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レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌(25–1)−「星に願いを」の巻

2025-06-09 18:39:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。




自宅ベランダからのオーロラ(撮影は去年)
Pic by Me


なんと一ヶ月ぶりの更新となってしまいました。そしてその一ヶ月ぶりの更新は、二年ぶりの「サッポロ北街ひとり日誌」となります。

そうなんです。実はちょっと急な用事があり五月の三週間近く、札幌へ帰省していました。さらに「サッポロ北街ひとり日誌」は二年ぶりなのですが、「実は」札幌へは去年の秋にも帰っています。特に変わったエピソードもない平安な帰省で、ブログ種がなかったので省いちゃいましたが。(^-^;

今回の帰省では予定外に桜が見れたり –これは海外在住者にはそんなに当たり前のことではありません– さらに梅や金木犀、さらにはチューリップ等々のお花が咲き並んでいるという札幌独特の五月に再会できたので書くこともあります。

ですが、なぜか今回はいきなり「アイスランドへの帰路の旅」についてとなります。ちょっとご紹介したいエピソードがあったので。

三週間弱の滞在を終えた私は、フツーに大きいスーツケースと一回り小さい荷物のふたつを転がしながらホテルを出ました。一回り小さい方の荷物はズック製のペチャンコになるタイプのもので、来る時は大きい方のケースの中に収まっていました。滞在中のユニクロでのお土産等々が詰まっているのです。

スーツケースふたつを転がして歩くのは、結構面倒なことでA地点からB地点へ移動すること以外、何もできなくなります。というわけで、新千歳空港に着いた私は真っ先にJALのカウンターへ向かいました。荷物から自由になりたかったのです。




半分「葉桜」だった赤煉瓦庁舎前の桜
Pic by Me


荷物さえ預けてしまえば、新千歳空港の盛んなエンターテイメントを楽しむことができます。少し前の「マツコ有吉のかりそめ天国」でやっていましたが、新千歳空港は国内空港では稀に見るほど、お土産屋さんや食べ物屋さんが立ち並び、さらには映画館から温泉まであるという「アミューズメントパーク」なのです。

私の帰路の経路は千歳から羽田を経由してヘルシンキへ。そこからアイスランドはケフラビクへ、という三年連続の新定番ルート。

ですが、最初のJAL便は午後6時発。私はかなり早めの2時前に空港に着いてしまいましたので、荷物が預けられるかちょっと不安でもありました。国際線乗り継ぎの場合は、自動チェックイン機ではなくJALの専用カウンターに行かねばなりません。

四番カウンターの一番右の受付で迎えてくれたのは結構可愛い女の子。チケットのチェックをすると、「18時発の便ですが、到着の遅れが見込まれています。よろしかったら早い便に振り替えますが、これから空港で何かご予定がございますか?」

携帯WiFIを返却ボックスに放り込むのとトイレ以外にはさしたる「ご予定」もない私は「いえ、まったく大丈夫です」と返答。女の子 –いや、若い女性職員– は何分かコンピューターと睨めっこした後、「早めの16時の便しか空いていないのですが、よろしいでしょうか?」

この日は日曜日で大混雑の日だったのです。16時発だと午後5時半くらいに羽田。乗り継ぎのFinnair便は夜の10時くらいなので、羽田でのんびりすることになります。でも保安検査とかあるし、早い分には構わないか。「はい、大丈夫です」

「承知しました」チケットを再確認していた女性職員は「最終目的地はヘルシンキですか?」「いえ、乗り換えでアイスランドまで行きます」

すると「わー! アイスランドですか?私、去年アイスランドに行くつもりだったのですが、仕事の予定が変わり行けなかったんです」といきなりパーソナルなトーク。さらに「お仕事ですか?」「えーと、仕事というよりはあそこに住んでるんです」

「えー、アイスランドにお住まいですか!? 」あたかも「いいなあ!」と続きそうな気配。「アイスランドに住んでいる方にお会いするの初めてです!じゃあ、オーロラとか見れるんですか?」

オーロラか。「はい、よく見れますよ、オーロラ」「いいですねえ、オーロラ見てみたいんです!」というので私は定番の答え。「でも、オーロラって、5分も見れば十分ですよ。外は寒いし」 ...考えてみれば、北海道の方がもっと寒いじゃん。




