卆寿の旅

平成30年8月3日、満九十歳 卆寿になり、「八十路の旅」を「卆寿の旅」にタイトルを変更し、徒然なるままに記します。

気丈

2019-09-17 18:39:01 | Weblog

 

<皮膚科で診察>

  9月17日、午前9時、篠山市内のA皮膚科にいった。2連休、休み明けの故か、待合室は超満員。「1時間はかかります」との話。午前10時ごろの予約をとり、市内の農業用資材のA店に行った。かって、一緒に有機農法に取り組んだKさんが主任。

  休憩、談笑後、立派な野菜の苗があったので、ブロッコリー1、キャベツ3、レタス3、を購入。

  午前10時、A皮膚科に行くと、依然として待合室は超満員。ところが、いきなり、名を呼ばれたのでビックリぽん。

  早速、診察を受ける。爪の切開手術を予想していたが、「膿は出てしまっています。まあ、化膿止めの薬を処方しておきます。」「それで、大丈夫ですか?バンドエイト包帯した方がいいですね」・・この言葉が余分だった。「何もしなくてよろしい。皮膚は水より汚れているので、バンドエイトすると蒸れますよ。ほっときなさい」

  ある意味では,ありがたい言葉なんだが、親指を直接水につけるのには抵抗があった。親指にサックをすることにした。爪の痛さは皆無。ちょっと、痒みがでてきたので、このまま、自然に治っていくのかも知れない。・・キイ婆さんはよく言った。「あなたは、野生人です。自然治癒力です」

  A皮膚科の診察は1分で済んだ。アルカで薬をもらって、一直線に帰宅。午前10時30分だった。

  いつもの通り、洗濯モノを干し、PCを開き、掃除機を回し、午前中の仕事をこなした。

  今日は、何故か余裕があった。親指の爪の傷が、思ったほど悪くなかった。気をよくしたのは当然。何となく、気分がよい。気がよいと、すべてを気丈に振る舞うことができた。まあ、今回のテーマは「気丈」にした。 


<昼食、テレビ視聴、窓から秋風が吹く>

  9月17日、昼食しながらテレビ鑑賞。12時から「徹子の部屋」、山口智子との対談。今一つ興味がなく、「暴れん坊将軍・吉宗」に、切り替えた。

  昼食も終わり、ベッドで昼寝しながらのテレビ視聴。・・韓国ドラマ・秘密の扉1:00~2:00(殆ど観ていない)・・刑事7人1:55~2:46。・・相棒2:55~3:50。・・古畑任三郎3:50~4:45。

  息をつめて観るほどの番組ではないが、うまい具合に1時間単位で、終わる。

  居間の窓はサッシ窓開放、レースのカーテン越しに、風が吹き込んだ。ようやくエヤコンからも解放。自然の空気、風がいちばん。風は秋風になるのかなぁ?・・小倉百人一首(大納言経信)を思い出した。

 {・・ 夕されば門田の稲穂おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く・・}

  わが輩も一句。・・裾なびくレースカーテン秋の風・・もう一句。扇風機もういらぬわと秋の風

 

☆(左)17日の昼食:宅配の惣菜:中華甘煮・肉味噌まぜめん・・{タンパク質29・2g、脂質14・6g、塩分5・4g・・}少しおかずが重いが皆食べた。

☆(右)徹子の部屋、山口智子との対談:あまり興味がなかった。松平健の暴れん坊将軍に切り替えた。

  

☆(左)松平健の暴れん坊将軍、はじめの場面。以後の番組は韓国ドラマ「秘密の扉」(1:00~2:00)・・・相棒(2:55~3:50)・・・古畑任三郎(3:50~4:45)・・どの番組も半分夢心地。

☆(右)居間のサッシ窓のレースのカーテン越しに吹き付ける秋風。午後4時50分頃、撮った。

***午後5時、ベッドから身を起こした。やる仕事がある。農業用資材A店で購入した野菜の苗を移植だ。

 

<野菜の移植>

  9月17日、午後5時ごろから野菜の苗を移植した。30分で終わった。・・丁度、夕陽が沈むところだった。

  気丈に振るまい、今日の仕事を完了した。

 

☆(左)購入した野菜の苗。ブロッコリー1,キャベツ3,レタス3。17日、17:00写。

☆(右)2号田の野菜の畝に移植。17日、17:20写。

 

