卆寿の旅

平成30年8月3日、満九十歳 卆寿になり、「八十路の旅」を「卆寿の旅」にタイトルを変更し、徒然なるままに記します。

油断

2019-08-21 14:53:30 | Weblog

<油断しているわけではない>

  油断しているわけではないが、この頃、体のあちらこちらに、アザができる。痛くも痒くもないが、内出血のあとのようだ。1週間ぐらいで、もとに治まるが、何となく腹が立つ。

  多分、なにかモノが当たったか、モノにぶつかったセイだと思う。無意識というのがやっかいだ。夜の入浴の際に発見する。2、3cmぐらいのアザだが、トシのせいにしたくないが、トシのせいだと思う。

  つい、この間、(8月16日、午前3時ごろ)、左足首の 甲に痛みがはしり、K整形外科で診てもらった。幸い、その日の夕方には、治ったが、これも原因不明のままだ。

  この頃、むやみに「油断」という言葉にとりつかれている。


<油断、談義>

  古い話。・・・わが実父(村で開業医をしていた)が、「油断」という言葉をよく使った。「人間は油が切れると死んでしまう」「油断大敵」「油断してはならない」・・そんな言葉をよく使った。

  そこで、「油断」について調べた。

  油断とは、気を許して注意を怠ること。

  語源は二つ。(1)王様が臣下に油を持たせて、一滴でもこぼしたら命を断つと命じたこと。
        (2)「ゆったり」「のんびり」と言う古語。

*その他、行灯などの油の準備を怠ったため夜中に油が切れ、敵に襲われ命を落とすことから、「油断」になったという説。

*(2)は地方の方言で、四国では「ごゆっくりしてください」「ゆだんなされ」と言う説もある。

*まあ、「油断」とは、気を許して注意を怠ることと解釈したい。 


<「生きること、死ぬこと」の再掲・10箇条>

  前のブログの終わりの頁を再掲。・・生きること、死ぬことが、まいにち、頭の中をかけめぐる。・・旅に病で夢は枯れ野をかけめぐる・・芭蕉の俳句が脳裏から消え去らない。

  死の足音が、遠くの方で聞こえるが、まだ、近くにはやってこない。しかし、生きることの難しさを感じる。・・そんな気持ちを箇条書きにする。

(1)死んだらシマイとつくづく思う。四苦八苦はなくなる。楽チンだ。

(2)現世は所詮,生きている人の世の中である。死んだ人が、ぶらぶら舞い戻ってくることはない。

(3)生きている人の世の中が、トシをとればとるほど、遠くに感じる。

(4)長く生きていれば、それだけ、この世のチリやホコリをおおくかぶる。よいことはあまりない。

(5)「適当に死ぬ時期がある」と、曾野綾子さんはおっしゃる。「人間にはちょうどいい死ぬ時期がある」と、帯津良一先生はおっしゃる。

(6)わが妻は81才7ヶ月でオサラバした。死ぬまで自分のエネルギーをいっぱいためこんで、いっきに、わが腕の中で息絶えた。死ぬ時期を心得ていたのだと思う。

(7)長生きは決して幸福とは言えない。自分のことは自分でできるうちはよいが、寝込んだらどうするのや? ましてボケが高じて、夜中に徘徊したらどうなるのか。

(8)死ぬ時期は難しいが、長生きに負けない生き方をしたい。

(9)足腰や頭には限界がある。人には差があるが、帯津先生は80才頃がいいのではないかとおっしゃる。いちばん遅めでも、90才半ばぐらいだろう。その時が死ぬ時期として、ちょうどよいと。・・帯津先生は昭和11年生まれだから、わが妻と同じ年。・・・83才か?

(10)足腰や頭に、限界がくるまでにパッと散るのが最高だよね。頑張れ,ジロ爺さん!


<死の足音は、かすかに聞こえるのか?>

  毎日が日曜日のわが輩には、あまり関係はないが、9連休(8月10日~8月18日)が終わり、8月19日になった。

  ここ、丹波篠山地方は朝から曇天。日射しはない。久しぶりに涼しさを肌で感じた。さあ、こうなると、体がむやみに反応する。山ほどある畑仕事が、目について仕方がない。

  でも、ムリはムリ。しかし、電気柵に、もたれたツル草ぐらいは、除草できそう。ムリではない。そんな天気模様。

  死の足音は,まだはっきりと聞こえてこない。「よし、やるぞ!」・・仕事着に着替えた。

  今回はそんな様子を、写真で説明する。・・自己顕示欲がつよいのかなぁ?


<3号田西側、電気柵のツル草を除草・トマト収穫>

 

☆(左)3号田・西側の電気柵に絡んだツル草。8月19日、午前10時20分。

☆(右)ツル草の除草。とりあえず、終了したところ。8月19日、午前11時30分に撮った。実労働は30分ぐらい。いっぺんに綺麗になった。

 

 

☆(左)3号田・東側の電気柵に絡んだツル草・ジンジャーなど。午前11時35分から5分でダウン。休憩。

☆(右)3号田・東側の電気柵除草の続き。午前11時50分から5分でダウン。休憩。


 

☆(左)3号田・東側の除草、ほぼ終了。8月19日、午後5時10分。約5分。どうにか片がついた。

☆(右)隣のトマトハウスのトマトを収獲。8月19日、午後5時20分。


<裏の入り口・セメント修理>

 

☆(左)裏の入り口のセメントが割れていた。やっと日曜大工のセメントを購入。8月19日の状況。

☆(右)8月20日、午後2時30分頃、セメントで補修作業。10分でとりあえず完成。これくらいの仕事で、頭がぐらついた。汗だくだく。14:40写。


<3号田北側の電気柵の草刈り>

 

☆(左)3号田北側の電気柵、草刈り前の状況。8月21日、午後5時30分。

☆(右)3号田北側の電気柵、草刈り、とりあえず終了。草刈り機はナイロンカッター使用。8月21日、午後5時30分から午後5時50分、終了。実労働は約5分程度。準備に20分を要した。トラ刈りだが仕方がない。


<ユリ園の百合咲く>

 

☆今年、6月25日、篠山のユリ園を鑑賞した際、手に入れた6個の百合の種が、わが庭先に、みごとに咲きはじめた。             8月22日、午前11時20分に撮った。やっぱり花は心を安らかにする。


<3号田・スイカ畑からカブラの畝づくり>

 

☆8月22日、午後3時30分頃から、3号田のスイカ畑を、秋のカブラの畝づくりを開始。曇り空だが、蒸し暑い。10分でダウン。・・午後6時から再開。約20分で、何とか草引きは完了。・・あとはマルチを張って、植える準備完了予定。


<今年も夏水仙(裸百合)が咲いた>

 

☆8月23日、朝から小雨。今日一日は雨模様の様子。・・いつもの通り、掃除、洗濯、PC整理、・・時計を見ると午前10時。・・急に、小雨をついてK整形外科に車を走らせた。世話になった左足の甲、診療の結果報告と、右親指の鈍痛の診察を受けた。化膿止めの薬をいただいて午前11時に帰宅。

  庭先の花畑に咲く夏水仙を撮った。午前11時30分。・・・毎年咲いている。葉がスイセンに似ていて、花が夏に咲くことから夏水仙といわれる。夏期に葉がないことから「裸百合」とも、呼ばれているようだ。・・(キイ婆さんの話)

***キイ婆さんよ、儂よりはやく逝ってはならぬを無視して、見事にコロリとわが腕の中で息絶えた。キイ婆さんがやっていたことを、自分のことは自分ですべて実行して1年10ヶ月。・・少々飽きてきた。疲れてきた。・・でも、命ある限り生きねばなるまい。長生きに負けない生き方を、気力、体力の続く限り、実践する。難しい作業と心得ているジロ爺さんではある。


<難しい作業>

  処暑(8/23)も過ぎ、やっと朝夕少し涼しさを肌で感じるようになった。しなければならぬ畑仕事が山ほどある。じっと手をこまねいて、みているわけにもいかぬ。

  しかし、この頃、立ち仕事は5分~10分で、腰に鈍痛がはしる。腰掛けると治まるが、20分~30分休む。・・なんのことはない。10分で30分の休憩。でも、30分経てば、再び腰を上げ、次の仕事にかかる。しかし、天候のセイで、ベッドに横になりテレビ視聴する場合もある。また、PCでブログ記入する時もある。

  時は無情である。あっという間に一日が終わる。腰を使う畑仕事は、また一日延期となる。でも、台車に腰掛けてする草引きなどは30分は可能。70才、80才前半ごろは、一日で完成した仕事が、今では一週間かかる。

  家の皆は言う。「あたりまえです。トシがトシです。90才をこえて、そんなに畑仕事をしている人はありません」

  しかし、私は諦めない。生きている限り、手足を動かそうと思う。寝たきりにならないためにも、長生きに負けないためにも、できるだけ手足を使い、頭を使いたい。また、自然に咲く花々を愛でながら、気力、体力の続く限り実践する予定だ。

  このような気持ちで、生きている様子を、ブログに記入。


<3号田・サツマイモの除草>

 

☆(左)8月19日頃から、3号田の電気柵に巻き付いたツル草を取り除いた。8月22日、午後6時ごろ、サツマイモのツル草を除草。・・一回、5分~10分の作業で、何とか片がついた。8月22日、18:30写。

☆(右) 8月24日、午後6時頃から、約30分でサツマイモの畝らしくなった。ツルを巻き上げたので、かなり見やすい畝になった。収獲まで、ツルはまたのび放題になってくるだろう。さて、今年の収獲はどうか?


<わが家の稲田>

  人任せのわが家の稲田が、すっかり色づいてきた。車を運転するたびに、そこはかとなく、眺めてきた田んぼ。全面委託しているKさんに感謝。・・また、稲刈りのシーズンになってきた。今年の丹波篠山地方は、大きな災害もなく、今のところ順調。8月終わりから9月にかけて、大型の稲刈り機が、田んぼにお目見えする。・・因みに、昨年の、わが家の稲刈りは 9月14日だった。{・・参照:2018,9,15「辛抱」<無事に稲刈りが終わった>・・}

  



<野に咲く百合>

 


 

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無理

2019-08-12 16:43:25 | Weblog

 

<無理の無理> 

  この頃、「無理」について、考えることが多くなった。

  真夏、日中の畑仕事は、完全にムリのムリ。朝早くやればいいのだが、早起き出来ないわが輩にはムリのムリ。午後6時過ぎ、少し太陽の光が和らぐ。仕事着に着替えて、防虫帽を被り、除草作業をしようと、外に出るが、やっぱり、ムリのムリ。・・それでも、シルバーカーに座って一息入れ、畑に入る。・・10分~20分・・ムリを承知で汗を流す。・・でも、時として身の危険を漠然と感じる。後片付けはそのままにして、家に入り、ベッドで天を仰ぐ。

  そんなにしてまで、働かなくてもいいのではないか?トシがトシ。91才の誕生日を歩むご老人には、ムリのムリと皆おっしゃる。そう言われると、よけいにムリをしたくなる。でも、体力がついていかない。

  エアコンをつけて、涼しい部屋のベッドで、テレビ視聴が、いちばん身に合った仕事。まして、パソコン部屋で、指の運動をするのも、気分転換には最高。でも、1時間、椅子に座っていることは、ムリのムリ。せいぜい30分で切り上げる。

  でもなぁ。91才ひとり身で、身の回りの仕事が出来、午後10時、風呂をわかして、入浴が出来る。なんの文句がいえよう。立派に生きているアカシがある。

  ムリのムリは、畑仕事だけやないか?・・この暑い時期に、誰でも外仕事は無理というモノや。若い者でも熱中症になって、身を滅ぼす人も多い。


<無理の定義>

  「無理」をネットで調べると、次のように説明されていた。

(1)物事の筋道が立たず道理に合わないこと。また、そのさま。「無理を言われても困る」

(2)  実現することがむずかしいこと。行いにくいこと。また、そのさま。「無理な要求をする」

(3) しいて行うこと。押し切ってする。また、そのさま。「あまり無理するなよ」

  ご老体には、(1)(2)(3)どの無理に該当するかは、極めて微妙。・・しいていえば、(3)に該当するのかなぁ?


<91才、誕生記念>

  8月9日、丹波篠山市内、S内科の予約定期検診。時間は、午後4時15分。診察、薬局で薬をもらって、途中、ちょっと寄り道をして、帰宅は午後6時15分。S内科はいつもスムーズに終わる。10日から9連休が始まる。9日の診察は、時宜を得たと言えよう。先ず、安心だ。

  帰宅すると、孫娘が掃き掃除をしていた。タイミングがよかった。91才、誕生記念の写真を撮ってもらった。 

 

☆(左)わが庭先、ノウゼンカズラの横で、シャッター。8月9日、18:20写。

☆(右)玄関先で、シルバーカーに腰掛けて、シャッター。8月9日、18:25写。


<嬉しいこともある>

  8月12日、午前9時、予定通り、菩提寺の棚経も終わった。お盆の準備をした。

  8月12日、午後6時半~8時半、倅夫婦、長男、長女、わが輩の、一家5人が、丹波市の予約したスシローに行った。もちろん、ご老体のわが輩は、連れて行ってもらったことになる。(毎年6人で行っていたが、このトシになって、妻が亡くなり、5人となった。何とも言えず淋しい)

  皆は、私に気を使って、車の乗り降りから、スシローでの皿の注文など、至れり尽くせりの「おもてなし」。

  このときばかりは「無理」を忘れた。まんぷく。

   

☆(左)8月12日、丹波市のスシローに到着。孫(男)が、スシローの看板をバックに、シャッター。18:53写。

☆(右)8月12日、ものすごく混んでいたが、予約7時が優先。即刻、場所が確定。孫娘の隣がわが輩。前が倅、長男、義理娘。・・5人がテーブルを囲んだ。・・ながれまわる、「すし」など、殆ど、すべて、孫娘がやってくれた。ご老体のわが輩は食べ役専門。まんふく。感謝。・・食べるのにかまけて、ついつい写真を撮るのを忘れた。わが前には、ハマグリの赤だし、イカ寿司の一つが、皿の上に残っているところを、シャッター。19:20写。


<後片付けと熱中症対策>

  8月13日、お盆行事の準備。と言っても、わが輩はシキビの準備と迎え火のロウソクの竹づくり、それに掛け軸を床にかけることぐらい。

  台風10号が、お盆に、近畿圏内を縦断するとの予報。・・3号田の妨獣網(2mx6m)二枚の整理と、道具の後片付けの必要にかられた。

  8月13日、午後4時、太陽は西空にあり、陰ってこない。 でも、網の整理は今しかない。こう思ったのが間違いのもと。5分ほどで、ぐらついた。ムリが頭をかすめる。・・孫娘に声をかけた。網の整理を殆どやってくれた。おまけに、シャッターを切ってくれた。・・が、そこまで・・。

  顔がほてり、頭がふらつく。もう、ダメ。・・這々の体でベッドに横になる。ペットボトル500mℓの熱中症対策の水を飲んだ。・・3号田の道具の後片付けは、義理の娘が5分で、小屋にしまってくれた。

  しかし、体調はあまりよくない。エアコンをフル回転で、ベッドにずっと横たわる。午後7時ごろにやっとベッドから立ち上がった。夕食をいただき、午後8時ごろから、義理娘といっしょに、何とか、ご詠歌をあげることができた。

 

☆8月13日、午後4時ごろ、離れの裏庭で、妨獣網の整理中。ここまでは、大丈夫。5分もしないうちに、頭がぐらついた。途端に熱中症が頭をよぎった。午後4時20分、家に駆け込みベッドイン。

☆冷蔵庫の熱中症対策の塩水(ペットボトル500cc)を飲んだ。午後4時30分。

・・この塩水には、ちょっとしたハプニングがあった。9日の内科検診終了後、帰宅途中にBスーパーに立ち寄った。熱中症対策の塩水(ペットボトル500cc)を求めた。ところがいつもの塩水のコーナーに、求める水はなかった。・・女性の店員さんに尋ねた。「熱中症対策の水は当店ではおいていません。薬局でお求めください」・・(そんな馬鹿なことはない)と思いながら、レジにいくと、となりに熱中症対策の塩水(500cc)のコーナーがあった。「熱中症塩分補強」と喧伝。・・そこで、先ほどの女性の店員さんに、「何が、薬局やね。ほれ、ここに塩水があるわね」と、少し怒り気味に言った。・・あとで、やっぱり言わない方が良かったと反省。老人の特権のように聞こえたのではないか?
・・5本のペットボトルを購入した。「ライチ・ヨーグルト、発汗時の塩分補給」・・8月9日、16:00写。


<墓参り・仏壇の飾り。床の間の飾り物・大山スイカ>

  8月14日、午前10時、神戸六甲に住む娘夫婦が、菩提寺に墓参りにきた。倅夫婦と長男、長女の4人と娘夫婦の6人で、菩提寺に墓参。・・いや、わが輩はムリ。いや、行こうとすると、皆から止められた。残念!