五月の札幌は花の天国
Pic by Me


「やっぱりどこか遠くに行かないんと見れないんですか?」「いえいえ、家のベランダから見えることもあります。ただ周囲の明かりが少ないところの方が、もっとはっきり見えますね」

「ご自宅から見れるんですか?羨ましい!」この若い女性職員さん、結構な興味をアイスランドに持ってくれているみたいです。「でも、オーロラって、一回見たら十分ですよ。ほら富士山とか毎日見てても飽きないじゃないですか。オーロラは一回見たら、次に出ていても『だから?』っていう感じですね、私は」これは持論です。

「そうなんですかー?やっぱりいつも見れるとそうなんですかね?」というような会話をした後、荷物は無事にカウンター裏へ運ばれ引換券を受け取りました。笑顔で送られた直後に「ああ、ブログのこと話しておけばよかったな」と後悔。名札も見なかったので名前も確認してなかった。でも少なくとも向こうはこっちの名前は読んでくれてるな。

いやいや別にナンパしようという魂胆はありませんが、せっかくだから何か繋がりが作れればよかったのに。電話番号とかじゃないですよ。ブログを知ってもらえれば、それだけでも「繋がり」

これが午後3時前。

おおよそ27時間後、私はケフラビク国際空港に無事到着しました。現地時間の翌日朝の9時。9時間の時差を遡ってきたので日本では時が進んだその日の夕方の6時です。

旅の最後の微かな心配の種は、荷物がちゃんと一緒に来ているかどうか。最近拡張された、荷物受け取りの回転ベルトコンベアのあるエリアへ。ありがたいことにふたつの荷物ともちゃんと現れてくれました。

と、大きな方のスーツケースを引き下した私の目に、バッグに括り付けられているカードが入ってきました。何やら日本語が見て取れます。「ご搭乗ありがとうございます。アイスランドぜひ行ってみたいです」




こういうの大好き!
Pic by Me


名前こそもちろんありませんが、あの若くて可愛い女性グランドサービスの方であることは間違いなし。ああ、こうなると余計に「可愛さ」が増幅されてくるんですよね。名刺を携帯していなかったのが人生最大のミスだ... いやそれはさすがにお大袈裟か。でも、もし彼女がアイスランドに来るなら、一言連絡して欲しいよなあ。

でもこういう経験は初めてだし、正直嬉しかったです。(*^^*) おじさんか! おじさんだよ、オイラは。こういう慎みある粋な触れ合いは大好きだし、人生豊かにしてくれます。JALには私の憧れの天女様がいるのですが、これでまたJALに引き込まれてしまいました。

サッポロ北街ひとり日誌 (18-2) – 神の恵みと幸運とJALのCA


で、このブログを書きながら、星に願いを。5月25日日曜日の午後、新千歳国際空港のJAL四番カウンターの一番右にいたあなた、ぜひともこのブログに行き着いてください。もしくは、この女性に心当たりのあるアナタ、このブログを読んだら彼女にお伝えくださいませ!! よろしく頼みますよーっ!!


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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最近参加した抗議集会

2025-05-03 21:06:27 | 日記
こんにちは/こんばんは。

GW後半の四連休中ということですね。引き続き、安全のうちにお休みを楽しまれますよう。ただ、ニュースで見る限り、日本ではやはり「行列」がすごいですね。あまり気がつかずに過ごしてきましたが、この「行列」もアイスランドではほぼほぼ見ない現象です。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Robert _Bye @unsplash_com


こちらでは、非常に楽だった冬に引き続き春っぽい日々を迎えています。前回書きましたように、公式には「夏」なのですが、それでも「春っぽい」と感じる時期はあります。

私の教会裏の駐車スペースでは、枯れ木のようだった木立の枝に緑の蕾が萌え始めたり、草地部分にはつくしが顔を出すようになりました。

なぜかはわからないのですが、つくしを見ると嬉しくなります。幼少期へのノスタルジーか?一度だけ、つくしを取りに行って「あえもの」を作ったことがあります。美味しいですけどね、面倒。ヘタとりが。(^-^;

さて、先日の金曜日には久々の抗議集会に参加してきました。久々といってもその前週にも参加しており、この二回が「久々」だったことになります。

難民の人たちに関係している仕事ですので、難民申請への理屈の合わない拒否回答や、無慈悲な強制送還などがある場合、抗議の声を上げることはこれまでも何度もありました。

抗議といってもその仕方は、オピニオン形式でメディアに流すものや、何かの機会にスピーチをしたり、あるいは書面で関係機関に訴える等々、いくつかのやり方があります。

今回は抗議集会形式。もちろんSNSを使ってのアピールや直接の書面等での抗議も関係者によってなされています。先週の集会は法務省のあるビルの玄関前。今回は週一で持たれる閣僚会議の行なわれるビルの玄関前。