☆(左)寒冷紗をかぶせて終了。この野菜の畝には、ブロッコリー3、キャベツ8、レタス6を植えたことになった。17:30写。

☆(右)植え終わったとき、夕陽が西山に沈むところだった。うまく撮れなかった。17:35写。


<気丈から気弱に>

  9月18日、朝から体が重い。1週間の疲れがドッとでてきたのかなぁ、心身ともに元気が失せた。昨日来の気丈の振る舞いは、一気に気弱な生活に変わった。

  午前中、最低限の身の回りの仕事はしたが、暇あれば、ベッドに横になった。朝寝である。いつの間にか眠っていた。

  昼食はいつもの通り、宅配の惣菜をおかずにして完食。しかし、何となくだるい。ベッドで横になり、ひたすら、寝た。テレビ番組は、17日と全く同じ。・・殆ど観ていない。うつらうつらの連続。

  午後5時、ようやく体がしゃんとしてきた。

  やらねばならぬ畑仕事が山ほどある。トマトの撤収作業。ダイコン、カブラ、ハクサイの水やり、追肥。1号田の畝づくり。3号田の除草作業。農具倉庫の片付け、などなど、いっぱいある。勿論、自分で手に合う仕事は、除草作業、後片付け、畝づくりのマルチ対策ぐらい。・・しかし、これらが、なかなかムリのムリ。


<自業自得>

  9月19日、朝、ベッドから起きて、立ち上がったとき、右の腰がガクッときた。歩きにくい。原因ははっきりしていた。

  9月18日、午後5時、ようやく体がしゃんとしてきたと、上述しているが、実はそれが落とし穴だった。急に、仕事着に着替えて、1号田に入った。ナスやマンガンジを収獲。そして、草刈り機を使った。電気柵周辺の草刈りをした。わずか10分ほどだが、それがムリだったわけ。原因ははっきりしていた。

  自分の行為の報いを、自分自身が受けることを「自業自得」という。一般に悪行の報いを受ける時に使う。 

  9月19日、朝から自業自得をしっかり体得。・・それでも、朝食、洗濯、掃除など最低限の仕事をこなす。えらいもんだ。午前10時ごろには、PCでブログをうつことができた。でも長くは禁物。

  居間の窓から前庭に目を向ける。安楽椅子に腰掛けて、前の持山や、前栽などを漠然と眺める。(嗚呼、この風景は、生前のキイ婆さんのポーズだった。婆さん、何を考えていたんだろう?)

  私は静かに心の奥底に光をあてる。人はみな、上手に生きて上手に死にたいと願う。婆さんは死に時を心得ていたんだと思う。まさに82才のエネルギーをいっぱいためこんで、一気に、わが腕の中で息を引き取った。見事と言うしかない。もうすぐ2年になる。

  9月19日、午前11時、私は安楽椅子に腰掛けて、居間から、山を眺めながら、そのまま安楽に眠るように息をしなくなったら、理想の死に方だ、と思考する。・・そろそろ、延命措置は不要の言葉を書き残す時期にきたのだと思うが、正直な話、まだ、書く気になれない。

  倅夫婦とはよく話をしているが、やっぱり「書き物」がないとなかなか難しいようだ。書き方の研究はしておこうと思った。

  ああ、それにしても生きていくのは辛い。死ぬのも辛い。「どうすらやいいのさ。よい加減にしろ!」 

  ジロ爺さんよ、焦りなさんな、死ぬときがくれば死ねますよ。お好きな童謡や演歌を歌って、その日、一日を生きてくださいと、天から声がした。

 

☆(左)9月18日、午後5時50分、1号田のナス・マンガンジを収獲。予定してはいなかったが、ナスの色つやに刺激されて収獲。

☆(右)9月18日、午後6時ごろ、1号田西側の電気柵周辺の草刈りをした。一瞬、草刈り機はムリと違うかの考えがよぎったが、軽量のナイロンカッターで、草を刈りとばした。腕と腰に負担がかかるのは当然。・・解っちゃいるけど、止められないのがジロ爺さんの困った性分。 でも、中途で止めたのは正解。

  