  後刻、2・3日のうちに、必ずお墓参りをすることを、心に決めた。

 

☆(左)お盆の仏壇の準備と床の間の掛け軸。妻が亡くなって2年目のお盆の行事。準備など、すべてキイ婆さんと同じ要領。・・「キミヨさんから、みんな教えてもらいました」義理の娘の言葉に、頭が下がった。・・床の間の掛け軸は、わが輩がかけた。中央が西国33カ所霊場参りの掛け軸。(妻の長年の夢だった霊場参りを、2000年、1年かけて、二人でお参りした時の掛け軸。印鑑や筆のあとがにじまないように、寺ごとに、備え付きの扇風機をかけたり、ちり紙を押し当てて乾かした思い出がある。右は私の実父が古希に書いた般若心経。表装はわが輩の退職記念。左は西国33カ所の締めに、信州方面に一泊旅行した時、善光寺にお参りをした。その時、妻が求めた善光寺の掛け軸。「身はここに心は信濃の善光寺 導き給え弥陀の浄土へ」・・・霊場参りの時作った2枚のオイヅルを、妻は私より、私より先にかけて旅立っていった。・・残った一枚のオイヅルを、ジロ爺さん、いつかける?

☆(右)10キロの大山スイカ。丹波篠山のブランド商品。(家内と同級生だったUさんの大山スイカ)。 みごと。    

・・8月14日、六甲の長女夫婦の墓参の際、昼食後、皆で食べた。美味。
・・(8月13日に切って、冷蔵庫で保管。13日、18:00写)

***お盆については、わがブログに詳細に記しています。次を参照してください。

{・・参照:2010,8,29「激暑8月の総括」<お盆の行事>・・2011、8,20「お盆から処暑」・・2012,8,18「終戦記念日の前後」<嗚呼,8月15日>・・2013,8,7「立秋、でも酷暑」<今から68年前は?>・・2013,8,20「夏は甲子園」・・2014,8,15「戦後69年目の夏」<お盆の行事>・・2015,8,15「戦後70年です」・・2016,8,15「戦後71年目の夏」<疎開してきたM子ちゃん>・・2017,8,14「お盆」<お盆の行事>・・2018,8,13「初盆」<初盆となった><お墓参り>・・}


<左足首、甲に苦痛、なぜ?原因不明>

  8月15日、台風10号は日本海に抜けたが、10号の影響の円が、日本列島をすっぽりと包む。丹波篠山地方は、少々雨が降り、風も吹いたが、殆ど被害はなかった。

  8月16日、午前3時、トイレに行こうとして、ベッドから立ち上がったとき、左足首の甲のところに違和感。いや、鈍痛がはしる。トイレまでうまく足が運べない。やっぱり痛い。ベッドに戻って、足の甲を押すと、1cmほど、ぶよぶよしたところがある。ソコが痛い。

  8月16日、午前9時、篠山市内のK整形外科に車を走らせた。盆休みなしで開院されているとの情報。 実はK整形外科は初めてである。かなり混んでいたが、新しい診察券を発行してもらった。

  10分も待たないうちに、名を呼ばれて、診察室へいった。椅子に腰掛けたとき、先生が「お久しぶりです」と言われた。ビックリした。患者としては初対面である。しかし、私の心の中には、昭和43年(1968年)篠山城跡の西堀・中堀に建っていたS中学校・一年生の学級担任をしたときの、Kさんは教え子だった。51年前の話。・・多くを語らないK先生は、ニコニコしながら、「前からよく知っていますよ」と、私にうなずく。

  しかし、診察・治療は、実にスムーズに進行した。さすが、外科の先生。あっという間に、ハリを3、4本刺して、痛いと言うまもなく完了した。

  Bスーパーに寄り道をして、帰宅したのは午前11時。まあ、かすかに歩ける程度。・・午後、ひたすら高校野球実況放送を観た。午後4時ごろ、ベッドから下りたとき、痛さは殆ど消失。トントンとはいかないが、エゴエゴと普通に歩けるようになった。

  ひとときは、「もうあかんわ」と、マイナス思考だったが、急に元気になった。しかし、今回の足の甲の痛さの原因は、皆目見当がつかない。なんとしても原因究明をせねばならない。

 

☆両足首と左の足首の甲。8月16日、午前10時、K整形外科で、治療後帰宅して撮った写真。・・なぜ夜中に痛くなったのか、原因は不明。ネットで調べると、高齢で関節などが自然に痛くなるとの話。..膝のミズ抜きは、4,5回はあった。足の甲は始めてだ。寝ていた足の姿勢。昼間の後片付けなどのムリ。それに高齢。・・トシのセイにしたくないが、やっぱり、ネットに書き込まれたとおり、高齢現象なのだろう。 


<それでも、洗濯モノを干した>

  8月16日、午後4時ごろ、少し痛みがはしるが、かなりよくなった。高校野球のテレビ観戦に没頭。午後5時前だろうか、明石商業が、満塁でスクイズ成功。2対1で勝った。同じ兵庫県民である。「やったぁ!」と叫んで、ベッドから下りたとき、左足甲の痛みは、まったく消滅。・・スタスタと歩けた。

  気をよくして、2日間の洗濯モノを干した。午後5時ごろ、太陽は西に傾いていたが、1時間で乾いた。

☆8月16日、午後5時ごろ、庭の物干し竿に、洗濯モノを干した。台風10号の影響で、洗濯モノがたまっていた。・・ともかく洗濯干しが、足の甲の痛みを感じることなく、出来た嬉しさは抜群。「しっかり生きとるやないかい」。自己を叱咤激励した。8月16日、17:05写。

<デカンショ踊りのあとを偲ぶ>

  8月17日、午前10時、篠山市内K整形外科に車を走らせた。16日、足の甲手術の結果報告。「もう風呂に入ってもいいですよ」・・初診の際の残っていた事務手続きを終了。K外科をあとにしたのは午前10時30分。

  帰路、篠山城跡の北広場を通った。デカンショ祭りが15日、16日と予定されていたが、台風10号により15日は中止。16日、一日となったが、それだけに盛会だったと聞いた。

  丁度、やぐらなどの後片付けに大童の様子。何となく、16日の晩のデカンショ踊りの盛会が偲ばれた。

 

☆2枚の写真を撮って、城跡北広場をあとにした。帰路、みどり館、Bスーパーに立ち寄って、予定していた日用品を購入。帰宅は午前11時30分。・・足の痛さは全くなくなった。このまま、すっきり治まるだろうかと、ちょっと不安がよぎったが、なるようにしかならないと、高をくくって、昼食後はもっぱら昼寝三昧。高校野球をテレビ観戦 。


<生きること、死ぬこと>

  盆の行事も終わった。この頃、何をするのも億劫だ。人生に疲れたという感じがする。寝ても覚めても、生きること、死ぬことの難しさを感じる。・・そんな気持ちを箇条書きにする。

(1)死んだらシマイとつくづく思う。四苦八苦はなくなる。楽チンだ。

(2)現世は、所詮、生きている人の世の中である。死んだ人が、ぶらぶら舞い戻ってくることはない。

(3)生きている人の世の中が、トシをとればとるほど、遠くに感じる。

(4)長く生きていれば、それだけ、この世のチリやホコリをおおくかぶる。よいことはあまりない。

(5)「適当に死ぬ時期がある」と、曽野綾子さんはおっしゃる。「人間にはちょうどいい死に時がある」と、帯津良一先生はおっしゃる。

(6)わが妻は81才7ヶ月でオサラバした。死ぬまで自分のエネルギーをいっぱいためこんで、いっきに、わが腕の中で息絶えた。死ぬ時期を心得ていたのだと思う。

(7)長生きは決して幸福とは言えない。自分のことは自分できるうちはよいが、寝込んだらどうするのや? ましてボケが高じて、夜中に徘徊したらどうなるのか。

(8)死ぬ時期は難しいが、長生きに負けない生き方をしたい。

(9)足腰や頭には限界がある。人には差があるが、帯津先生は80才頃がいいのではないかとおっしゃる。いちばん遅めでも、90才半ばぐらいだろう。その時が死ぬ時期として、ちょうどよいと。帯津先生は昭和11年生まれだから、わが妻と同じ年。・・83才か?

(10)足腰や頭に、限界がくるまでにパッと散るのが最高だよね。頑張れ。ジロ爺さん!


 

   

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真夏

2019-08-03 16:29:56 | Weblog

 

<91年目の夏>

  令和元年、8月3日、午前6時、目が覚めた。珍しいことだ。窓をあけると、朝靄の中に、わが家の庭先が、うすずみ色にけむっていた。外に出て、わが家を眺めた。感無量。60年暮らしてきた妻はもういない。 

 

  「おい、今日はわが誕生日だ。91年目の夏がきた。しかも真夏だ。ひとり身だ」 

  よくもまあ、この暑い日に生まれたもんだ。わが母は大変だったろうなぁ。聞くところによれば、母は4人目の息子(わが輩)を、いともかるく、産み落としたと聞いた。しかも、大変小さく、顔はお茶碗ぐらいで、かわいらしかったそうだ。その生みの母も、平成9年4月10日、95才で他界。・・(葬儀委員長は、わが輩がつとめた)

  昭和3年8月3日生まれ。昭和を60年、平成を30年8ヶ月、令和元年を3ヶ月。(60+30、8+0、3=91・・令和で年の勘定をするのは、天文学的な数字。西暦は、はっきりしている。1928年8月3日生まれ、現在2019年8月3日。つまり2019-1928=91・・まことに簡単である。正真正銘、満91才となり、91年目の夏を歩むことになった。

<ノウゼンカズラ咲く>

  8月3日、誕生日だから、張り切ったわけではない。朝靄が立ちこめる庭先を散歩した。家の前にノウゼンカズラが咲いていた。昨年は枯れかかったが、今年はなんとか咲いた。橙色のきれいな花。花の形がトランペットに似ているところから、英語では、トランペット・フラワーという。

 

☆8月3日、午前6時半、前庭に咲くノウゼンカズラを撮った。この花は、わがブログでは歴史がある。次のブログを参照してください。
{・・参照:2011,7,28「ノウゼンカズラ余談」・・2014,7,12「養生の野菜づくり」<ノウゼンカズラ補修>・・2016,7,9「薄氷を踏む思い」<橙色のノウゼンカズラ咲く>・・ 


<収獲・焼き肉パーティー・夏ズボンとシャツ・お祝いケーキ>

  8月⒊日、朝から重い日だった。からりと晴れない。昨日午後4時ごろの夕立の影響だろう。蒸し暑い。とうとう、先日よりエアコンをいれた。

  午後2時ごろ、気になっていた3号田のスイカ畑に入った。いやぁ、まいった。5分も、持たなかった。頭がおかしくなり、熱中症の言葉がよぎった。もう、そりゃ、這々の体で家に駆け込み、水分補強、ベッドに横たわる。

  午後4時ごろ、にわかに曇り、雷鳴。夕立となった。30分ぐらいで雨があがった。

  午後6時30分頃、1号田のナス、マンガンジ、ピーマンを収穫した。居間から見ると、ぶら下がっているのが見えた。

  収穫後、シルバーカーを押して、帰る途中、孫(男)が迎えにきた。「誕生日のお祝い焼き肉パーティーです」 

  通用門入り口で、シャッター。

  晩ご飯は、お祝いの焼き肉パーティー。 食後、お祝いのズボンとシャツをいただく。それから食後のケーキ。毎度、毎度、ありがとうございます。

 

☆(左)畑仕事は防虫帽子なしでは不可能。暑いが、刺されるよりはマシ。18;40写。

☆(右)91才、誕生日お祝い焼き肉パーティー。肉は黒毛和牛の一級品。お肉は日本が一番。


 

☆倅夫婦からのお祝い品。夏に即したズボンとシャツ。それからケーキ。

 

<お祝いありがとうございます>

 

☆(左)8月3日、午後9時、一人淋しくケーキをいただく。うまい。でも、淋しい。

☆(右) 8月3日、午後1時、六甲に住む、長女夫婦からお菓子が宅配されてきた。


  

☆(左)8月1日、午後1時、亡き妻の妹(枚方市 在住。娘真弓さんはピアノの先生・プロの音楽活動。ブログ:佐野真弓ピアノ)タミーノさんからのお祝いのお菓子類。

☆(右)8月2日、午前10時ごろ、M・Iさんからのお祝いの花とお菓子。

**順番が遅くなり、申し訳ありません。

*ながーい、誕生日の一日が終わった。ジロ爺さん、91才の旅をいかに歩むや?長生きに負けないように、寝たきりにならないように、一日一日が、身をけずるように過ぎていく。


<酷暑>

  8月5日、午前8時ごろ、朝食。・・夏休みのはずだが、みな、出勤していない。いつものように、ひとり侘びしく朝食をつくる。一切れのパンとトマト、それに豆乳入りコーヒー。
  トマトは、もちろん、わが輩の手作り。パンにはマーガリンとイチゴジャムをぬる。 

☆パンの副食は、夏ミカン、リンゴ、バナナ、マクワウリ、トマトなど、四季に応じて変わる。マクワウリ、トマトは手作りのモノ。

  一通りの朝の仕事が終わり、居間のベッドで一休み。時計を見ると10時過ぎ。普通。

  洗濯モノを干したときに解ったが、外は、からりと晴れて、猛烈な日射し。気温はぐんぐんあがった。車庫の温度は35度。納屋の温度は33度。草引きをするべく外に出たが、ムリのムリ。・・居間でエアコンを入れて26度。

  毎年、このように暑かったかなぁ、と首をかしげる。やっぱり、トシとったセイと違うやろやか?と、弱音がもたげる。

  何気なくテレビを観ていると、やさしい音楽が流れた。「小さな旅」、「北海道・南暑寒丘」が映し出された。やっぱり、こういうテレビはいい。酷暑のなかに、いっぷくの清涼剤。・・映し出される景色、雨竜沼に「国領地区」という名が出た。

  「国領」は、私の生まれ故郷である。氷上郡国領村国領(現、氷上市春日町国領)、 私の30才頃まで住んだ故郷。ビックリした。ネットで検索すると、確かに北海道に、「国領地区」があった。・・故郷を偲び、なぜか瞼があつくなった。


<ブログ記事・カラー印刷、第27号となった>

 ブログの記事を、カラー印刷をして、保存してきた。1冊A4・40(A4,80頁)に収納。最初、カラー印刷にさんざん手こずったが、最近では、一つの投稿記事が終わると、すぐ印刷して保存。それが、第27号になったというわけだ。

  ブログ記事を、そのままカラー印刷、書籍化の本とは、ひと味違う魅力がある。でも、なあ、モノを多く残すのは、ほめられたことではない。まあ、これくらいの我が儘は許してもらいましょう。

 

☆(左)A4(縦30cm,横25cm)のブックファイルを収納する本箱がない。縦40cm、横60cm、幅29cmの収納箱を横にして使用。

☆(右)中身の一部。ブログ・{2019,7,12「晴雨」1頁~2頁}を掲載。まあ、こんな調子。「どこまで続くぬかるみぞ、雨降りしぶく鉄かぶと・・」、軍歌が聞こえてきた。


<生活の知恵?>

  毎日、蒸し暑い夜が続く。エアコンなしでは寝られない。息苦しい夜がやっと明け、一人暮らしの毎日が始まる。

  この頃、起きて先ずやるのが、居間のサッシ窓と炊事場兼食堂のサッシ窓をあけて、朝の涼気をいれる。ともかく部屋の空気を入れかえる。これは、居間で暮らしていた亡き妻が、窓を開放していたことを、漠然と思いだしたからだ。果たして、これが生活の知恵とは断言できないが、なにか、汚れた空気が綺麗になったような気がする。

  午前10時ごろ、窓を閉じて、扇風機、またはエアコンを入れる。でも、外の暑さ加減により、午前中、サッシ窓を開けている場合もある。里山だからできるのだろう。・・しきりに小鳥の鳴き声が聞こえる。