金曜日の場合は、結構な数の警察官が玄関をガードしていて、抗議が行われた小一時間の間はビル前の通りも交通が遮断されました。道路が遮断されたのはありがたかったですね。玄関周囲は鉄の柵で囲われてしまい、私たちは車道に立たざるをえなかったので。




教会脇のつくしたち
Pic by Me


とはいっても、抗議に参加したのはわずか三十人ほど。平日の朝8時45分、つまり閣僚の皆さんが会議のために集まってくる時を見計らっての時間設定だったため、普通に勤めに出ている方は参加できなかったのです。

抗議の理由は十七歳になるコロンビアからの少年の受け入れ拒否でした。この少年  -カルロス君としておきますが- 彼は十五歳の時に父親と妹と共にアイスランドへ来て難民申請しました。父親がギャングに脅迫されていたとのこと。

申請が拒否されるまでに二年間もかかりました。その間カルロス君は学校で多くの友達を作れたのですが、中でもひとりの少年と仲良くなり、その少年の自宅にも呼ばれて出入りするようになっていたのです。

ところが最終的な結論が出る前に、カルロス君の父親が長期に渡って暴力を振るっていたことが判明。カルロス君の親友となった少年の両親がその事実を突き止めて、子供を保護する機関に連絡したのです。

同時にこの両親 -お父さんをシンドリさん、お母さんをシグルンさんとしておきます- はカルロス君の養父母となることを願い出て、カルロス君の実の父親も親権を放棄しました。カルロス君はシンドリさんの家庭に引き取られたのです。

ところが、子供に対しての虐待の訴えを受けた地方自治体の未成年保護委員会はあまり積極的に関与しなかったらしく、当然なすべきった調査をしなかったようです。この点は不透明な部分があります。

結果、昨年の十月にカルロス君は家庭内暴力を振るう父親と「共に」コロンビアへ送還されました。この点も批判の対象となっています。警察は何の事前通告もなく、ある日学校へやってきて、トイレを使用中だったカルロス君を引きずり出して連れて行ったといいます。

コロンビア、ボゴタに着くと、父親は妹だけを連れて消失。カルロス君はひとりでホームレスとなりました。幸いアイスランドで貯めた小遣いが多少あって、食物は買うことができたとのこと。

シンドリさん夫婦は、それでも毎日カルロス君とSNSで連絡を取り合いました。そしてどれくらいの期間の後なのかわからないのですが、なんとカルロス君を迎えにボゴダまで出向いたのです。




金曜日の抗議集会
手前は環境大臣のJohan Pallさん この間までNo Borders側にいた人
Myndin er ur Visir.is/Anton_Brink


そしてアイスランドへ戻ると再度難民申請。前回は父親が申請して、カルロス君は「追従する未成年」だったのですが、今回は自分の名前で申請。

ところが移民局はすでに結審済み、との立場で申請の受け取りを拒否、というか審査すべき案件として認識することを拒否したのです。ここから、一件はマスコミに流れ始め、一般人の知るところとなったわけです。私自身も、それまではまったくこの問題は知りませんでした。

アイスランドの一般人は「子供」に対してとても敏感なところがあります。例えばガザの子供達の状況にもものすごく反応していて、イスラエル軍への抗議デモは何十回も繰り返されており、いくつかのデモでは警察との小競り合いも生じています。

で、このカルロス君の状況についても「なぜ、受け入れてやらないんだ?送還されたら未成年がホームレスになるんだぞ。まだ子供だぞ。ここでなら引き取って面倒を見てくれる家庭まであるじゃないか。誰にも迷惑がかからないで、ひとりの少年の生活が救われるんだ」というような世論が形成されています。

珍しく教会も迅速に対応し、先週の抗議集会の前には百二十人の牧師が連名でカルロス君の受け入れを支持。今回はシノッドという全国教会会議の場で、同じくカルロス君の受け入れを政府に求める声明を採択しました。

