皆が帰宅した後のLAPDのデカ部屋で、マグコーヒーを片手に調書を再査読するのだ。

そんなこんなで私のこの夏は過ぎて行くようです。平和ではありますが、多少哀しいものもあるような。でもその哀しさはまぎらわされるようです - ヒグラシが鳴かないから、ここでは。

まだまだ暑いニッポン。熱中症に気をつけて今週もお過ごしください!!


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波止場カフェ シノブママとの会話

2018-07-29 03:00:00 | 日記
猛暑のニュースが続く日本の皆様には申し訳ないような気がするのですが、レイキャビクでの梅雨のような夏にうんざりしているワタシは「ホンマの夏よ、来い!」と叫びたくなります。

そんな中でのびっくりニュースは「今度の日曜日、レイキャビクは快晴。気温は25度に達する可能性がある」という天気予報が先週の木曜日に出たのです。「今度の日曜日」、つまり今日です!

レイキャビク(とその近郊)の住民二十万は、今日の日を、水着を右手にグリル用のトングを左手にして迎え、「夏日」がようやくやって来る期待感に胸を躍らせているのです。まあ、多少、私の想像ですが。

今日の気温が20度を突破したかどうかは、またそのうちお知らせします。ほとんどの日本の皆さんには、現実味のない話しだろうと思いますが、世界の中には、「25度が欲しい!」と願っている人々も実際にいるのでした。

さて、この梅雨のような夏を、そんなに繁忙期でなく過ごしている私は、先週の水曜日に、近所に住む、麗しい邦人の女性と午後のお茶に出かけました。快晴ではなかったのですが寒くはなく、二人で歩いてこれまた近所にある波止場まで行き、そこのカフェに入りました。




落ち着く老舗のカフェVagininn
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その辺りはGrandiグランディと呼ばれる地域で、これまではうらぶれた「昔の波止場」感がいっぱいだったところです。それが昨今のツーリズムの上昇風に乗って再開発が進み、今では外国からのツーリストが群れで歩くような「洒落たポート」に転身しつつあります。

ただ私たちが入ったのはVaginnヴァグニン「ワゴン」という、昔からあるカフェでした。旧港が見渡せるように大きなガラスの窓に囲まれ、テラスもついていますが、雰囲気は大衆的で落ち着きます。お馴染みであるにに違いないような、歳のいったアイスランド人のお客さんも多くホットさせられます。

お相手の邦人女性は私よりも二十も歳が若いのですが、つまりはアラフォーなのですが、才色兼備のシングルマザーです。常日頃から私のことを「お兄ちゃん」呼ばわりして、ワタシが変な勘違いをしないように釘を刺してきます。こちらは対抗して「シノブママ」と呼んでいます。

娘さんがいるので「ママ」と言ったのですが、本人は「チーママみたいに聞こえるからヤメテー」と文句を垂れます。「シノブ」はもちろん仮名ですが、この流れでなぜ「シノブ」か、ピンとくる人はかなり古いです。(^-^;

このシノブママは、フォト、ファッション関係から健康食までいろいろと才能のある方なのですが、特に文才がある、と私は見込んでいます。Facebookとかで、ほんの一言、二言で人の心に刺さる「名言」をしばしばつぶやいています。

ですから以前から「日本でエッセイ集とか出せばー?」というようなことを勧めているのです。今回もそんな話しに触れて、「アイスランドに住む、日本人シングルマザーの子育てとライフスタイルのエッセイ」だったら絶対売れるよー、などと焚きつけたのでした。




カフェvagninn の港側テラス
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「言いたいことは結構あるとしても、それを日本語で表す自信がないなあ」というのがシノブママの弁。「エッ!?」と思い訊き直すと、子育ての問題とかアイスランド語でなら自分の気持ちを的確に表す術を思いつくのだけど、日本語でそこに含まれる情感とかを表し切る自信がないとのお言葉。

ギョギョ! そこまでアイスランド語が生活言語になっているのか? ま、負けてる...

「友達にオーストラリア出身の青年がいて、アイスランド語もペラペラなんだけど、彼も子供の問題とか熱い想いはたくさんあっても、それを伝えるのに英語ではダメだって言ってました」とシノブママ。

これもにわかにはワタシの頭脳には入って来なかったので、説明してもらうと「なんというか、子育てのこととか、アイスランド語で考え始めた問題だから、英語とかでそのことを考えたことない分、その部分に限ってはアイスランド語が先に行っちゃってる、っていうことだと思います」

その点に関してはママも同感の様子。なるほど。

似たようなことは身近にもあります。私の息子は小学生の頃は日本語がペラペラだったのですが、十七、八になり、少し奥深くものを考えるような年頃になってからは、その考えていることを表すのに日本語が追いついていかなくなってしまいました。これは子供の成長過程の一部としてみるならば、非常に自然だしわかりやすい事象です。