 

☆(左)居間のサッシ窓を開けると、前庭が視界にはいる。前栽のノウゼンカズラも見えた。

☆(右)炊事場のサッシ窓を開けると、裏庭の石段が見える。8月8日、8:00写。


<8月初旬、夕焼け、小焼けの風景>

  8月に入り、昼間は畑仕事は無理。日が落ちてからと思うが、午後6時になっても、日は沈まない。でも、日中の日射しは少し和らぎ、草引きに重い腰をあげる。目下、3号田のスイカ畑の草引きをしている。

  午後6時半頃に、西空に太陽が沈む。・・その時々の光景を写真におさめた。

 

☆8月1日、午後6時25分ごろ、西空に沈む太陽を撮った。3号田、スイカの草引きをしながら、しきりにカメラを夕日にむけた。

 

 

☆(左)8月4日、午後6時30分ごろ、西空に沈む太陽が、あっという間に、灰色の雲に閉ざされた。

☆(右)8月4日、午後6時40分ごろ、西空に聳える夏栗山の麓に沈んだ。


 

☆(左)8月5日、午後6時30分ごろ、西山に沈む太陽を撮った。3号田から。

☆(右)8月5日、午後6時48分ごろ、太陽が、夏栗山の麓に沈み、夕焼けが広がった。

***8月8日、3号田の草引きが、まだ終わらない。元気なときは30分で終わる作業だ。それが、それ、よるトシなみと、酷暑のセイで、遅々としてすすまない。やり始めて一週間は経った。

***焦っても、どうにもならない。8月終わりまでに、出来たらよいと、高をくくっているジロ爺さんではある。

<夕焼け・小焼け、一思考>

・・夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る
  お手々つないで皆帰ろう、烏と一緒にかえりましょう。

**中村雨紅作詞、草川信作曲の、大正8年に発表された「夕焼け小焼け」。童謡としては、もっとも人口に膾炙した名曲。・・夕焼けを見ると、つい口ずさんでしまうから不思議だ。そして、故郷を思い出し、5,6才頃の皆と、手をつないで、家に帰った風景を偲ぶ。

**この夕焼け・小焼けが、般若心経の最後の部分と、かかわりがあると説く、宗教学者もいる。
・・ぎゃーてい ぎゃーてい はらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼじそわか 

**なるほど、ぎゃーてい を二回繰り返せば、一番が終了する。般若心経を、ほぼ、暗唱しているので、置き換えてリズムをとるのも、まんざらではない。


<果てしなく夜がナガイ、そしてコワイ>

  80才始め頃は、それほどでもなかったが、90才になって、夜のトイレの回数がふえた。大体、寝る時間が遅い。午後11時に就寝。約2時間ごとにトイレに行く。午前1時、午前3時、午前5時。一晩で3回となる。ついこの間まで、2回だったが、3回が普通になった。

  それに加えて、トイレまで足を運ぶのが、いともあやしくなり始めた。寝ぼけ眼でいくと、危険。肩の幅に足を開いて、エゴエゴ歩きで15歩。トイレに到着。・・往復30歩の道のりを、しっかり歩かないと、転んだら大変。(亡き妻は、2,3回、転んで骨折した)

  でも、3時間眠れるときもある。その場合は一晩2回で済む。時々、1回の時もある。・・還暦、古希時代は、爆睡。トイレなど、朝方起きたとき1回で済んだ。

  91才を歩む、わが輩には、情けないが、夜、何回でも目が覚める。お医者さんの指示により、誘眠剤を使用していたが、薬剤師の「半分して飲むといいですよ」の指導で、半分にして飲用。・・効果のほどは不確実。

  でも、夜中にふらふらするのは、誘眠剤のセイだと思う。止めればいいのだが、不安。ときどき、飲むのを忘れる時がある。変化がないので、中止したときもあるが、最近では半分が常用となった。

  高齢で夜をどう過ごすかは、目下、わが輩の課題。それにしても、夏の夜はナガクてコワイ。 


<夕日をあびて、除草作業>

  8月8日、朝から真夏の日射し。そして蒸し暑い。

   でも、嬉しいことがある。夏休みで帰省(8月7日)してきた孫娘が、洗濯や食事の世話をしてくれることだ。嬉しい。心強い。・・ご老体の生活にも、何となくハリがでる。

  目下、3号田のスイカの畝の整理をしているところだが、目の前の1号田の草が、電気柵に絡みついているのが、前から気になっていた。

  8月8日、午後6時から、1号田の草刈りを決行。 夕日が西空に傾いていた。日射しも、少し和らいだ。シルバーカーに腰を下ろして、約30分で、一応、電気柵に絡みついた草ツルを除去した。

 

☆(左)電気柵に絡みついた草の様子。8月8日、午後6時、作業前に撮った。

☆(右)作業後の状況。何とか、電気柵に絡みついた草ツルを除去した。30分かかった。午後6時30分に撮った。

***有難いことに、孫娘が塩水のペットボトルを持参してくれた。そして夕食ができた知らせ。倅夫婦は用事で、ともに不在。感謝、感激、雨あられ。後片付けをして、家に入ると、午後7時前。「プレバト」が始まるところだった。孫娘が、ベッドに夕食を運んでくれた。何から何まで、よく気がつく孫娘。

  心で手をあわすジロ爺さんではあります。



 


 

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郷愁

2019-07-25 12:59:37 | Weblog

<梅雨時の昼食>

☆7月25日、昼食。もちろん宅配の惣采が今日のメニュウ。{・・肉じゃがとちくわの磯辺揚げ・・タンパク質29.7g・脂質13.4g・塩分3.8g・・} 

  梅雨、まだ晴れやらず、毎日、ムシムシする暑さが続く。それでも、一人で生きていかねばならない。朝食から、午前中の仕事を終わり、やっとベッドで、一服。 新聞をみる。

  悲しきかな、今日もわが中学時代の友(M)が亡くなっていた。びっくりした。いま腰を下ろしているベッドは、家具商を経営している Mから購入したものだ。15年前に、亡き妻のために仕入れた。

  Mは、昭和45年、旧制中学校を卒業して、神戸の家具商店に勤め、大阪万博時代、丹波で家具の百貨店を経営した事業家であった。いま、そのベッドに腰を下ろして、訃報の記事をみた。感慨無量。ご冥福を祈る。

☆この前のブログ投稿が7月12日、約13日ぶりに新規投稿となった。もちろん前のブロブには20日頃まで、記しているので、あまり空いた感覚はない。


<郷愁>

  郷愁には、二つ意味がある。

(1)他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。
(2)過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。

  いずれにしろ、過去の思い出に耽ることだ。わが輩には故郷は3つある。
  一つは生まれ故郷(1才~27才)氷上郡国領村国領(現・丹波市春日町国領)。 
  いま一つは、(28才~32才)京都府船井郡殿田(現・南丹市日吉町殿田)。
  三つめは、現在住んでいる丹波篠山市(32才~90才)。 

・・やっぱり、生まれ故郷の幼児期の思い出が、薄れいく記憶のなかに、よみがえる。その一つに「ビョウコウチンの敵の陣」がある。それは次のごとし・・・。


<ビョウコウチンの敵の陣>

  昭和7年頃、私の5、6才頃だったと思う。私の近所に同じ年の2人の男の遊び仲間がいた。その頃は雪がよく降った。絣の着物の時代だった。私たち3人は、雪でトーチカ(防備陣地)をつくり、大きな太い枯れた竹筒を抱え、トーチカに突進した。
「・・ビョウコウチンの敵の陣・・」3人で金切り声をあげた。爆弾三銃士の話である。爆弾を抱えて敵のトーチカに花と散った光景を演出していたのである。まさに戦争の時代を反映していた。・・みな鼻水を出していた。ローソクのような鼻水、黄色の鼻水、青い色の鼻水・・。みんな着物の袖で鼻水を拭いた。しまいに着物の袖は寒さに凍りついて、カリカリになっていた。それでも鼻水を拭く。しまいに凍りついたカリカリで自分の鼻を切る。血が滲みでる。それでも竹筒を抱えて突撃をくりかえす。おしまいに、みんな手がかじかんで、泣きながら家に帰った。
  当時はどこの家庭にも、お婆さんがいて、金だらいに湯を汲んで、「よう遊んできたのう、早よ、こ
の湯に手を入れや」と言いながら、鉄瓶の口から熱い湯をそろりそろりと注いでくれた。・・このような光景は大正、昭和にかけての子供たちはみんな経験している。(現在の子供で鼻水を出している子は一人もいない)

  その後、Sちゃんも、Tちゃんも、小学校に行くまでに、はやり病で、亡くなった。・・かすかに覚えている。棺のあとからお盆をもって、シクシクと墓場まで、皆に囲まれていった。二人の人生はなんだったんだろう?・・でも、90才のわが想いのなかに、しっかりと息づきている。うーんと唸って、お茶を飲んだ。

{・・ビョウコウチンは「爆弾三銃士」の軍歌の一節。作者・与謝野鉄幹(与謝野晶子の夫)は明治の熱血詩人。爆弾三銃士の話は単なる事故を美談に仕立てたという話もあるが、昭和7年1月未明に、上海事変が勃発したのは事実である・・}

{・・廟行鎮(ビョウコウチン)の敵の陣、我の友隊すでに攻む 折から凍る二月(きさらぎ)の 二十二日の午前5時・・}


<花摘む野辺に日は落ちて>

  昭和10年、7才で小学校1年生。男では私一人。しかし、近所に同級生の女の子が4人いた。一緒に小学校に通ったが、男女共学ではなかった。しかし、帰宅すると、いっしょに遊んだ。タンポポのような草花で、どちらが強いか勝負をした。やっぱり、花を摘んだり、マリをついたり、いっしょに歌を唄ったりして遊んだ。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる。お手々つないで、みな帰ろ、からすといっしょに帰りましょ」

  翌日、学校に行くと、他人行儀、顔があっても、お互いに素知らぬ顔をした。この女の子も、二人はなくなった、後の二人の消息は不明。・・幼児期にお医者さんごっこをして遊んだ。役は決まっていた。お医者さんはわが輩。病人はSちゃん。看護婦はMちゃんとAちゃん。女中はKちゃん。ときどきKちゃんが、病人になることがあった。

  昭和15年ごろ、「誰か故郷を思わざる」という歌が流行った。歌は霧島昇だったかなぁ。きれいな声だった。よく歌った。令和になっても、色あせない名曲だと思う。

{・・花摘む野辺に 日は落ちて みんなで肩を組みながら 唄をうたった帰り道 幼馴染のあの友この友 誰か故郷を思わざる・・}

  つい、口に出てくるから、不思議だ。歌詞をおぼえられない私にとっては、心に残っているのだろう。


<卆寿の旅・第15号が宅配>

  7月26日、正午、玄関でベル。郵便局からの宅配便で、「卆寿の旅・第15号」が届いた。gooブログのバックアップ・書籍化を利用し、第15号となった。「2018,12,3~2019.6,25」414頁。

  7月16日、仕上がり見本、印刷オーダー受付のメールがきて、10日後に わが手元に届いたわけ。2010年(平成10年)に、第1号が発刊されて、2019年(令和元年・7月)に、15号となった。一つの歴史がここにある。でも、あとのモノに迷惑かなぁ?・・しかし、目下、わが輩の生きがいだから、許してたもれ。

  1号~13号は、「八十路の旅」・・14号~15号は、「卆寿の旅」・・齢90才になり、題名をかえて、ブログを続行したワケ。あと一週間で満91才になる。いつ卒業できるのだろう?

 

☆本の表紙と内容の一頁。7月26日14:00写。・・仕上がり見本までは簡単にできたが、印刷製本、郵送方法がうまく出来ず、さんざん困ったことを報告しておこう。・・でも、無事到着。あとは送金のみ。

☆本の内容の頁は、<ぼけたらアカン、アホになれ>~<ハクロニシキと私>312頁、313頁を載せた。


<トマト・カボチャ大収穫>

  7月26日、午後6時ごろ、2号田のトマトが電気柵越しに、3,4つ色づいているのが見えた。夕日が山の端に沈みつつあった。仕事着に着替えて、2号田に入った。ビックリぽん。一個、少し青いのが落ちていたが、あとの15個は完熟であった。

  トマトづくりの名手・キイ婆さんも、このトマトには舌を巻くだろう。遺影を持ってきて、みせてやった。それにしても5本のトマトの苗から、ドンドン生る。上の枝に白いトマトが、ぎっしりへばりついている。生り年なのだろうか?

  トマトのとなりの畝のカボチャが気になった。カボチャのツルがサツマイモのツルを覆いつくして、広がっていた。目についた2個のカボチャも、ついでにもいだ。

  とりあえず、トマト16個とカボチャ2個を収獲。意気揚々とは言葉のあや。這々の体で、シルバーカーで、持ち帰った。時計を見ると午後6時10分。・・一休み。

  どうも、あとのカボチャが気になって仕方がない。再度、2号田に入った。エビスカボチャのツルを引っ張ると、でるわ、でるわ、エビスカボチャを8個も収穫。・・たった1本のエビスカボチャの苗ですよ。正直、ビックリした。10個を収獲したのは始めてだ。これも、キイ婆さんがおれば、どう言うだろうか?・・しかし、トコトン疲れた。汗びっしょり。・・夕食もままならず、しばらくベッドで轟沈。・・午後8時ごろ、小康状況、夕食。 

 

☆(左)7月26日、午後6時ごろ、収獲したトマト(16個)と エビスカボチャ(2個)。

☆(右)7月26日、午後7時ごろ、収獲したエビスカボチャ(8個)を追加して撮った。再度、言っておこう。一本のエビスカボチャの苗から、10個のカボチャの収穫。ワレながら始めて・・。


<赤松の剪定>

  7月27日、午前10時ごろ、台風6号が紀伊半島に上陸した。

  丹波篠山地方も、朝から雨模様、小降りだが、降ったり止んだり、畑仕事はムリ。2号田のカボチャのツルの後片付けがしたいが、できそうにない。それでも、午前11時ごろ、雨がちょっと止んだ。サツマイモの葉を起こした。

  まあ、今日はベッドのお守りと、PC、書類の整理などに時間をついやした。でも、PCは長時間はムリ。せいぜい30分ぐらいが限度。30分ブラブラして、また机に向かう。

  7月27日、午後4時ごろ、台風6号は熱帯低気圧になったが、関東では引き続き警戒が必要とテレビが報じている。丹波篠山地方は風も雨も降らず、雷鳴もなし。ブラブラしていると、わが家の東庭の松の木、のび放題が目につく。

  じんべいを、仕事着に着替えて、脚立を運び、剪定をした。この赤松は、わが古希時代、わが山で、未生の松の木(70cmぐらい)を、引き抜いて、東庭に植樹。・・最初はなかなか成長しなかったが、20年もすれば、立派な庭の木になった。・・でも、退職後、ひと頃、植木に凝ったことがあったが、庭木はあまり植えない方が良い。最近、つくづくそう思う。植木は、成長した姿を、とくと想像して植える必要がある。・・でも、今は、不要の木はドンドン、伐採中。

 

☆(左)7月27日、午後4時、庭の赤松の姿。新芽がのび放題。午後4時ごろから剪定にかかる。

☆(右)剪定後の赤松。まあ、こんなモノだろう。でも、すっきりした。午後4時30分に撮った。 

 

<弱り目に祟り目>

  7月29日、午後2時ごろから、裏庭焼却場で、畑の残渣(ウリ、キュウリ、カボチャなど収穫後の整理)を燃やした。山とつまれたゴミの山。 前から気になっていたが、天気のせいで、不能。

  やっと、29日、午後晴れた。一気に燃やした。でも、雨で湿っており、いつもより燃えにくかった。

  それにしても夏である。暑い。半分は燃やした。 もちろん、殆どは残渣を火に入れるだけ。10分しては1時間休み。汗だくだくである。

  29日の夜、さすがに疲れて、テレビで水泳を観たり、娯楽番組を観たり、身心を休めた。

  ところが、午後10時ごろ、納屋のタオルを持った時、激痛が左手に走った。瞬間、「ムカデにやられた」と思った。振り払ったタオルから、何もみえない。ムカデなら、見えるはず。・・痛み止めを塗ったが、刺すような激しい痛みは、なかなか治まらなかった。でも、まだムカデだと思っていた。撃退の薬品をスプレーした。・・隠れていれば、たいてい、のそのそと這い出るはずだ。だが、影も形もない。