嬉しいことに?この双方の教会の動きには私は関与していなく、まったく自発的に他の牧師さんらの働きで実現しました。この間までは難民とかいうと、私以外にはほとんど声を上げる牧師さんはいなかったのですが、ポジティブな発展です。

先週、今週の抗議集会はNo Bordersという難民支援を中心として活動している団体の主催でした。No Bordersとは長い付き合いですが、時折り過激になることがあるので、適当な距離を取りながらの関係です。




国民的人気歌手Pall Oskarさんも抗議に参加
Myndin er ur Visir.is/Anton_Brink


先週の集会では私も短いスピーチをしましたが、金曜日の集会には是非とも教会の声明文を、その声明を起草したグループの牧師さんに読み上げて欲しかったので、アルトナさんという女性牧師に頼み込んで来てもらいました。

金曜日の朝落ち合うとかなり緊張していて「トシキ、私これまで抗議集会とか一度も参加したことがないから...」(代わりに読んでくれないか?)みたいな感じだったのですが、「いやいや、何事も初めてから始まるから」

アルトナ牧師はきちんと自身の役割を勤め上げてくれました。

これからどうなるかは、まだ不透明です。政府は「送還の決断に変わりはない」と突っ張っていますが、これは周辺諸国からの難民の扱いへの(ネガティブな)圧力もあるので、柔(やわ)なことは絶対公言しません。

最近では、政府が表向きは「タフ」の姿勢を崩さず、その反面で当該申請者が「事実として」ここにいられるようになった事例がありました。

すんなりとはいかないでしょうが、たとえすっきりしない解決となっても、カルロス君が滞在できるようになることを願います。

「思いやり、優しさ、ヒュマニティでは国は治められない」という意見が強まっていますが、「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」がない国ってどんな国でしょうか?

世界の広範な領域において悲惨な現実が露見していることは誰でも承知しています。「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」があるから「それにもかかわらず」私たちはなんとかやっていけているのです。

アイスランド、日本を問わず国政の権力に関わる方々にはそのことを無視しないでもらいたいものです。


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ここが違う ー 先生と小坊主

2025-04-27 21:42:16 | 日記
こんにちは/こんばんは。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Theodor _Vasile@unsplash _com


前回はあえて触れませんでしたが、このブログあるいは他のGooブログをご覧になった方はすぐにイヤでもお気づきになったと思います。そうなんです、Gooブログ、今年の秋でサービス終了となるそうです。

「ブログ引越し」用の手順やサービスもきちんと提供されているようです。「Amebaブログ」か「はてなブログ」というサービスとは、話しがつけてあり受け入れがスムーズだということですが、他のブログサービスでも可能ではあるようです。

サービス終了は11月だそうで、まだしばらく間がありますので、考える時間はあります。う〜ん、ブログ開始当初より足かけ十三年ここにいますので、残念ではありますね。

さて、日本はGWの真只中ということでしょう。最近ちょっとニュースにもあまり付いていっていなかったので、すっかり頭の中から消えていました。良いGWを楽しんでください。

一方、アイスランドは「公式に」夏になりました。アイスランドは公式には夏と冬の二季しかありません。毎年「四月の第四木曜日」が「夏の第一日」として定められており、この日は祝日です。

夏の第一日は結構冷え込んで小雪が舞ったりすることもあるのですが、今年は暖かく夏っぽかったですね。皮肉な「夏だねー」という冷笑はありませんでした。

その「夏の第一日」から始まって、私も四連休を楽しんでいます。四月は5日の一日しか休みを取れていなかったので、多少の骨休めです。新相棒のアーニー牧師が、仕事にも集会に来る人々にも慣れてきてくれたので、安心してお任せできるようになってきました。

この三日間ほど読書三昧。まずはいつぞやもご紹介しました鳴神響一さんの「脳科学捜査官 真田夏希」シリーズの最近の二巻、プラス鳴神さんの新しいシリーズの「湘南機動鑑識隊 朝比奈小雪」の第一巻。

軽いノリの刑事もので始まった今年




自宅のマグ 左は夏用、右が冬用
Pic by Me


夏希さんものはこれまで通り面白かったですし、小雪さんの方は、まだ第一巻なので状況説明と導入がかなりを占めていますが、これからに期待できます。

鳴神さんのものは電子書籍で買ったもので、一冊読むのに三時間はかからないでしょう。私にとってのリラックス本です。

ついで日本から買ってきていたもの、プラス、アマゾンで買って積んであった書籍の中から二冊を読んでいました。

これは「業界もの」で一冊はジョン・ヒューレット牧師の「牧師のレジリエンス」という本。日本で長く働かれた(働かれている)アメリカ出身の方で、マラソンが趣味だそうです。