でも、そういうようなことが成人した人にも起こり得るということには、正直考えが及んでいませんでした。でも、そういうことが起こるというのは、アイスランド語が相当な生活言語になっている証拠。それはすごいです。

ワタシなんざ、二十六年住んでいても、やはり生活言語は日本語だと思います。ごく限られた状況でアイスランド語が日本語の上に出てくるかなぁ、というところでしょうか。

でも、アイスランド語でなら言えるけど、日本語が追いつかない、ということは私自身は感じたことがありません。もしかしたらこのブログで日本語への転換が鍛えられたか?(*^^*)




オールドポートからのレイキャビク市内方面の展望
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ああ、でもそれとはちょっと違うところで、似たような思いはありました。ワタシ、詩が好きで、アイスランド語でも詩をよく読みます。スラスラとはいきません。詩を読むのは難しいことです。

で、自分も詩を作ります、アイスランド語で。十年くらい前に詩集を出したこともあります。もちろん自分で詩をスラスラ書けるわけではなく、周りの人に随分助けてもらうのですが。

よく訊かれるのは「日本語でも詩を作るのか?」ということなのですが、これは「いいえ」です。日本語ではまったくダメで、「詩らしきもの」さえできません。理由はわからないです。

母などから「自分で作った詩を日本語に訳して読ませてくれ」とか言われたこともあります。でもそれも「ダメ」です。「訳せるわけがないだろ?」というのが正直な気持ちで、なんというか、違う世界のできごと、なんですよね、アイスランド語の詩と日本語の世界は。

これはうまく説明できないのですが、私に限っての話しをさせていただくと、詩では「この言葉の訳はこれ」というだけではすまなくて、他にいろいろと情景とか、その言葉の対照物とか、なんやかんやと繋がっている部分があると思うんです。

それが「言わずもがな」の部分としてある、それも相当大きな部分としてある。だから、単語の意味を置き換えるだけではとても追いつかないのではないか、と...

逆に日本の「山路来てなにやらゆかしすみれ草」をアイスランド語に訳すのも、おそらく専門的に翻訳を勉強された方でなければできないことだろう、と想像します。

「いまさら〜?」ですが、言葉というのは面白いものですね。今回、シノブママから聞いたこの話しはとても良い思索の材料になりました。まだ、吟味し終わっていませんので、もう少し深くじっくり考えてみたいと思います。

それでは猛暑の続く日本の皆さん。熱中症、くれぐれも気をつけてください。「私は大丈夫よ」というのはやめて、お過ごしくださいますよう。今日が25度になるのを願っている街、レイキャビクからでした。


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真夏の夜のミステリー

2018-07-22 03:00:00 | 日記
七月も「二十」のつく日を数えるようになっています。日本からのニュースを垣間見ると、連日四十度を超えるところもひとつふたつではないようで、熱中症で救急搬送される方があとを断たないとか。

私はお風呂の中以外では四十度という温度を体感したことはおそらくないだろうと思います。冗談ではなく、十分に健康に気をつけてお過ごしください。

翻ってアイスランドでは、これまで書いてきましたような「梅雨」っぽい夏が続いています。七月末になってこれでは、もはや「あきらめた〜」です。先週、二、三日太陽がきらめく日がありましたが、ああいうのは単にお天道様の嫌味としか思えなくなってきました。

そうではありながら、これも前に書きましたように、今年の夏は私は比較的「お手すき」です。そういう環境を利用して、自分なりに「夏」を楽しんでいます。

テレビ(ビデオ)では、大好きなNYPDものや最近はまっていたChicagoのサスペンスものを離れ、夏らしくちょっと牧歌的というか、自然を感じるサスペンスはないか?(それでもサスペンスを求めます)と、itunesのストアを物色していて、ひとつ面白そうなシリーズを見つけました。

イギリスのテレビのシリーズでGrantchesterというもの。主人公が教会の牧師さんのようで、しかも殺人事件を解決するミステリーもののようです。面白そうな設定なのですが、過去の経験から英国ものは当たり外れがあるので、取り敢えず一話だけ購入し試しに見てみましたが、結構いい線行っていたのでシリーズで購入しました。




Grantchester St. Mary & St.Andrews教会
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ミステリーと教会、とかいうとすぐに出てくるのが古典と化しているチェスタトンのブラウン神父ものですね。大衆文芸をざっくりとエンターテイメントに加えるとして、エンタメの世界での「教会」というのはほぼ「カトリック教会」と同意義です。

テレビの人気シリーズだった「ダウニング神父ミステリー」も神父さん。現代のNYPDものBlueBloodsに出てくる教会もカトリック。エクソシストから謎の古代遺跡を巡る冒険活劇に登場するバチカンのスパイたちも皆カトリックです。

私が気に入っている数少ない「プロテスタント」主役のミステリーは。少し古いのですが七十年代のチャールズ・メリルという牧師さんの筆による「ランドルフ牧師」シリーズでした。カリフォルニアの大学のキリスト教史学の先生が、シカゴの著名な教会の臨時牧師を務めながら、殺人事件を解決していくもの。会話が嫌味なく洒落ていて小気味好い。

これはかなり面白くて何度も読みました。残念ながら邦訳が第三作までで終わってしまっていたのですが、最近続きの三作の英語版をアマゾンのマーケットプレイスで購入しました。ですが、なんせ時代が少し前になってしまったので、まだ読む気になっていません。英語だし...