  午後11時30分頃、どうにか痛みも少し和らいだ。でも、時々、ピリピリと劇痛が走る。・・右手使用で入浴後、土間にでると、刺されたとき投げつけたタオルの方向に、もぞもぞとうごめくモノがいた。・・どうやら、犯人はハチのようだ。でも、スズメバチのように大きくはない。小柄の黒いハチだった。疑心暗鬼だが、ハチに違いなかった。

  日中の仕事で、大変疲れたとき、ハチに刺された。弱り目に祟り目とはこのことだ。泣きっ面にハチ。

 でも、28日から29日にかけては、疲れたせいで爆睡。夜中に一回のトイレですんだ。

 29日、朝、痛みはかなり治まっていたが、左手がポンポンに腫れた。

 29日、朝、8時30分、篠山市内のA皮膚科に、車を走らせた。診察の結果、大したことはないようで、塗り薬と飲み薬を処方してもらった。「注射は?」「入りません」と言うことだった。

  29日、午前10時に帰宅。気のせいか、腫れはひかないが、痛みは殆どなくなった。

 

☆左手と右手を撮った。左手の甲がポンポンに腫れている。刺されたのは手のひら。小指と薬指の根元付近。手の甲まで腫れた。でも、午後1時ごろには、全く痛みはなくなった。29日、午後5時ごろには、痒みがはしるも、腫れがだいぶんひいた。


<90才、獅子奮迅の働き>

  7月29日、午前9時50分、皮膚科で診察を終えて帰宅。・・午前10時過ぎから、洗濯器にスイッチ。・・さあ、忙し忙しの毎日が始まる。こんな日に限って、洗濯モノが多い。皮肉なもんだ。

  午前中、PC・ブログ書きこみ、左手の刺されたあとのフクラミは、かなりひいたが、完全ではない。手を握るとちょっと指に違和感を感じる程度。

  昼食は、宅配の惣菜がおかず。メニュウは{・・焼き肉炒め・焼きなす&出し巻き・・タンパク質(28.8g)・脂質(22.7g)・塩分(4.3g)・・}

  徹子の部屋・岩下志麻との対談。美しい柄の着物をふんだんに公開。テレビを観ながら、ゆっくりと昼食。 途中で、やっぱり暴れん坊将軍・吉宗に切り替えた。そのうち、いつの間にかウトウト。ベッドから腰を上げて、時計を見る。午後2時30分。

 

☆29日、午前11時30分頃、洗濯ものを干す。日が射す。乾き早いだろう。それにしても、シャツのオンパレード。いかに、汗をかいたかの証明。28日、よく働いたの証明? ・・いや、じっとしていても汗をかいた。

☆いつもの宅配惣菜で昼食。12:20写。

***午後はゴミ燃やし。・・ふと獅子奮迅という言葉を思い出した。よろよろの90才の老人の使う言葉ではない。・・獅子という百獣の王が、激しく奮い立つ様子を獅子奮迅という。あえて使用した。「90才、獅子奮迅の働き」

<刺したのはハチ、ゴミ燃やし>

  7月29日、午前10時、地面にハチの死骸。わが手のひらを刺したのはハチに違いない。ムカデと思っていたが、黒いハチだった。スズメバチのように大きくはない。むしろ小さいハチだった。尻より鋭い針を出していた。

  7月30日、午前10時30分、O病院泌尿科定期検診。スムーズに進行。11時30分に帰宅。・・病院の待合室、テレビ掲示板に4字熟語が映った。2題でたが、解読できなかった。

(1)好○嘖○   (2)一○一○  ・・記帳してネットで調べると

(1)好評嘖嘖  (2)一得一失 

  7月30日、午後5時から裏庭のゴミを燃やした。汗びっしょり。

 

☆刺した犯人は、ハチのようだ。尻から鋭いハリがでていた。ムカデより、痛くて腫れた。7月30日、16:00写。

☆ゴミもやしの様子。高く積まれた野菜の残渣を焼却。17:30~16:00、約30分。汗かくのもムリはない。シャワーして着替えた。18:00写。

 

   


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晴雨

2019-07-12 18:00:24 | Weblog

<晴れたり、曇ったり、雨が降ったり>

  7月11日、12日、梅雨空である。晴れたり、曇ったり、雨が降ったりの毎日が続く。うっとうしい。でも、命ある限り生きねばなるまい。しかし、90才の坂道を下るのは大変。ちょっと荷が重すぎる。畑仕事があるからだ。しなければいいのだが、それがそれ、負けん気のジロた爺さん、歯をくいしばって、腰を伸ばし、膝を引きずりながら、外にでる。困った性分だ。

  そんなときに限って、とんでもない畑仕事が追い打ちをかけた。電気柵のおかげで、猿の被害はなくなった。安心して高をくくっていた。山里の畑仕事は、そう甘くない。電気柵は、天井がない。カラスという強敵がいた。

  やっぱり、電気柵の中の野菜には妨獣網が必要であった。

  今回はその模様を写真いりで、記すことにした。


<11日の被害と対応>

  7月11日、昼寝時、テルあり、「ジローさん、前の畑にカラスが入って、キュウリを食べていますよ」

  寝ぼけ眼を、こすって、2号田にいった。食い荒らされた5、6本のキュウリが、散らばっていた。(そういえば、昨年も防獣網でまいたわい)

  3号田のスイカが気になった。今年はあまり出来が良くないが、4個ほどなっていた。わらをかぶせて、防護した時だった。いや、まいった。防護した横にスイカがあったんだ。見事に穴をあけられた。2号田のマクワウリも一つ穴をあけられた。

  犯人はカラスに違いなかった。3羽の大きなカラスが、飛び交い、山裾に逃げた。

  7月11日、午後4時ごろ、2畝のキュウリに防獣網をかぶせた。午後5時ごろ、3号田のスイカに防獣網をかぶせた。これは応急処置。

  7月11日、午後6時ごろ、すべての野菜を収穫した。しんどかった。

☆1号田・ナス、ピーマン、マンガンジ。・・2号田・キュウリ。・・3号田・トマト。・・大収穫。疲れが出るが喜びがマサル。19:00写。

 

☆(左)被害を受けたスイカとマクワウリ。アライグマの爪痕のようにも思えるが、カラスのくちばしもなかなか鋭い。

☆(右)2号田のキュウリに防獣網をかぶせた。11日、17:00写。


 

(左)2号田の2本のキュウリにも防獣網を張った。11日、17:00写。

(右)3号田のスイカに防獣網をかぶせた。体力の限界。応急処置。11日、18:00写。


<12日の自力と他力>

  7月12日、朝、起床、午前7時30分。曇り。雨は落ちてこない。身の回りの仕事を終えて、一休み。窓に日がさしてきた。洗濯ものがいっぱい。洗濯機、「洗う」にセット。午前10時ごろ、洗濯ものを干す。陽が照った。

  午前10時10分頃、電柱にカラスを発見。カラスはジロー畑のキュウリ、スイカなどなど、情報を伝えて、一気に3、4羽の来襲となった模様。ワルガシコイ奴だ。猿除け鉄砲で追い払う。

  3号田、スイカ、トマトなど、防獣網を張らねばならないが、体力がない。じっと腕を組んで、ベッドでテレビ。

  PCを開き、検索。そのうちに昼になった。

  午後、12時30分頃、テレビを観ながら昼食。徹子の部屋は中村メイコと、ご主人が対談。午後12時30分からは、吉宗を見た。やっぱり、これが一番肩がこらない。

  午後1時すぎ、テルがあった。いつも世話になっているシルバーNさんから。・・えたりやおうと、事情を説明。「午後2時ごろに伺います」・・ありがたや、ありがたや。・・自力で、がんばっていれば、必ず他力の風が吹く。・・五木寛之さんの言葉もまんざらではない。

  午後2時から午後4時ごろまで、スイカ、トマトに防獣網を張っていただいた。加えて、ちょっと、3号田周辺の草も刈ってもらった。勝手知った仲、殆ど、指示なし、・・わが輩は、檻の仕掛けをしただけ。

  午後4時、急に雨が降り出した。洗濯ものの取り入れ成功。・・自力と他力の哲学を思考。

 

☆7月12日、洗濯干しの状況と電柱のカラス。午前10時過ぎに撮った。

 

 

☆午前10時半頃、畑仕事の出で立ちを、通用門前で自動シャッター。姿だけはやる気マンマンだが、10分働き引き上げた。

☆12日の昼食。宅配惣菜。天ぷら盛り合わせ・じゃが煮。{タンパク質27.1g、脂質37.6g、塩分3.3g}・・・天ぷらはうまかった。

 

 

☆3号田のスイカとえびすカボチャの成長状況。・・網をかぶせた。12日、午後3時30分撮った。


 

☆(左)Nさんが、スイカに防獣網をかぶせた。完成。15:00写。

☆(右)Nさんが、3号田・電気柵周辺の草刈り。わが輩が仕掛けた捕獲檻が、左にかすかに見える。16:10写。

**夢のように12日が過ぎた。午後10時、入浴。手足を伸ばし、湯を手でかける。風呂は、気候的にもいまが最高。・・生きている実感がそこにある。


<年寄りの冷や水>

  7月13日~15日、3連休。毎日が日曜日のジロ爺さんには、あまり影響がないはずだった。それがそれ、ちょっと違うのだなぁ。ウイークデイは、一人暮らし。掃除、洗濯、朝食、昼食などなど、身の回りのことはみな自分でする。

  さて、休日になると、倅夫婦が、すべてやってくれた。野菜の収穫、草刈り、畑仕事などまでも。・・ベッドインとブラブラ散歩の時間が多くなった。 楽チンだ。

  ところが、7月15日、夕方、草刈り機の刃を変えたのが、いけなかった。ほんのちょっと試しに、草刈りをしてみようと、5号田に登る坂道(フキがはえていたところ、草ぼうぼうの世界)に、草刈り機を回した。もちろん、完全武装をしての行動。

  10分ぐらいで終了。いや、終了と言うよりは、何となく体力に限界を感じて、止めたが本音。

  効果てきめん。15日、午後7時ごろ、右腰に激痛。湿布をしたり、痛み止めを飲んだりして、一人ベッドの上でモンモンとした。休日で、診療はダメ。堪え忍んだ。

  それでも、午後9時ごろに、やっと、痛みも治まってきた。なんとか、夕食をいただくまでに回復した。午後10時ごろ、今度は、左の腰のまわりに鈍痛。・・でも、耐えられぬことはない。・・午後11時ごろには、風呂に入ることができた。

  今回ほど「年寄りの冷や水」を感じたことはなかった。70才代の後半、80才代の中頃にも、「年寄りの冷や水」を味わっている。ブログにも2、3回、記したと思う。

  でも、90才代の「冷や水」は、深刻だった。絶対、ムリは出来ないことを、痛切に感じた。寝たきりの長生きにならないためにも、今後の生き方は、極めて大切だ。ジロ爺さん、どう生きる? 

  因みに、「年寄りの冷や水」は、{・・老人が冷水を浴びるような、高齢に不相応な危ない行為や、差し出がましい振る舞いをするのを、警告したり、冷やかしたりして言う言葉・・}と、定義されていた。 

  

☆(左)7月15日、ほんの5、6mの草ぼうぼうの坂道を、草刈り機で刈った。これが「年寄りの冷や水」となった。

☆(右)7月15日、午後4時ごろ。3号田のトマトを収獲。冷蔵庫に入れて、2日後、17日、午後3時撮った。完熟のトマトになった。ジロ爺さん、得意顔。ちょっと鼻がたかい。 

 
<喜びもある>

  6月14日に仕込んだ梅ジュース。1ヶ月で熟成。7月14日、取り出して瓶にいれた。この梅ジュースは完璧。我ながら自慢したくなるほどコクが深くて美味。3、4倍に薄めて飲用。

  自分でつくった喜びは、年寄りの暖かい水となる。

 

☆小梅1k、氷砂糖1k、リンゴ酢1カップ。6月14日~7月14日、1ヶ月で熟成。
7月17日、15:00写。
**小梅は梅干しに漬けかえて、ただいま、熟成中。「そんなに梅干し作ってどうしてんや?」とは、家の者の意見。「これが長生きに負けない生き方や」ジロ爺さんの心の叫び。


<今年のトマトは上出来>

  7月19日、午前10時30分ごろ、散歩中、3号田のトマトハウスのトマトが2、3個、色づいているのが目にとまった。2日前に収獲したところだが、もがねばなるまい。

  しかし、体も心も、何となくおもい。一つは天候のセイ。気象庁の発表。
{・・東シナ海を北上する台風5号や、梅雨前線の影響で、今日19日から20日にかけて、南西諸島や、西~東日本は雷を伴った非常に激しい雨の降るところがあるでしょう。・・}

  ここ、丹波篠山地方は、雲はおもく、時々ぱらぱらと雨が落ちるていど。風はない。でも、うっとうしい空模様である。心が晴れないのは、訃報の知らせが、次々とコールされてくる。19日は、一年先輩の葬儀の日。葬儀は後輩に託した。同じ校長として暮らした思い出が、つぎつぎに浮かんだ。5、6年前から体調がすぐれないとは聞いていたが、・・ダメだったか。

  19日、午前11時30分頃から、トマトを収獲した。見た目より、実際にハウスに入ると、熟したトマトが多かった。

  収穫後、シルバーカーを押して、帰るとき、ぱらぱらと雨が落ちてきた。

  ハウスのとなりの畝、サツマイモが、一本のえびすカボチャに、おおい尽くされ、何が何だか解らなくなった。たった、一本のえびすカボチャの苗である。3つほどカボチャをみたが、どうなっているのか、見当がつかない。これも、あとのお楽しみというところか?・・

 

☆(左)7月19日、午前11時45分、トマト収穫。完熟。納屋のテーブルに並べて撮った。 

☆(右) 7月19日、トマトハウスのとなり、⒊畝に、えびすカボチャが広がった状況。手前の黄色く枯れた葉が、最初の1本のえびすカボチャの苗。ところどころ、妨獣網をかぶせている。トマトも、スイカも、キュウリも被害はない。カラスの姿は、皆目見えなくなった。


<今年も前庭に夾竹桃が咲いた>

  7月20日、前庭が草ぼうぼうである。いつもみかける蔓草がのび放題。あらゆる草木に巻き付いて天に昇る。・・長靴を履いて畑に入り、ツルを引っ張った。途端に足がもつれ、ツルに足をとられて、前向きにもんどりうって、草むらに倒れた。

  幸い、草むらで、小枝がわが身を守ってくれたようだ。かすり傷ひとつなく無事。事なきを得た。誰も見てないやろなぁ、あたりを見渡した時、ピンクの花に気がついた。

  亡き妻が教えてくれた夾竹桃(キョウチクトウ)だった。「今年も咲いとるやん」・・ジロ爺さん、独りごちた。

 

花が桃に、葉が竹に似ているところから、夾竹桃と名付けられた。非常に生命力のある花で、原爆の広島にいち早く咲いた花で広島市の花になっている。詳細は次のブログを参照してください。
{・・2011,8,6「利口バカ」と「バカ利口」・・2012,7,21「天気が変です」<わが庭の花も満開です>・・2017,7,20「生き方上手」<キョウチクトウ(夾竹桃)>・・2018、7.20「微妙」<夾竹桃・百日草>・・}



  

      

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追憶

2019-07-05 14:41:13 | Weblog

 <絶不調>

  7月になり、体調すこぶる不良。プロ野球の選手で、こんな時「絶不調」と言った人がいた。まさに、わが輩も目下「絶不調」である。反対語は「絶好調」。

  とりわけ7月4日、一日中ベッドのお守り。寝て暮らした。仕事らしい仕事はしていないが、体がだるい。汗をかく。ちょっと散歩しても、何となく気分が重い。少しは梅雨という気候のセイだろうと、慰めもする。

  自分の身の回りのことが、自分で出来るだけマシと思え。でも、7月4日、洗濯モノを干すとき、ぐらついた。なんとか身を立て直して、難を免れたが、転けたらダメとため息。足を上げろ、膝を伸ばせ、腕を振れ、かけ声だけは立派だが、体のシンがだるい。病院へ車を走らせるテ(手段)もあるが、なんとなく億劫だ。 寝ているしか方法はない。