で、牧師の生涯をマラソンに例えて、牧師就任時、働き盛り期、熟年期、リタイア間近等の、どの時期にどのようなことを気をつけるべきか、というような生涯ケア的なアドバイス本です。いい内容で、窓際に追い詰められた今の私には役立つものが多かったです。まだすべてを咀嚼できていませんが。

もう一冊は佐藤彰(あきら)牧師による「教会形成の喜び」という著作。多分、雑誌に掲載したエッセイと神学校での講演をまとめて、さらに書き下ろしの部分も加えて一冊にしたものかと思います。

こちらも面白く、内容も豊かで前述のヒューレット牧師の本と同じく牧師の「その時に応じた身の処し方」ということに多く触れられています。とても良い指摘が多かったので、どういう牧師先生かと思ってグーグルしてみました。

私よりもひとつ年上なだけの同輩の先生で、福島第一聖書バプティスト教会の牧師さん。この教会は1950年代からある歴史ある教会で、あの福島第一原発の最寄りの教会だそうです。




西町フルアパートからの夕陽の眺望
Pic by Me


Youtubeにも佐藤先生の働きを紹介するものがあったので、見てみました。非常に感じの良いえらぶらない方です。Youtubeでは本ではあまり触れらていない物語りも聞くことができました。

それはあの東日本大震災にかかわるものです。2011年当時には佐藤牧師は五十四歳。その時すでに福島第一聖書バプティスト教会の他に、近隣に三つの集会所というかきちんとした教会を建てていらしたとのこと。これはすごい。順風満帆と言って過言ではないでしょう。

しかしそこで起こったあの大震災。佐藤牧師は家をなくした教会員の方々60数名と共に、あちこちへ避難所を求めてさまよう流浪の民となりました。東京都下の奥多摩にある「福音の森」という教会用のキャンプ施設に迎えられ一年を過ごしたそうです。私も神学校時代にお世話になったことがあります。

この辺の様子は私が書くよりもYoutubeをご覧いただいた方が早いし正確でしょう。とても数行で説明できるような些細な物語ではないので、ぜひ見てみてください。これ、そんなに教会「臭く」ないですから、キリスト教に縁のない方でも大丈夫だと思います。

佐藤 彰さん「すべてを失っても ~希望~ (1)」

[くりナビ] 希望の未来へ羽ばたく教会/佐藤彰牧師|クリスチャン・ナビゲーション




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Yanshu_Lee@unsplash_com


ともかく、そのような大試練を経験された後、わずか二年後には福島県のいわき市に、またぞや新しい教会を建てて残っていた三十人の教会員の方々とともに「移住」したのだそうです。

その教会もほったて小屋などではなく、私の目からすればかなり大きな教会です。いやあ、すごいです。教会を建てることがすごいというだけではなく、あのような危機の中で停滞してしまわないで、ご自身や周囲を立て直して、さらにきちんとした前進をするというのがすごいと思います。正直言って感服。

同年代の牧師なのに、どうしてこれだけ差が出るかな?佐藤牧師は文字通り「先生」の尊称に値しますが、こっちはいまだに「小坊主」の域を出ていない。もともと器が違うというのもありましょうが...  トホッ

そういえばヒューレット牧師の本にもあったなあ「好むとも好まざるとも、つまり結末は人生の一部分である」ヘンリー・クラウドさんという方の言葉だそうで。タシカニー。

まあ、そういう小坊主、中途半端もん、落ちこぼれ、B級、イマイチ等々をいちいちきちんと拾い上げてくれのがキリストなので、心配はいらないのですが。

最後に、はじめのGooブログサービス終了に戻りますが、Gooブログをされている方がありましたら、どのようにするつもりか、考えをコメントでシェアしていただけますか?