脱線しましたが、そういう「プロテスタントやばし」という背景がありましたので、このGrantchesterというテレビシリーズに気を引かれたのです。

Grantchesterの物語はイギリスはケンブリッジの近郊、グランチェスターの町を舞台にしたミステリーです。ですが時代は少し遡って、始まりは確か1953年という「戦後」の舞台設定です。

2016年の推定人口が580人ということですので、まあ小さな町ですね。チャールズ皇太子も訪れたことのある「オーチャード」という美味しいティーガーデンがあるとかで、日本のネットでも紹介されています。別に英国ファンでもない私には初耳の町でした。




ドラマにも登場するカム川
Myndin er ur Wikipedia.co.uk


主人公はその町の教会のVicar、教区牧師であるチェンバース牧師。三十代始めで独身、平凡な感じの男。それが町の警察の刑事ジョーデイとコンビを組んで事件を解決していくことになります。

チェンバース牧師を演じるのはジェームス・ノートンという役者さんでこの人も私は知りませんでした。が、刑事役のロブソン・グリーンはこれまでも他の刑事物ドラマ等で何度も見ているお馴染みの俳優さんです。ちょっと老けた...

ミステリー、刑事物とはいえ、大好きなNYPDものとは異なり派手なアクションもなく、時代も一昔前だし、ある種「隔絶された田舎」でのお話しなのです。それはそれでまたいいのです。

そのような田舎で起きる殺人事件。それを単なる謎解きではなく、なぜその事件が起きたか、その事件の時代背景などが織り混ざっており、ドラマでもあります。

例えば主人公のチェンバース牧師は、第二次大戦でスコットランド・ガードとして従軍。ナチスドイツとの戦闘で心に傷を負っています。それが次第に明らかにされていきます、と言うか、いくようです。

あるいは同性愛の問題など、現代なら半世紀前とは相当異なる理解が出てきているトピックについても、「ああ、あの時代はそうだったのか」と考えさせられるようなものもあります。

ただし、イギリスの歴史ある町でのお話しなので、歴史や教会の仕組みなど、多少理解するのに難しい点もあります。話しの流れを追うのには問題ないと思いますが。

例えば上述した「スコットランド・ガード」がどういう風に普通の英軍と違うのかとか。多分「スコットランド」というのが意味ある点なのでしょうが、私などには浅い理解しかありません。

さらに主人公の牧師が、町の人々からVicarと呼ばれます。Vicarは現代訳では「教区牧師」のようなものなのですが、英国国教会ではそれなりの歴史があります。人が普通の意味でFatherと呼ぶのと何かニュアンスの違いがあるのか、否か、など。観ていると、Vicarとう言葉にはあまり尊敬の念が付随していない気がしてしまうもので。




ジョーデイ刑事とチェンバース牧師
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ところで、このGrantchester、私にとってNYPDやFBIものを観ている時と一番異なるのは、アクションの有無や時代のズレではなく、やはり主人公が牧師さんであるということ。なんというか、やはり自分と比べてしまうのです。

ある状況での人との受け答えなどについて、「ああ、彼はそう言うか」とか「まあ、そうするのが妥当でしょうね」とか。評価するのとは違いますが、自分ならこう言う、こうする、ということを考えてしまうわけです。

このチェンバース牧師は、ジャズが好きでお酒も飲むし、他人の問題を素通りできないおせっかい、でも女性に関しては不器用でイジイジだし、相当スキだらけ。そういう点では自分の対局というよりは断然「仲間」感が強い牧師さんです。

このGrantchesterミステリーシリーズ。原作はジェームス・ランスという人の筆によるものだそうで、時代設定から見て昔のお話しなのかと思ったら、意外や書かれたのは2012年とか。テレビ化されたのが2014年で、現在まで3シーズンが放映されています。シーズン4も決定されているとか。

日本でもAXNミステリーで放映されたとネットで読みました。AXNミステリーとはなんぞや?テレビの仕組みも複雑化してきており、私はついていけていません。(^-^;

咋夏の今頃はTwin Peaksを改めて観ていましたが、今年はGrantchesterです。どちらも時間の流れがゆったりと落ち着くようで、さらに豊かな自然が癒しを与えてくれる(かの)ようです。

もし、真夏の暑い夜に、なにか「目に珍しいもの」をお探しでしたら、是非ともこのGrantchester、お試しください。


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