  そんな時、訃報が相次いだ。その一人に、高島忠夫(88才没)さんがいた。


<昭和~平成のエンターテイナー>

  高島忠夫さんとは、関西学院大学で、いっしょだった時期がある。彼は当時は高嶋と言っていた。神戸御影生まれのボンボンで、甘いマスクで人気があった。学校にはあまり来なかった。ジャズに凝って、当時大流行だった社交ダンスの演奏をしていたこともあった。

  2年後、ばったり音信不通。映画入りしたとの話だった。そのうち、ズカガールの寿美花代さんと結婚し名をはせた。雲上の人になった。

  7月1日、午後12時「徹子の部屋」で、緊急追悼番組として、高島忠夫さんが登場した。65才(1995年)、67才(1997年)、69才(1999年)、その時々の対談が放映。甘いマスクと話術には定評があった。

  7月2日、神戸新聞に「昭和~平成のエンターテイナー」と題した記事があった。楽しませてくれる娯楽や催しの仕掛け人というところだろうか?・・「高島忠夫さんを悼む」と題して佐藤利明さんが、追悼文を掲載。彼の業績が詳しく述べられていた。

  でも、晩年は病の連続で、必ずしも幸運であったとはいえないような気もした。ご冥福を祈る。


<わが関学時代を追憶>

  高島忠夫さんが亡くなった知らせで、しきりに、わが関西学院大学(関学)時代に思いをはせた。戦後、昭和24年、新制大学が施行の年。新制高校3年生が受験の権利。高校を卒業しないと新制の大学受験はできない。・・戦後、東京に行き、明治学院専門学校に入学したが、中退した。(当時のいきさつは、ブログに掲載しているので、今回は割愛。)

  昭和24年4月、関西学院大学英文科に入学した。芦屋・打出浜、叔父さん宅の豪邸に下宿。阪神電車、今津で阪急に乗り換え、宝塚線の仁川で下車。大学に通った。・・硬式野球部に入り、捕手をやったが、秋にスライディングで、半月板を痛め、1年で辞めた。わずか1年だったが、藤江君(10年前に他界)とバッテリーを組んだ思い出がある。(藤江君は卒業後、プロ球団南海に入り、川上哲治に一度もヒットを許さなかった。・・後、阪神のピッチング・コーチに就任)

  昭和24年8月、夏休み、藤江君と、わが母校、柏原高校で野球指導した思い出がある。わが家に下宿した。根っからの野球人で、野球のことしか頭になかった。年齢はわが輩より2つ年下。そうそう、阪神のピッチング・コーチ時代、確か昭和56年(1981年)、阪神タイガース、江本投手の「ベンチがアホやから、野球なんかやってられるか」の有名なセリフの場面が、テレビで放映されたとき、ベンチからボールをもって、投手交代を告げる藤江君が映った。

 わが輩は硬式野球をやめて、ソーシャルダンスの同好会をつくった。当時、社交ダンスは大流行。大学3年時代、大阪ダンス協会から、1級の資格免許をもらった。また、ビリヤード(3つ玉)にも凝った。

  高嶋忠夫さんには、ダンスパーティで、1度演奏してもらったことがあった。彼はドラムもたたき、歌もうまかった。確か、モナリザを歌ったと思う。Mona Lisa、Mona Lisa、men have  nemed you.・・はじめの歌詞だけがが頭にのこる。

 英米文学にも凝った。フォークナーのサンクチャリーに取り組んだが、最後までちんぷんかんぷんだった。伊那谷の老子・加島祥造さん(2015年1、92才没)のようには、翻訳できなかった。

 関西学院大学の4年間は、わが人生で、最も輝いた時代、青春謳歌の時代だった。この時代のことは、ブログにもあまり記していないので、いろいろ刺激を受けて、あえて、記した。

  昭和28年3月、卒業。就職試験を受けたが、採用の通知が来て、健康診断、レントゲン検査で不採用。全く自覚症状無し。昭和29年、3月読売新聞社が大阪に新設。合格したが、レントゲン検査で不採用。・・京大医科大学病院、K内科に勤務の義理の兄を訪問。そこで始めて重度の肺結核と診断された。(あとから聞いたが、余命半年だったようだ)・・3年間、国立篠山病院別館(陸軍病院療養所)に入院した。・・たまたま、義兄が国立篠山病院の副院長に就任したのをきっかけに、3年間、療養生活と相成った。

  華やかだった大学生活から、一気に奈落の底に突き落とされた。その時の模様は、次のブログを参照されたい。

{・・参照:2013,1,18「一円の本が来た」<病は人を強くする>・・2017,3,11「短編小説」<乙女の死、仁川忍>・・}

**古いアルバムから、関学時代の写真を2枚、複写掲載した。数少ない写真のほんの一部。

☆(左)昭和24年、8月、突き指で右手を痛めた。手の下に持っているのはバット。バッテングには高評価。

☆(右)昭和26年、芦屋打出浜・叔父さんの家に下宿。たばこなんか吸って、英語の原文を読んでいるところか?


<大丈夫?>

  6月終わり頃から梅雨に入り、絶不調の毎日が続く。今年の夏は、本当に大丈夫なのか? 乗りきれるのか、はなはだ心許ない。

  7月7日、日曜日、わが食卓で、みなでご飯を食べながら、私が、「今年の夏をこせるだろうか?」と、ボソボソ言うと、倅の嫁が、「いつも、そう言ってられますが、それだけご飯が食べられたら大丈夫です」一刀両断。・・「それに結構、車でお出かけです」

  確かに、ご飯は全部いただく。時々、車で買い物に行ったり、予約検診には、キッチリと、忘れずに行く。・・ただ、畑仕事が、とてつもなくシンドイ。野菜の収穫もままならぬ有様。それが悔しい。ついつい、ベッドで横たわる時間が多くなる。汗をかく。エアコンは使用しない。扇風機を弱にセット。なんとか息づく。

  今年の梅雨はいつあけるのか?  朝食、昼食、食器洗い、洗濯など、朝の仕事はなんとか、ひとりでやれる。ただ、食器洗いなど、立ち仕事は、長時間はムリ。PCなど、腰掛け仕事は30分は可能。

  解った。要は立ち仕事がムリなんだ。腰、膝に負担がかかる仕事はムリなんだ。でも、コソコソした仕事はできる。シルバーカーに腰かけての仕事は、なんとかできる。

  結論。・・90才、それでいいのと違う。ノロノロ、コソコソで、この夏を乗りきろう。 


<夏野菜の収獲はたけなわ>

  7月6日、土曜日、夕方、倅の嫁が、夏野菜を収穫。見事なもの。思わず、呟いた。「いこう、いこう、と思っとたけど、ゆけんかった」・・「毎日、収獲しないと、ダメです」・・これも一刀両断。

  7月8日、わが輩が、午前10時ごろ、1、2、3号田の電気柵の入り口を開けて、野菜などを収獲。 わずか30分、疲労困憊。・・30分の休憩で回復。・・その時、急用あり、車をとばす。何故だろう?車の運転するのが大変楽チン。快適だ。だが、高齢者の事故多発。社会問題視されているので、無言。

 

☆(左)7月6日、午後4時30分、倅の嫁の収獲。キュウリ、ナス、ピーマン、マンガンジ、トマト、ウリ。写真は午後7時ごろ撮った。

☆(右)7月8日、午前10時30分から11時、約30分で、わが輩、ジロ爺さんが収獲してきた、ウリ、トマト、キュウリ、ナス。見事な朝市。12:30写。 ・・しかし、キイ婆さん時代は、この3倍の収獲があったゾ。  


<バラの剪定>

  2、3年の間に、わが庭のバラの木が、私の背丈をはるかに越えた。手もとどかなくなった。剪定をするべきだが、要領が判らない。ネットで調べたが、今一つ不明瞭。

  ふと、Yさんを思い出した。10年程前に、わが近くの集落に、空き家を手に入れて、夫婦で引っ越して来た人。「農村でバラ園を作ってみたい」との話。

  10年も経てば、まさにバラ園であった。家の周りは見事なバラが咲き誇っていた。彼は私の無農薬の野菜作りに興味をいだいていた。微生物をバラに有効利用できないかということで、交流を深めたことがあった。

  2年ほど、出会っていなかったが、彼のバラ園を見て、さすがやなと口ずさんだ。

  7月8日、日曜日、午後4時ごろ、夫婦でわが家にやってきてくれた。その時、奥様から、バラを寄せ集めた花鉢をいただいた。「ほんの出かけに、咲いていた花を摘んで集めたものです」との話。びっくりした。嬉しかった。

  そして、わが家のバラの木を、少し手入れをして、「冬に、剪定してあげます」との話。バラには一季咲き、二季咲き、四季咲きとあって、わが家のバラは四季咲きだそうだ。

  心から、バラの博士に、頭を下げた。感謝!

 

☆7月8日、わが庭の背丈を越えたバラ。午後4時ごろ撮った。

☆Yさん夫妻持参のバラのアレンジメント。嗅覚の鈍いわが輩にも、バラの香りの芳醇が伝わる。聞くところによれば、香水のほぼ100%にバラの香りが使われているとの話。16:30写。

  バラについては次のブログにも記載。・・バックナンバーで開くと早いです。

{・・参照:2011,5,25「5月の花素描」<バラの花>・・2014,5,18「無知を知る」<今年もバラの花が咲きました>・・2018,5,20「必死」<わが朝食と日本晴れ>・・} 

 

<心・こころ>

  言葉に表せないものに「心」がある。

  家内が亡くなって、1年半年が過ぎた。感心することの一つを述べる。

  倅夫婦は、毎日、帰宅すると、仏壇まえで、線香をたて、手をあわす。水とご飯を供える。 一日も欠かしたことがない。また、孫も帰宅すると、必ず仏壇のまえで、手をあわす。

  私たちが結婚したのは、昭和35年(1960年)、家内はそれまで祖父と二人きりで生活してきた。その、祖父が亡くなったのが昭和41年(1966年)。・・約5年、私たち3人と子供2人、まあ、5人が、ともに暮らしてきた。

  祖父は大変言葉少ない人で、無口、勤勉、謙虚を地で行く人だった。毎朝、仏壇の前で線香をたて、お祈りしていたように思う。

  私は、盆と正月、春分、秋分に、仏壇の前に座るぐらいで、毎日、手を合わせたことはなかった。家内は、祖父の死後、51年、私と共に暮らしてきた。祖父は81才でなくなった。いみじくも、家内は51年後、81才で亡くなった。

  家内は祖父の姿を見て育ってきたのだと思う。

  いま、倅夫婦は家内の姿をみて、暮らしているのだろうか? 倅夫婦は時々言う。「お婆さんはこのようにしとったった」

  私が実行しなければならないことを、倅夫婦が実行している。私は気が向けば、線香をたて、般若心経をとなえ、南無阿弥陀仏で締めくくる。あまり気が向かない。私には信仰心がないのだろうか? ・・昔はよく言った。「こころで祈っとる」

  それは、本当に祈りを捧げたことにはならない。懺悔の気持ちでいっぱいである。ほんまに懺悔していますか?

  私は長い間、教育の仕事をしてきた。体で教えたこともある。心をこめて説いたこともある。所詮、それは給料という仕事のセイだったのだろうか。・・本当の教育は、黙って後ろ姿を見せる家内の姿ではないだろうか。心が通じ合うとき、そこに教えという、こころが育ち、はぐくむのではないか、・・ふとそんな気がして、仏壇に線香をたてた。

  7月9日、午後8時、記す。


<追憶の彼方>

  7月10日、午後4時、O病院眼科の予約検診。最近、目がかすみ、目やにがでる。検査を受けた。眼底・視力とも異常なし。かすみと目やには、気候のセイかも、と言うことで、目薬を処方。

  帰宅後、2号田のマクワウリ、3号田のトマトを収獲した。ワレながら上出来と胸を張った。

  7月10日、午後11時に就寝。少し蒸し暑いので、扇風機をつけた。お休みタイム、2時間弱にセット。・・いつの間にか眠っていた。夜、トイレに起きた。午前3時。よく眠れた感じ。それは良かったが、トイレの帰りに、食卓に座ったのがいけなかった。目の前に、梅酒があった。大さじいっぱい、杯に入れて口に含む。飲まない。口の中が芳醇に満たされる。そして、一滴づつ、喉を越す。その感覚がたまらなく、何とも表現しようがないほど、ともかくまろやかだ。(亡き妻の作品である)

  夜の静けさの中に、生きている実感が胸にせまる。・・同時に、過ごし来し思い出が心をとらえる。私を、追憶への彼方にいざなった。箇条書きにする。

(1)弱冠30才で、余命半年と宣告され、死んだ自分がそこにいた。

(2)病院で、知り合った妻と「同病相哀れむ、二人で一人」と、誓い合って結婚した自分がそこにいた。

(3)大阪万博時代、元気だった、上半身裸で、中学生に野球を教えた。監督。強いチームをつくったなぁ。野球理論は、野村監督より上だろうなぁ?

(4)平成元年、めでたく定年退職。妻に言った。「退職金はすべて貴女のモノです」「離れの小屋を建てましょう」・・・(この家が倅夫婦の住宅となった)

(5)結婚して50年、神戸新聞社から金婚のお祝いと、写真と表彰状をもらった。81才、73才。

(6)そして、そして、2017年、11月14日、最愛の妻が、私の腕の中で、先に逝ってしまった。

(7)一人で身の回りの世話をやっているジロ爺さん。2018年には胃の手術(ポリープ摘出)をした。その後、一度も病院に行かず、そのまま。治ったのかなぁ?・・まあ、飯がめっぽううまいから大丈夫だろう。

**森羅万象、「いま」と言う一瞬の「時」があるだけだ。ああ、ヒルティの「眠られぬ夜のために」を、思い出した。でも、彼は敬虔なクリスチャンだ。横目でながめるしか方法はない。

**ジロ爺さん、ベッドに入らないと、風邪をひきますよ。夜風がつげる。・・おっと、現実に戻ろう。・・それからベッドに横になったが、目が冴えて眠れない。・・そのうち、朝方、うとうと。・・いつの間にか、夜が明けた。

  

☆7月10日、マクワウリとトマト。午後4時20分撮った。

☆7月11日、午前3時頃の梅酒。コーヒーの容器に入れ替えてくれたのは、義理の娘。キイ婆さんの作った梅酒のツボが3つある。


 

☆平成21年(2009年)5月10日、金婚夫婦の表彰状と記念写真。表彰状の絵は孫娘が書いたものが、新聞社より送られてきたものを添付。81才、73才。約10年前の話。ちょうど、ブログ開設一年後、{‥参照:2009,5,11「金婚夫婦祝福式典に参列」・・}詳細に記載。開いてください。バックナンバーで。





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謳歌

2019-06-25 16:24:19 | Weblog

<存分に楽しんでください>

  今回のタイトルは謳歌。

  卆寿の旅を歩むわが輩にとっては、今少し不釣り合いな言葉。PCで検索すると次の3点が説明されていた。
(1)声をそろえて歌うこと。
(2)声をそろえて褒めること。
(3)恵まれた幸せを楽しみ喜び合うこと。存分に楽しんでいる様子を表す。

  それにしてもPC(personal computer)はモノ知りである。図書館に行く必要がない。平成元年、吾輩の定年退職時、退職記念にワープロを購入した。平成10年、中央公民館生涯学習・専任指導主事を退職した時(すべての役職から身を引く)、一台のPCを買った。皆が言った。「ワープロにしとき」・・でも、わが輩は忠告を無視して、パソコンを買った。

  爾来、20年、PCの世話になった。とりわけ、満80歳、傘寿記念に、ブログ「八十路の旅」を開設した。「できる、gooブログ」の解説書一本やりで、取り組んできた。(ときどきプロの手をお借りしたが・・)そして、今は「卒寿の旅」を歩んでいる。謳歌しているというといい過ぎかな?

  もちろん、わが輩の謳歌は(3)の「存分に楽しんでいる様子を表す」ということになるのかなぁ?