あまり他のブログサービスのことを知らないので、情報を与えていただけると助かるのですが。よろしくお願いします。m(_ _)m


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聖週間の映像クリエーター

2025-04-19 20:25:23 | 日記
こんにちは/こんばんは。

今日はまず、Gledilega paska! です。グレージィレーガ・パウスカと読みますが、Delightful Easterというような意味の復活祭の挨拶言葉になります。今日、20日が復活祭の日曜日。日本ではまだまだ浸透度が少ないでしょうが、復活祭はキリスト教文化圏ではクリスマスと並ぶメジャーな祭日です。

ちなみにユリウス暦を用いている東方の正教会とは、毎年この復活祭の日にちが異なるものなのですが、今年は例外で私たち西方教会も東方教会も同じ4月20日が復活祭の主日(日曜日のこと)となります。




Gledilega paska!
Pic by Me


復活祭に至る一週間は「聖週間」と呼ばれる特別な週で、キリストの十字架への途を偲ぶ時とされています。キリストが弟子たちと最後の晩餐を取ったとされる木曜日、そして十字架につけられた金曜日の両日は祝日です。

この「聖週間」(「せいしゅうかん」と打つと「性習慣」が第一に現れるのは毎年のご愛嬌 *^^*)ですが、英語ではHoly Weekとまんまなのですが、アイスランド語ではDymbilvikaディンビルヴィーカと呼ばれます。Dymbillと vika(週)の二語の連結語なのです。Vikaは「週」なのですが、dymbillの方は何か?というと、実はそれが何かはっきりとはしていないようです。

Dymbilvikaという言葉は非常に古い言葉で13世紀の書物に初めて確認されています。ただ学者は「さらに古くから使われていた可能性はもちろんある」としています。

一番の定説は、聖週間にはキリストの苦難を偲ぶため、教会の鐘が鳴らされなかった、もしくは響かないように「ミュート」された、というもの。dymbillはそのミュートのための道具もしくは方法とされます。

ある説では、鐘が響かないように布で包んだ状態の鐘がdymbillとされますし、また類似の説は鐘の中にある振り子の「木製」のものがdymbillであるとします。




レイキャビク市内ハウテイグス教会の鐘
Myndin er ur kirkjan.is


また別の説ではdymbillを、鐘の代わりに使われた木製の楽器であると主張し、さらに別の説は教会の中の床に立てれた大きな燭台だとします。この週には教会のキャンドルも消されたことからそのように考えらたようです。

何年か前にこのdymbilvikaについて書いたことがありますし、興味ある方はそちらも参照してみてください。

教会の鐘がミュートになる時...?


このことについてそんなに書くつもりはなかったのですが、今回思い出したので、また取り上げてみました。ザックリ解説ですみません。でもあまり詳しくやられてもねえ。

毎年使う言葉なのにアイスランド人自身が何のことかわかっていない言葉もあるんだ! というのは面白い点です。

とにかく週前半はともかく、「聖」木曜日と「聖」金曜日は確かに街中も普段よりはずっと静かな気がします。いや、それはウソだな。ワタシは街中には行っていないのでわからない。車で周囲を見た限りでは、交通量も少ないし静かな気がします。

なぜ街中に出ていないかというと、引き篭もり老人だから。ではなくて、ここのところ超忙しかったのです。その主な理由はひとつの動画を作っていたからです。聖木曜日と聖金曜日は休日、と書きましたが両日とも私は早朝からせっせとお仕事していました。

そうなんです。動画作りは仕事関連。私と新しく相棒になったアーニー牧師が責任を持っている英語集会のプロモートビデオを作っていたのです。たった5分ほどの短いものですが、そういうビデオは作ったことがなかったのです。




今日(19日)のモルグンブラウジィズ紙の一面
Myndin er ur mbl.is


コロナの全盛時には教会の集会の動画を毎週作っていたので、動画作りそのものは初めてではないのですが、教会の集会とかの画像はそこにいて同じ対象を撮るだけ。それを少し角度を変えたり、ズームしたりして、変化はつけますが単純であることに変わりなし。

そこから派生してキリスト教の「布教」(なんかイヤな言葉)のメッセージ動画も作っていたことがあるのですが、これもカメラの前で喋るだけの超絶シンプルもの。動画編集なんてiMovieで十分でした。

でも今回はたった5分とはいえ、画像を重ねたり、プライバシー保護用に部分的にぼかしをかけたりする必要があったので、iMovieの兄貴格のFinalCutProX(FCPX)を使うことに。

実はですねえ、持っていたのですFCPX。コロナ時に「映像クリエーター」気取りで購入したのですが、その後宝の持ち腐れ。正直言って、六十代後半の翁にはあれはかなりしんどい。