<朝食・買い物に行った>

  6月25日、起床7時30分。朝食にとりかかる。一切れのパンにマーガリンとイチゴジャムをつける。コーヒー豆乳と、河内晩柑、3つの赤いのはプラム。プラムは昼に残した。

  朝の仕事がスムーズに進行。時計は10時30分、「よし、今から河内晩柑を買いに行くぞ」・・着替えて出かけた。義理娘が、買ってくれた河内晩柑が、常用してきた甘夏と同じくらい密度が濃くて美味。味を占めて買いに行ったわけ。 

 

☆(左)6月25日、朝食の晩柑。皮をむいて、実だけにするのに時間がかかる。ハサミを使用、ぶくろを除く。パン食では、欠かせない副食。うまい。

☆(右)6月25日、午前11時30分、Bスーパーで晩柑3つを買って、ショッピングカートを押して、出ようとしたとき、知り合いの女の方に出会い、シャッターをきってもらった。

 

<わがPC・1号田のナス、ピーマン>

 

☆(左)今、使用中のわがPC。この一台のみ。モノ知りです。知らぬことは一つもない。検索するだけで、すべてヒット。いま、PCなくしては生活できないのではないか。ちょっと、不安。6月25日、14:30写。

☆(右)1号田のナス・ピーマン。両端に杭を打って、一本の竹竿をわたしている。ナス・ピーマンの支柱。・・・かなり大きく育ってきた。花も咲いた。6月25日、14:50写。 


<わが家の謙虚なガクアジサイ>

  わが家の3号田、電気柵の電源の隣に、ガクアジサイが咲いている。まだ蕾もあるので、満開はこれからだろう。溝のところに毎年咲く。もちろん冬場は枯枝ではだか。春先から緑の葉をつけ始める。

  ちょっと変わったアジサイだが、風流である。6月25日、9:45写。 

 

☆ガクアジサイをネットで検索した。次のごとし。

{・・ガクアジサイの特徴は花の形です。中心に集まっている小さな蕾のようなものが花びらで、その外側にはガク(葉っぱが変化して花を守る部分)が、大きな花びらのようについています。この様子が額縁に似ているところから「ガクアジサイ」と名付けられました。・・}
{・・ホンアジサイは「移り気」「浮気」「高慢」というネガティブな花言葉を持つのに対して、ガクアジサイの花言葉は「謙虚」となっています。これはホンアジサイよりもガクアジサイの方が、装飾花の数が少なく、その姿が謙虚に見えることにちなんでいるとされています。・・}


<玉水ゆり園のユリが咲いた>

  6月25日、1号田の土手に白ユリが咲いた。これは、昨年7月初旬、篠山・玉水ゆり園を鑑賞した時、店長Mさんから5本のユリ苗をいただき、植えたモノ。1年経って5本ともついた。黒、橙色、ピンク、茶色の花が、それぞれ咲いたが、咲くや否や、害虫に食べられた。最後に白のユリが咲いたワケ。 やっぱり、花も忌避剤をかける必要を感じた。竹酢液の希釈液でもよいが、わが輩は椿の油粕、また、ニームを持っているので、今後はそれを活用予定。

  ゆり園鑑賞記録は、次のブログを参照されたし。{・・2018,7,6「虚空」<{篠山・玉水ゆり園を鑑賞>・・} 

  

☆6月25日、朝から快晴。・・午後6時ごろ1号田電気柵の外側に咲いた白ユリ。昨年の球根から咲いた。丁度、夕日が夏栗山の稜線に沈んでいくところだった。18:30写。

 

<夕日が沈む>

  1号田の白ユリを眺めていると、夕日が沈むところだった。夕日、8分の模様、4題。

 

☆(左)裏庭から、木々の間・葉隠れに夕日が映っていた。この角度から夕日を撮ったのは、はじめて。
6月25日、18:37写。

☆(右)家の前庭からシャッター。黒い影は夏栗山(なつぐりやま)。・・山の左肩稜線に沈むところ。ピンク模様はハレーションか?ZOOM40mで撮った。18:42写。 

 

(左)2号田の電気柵のところから撮った。もみの木の葉隠れの夕日。すごい光りだ。18:43写。

(右)あっという間に沈んだ夕日。あとは夏栗山の稜線がくっきりと聳える。白い線は飛行機雲だろう。
18:45写。


<一人今を生きる>

  6月終わりの週、一日一日が、90才のわが身を、けずるように過ぎていく。時候は今が一年で、一番いいときかもしれない。パジャマ姿で、ちょっとした仕事ができる。秋のように寒くなるのと違い、暖かくなるので、風邪はひきにくい。

  6月26日、一日中晴れた。洗濯日和。PCの閲覧など、朝の仕事の終わりは、午前10時。・・やっぱり疲れた。ベッドでごろ寝。蒸し暑い。部屋の温度は℃23。

  漠然とテレビを観ていると、関西地方もやっと梅雨入りが宣言された。{・・気象台は関西・近畿地方の梅雨入りを発表しました。過去もっとも遅い梅雨入りの記録を更新しました。・・}

  加えて、寒冷前線が日本列島を縦断すると報じた。27日には、寒冷前線が台風になったと発表。令和1号との話。・・それに、「G20 OSAKA SUMMIT 2019」の、交通規制報道がテレビをにぎやかにしていた。

  大阪城が映る。かって、妻とアベックで2度も3度も大阪城へ足を運んだ。思い出がそよ風のように、私の胸をくすぐる。昭和、万博時代だから、半世紀前の話だ。・・妻は逝ってしまった。・・太閤さんではないが「夢のまた夢」と呟く。


<一人で今を生きながら、気をつけていることが3つある>

(1)誤嚥に注意。ご飯の時はもちろんだが、飲み物を飲むときも、しっかり頭に「今から食べます。飲みます」と指令を発するようにしている。もちろん、首の運動もしている。 水を飲む時にも、むせるので要注意だ。

(2)転倒しないこと。出来るだけ、かがとのある靴を履くようにしている。室内でも、転ぶことがあるので要注意。転けたら終り、と心がけている。それでも、よろめく。

(3)毎晩、風呂に入る。長湯はしない。この頃は40度が適温。ついつい長く浸かる。ただ、だた数十秒でもいい。自分で風呂を沸かし、どっぷりと浸かることは、至福の極み。風呂の時期も今がいい。調子にのらないこと。ふらつく前にあがる。風呂の場合、危険を伴うが、楽しみの部分もある。

<楽しみも3つある>

(1)午後、昼寝とテレビ。正午から、「徹子の部屋」、暴れん坊将軍吉宗などを観る。午後1時~2時までの、韓国ドラマを観ること。「トンイ」も終わり、ちょっと淋しいが、中国ドラマもあり、昼寝時のゴールデンタイム。

(2)夏野菜と散歩。キュウリの収獲。体の調子をみて働くこと。たとえ10分でも、畑に出ることは、楽しみだ。加えて、自家用車を運転して、ショッピングに出かけること。デートできれば最高だが・・?

(3)PCを開く。他人のブログを開く。自分のブログを作成する。時間制限30分をめど。読書。


<マクワウリの生長・
ナス、ピーマン、マンガンジ、最初の収穫>

  楽しみの一つ、散歩の足を2号田に向ける。隣のマクワウリがかなり大きくなった。(キュウリの収穫はすでに5回ほど)

  6月29日、午後7時ごろ、倅の嫁が 1号田のナス、ピーマン、マンガンジを収穫。思わず言った。「りっぱなもんやないかい、誰が作ったんや?」・・それが余分の言葉なんだ。

 

☆葉がくれに顔を出したマクワウリ。6月27日、10:00写。

☆収穫のナス、ピーマン、マンガンジ。6月29日、19:10写。
(畑の様子は上述:<わが
PC・1号田のナス、ピーマン>を参照してください)


<気晴らしにユリ園に行った>

  ここ、丹波篠山地方は、7月になって、天気の日は一日もない。梅雨空が続く。気分もすこぶる重い。でも、時として、急に重い腰を上げて、畑にでて、夏野菜の収獲をする。ドッと疲れがでる。ベッドイン。

  7月2日、午後4時過ぎ、気晴らしに、篠山・玉水ゆり園・あじさい園に行った。自家用車が3台のみ。空いていた。午前中は大型バスが10台きて、超満員だったようだ。

  見物客は、数人。いつもながら地の利を得て、ゆっくり鑑賞。・・でも、かなり歩いた。30分で充分。

  昨年、7月6日に、始めて鑑賞に行った。その時の様子は、次のブログに掲載している。
{・・2018,9,6「虚空」<篠山・玉水ゆり園を鑑賞>・・} 

 

☆ゆり園、入り口の左と右のゆり。60種、10万本だとか。7月2日、16:05写。


 

☆入り口から数十メートル歩いて、左と右のゆり。60種。10万本も納得。16:15写。


  

☆ゆりの次のコーナー。案内標識の通り、ゆりの遅咲きと中咲きを巡る。ゲートを通り抜けるとアジサイが満開であった。かなり広い場所に咲き誇っていた。たまたま、神戸からお越しの二人のお嬢さんに、撮ってもらった。
16:20写。・・ドームで一休み、球根を買った。顔見知りの園長から、ゆりの球根を追加していただいた。


<今年も、桔梗(キキョウ)が咲いた>

  今年も、キイ婆さんが、ずっと世話していた前畑の桔梗が咲いている。この花は、テッセンと違って、花の命は長いようだ。7月終わり頃まで咲く模様。

 

☆キイ婆さんが立てた支柱が倒れたので、新たに4本の支柱をたて、ナイロン紐で目印にした。桔梗を見るたびに思い出す。テッセンだ。色合いがよく似ている。フェルメールの絵。「青いターバンの少女」。居間のテレビの上の壁に飾っているので、自然に毎日目にする。
{・・参照:2016,7,3「はや半年が過ぎた」<桔梗(キキョウ)が咲く>・・2017、7,20「生き方上手」<キキョウ(桔梗)>・・} 


<ゆりの球根を植えた>

  7月2日、午前11時過ぎ、篠山、玉水ゆり園を訪問をした時、手に入れたゆりの球根を、バラの木のとなりに植えた。盆過ぎに咲くとの話。昨年のゆりが今年みごとに咲いただけに、何となく楽しみだ。
  ところで、午前11時ごろから、植え終わったのは11時30分、・・30分も要していない。腰が痛くなり、トコトン疲れた。・・少し、土を耕し、6個の球根を植え、土をかぶせ、肥料を入れ、椿の油粕をまき、2ℓ活性液を注いで終了。
  這々の体で、部屋に戻り、ベッドイン。・・午後12時半頃、やっと回復、昼食。・・今更ながら体力の衰えを痛感。こうして身をけずりながら、90才の坂道を下る。そう、死に急ぐこともなかろうと言う気も、そこそこある。

 

☆ゆりの球根と植えた場所。ほんの2mぐらいの空き地に植えた。こんな遊びのような仕事に疲れるとは何事ゾ!  叱咤激励するも、むなしさだけが、梅雨空にひびく。7月⒊日、11:30写。

 



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老春

2019-06-16 11:53:48 | Weblog

<老木たるも我まだ枯れず>

  ブログ「八十路の旅」に、2・3回記したが、サミュエル・ウルマン(1840年~1922年)How to stay young(青春の詩)を、私は座右の銘にしている。

  特に、終わりの数行が好きだ。

You are as young as your faith,as old as doubt;
    as young as your self-confidence,as old as your fair
           as young as your hope, as old as your despair.

       {・・人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる。
               人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる。
               希望ある限り若く、失望と共に朽ちる。・・}  

***この詩は1945年(終戦の時)マッカーサー元帥が執務室にワシントン、リンカーン像と並べて掲げられていた。この詩を岡田義男氏が読んで、訳出したと言われている。{・・参照:2010,12,20 How to stay young・・}原文のブログを調査中、解ればここに挿入予定。

***この詩を読み、何となく「老春」と言うことばを、わが身にふりかけた。確かにトシとった。90才を過ぎたものなぁ。でも、まだ、私は青春を夢みている。おこがましいが、あえて、老春といった。「老木たるも我まだ枯れず」


<ジャガイモを収獲>

  6月16日、午前9時、わが輩、義理娘、孫(男)の3人で、2号田のジャガイモを収穫した。15日に予定していたが、生憎の雨模様。16日に延期したワケ。・・収獲完了は午前9時30分。はやい。しかも大収穫。1畝で一輪車3台のメークインを収獲した。ジャガイモの茎など残渣を焼却場に運び、また収獲したジャガイモ、一輪車3台を、納屋に運んだのは孫。・・後始末は義理娘。・・準備から,収獲、後始末まで、約1時間。しかも、大収穫。 ジャガイモに微笑み交わす初夏の風 

 

☆(左)ジャガイモを掘る前の畑の様子。1つの穴に2本仕立がよかったようだ。誰がしたんや?ワシや。
 6月16日、8:40写。

☆(右)畝の北側から掘り始めたジロ爺さん。孫のシャッター。6月16日、9:10写。


 

☆(左)掘り出されたメークイン。9:10写。・・・これまではキタアカリとメークインだったが、メークインが料理しやすいとの話で、メークインにしたワケ。北側からジロ爺さん、南側から義理の娘。あっという間に1畝のジャガイモ収穫完了。

☆(右)家の納屋に運び込まれた収獲したジャガイモ。一輪車3台あった。9:40写。・・あとは陰干しにして、土を落とし、新聞紙に包んで、もみ殻の段ボールに保存予定。ジロ爺さんの仕事。 


<エンドウ解体・イチゴ苗整理>

  6月17日、午前10時、朝の身の回りの仕事がおわる。ベッドに腰を下ろし、テレビを付け、新聞を読むことが出来れば最高。・・その日、自分の時間のはじまりとなる。自由時間。体調に従って行動する。(そうだ。昨日のジャガイモの残渣、草刈りの草などを燃やす仕事をしよう)・・5号田の焼却場へ上がると、ゴミの山。・・すぐ燃やそうと思ったが、1号田の枯れたエンドウが目についた。(エンドウを解体してから燃やそう)方針を変更。

  午前11時頃から、1号田の枯れたエンドウの葉っぱを、網から取り外した。約30分で終わる。これぐらいが限度。久しぶりに汗をかいた。下着を取り換え、昼食の準備。

  午後はテレビを観ながら昼寝。徹子の部屋は、由美かおるが登場。アコーディングを弾いていた。松平健の暴れん坊将軍吉宗と、トンイを観た。・・それ以外は、どのチャネルも、警官殺傷事件、箕面で犯人逮捕の報道一色。

  午後3時30分頃から、エンドウの網と支柱はずしに、とりかかった。辛気くさい仕事で、40分かかった。一休み。

  午後5時30分頃から、支柱、ワラ、草などの整理。約30分。・・隣のイチゴの苗も引いた。

  6月17日の日暮れ、ウグイスがなき、ホトトギスがなく。田舎の山間の風景が広がる。

 

☆(左)解体前の枯れたエンドウ。10:50写。

☆(右)エンドウ葉っぱを取り外した。11:20写。


 

☆(左)焼却場へ葉っぱや残渣を運ぶ。11:30写。

☆(右)支柱の解体。15:30写。


 

☆(左)支柱などを整理し、前のエンドウのマルチ畝になった。ごみ収納袋2杯。焼却場に運んだ。17:30写。

☆(右)隣のイチゴも解体した。目下、10本のニンジンだけの畑になった。19:50写。


<倦怠感>

  6月18日頃から、どうも体がだるい。気分もよくない。身の回りの仕事で精一杯。殆どベッドでごろ寝の時間が多くなった。ブログも、気になりながら、キイを打つ気がしない。でも、病院へいくほどでもない。畑仕事をする気がしない。でも、ジャガイモの土落としは、気が向けば、30分ぐらいはできた。

  6月22日、ジャガイモの土落としはみな出来た。ホッとしたが、気が重い。金曜日だ。医療機関は休みになる。時計を見ると午後7時過ぎ。・・近くのNクリニックへテル。・・院長に診察。と言っても、血圧測定のみ。・・「働き過ぎやろ、トシ考えなさい。点滴をして、血液検査をしましょう」・・診察は1分もかからなかった。

  検査の結果は異常なし。点滴のせいだろう。気分的に、身心が楽になったようだ。・・午後8時ごろ帰宅。

  6月22日、午前10時、やっとブログを入力する気になった。キイに指をからめている。

  自己診断:今回の病名は「倦怠感」。
{・・運動など体を動かしたときに起こるモノと、安静にしていても感じるモノがあります。倦怠感の原因には,ビタミン、ミネラルなど栄養やエネルギー不足。体を酷使したことによる疲労の蓄積、精神的なストレスによる脳の疲労感。・・} 

**身の回りの世話をしながら、畑仕事など、出来る範囲をとくと熟知してかかれ。・・自分の身心に言い聞かせた。


<大梅とキュウリ収穫>

 

☆6月19日、午前11時30分頃、3号田をブラブラしながら、大梅が落ちそうになっていた。急にもぐ気になって収獲。大きいだけに2kあった。11:43写。

☆6月21日、午後5時30分頃、2号田のキュウリを収獲。予備軍がいっぱいなっている。大変だぞー。
17:45写。


<ジャガイモ土落とし終了、梅ジュース、小梅梅干し>

 

☆6月21日、午後6時頃、ジャガイモの土落とし完了。大・中・小に分類。18日頃から4日かかった。この仕事は、これまで殆どキイ婆さんがやっていた。それこそコソコソと土を落としていた姿が浮かぶ。今年の倍の収獲だったと思う。大変だったと、ひそかに婆さんを偲ぶ。21日、18:30写。

☆梅ジュウスと小梅梅干し。6月14日に漬けたモノ。ジュースは完全に水分があがった。梅干しも紫蘇を入れ、梅干しらしくなった。6月22日、10:30写。


<この夏を
如何に乗り切るか?>

  6月22日、日めくりカレンダーを見ると、夏至と載っていた。昼の時間が一番長い日。 何となく夏がきたのを感じる。

  それにしても、この夏を乗りきれるだろうかと、ちょっと首をかしげる。体がだるい。心は弱い。しかし、野菜づくりはしたい。トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、スイカ、まっかウリ、カボチャ、サトイモ、ショウガ、ゴーヤ、ヤーコンなど、などが、みごとに畑に成育中。面積はだいぶん減り、それに伴う労力も減った筈だが、気分はあまりよくない。

  昨年の6月頃のブログを観た。妻を亡くした始めての夏、張り切って農作業をしている。昨年は持病の腱鞘炎で、困ったようだが、しっかり、初夏を過ごしていた。ブログを読んでビックリした。
{・・参照:2018,6,11「不調」・・2018,6,20「哀愁」・・2018,6,26「6歯車」・・}

  この夏も、なんとか乗り切りたいと必死に思う。しんどければ休めばいい。ベッドでごろ寝で結構。少し気分がよくなれば散歩をすればいい。野菜づくりの仕事をインプットして、出来る範囲でやればいい。焦ることはない。膝と腰は、昨年よりは弱くなった気がする。でも、ムリをしなければ、みな出来る。「人は信念と共に若く、自信ともに若く、希望ある限り若く」、気をとりなおして、この夏を乗り切っていこうと、心の底、ソコに誓う。・・「ジロ爺さん死ぬまでがんばれよ」・・妻とタマの声が聞こえる。・・今日もまた妻とタマの鎮魂歌を奏でながら、田んぼに出た。


<白のアジサイ>

  6月22日、点滴のセイか、朝から先ず先ずの気分。洗濯モノを干し、ベッドに腰をおろして、新聞を見る。土曜日だが、家はわが輩ひとり。午後は義理の娘も帰宅するとの話。

  午前10時半頃から、昼までが自由時間。午後3時頃、3号田の伸びたトマトを支柱に結わえ付ける。

  午後5時頃、裏の5号田、焼却場の、山と積まれた野菜の残渣(ジャガイモ、エンドウなど)、草刈りの草が目についた。(心ひそかに23日、日曜日に燃やそうと思った)

  6月22日、午後5時30分頃、石段を上がったところの片隅に、白のアジサイが満開である。心洗われるような白さである。ネットで調べると、花言葉は「寛容」広くてやさしい心を持っていますと、説明されていた。

 

☆白のアジサイは、毎年咲く。今年も、白、鮮やかに咲いた。平成元年、定年退職時、家増改築した時に、その際、前の畑から移植したもの。先代からあったもの。いわれは未明。6月22日、17:50写。


<朝からゴミ燃やしを決行>

  6月23日、丹波篠山地方の天気予報は、「曇り、昼頃日が射すが全体的に曇り」だった。

  朝から気分上々、朝食を済ませ、洗濯機にスイッチを入れ、山と積まれた葉っぱなどの残渣の焼却にとりかかった。

  昨夜は、3時にトイレにいって、次に目を覚ますと、7時30分。びっくりした。夜、1回のトイレは一年間で数えるほどしかない。ホントにすっきりした。倦怠感、まったくなし。やる気満々。

  と言っても、裏の石段の上り下りは、スイスイとはいかない。みじめな姿である。でも、上り下りが出来るだけで十分だと、慰めている90才。

 

☆(左)燃やす直前の、山と積まれた葉っぱ類(ジャガイモ、エンドウなどの残渣)。白いのは紙類。
6月23日、8:18写。 

☆(右)竹と木切れを組み、一塊の残渣に火をつけたところ。8:34写。

  

☆(左)野菜の残渣は上は乾いていたが、下は湿って燃えにくかった。いつもの倍の労働と時間を要した。それでも、後、ひと山を燃やすだけとなった。6月23日、9:46写。(左上の白いのがアジサイ)

☆(右)やっと、最後のひとかたまりになった。まる一日かかった。6月23日、18:00写。

<卆寿の旅の一日>

  6月24日、月曜日、朝から寝るまで、一日を生きる。今日もまた、人生を卒業する旅を歩む。「人生とは何ぞや」ずっと考えてきた命題は、今も変わらず、私の心の片隅にある。

  亡き妻は言った。「あなた、死ぬ時に解ると思います。死んでこちらに帰ってきた人はいませんよ」・・確かに、妻は2度と今を生きる私の前に姿を見せない。私の腕の中で、眠るように旅立っていった。82才。女性の平均寿命と比べると、ちょっと若いが、死ぬ時期を心得ていたと、しみじみ思う。見事というしかない。

  あれから、私は、八十路の旅から卆寿の旅を、一人で歩んできた。身の回りのことはすべて一人でやりながら、無農薬の野菜づくりをやってきた。これは、これで見事なモノだと、自分で言うしかない。

  でも、いつも平穏無事ではなかった。身も心も、ときに疑惑を抱き、ときに恐怖を覚え、ときに失望を感じてきた。しかし、「今を生きる」という、主義のもとで、暮らしてきた。

  6月24日、長い一日も終わった。ただいま、午後9時30分。あとは風呂をわかして、入浴、歯磨き、就寝とつづく。

  よい夢をみようと、ベッドに入るが、とりとめもない夢の連続。

  夜が明ければ、また、卆寿の旅の一日が始まる。ジロ爺さん、それでいいのではないですか。




 

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微妙2

2019-06-08 16:39:01 | Weblog

<タマネギを吊した>

  6月8日、午前10時頃から、昼食をはさんで、午後2時頃までに、タマネギをくくり、竿に吊す作業に取り組んだ。土曜日だが、みな用事があって留守、わが輩一人でやった。

  朝起きると、何となく体の調子がよかった。気になっていたタマネギの整理をした。

 「やれば出来る」「でも、調子に乗ったらダメ」・・体力と気力のハザマを、心に秘めて、90才の坂を下る。70才、80才では、考えられなかった姿が、ここにある。心はまことに微妙。

 

☆(左)6月8日、一輪車3台のタマネギを、4個取りだし、茎をくくる。・・くくりながら、竹竿につるす。午前11時頃から始めた。空は雨模様。寒い。チョッキを着用。11:20写。・・約、3分の1、吊したところで、昼食。

☆(右)今日の昼食。宅配の惣菜は、鶏肉のケチャップ煮・コーン入りポテトサラダ{・・タンパク質24.9g・脂質32.9g・塩分4.5g・・}サンショと梅干しは手作り。完食。12:00写。

 

☆午後1時頃から、何となく、やる気マンマン。残りの3分の2を、くくりつけ、吊した。午後2時には全部終了。午前、午後、それぞれ約1時間の労働。4つをくくり、2つに分けて全部吊した。・・疲労はあまりなし。

<微妙について>

  今回のタイトルを「微妙」にした。でも、2018,7,20のタイトルも「微妙」だった。従って、今回は「微妙2」に変更した。前回はブログ「八十路の旅」が、あと10日ばかりで満90才(卆寿)になるので、「八十路の旅」が終わる。ブログを続けるとすると題名を変えねばならぬ。「卆寿の旅」に変更した。その時の揺らぐ気持ちを「微妙」と表現したワケ。前のブログには、次のように記載していた。
{・・やっぱり自分でやるしか方法がない。
今回のテーマは「微妙」という言葉を使った。辞書で調べると、「細やかで複雑で、言葉などで簡単に表現できないさま」と説明されていた。私のいまの気持ちは、何かにつけて、はなはだ微妙である。・・}

  妻に先立たれて1年6ヶ月が過ぎた。身の回りの世話を一人でこなしてきた。しかし、90才の一人旅は、まことに心許ない。寂しい。命つきるまで元気に生きていきたいとは思う。でも、保証はない。微妙な話。

  そういう意味で、今回のタイトルを「微妙2」とした。


<旧西紀町役場OB・OG会に参加した>

  6月9日、日曜日、OB・OG会に出席した。1ヶ月前に案内を受けた。一応出席に○を付けたが、当日欠席の場合は、幹事に会費を支払うと言うことで返信した。場所は毎年、ユニトピアささやま、午前11時から午後2時頃まで、懇親会が開催された。90才の私が最高齢。次が85才が一人。あとは70才、60才で、男性15名、女性8名、計23名の参加者。半分に激減した。
・・ 2年に1回、開催される会である。・・幹事さんの話では、今回が9回目だそうだ。平成12年(2000年)、篠山町、丹南町、今田町、西紀町の4町が合併して篠山市が誕生した。(篠山市は令和元年5月、丹波篠山市に市名変更)

  旧西紀町役場に勤務した人の集まりである。OB・OG会という。平成15年、第1回が開催、令和元年6月、第9回目の懇親会となった。

 

☆(左)ユニトピアささやまレイクホテル入り口で、同行のTさんに撮ってもらった。10:30写。

☆(右)レイクをバックに、Uさんに撮ってもらった。10:45写。

 

☆(左)懇親会会場の横断幕をバックに、Tさんに撮ってもらった。11:40写。

☆(右)バンダナをとって、1分スピーチのポーズを、Iさんに撮ってもらった。白髪交じりの5分刈り、「ピンピンコロリを希望。命つきるまで生きていきたい。上手に生きて上手に死にたい。わが西紀町はよかったなぁ!最高。おわり」本当にみじかいスピーチ。・・みな、本当に昔はよかったなぁを連発。うれしかった。

*** 私がブログを始めたのが、平成20年(2008年)8月3日。・・平成21年(2009年)から、2年に1度のOB・OG会を、次のブログに丹念に掲載していた。
{・・2009,5,30「旧西紀町役場職員OB会」・・2011,5,23「5月の生活体験から」・・2013,5,20「季節の変わり目」<旧西紀町OB会に参加>・・2015,6,3「水無月の雨」<OB会・懇親会に参加>・・2017,5,27「恵みの雨」<今年も旧西紀町役場職員OB・OG会に参加しました>・・}


<皿洗いはプロ?>

  皿洗いを始めて、1年6ヶ月、われながらうまくなったと自負している。ステンレス・たわしがよく洗える。それに、皿の裏のヌメリは、JOYという洗剤がよくきく。皿をまわしながらキュッキュッ音がする。誰か皿洗いに雇ってくれませんか。・・そして食器棚に収納する。

 

☆炊事場でJoy使用して、皿の裏を洗った。そして丹念に拭いて、食器棚に収める。・・この食器棚は私の退職時(平成元年)、妻の願いで購入したもの。大き過ぎて、勝手口から入れず、窓をはずして入れた記憶がある。その時の妻の笑顔が浮かび、グッときた。食器棚の皿の収納は、妻の時と同じだと思う。6月10日、9:00写。


<梅酒と梅干し>

  炊事場の戸袋に梅酒と梅干しの入った容器があった。義理の娘はよく知っていた。23年と書かれているので、亡き妻が漬けたモノだ。特に梅酒は、一滴口に入れただけで、口の中が、溶けるように甘くてまろやかだ。完全に熟成。
  蔵の中にも、梅酒と梅干しがあった。今まであまり気にしていなかった。今は亡き妻の心根が、いじらしくて、涙。・・妻の遺品は殆どない。10冊のノート、10冊の記録帳だけが、手元にあるだけ。・・すっきりしている。梅酒や梅干しが残った。立派なもんだと言うしかない。

 

☆(左)戸袋の梅酒と梅干し。(右)蔵にあった梅酒と梅干し。暗くてストロボで撮った。6月10日、9:30写。


<大梅を残して、梅もぎ終わる>

  6月10日、午後6時30分、裏山裾6号田の梅をもいだ。散歩中、急にもぐ気になった。丁度手の届くところにあり、ポケットに満杯。終わりにシャツの懐に入れて収獲完了。時間は10分ぐらい。

  6月11日、午後14時30分、残る2本のウメの木を収獲。少し小ぶりだが、全部もいだ。弁当の梅干しに最適だろうなぁ。準備なしに、10日と同じように、すべてのポケットに入れた。

  それにしても、6号田、5号田、裏の畑がきれいになっていた。シルバーNさんの草刈りのおかげ。梅をもぐ気になったのは、そのセイ。Nさんに感謝。 

 

☆(左)6月10日、収獲の梅。18:30写。

☆(右)収獲したウメの木。6月11日、14:30写。


 

☆(左)草刈りされた6号田の状況。ここに3本のウメの木がある。左の木は榊。6月11日、14:30写。

☆(右)残りの梅をすべて収獲。6月11日、14:50写。


<トマトミンチをかける>

  わが輩の専売特許。トマトミンチをつくる。トマトのまた芽をとり、EM活性液に浸ける。この液をトマトミンチと自称。20数年この液を、下の葉にかけてきた。枯れかけた葉がみごとに復活する。最後まで青々としているから不思議。
  野菜づくりプロ(?)のキイ婆さんも、このミンチを特に愛用した。このおかげかどうかは判明しないが、わが家のトマトは毎年鈴なりである。はて、さて、今年はどうか?・・小さいトマトがなり始めた。

 

☆(左)6月10日、午後6時過ぎ、10リットルのバケツに、トマトまた芽を入れ、活性液を注ぐ。最低2時間を浸す。今回は一日浸けておいた。 10日、18:30写。

☆(右)6月11日、午後2時30分頃、3号田のトマトハウスの5本のトマトに、ミンチ液をかけた。じょうろでかけるのがベター。でも、今回はしゃくでかけた。5分もかからない。従って、疲れはなし。11日、14:40写。

 

<昼ご飯と丹波茶>

  6月11日、午前10時30分、O病院歯科口腔外科、予約検診あり。奥歯の口腔に違和感。診察の結果、異常なし。ちょっとしたフクラミは、イボとの診断。悪質のものではないとの診断結果。・・診察は2分。薬もなし。

  帰宅途中、みどり館によった。鯖寿司と餅を買った。入り口で丹波名物:「丹波茶のすくいどり」200円を実行。知った方で、すくってもらった。やっぱり新茶は味が濃いい。

  帰宅後、洗濯ものを干し、宅配の惣菜で昼ご飯。もちろん、鯖寿司と新茶をいれた。本日のメニュウ:とんかつ&お浸し{タンパク質33.1g、脂質35,8g、塩分4.3g)・・鯖寿司とお茶があまりにも美味くて、とんかつが重かった。  

 

☆6月11日、昼ご飯と丹波茶。12:00写。


<ヤマブキを収獲>

  3号田から5号田へ登る山道(平成元年退職後、家増築の時、わが輩が作った道)に、ヤマブキが群生。 草刈りのNさんが,残したフキ。・・5月始めは20cmぐらいで、摘むのに最適の時期だったが、あれよあれよという間に、30cm以上に伸びた。

  6月12日、午前10時30分頃、裏庭散歩中、急に収獲する気になった。すごい量のヤマブキである。少々トオがたって、時機を逸した感があったが、摘み取った。

  井戸端で 葉を取り除き、茎を整理して、3束のヤマブキを作った。(これ、どうするの?決まっとりやろ、ヤマブキの佃煮をこしらえるんや!・・15キロあるんだぞ!)