うかつに余計な操作をしてしまうと、作業画面がまったく違うものになったりして。それはあり得るけど、問題はどうしたらもとの画面に戻れるのかわからない。そこで、YouTubeに助けを求める、みたいなことの繰り返しになりました。

FCPXはやはりきちんと講習を受けて使う方がいと思います。ネットでも無料のチューションはたくさんありますが、秩序立てて習った方が結果として効率的かと。

まあ、そういうわけでかなり集中してこの作業に没頭したわけです。正直言って、キリストの苦難の道のりよりもFCPXの扱いが心を占める一週間となってしまいました。




アイスランドでは復活祭といえばチョコのイースターエッグ
Myndin er ur Facebook af Noi Sirius


あ、そうそう。編集だけではなくて、撮影も結構時間取られました。編集しながら「この部分はこういう画材があった方がいい」とかわかってくるんですよ、一丁前に。で、その部分の撮影。

難しくはないんですけど、人物が必要なこともあるので面倒な部分はあります。そう「人物」なんですけど、一番の問題点はそれなんです。私たちの集会は難民の人が多く、いろいろな事情から「顔出し」できない人ばかりなのです。

でもたった5分とはいえ、集会の紹介する動画で人が出てこない、というのは致命的。サクラを集めるのが常套なのでしょうが、そこまでしているゆとりがない。というのが一番の苦労でした。

なんとかそれっぽい画をつなげ終えました。最後はBGM。久しぶりにニコニコモンズが役に立ちました。毎月何百円か払い続けてましたからね。元は取らないと。

アーニー牧師は「Amazing Graceがいいんじゃないですか?」若いのにありていだな。いかにもじゃないか、Amazing Graceなんて。でも結局それにしました。アコースティックの良いアレンジがニコニコにあったので。

ただ動画の後半部は、ニコニコで見つけたオリジナルのピアノ曲にしました。すごくいい曲で気に入りました。「おゆひよこ」さんというクリエーターの方のYellow starという作品。

視聴可能です。「おゆひよこ」さんのサイト


そしてめでたく完成しました。出来栄えは... まあ、教会の動画だな、というのはありますね。昨今のショートビデオのような奇想天外な要素はまったくありません。視聴数を得るとか、そういう目的ではないからね、もともと。

恥ずかしい出来ではないと思います。二、三、直したいと思うところはありますし、プロの映像と比較したらからぜんぜん質が違いますが。

ただ良い点もあります。今回の動画、一銭もかからずできました。外部からサービスを買ったら相当な支出になると思います。コロナ時に結構いろいろな小道具を買ってましたから、今回は出費なし。

その動画をお披露目したいのですが、今回はまだFacebookにしか投稿していないので、Facebookアカウントをお持ちの方限定になります。面白いものではないですけどね。念を押しておきますが、教会の活動紹介ですからね。へへ





というわけで、映像クリエーターのトーマでした。また次回、お目にかかります。


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50–50の日

2025-04-05 20:30:22 | 日記
こんにちは/こんばんは。

四月となりました。日本ほどではないでしょうが、今年の場合はアイスランドでも春の気配が濃厚に漂っています。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Anton_B@unsplash_com


前回、私のいる教会に日参する雁(がん)のトリオについて書きましたが、書いた途端に大きな変化があり、このトリオ消えてしまいました。教会の隣りの草地、というか湿地には三、四十羽の雁が常駐していたのですが、ここも「もぬけの空」と化しました。

ネットで調べた限りでは、あのトリオはアイスランドで雛をかえす種類のものなので、国外へ旅立ったわけではないと思いますが、おそらく春となり産卵にふさわしい近隣の他の場所へ移動したものと思われます。

まあ、これこそ「春の事象」なんでしょうが、かなり残念。心にぽっかり穴が空いた感があります。寂しい。秋くらいに子連れで帰ってきてくれることを願います。元気でやれよ〜!