  そこで、一句。ヤマブキや、嗚呼ヤマブキや ヤマブキや 

 

☆(左)山道のヤマブキの群生。10:15写。

☆(右)殆ど摘み終わった。4束に結わえた。10:40写。


 

☆(左)裏の井戸端、ジロ爺さんの仕事場。山から引いた水が蛇口からでる。格好の洗い場でもある。葉を取り除き、茎だけをそろえる。気候がよいので出来た仕事。11:17写。

☆(右)3束に分けた。これどうする? ほんまにヤマブキの佃煮をこしらえるのか?明日にならんと解らんぞ。

***夜、PCからヤマブキの佃煮のレシビを引き出した。


<おーい!佃煮に挑戦したぞ>

  6月13日、午前10時頃から、午後2時頃までに、なんとか、ヤマブキの佃煮を完成した。何しろトウがたって、固い茎で、柔らかくするのに、大変手間どった。3回湯がいて、やっと醤油など入れ、煮込んでできた。・・できばえは、ご飯といっしょなら、食べられる。うまい。食が進む。でも、少々筋が残るので、次やるときは、茎を充分にそげば、もっと上手に出来ることは確かだ。・・まだやる気かいなぁ?

  91才を生きるジロ爺さんの、飽くなき挑戦の連続。

 

☆(左)ヤマブキを3cmに切り、アク抜きをする。茹でこぼしを繰り返す。ざるに入れる。10:10写。

☆(右)鍋に入れる。トウがたったヤマブキ、固くて、何回も沸騰、のろ火を繰り返す。10:30写 

 

☆(左)アク抜き、茹であがり、ざるに入れる。12:30写。

☆(右)煮込む材料:ヤマブキ500g・砂糖大さじ2杯・梅酢大さじ1杯・ミリン大さじ2杯・醤油大さじ4杯・水700g・昆布少々。12:50写。

 

☆(左)材料をいれて煮込む。沸騰、中火、のろ火を調節し、水がなくなるまで、コトコト煮る。13:10写。

☆(右)出来上がり。味はまあまあと言ったところ。ご飯と食べるとうまい。食が進む。13:55写。

***ついにやったぁ!という感じ。手作りの喜びは大きい。・・挑戦は生きる印の目安かな


<梅ジュースと小梅梅干しに挑戦>

  6月14日、午前10時30分頃から午後6時30分頃まで、梅ジュースと小梅梅干しづくりに取り組んだ。

  ジュース用の梅と小梅を洗って干した。午後2時30分、果実酒のびん5ℓ入り2個、氷砂糖、リンゴ酢、粗塩、もみ紫蘇など、Sスーパーで購入。約1時間を要した。

  準備さえ整えば簡単。容器に入れるだけで完了。あとは保存するだけ。

 

☆(左)ジュース用の梅と、小梅のへたを取り、洗って、乾燥。 6月14日、10:30写。

☆(右)梅ジュウスは氷砂糖1kg、リンゴ酢300ccを使用。小梅梅干しは、粗塩180g、ホワイトリカー200ccを使用。容器に入れて完了。6月14日、18:30写。おわり。



 


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現実

2019-05-30 15:46:40 | Weblog

 <裏山に登りながら、自嘲>

  5月30日、午前11時、裏山に登った。キュウリの支柱の枯竹をとるのが目的。ほんの30mぐらいの山道である。

  2、3日前から、迷っていたこと。ムリと違うか? いや、這って登ればよい。‥迷っていてもラチがあかない。実行したわけ。山道には笹の落ち葉がぎっしり、一歩登れば2歩すべった。這いながら、枯竹に到着。30mも登っていない。

  ふと、不安がよぎる。家はすぐそこに見えるが、倒れたら誰が見つける?・・こんな心配をするウチは大丈夫だ。

  とにもかくにも、手頃な枯竹を手に入れて、山を下りた。やっぱり、山登りはムリなんだと、自嘲することシキリ。無念なり、残念なり。でも、家まで持って帰れたことの喜びも大きかった。

 

☆(左)枯竹2本を両手に持っているところを自撮り。完全武装の出で立ち。5月30日、11:30写。

☆(右)枯竹を、2号田のキュウリ2本の支柱にする。5月30日、午後2時30分に撮った。
  このキュウリは、実は購入のうどんこ病強し(3本)を、5月早々に植えたが、うまく根付かなかった。1本は完全に溶けた。残り2本が、かろうじて新芽を出していたが、引き抜いて、ねぎの畝に移植した。ダメと思っていたが、完全に生き返った。すでに、2つの
黄色い花にキュウリを付けている。


<キュウリとヤーコン・カボチャ>

 

☆2号田、うどんこ強しの苗を植え替えたキュウリ。かなり大きくなった。ここは支柱代わりにキュウリの網を張っている。
5月30日、14:30写。

☆2号田、ヤーコン(4)、カボチャ(2)の成長状況。5月30日、14:40写。


<現実の把握>

  今回の枯竹とりの山登り、午後の昼寝タイム、いろいろな想念が頭の中をよぎった。

(1)つい、この間、私より3才ほど若いお婆さんが、家から上がったところの畑でなくなった。独り暮らしで元気だったそうだ。でも、身内の方がテルしても不通、駆けつけて判明。・・前から心臓の病があったそうだ。安らかな顔だったという。他人事とは思えない。・・デカンショ踊り、西紀音頭の姿を思い出した。

(2)戦時中の話。昭和20年3月、中学校5年生と4年生がいっしょに卒業した。当時、私は4年生。進学希望。第3高等学校、理乙(現在の京大医学部)を受験。みごとに不合格。
  当時、われらの間で、流行した言葉があった。「現実の把握」・・だれが言い出したかは知らないが、私たち4年卒業組は、みな、入試に失敗した。言葉だけが鮮明に頭に残っている。

(3)「矛盾」「相剋(相克)」という言葉も、その時覚えた。今のように便利なモノはなにもない時代。ただ、ごわごわした紙の本が、唯一の娯楽だったのかなぁ?・・みな、本を読んだ。
  「矛盾」という話がおもしろかった。中国の韓非子に因む話。{‥盾と矛を売っている人がいて、「この盾は何も通さない。この矛はすべてどんな堅固なモノでも突き通す」と言った。それを聞いた人が尋ねた。「あなたの矛で、あなたの盾を突いたら,どうなりますか?」その人は、何も答えられなかったという話。・・この話を、韓非子は、よく引用したという。} 

  「相剋」という言葉も覚えた。対立する二つのモノが互いに相手に勝とうとして争うこと。世界はまさに相剋の歴史である。・・そういう意味では、ジロ爺さんもまた、身心の葛藤、山に登れるか、山裾で山を眺めるか、大げさだが相剋を味わっている。まあ、それが人生だ。・・いつも、この辺で、うつらうつらから、目を覚まし、庭を散歩する。


<タマネギの収穫>

  6月1日、土曜日、午前9時、倅の嫁と孫(男)が、二人で3号田のタマネギをみな収獲した。朝から予報通り晴天、二人とも在宅。昨夜からの約束が実現したわけ。

  昨夜、腰をいためたジロ爺さんは、一輪車で車庫に運ばれたタマネギの整理をした。シルバーカーに腰掛けて、根と葉を切り落とした。葉は20cmぐらいに切りそろえた。

  運ぶ仕事は殆ど孫。加えて切りそろえる仕事や、再度、一輪車に並べる仕事も、やってくれた。もちろん倅の嫁の指示のおかげで、思ったよりはやく、午前10時にはすべて完了。根や葉の残渣まで裏の焼却場へ運び、車庫の掃除なども終了。最後に、倅の嫁が、三台の一輪車にタマネギを並べ、玄関口で陽に干した。

  それにしても早かった。わずか1時間ですべて完了。あとは、干したタマネギを山猿に取られぬよう監視。これはジロ爺さんの役目。

 

☆5月31日、午前11時頃のタマネギの様子。2、3日前に、一気に葉茎が倒れた。収穫の知らせ。家のみんなが、6月1日の午前中に収穫することで話がまとまった。みごとに倒れて、みごとに大きくなった。5月31日、11:00写。


 

☆(左)車庫に運ばれたタマネギと根と葉茎を整理して、一輪車にのせる。

☆(右)運ばれたタマネギの拡大。りっぱなもんです。9:30写。


 

☆(左)シルバーカーにどっかと腰を下ろして、根を切り落とすジロ爺さん。孫がシャッター。9:40写。

☆(右)3台の一輪車に整理して、通用門入り口で乾燥。10:10写。午後6時まで干せた。猿の出没なし。


<ゴミ燃やし>

  6月2日、朝から曇り空。裏庭5号田の焼却場でワンサとたまった草を燃やした。木と竹をやぐらに組んで、火を付けた。竹に火がつけば、先ず消えることはない。ドンドン草木を燃やした。昨日のタマネギの残渣も燃やした。

  残渣の山を燃やしながら、何故か「キリマンジャロの雪」が、頭に浮かんだ。キリマンジャロはこのような形をした山なのかなぁ? ・・「キリマンジャロの雪」はヘミングウエイの作品。すっかり内容は忘れてしまった。フォークナーの「サンクチャリー」も、頭をよぎった。・・何もかも遠い昔の絵空事。

  一度、火がつけば、あとは、煙の状況を見て、2、3時間おきに、草木を積み重ねるだけ。今の私にとって草木の焼却が、一番手頃な仕事である。

 

☆燃やしはじめの草木の山。キリマンジャロの形をしていたのかなぁ?6月2日、11:00写。

☆午後5時頃には火の元の大木を残し、完全に灰になった。6月2日、17:10写。


<タマネギの乾燥>

 

☆6月3日、朝から快晴。先ずタマネギの乾燥にとりかかる。一輪車3台を通用門の外に出す。午前10時頃、洗濯を終わり、物干しにかける。11:00写。

☆ジロ爺さん、シルバーカーに腰掛けて、新聞を読みながら、タマネギの監視。・・(山猿が垣根、木陰、柱の隅に潜んで、人の気配がなくなった瞬間を狙って、タマネギを盗む)セルフタイマー10秒。あわてた。  11:30写。


 

☆(左)一日中、監視は不可能。気休めだが、妨獣網をかぶせる。物音がすればすぐ出られるよう配慮。午後は少々陰ったが、午後5時まで外で干した。猿の出没はなし。でも、隣の人の話。「すぐ家の近くまで来ていましたよ」

☆(右)この写真は、平成17年6月13日、キイ婆さんがタマネギを監視している場面。参考に掲載。(・・嗚呼、5ヶ月後にキイ婆さんは、ジロ爺さんの腕の中で、永遠の眠りについた)

  キイ婆さんのタマネギ監視の場面は、次のブログに詳細に記している。{‥参照:2017,6,14「初夏の詩」<タマネギを乾燥中です>・・2017.6,7「身心一如」<タマネギを収獲しました>・・}

**キイ婆さんよ、なぜ死んだのや?・・いずこへ逝ってしまったんや?・・ジロ爺さんは悲痛に叫ぶ。・・オモカゲを時がうすれを刻んでいく。それにしても、現世は何ぞや?・・人生は何? 死とは何?・・ジロ爺さん、この世の永遠の課題に、疑義を叫ぶ。思考する。

  生前、キイ婆さんは、ジロ爺さんが叫んだ「死とは何?」に、「死んだら解るんじゃない?」と、ぼつりと言った。「死んだ人でこちらに帰ってきた人はいないものね」

  ジロ爺さん、死は考えるもんじゃない。 しっかり生きていくことや。生きる先に死は必ずやってくる。絶対くる。その時は、その時でいいのではないか。・・でも、死ぬまでは元気でいたい。自分の足で歩きたい。・・それから先のことは考えなさんな。・・今のジロ爺さんには、「現実の把握」しか手段はない。

  キイ婆さんにあらためて感謝の気持ちを捧げるジロ爺さんではある。・・初夏の昼の夢。

<生活にはリズムがある>

  6月6日、晴天。予報では7日から大雨だそうだ。6日は洗濯日和となる。それに、9日には西紀のOB・OGに主席予定。案内を受けて、迷ったが、とりあえず、元気ならば出席と返事を出していた。2ヶ月も前の話。

  6日、起床するなり、洗濯機にスイッチを入れた。洗面、朝食、PSのチェック、タマネギ干し、洗濯モノ干し、新聞取りなど、畑見回り、ベッドで一息入れたのは、午前10時20分。・・朝から疲れがドッとでる。でも、午前10時から午前10時30分までに、朝の仕事が終われば最高。6日はいつもの生活のリズムがもどった感じ。でも、しんどい。

 

☆6月6日、洗濯モノ干しとタマネギ干しの状況。10:00写。


*** リズムが狂った日があった。6月4日、午前9時30分、O病院泌尿器科の定期検診。出発は9時過ぎ。・・Nさんがシルバーから草刈りに来た。事情了解。・・午前中、草刈りの場所だけ指定して実施してもらった。

  病院事務所で、事情説明して、午前11時前に帰宅できた。気を使った。家を出る前に、お茶やお菓子の準備をした。帰宅後も、一緒に休息した。が、気づかれのせいで、昼ご飯は午後1時頃になった。

  お年寄りにとって、毎日の生活のリズムが、如何に大切なモノかを身をもって感じた。変化に対応しきれない。

  キイ婆さんは、60年間、主婦の仕事をしてきた。晩年は、エゴエゴしながら洗濯モノを干していた。畑の世話もした。ジロ爺さんの身の回りの世話など、今から思うと大変だったなぁと、ため息をつく。・・なに一つ文句を言わず、最後まで、60年間、主人をたててきた。ジロ爺さんの前に出ることはなかった。しっかり民主教育を受けてきた明治の女の感がした。ジロ爺さんの感覚の言葉。キイ婆さんに捧げる言葉である。

***ジロ爺さんに打撃を与えたのは、生活のリズムが狂った他に、気候のせいでもある。急に蒸し暑い毎日が続いた。夜、ベッドで眠っていて汗をかいた。・・しかしエアコンをつけるほどではない。あっと、思い出した。キイ婆さんは、殊の他、扇風機を好んだ。・・衣装部屋の扇風機を取り出して使用。(扇風機は袋にかぶせて、キチンと格納されていた。もちろん、倅の嫁の心遣いである。)・・快適である。


<言わぬは言うに勝る>

  ジロ爺さんは、どちらかと言えば、お喋りである。それに反して、キイ婆さんは寡黙だった。存命中、キイ婆さんが、嫁と言い争っている場面に接したことは一度もなかった。どちらも偉かったと思う。二人とも、言いたかったことはいっぱいあったと思う。

  ジロ爺さんは、野菜づくりなど、倅の嫁に手伝ってもらっている。トマトの茎を支柱に結わえ付ける仕事も、時々やってもらう。トマトの茎は、成長が早い。1週間もすれば、先がうなだれる。二人で交互に結わえ付けている。仲良しでいいと思う。2、3日前のことだ。・・支柱に結わえ付けようとすると、すでに立派に付けられていた。

 「トマトの結わえ付けに、行ったら、きれいに結わえ付けられていたわね」「・・・」無言、反応なし。・・このジロ爺さんの言葉は正解ではなかった。「トマトの結わえ付けに行ったら」が余分の言葉。「きれいに結わえ付けられていた」も、いらぬ言葉。・・こういう場合、キイ婆さんは、「おおきに」「ごくろうさん」と言っていたのかなぁ? いや、無口で、ちょっとうなずいていたのかなぁ?

  所詮、日常生活で、よいと思って言ったことが、相手の気分を損なうことがあるのではないか? 言わないほうがいい。そう、息苦しく考えることもないが、「言わぬは言うに勝る」と、ジロ爺さんは、目下、この言葉を実践中である。


<一日一日が重苦しく過ぎ去っていく>

  6月7日、丹波篠山地方は、朝から雨。大雨の予想に反して、小雨。・・むしろ、野菜にとっては恵みの雨となった。

  テレビは、大雨で洪水警報の地方、家が水に浸かる様子を映しだす。・・近畿でも、大雨の地方がかなりあった。そんなに離れていないが、雲の流れは不思議である。

  体調、すこぶる不調のジロ爺さんにとっては、休養の慈雨となった。

  しかし、雲の流れてと同じように、一日一日が重苦しく過ぎ去っていく。関東地方は梅雨入り宣言。関西地方は未定。毎年関西地方が、梅雨入りは関東地方より早かったはず。・・テレビで45年ぶりだと報道されていて、ちょっと安心した。 

  シンドイのは気候のせいだろう?・・いや、やっぱり加齢のセイなのだろう?一日が重い。特に夜がコワい。真夜中、トイレのため、ベッドから身を起こしたとき、ふらふらする。そして、とりとめない夢をみている。不安。

  でも、生きていこう。

 

 


   

  

 

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