それでふと思い出したのですが、母の知り合いの女性の方が、一番末のお嬢さんが四月から大学生活のために札幌から福岡へ引っ越してしまい「さすがに寂しい」と漏らしていたとのこと。

この時期、大学生活や社会人生活が始まり、親元を離れて行くという人は大勢ありますよね。「心の空洞」を噛みしめていらっしゃる親御さんも多いことでしょう。いや、別に大切なお子さんたちと雁を同化させているわけではありませんが、少しは通じるものがあるような。




「トリオ」はこの種の雁
Myndin er ur Vindavefur.is


さて、今回は(今回も)個人的な話しであまりよそ様に役に立つトピックではありません。

私は1992年4月2日に成田を発ち同日の夜九時半くらいに、ケフラビクの空港に着きました。その時はヒースロー経由。九時間の時差を戻って行く方向でしたので、着いたのは日本では3日の朝となります。

ですから、つい先日で満三十三年の滞在となりました。その一方で私は今年の十一月で満六十七歳となります、それまで生きていれば。

で、この年のどこかの時点で、私が日本で暮らした年月と、アイスランドに来てからの年月が「均等」になる、ということは以前より気がついていました。一生懸命計算するほどの意義もないですから、漠然と「十一月の誕生日で50–50か」くらいの気持ちでした。

ですが、先日閃いて「あ、ChatGPT とGeminiという優れものがいるではないか。あいつらなら簡単に計算できるだろう」と思い立ち、正確にこの日本-アイスランドが50–50になる日を計算してもらったのです。

両者とも、計算の過程も説明してくれるので面白いのですが、言われてみればそんなに複雑なものではなかったです。

第一ステージ。私が日本で過ごした「日数」を計算。

1958年(私の生年)の誕生日を第一日として含めて、その年に何日間残っているかを計算。54日間。

ついで1959年から1991年の32年間の日数を計算。365x32プラスその間の閏年の数です。ちなみにこの間の閏年は八回なのでトータル12053日間。

次に1992年の4月2日(を含む)までの日数を計算。この年は閏年だったので93日間。

これらを足すと、私の日本生活日数は12200日間だったことが分かります。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Ludovic_Charlet@unsplash_com


第二ステージ。1992年4月2日(を含む)から数えて、いつが12200日目になるかを計算。

12200日間を365,25(閏年を含めての一年間の平均日数)で割ると、およそ33年となり、12200日目が2025年のいずれかの日と確定。まあ、それは分かってたけど。

次に1992年の4月2日から2025年4月2日までの日数を計算。第一ステージと同じようなことを繰り返して、これは12054日間となります。そうすると足りないのはあと146日間。

4月の残りは28日間、5月31日間、のように数えていくと1992年4月2日から数えた12200日目は今年の8月26日であることが分かりました。

今、ご紹介したのはGeminiの計算式で、ChatGPTは多少異なる道でしたが結果はもちろん同じ8月26日。

ちょっと脱線しますが、アップル系の私はこれまでChatGPTを贔屓(ひいき)にしてきましたが、最近になってGeminiの方がいいかな?と思い始めています。まあ、その理由はまたそのうち。

そういうわけで、来たる8月26日で私の日本での生活期間と、アイスランドでの生活期間が均等になります。ということは8月27日からは一日一日とアイスランドでの生活期間の方が長くなっていくわけです。

ざっくりとした意味ではすでにほぼほぼ均等になっているわけですが、不思議なもので、心情的には日本での生活期間のほうが圧倒的に長く感じられます。これもあの「ジャネの法則」の故なのかなあ?

ジャネの法則




頼りになるGeminiの計算式の解説
Pic by Me


最近よくテレビやCMで「二拠点生活」とかいうのを目や耳にしますが、単細胞な私にはそういうのは難しいでしょうね。まあ「二拠点」にもいろいろあるから、港区と八王子の「二拠点」とかいうのなら面白いかもしれませんが。

アイスランドと日本の「二拠点」。若い人たちの中には、それに近いことをしているか、あるいはそっちに向かっているような方もあるようですが、それはそれで良いことでしょう。

私の場合はまず経済的に無理です。しかもたとえ経済が許したとしても、精神的に「二拠点」に必要とされる「切り替えの早さ」というものがありません。帰省の後こちらに帰国する度に「日本ノスタルジー症候群」を発症するくらいですから。

私には8月26日を「50–50の日」として個人的に祝うくらいがふさわしいものでしょう。オータニさーん!みたいだし。彼の場合は54–59か?

というわけで、最初にお断りした通り今回はまったくの個人的トピックで、なんの社会性も公共性もない内容でした。悪しからず。

強いていうならば、ChatGPTとかGeminiって、使い用によってはこういう個人的な記念日を算出するのにも役立つことを発見しました。これは共有性があるかも。

皆さんも何か「個人だけの」記念日を算出してみたらいかがでしょうか?


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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