☆(左)9月19日、午前11時頃、居間のサッシ窓から、外を眺める。そして生死を思考したワケ。
・・・居間の前に、五葉の松と柊(ヒイラギ)などを植えている。五葉の松はわが退職記念の植樹。30年経過したのかなぁ。柊は、わが妻の生みの母(10年前に96才で死亡)が、40年ほど前に、家の魔除けにと、持参したもの。・・・五葉の松と柊のバックに居間のレースのカーテンがみえる。居間の蛍光灯がみえる。この部屋が、私の居場所。

☆(右)9月14日、15日、わが中学校時代の教え子、ka君が、裏庭などの剪定に来て、五葉の松と柊を剪定してくれた。のび放題になっていたモノを、みごとにカットした。10年ぶりだと思う。(毎年、少しはわが輩が剪定してきたが、このようにきれいになったのは10年ぶりと言うワケ。Ka君に感謝。)

<夕焼け>

  9月19日、午後5時45分、西空の夕焼けがきれい。いつの間にか肌寒くなってきた。秋になったことを実感。

  腰痛もかなり快方に向かった。スタスタと田んぼまで歩くことができた。野菜に活性液をやった。

  生きている実感がわく。

  夕焼けに手をあわせるしぐさをした。 

<思い出の会計帳と間食禁止令>

  わが妻から会計を受け継いだのは、2年前、2017年9月17日だった。その頃、スーパーや病院での支払いの様子が、あやしくなった様子を目の当たりにして、私が会計を担当したワケ。その頃から数字に弱くなった。病院で認知症の検査を受けたが、名前や住所など、はっきり言えた。ただ、計算はたどたどしかった。計算機を渡したが、満足に使用できなかった。

  歩行も緩慢になった。しかし、食事、洗濯、掃除は普通にできた。畑仕事は草引きが専門。時を忘れて実行した。日記は毎日つけていた。しかし、10月23日から、ぷつりと消えた。(死後、日記帳を開いて解った)

  そして、11月14日を迎えた。妻は朝から庭の草引きをした。止めとけと言っても止めなかった。私は小豆の整理をした。昼になり、妻が家に入ってきたので、小豆の整理中の写真を撮ってもらった。{・・参照:2017,12,7「寂滅」<達者でポックリ>・・}

  宅配の惣菜の「おかず」を、二人に分け、一緒に仲良く昼食。私がテレビをつけに席をはなれたとき、ドシンという音に、食堂に戻ると、妻は床に倒れていた。後にも先にも、それきりだった。妻は私の腕の中で冷たくなった。救急車で病院に移送したが、妻の意識は回復しなかった。

  妻から引き継いだ会計簿「二郎、勘定奉行帳、起.2017,9,17・平成29年」の紙箱が、2年後の現在、唯一のわが会計簿である。毎月15日、年金から1ヶ月の生活費を引き出し、丹念に会計簿をつけている。

***毎日、昼食は一人で食べる。が、わが輩は甘いものが好き。お菓子大好き老人。朝,昼、晩の食事の間に、お菓子をつまむ。間食はお腹のために、あまりよくないと解っているが、止められない。

  自分の戒めにテレビの横の柱に「間食禁止令」と書いた札を貼り付けた。家の皆が言った。「書いて貼ってあるけど、毎日お菓子を食べとってや 」・・笑い。

  

☆わが会計簿と間食禁止令の札。笑い。

   

   

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流転

2019-09-08 14:19:28 | Weblog

<流転する老人たち>

  9月7日 (土) 夜9時~10時、NHKで、「サギデカ」の番組を見た。題は「流転する老人たち」。

  詳しい内容は最後まではっきり理解できなかった。まあ、今はやりのサギに老人たちが、ひっかかっていく状況をえがき、サギに立ち向かうデカ(刑事)の、地味な仕事を描いたモノだった。

  8月31日(土)から始まったNHKの土曜日ドラマ番組。1回から5回まで放映されるそうだ。1回目は「名前のない男」。見ていないので、詳細は不明。(ネットで検索予定)

  今回、第2回目が「流転する老人たち」。放送番組の題名に、興味をもって観たわけ。・・少し認知症に罹っている元高校教師(伊東四朗、出演)が、昭和11年生まれだったことに興味をもった。わが妻も、昭和11年巳年生まれ。 

  元高校教師が、取り調べで、生年月日を聞かれ、しっかり昭和11年生まれと言った。が、干支が何年かは不明瞭。取調官に昭和11年は、子年ですね、といわれて、もっと、大きい動物でした。とか、言っていたのが印象深く、心に残った。

  いろいろな詐欺の実態解明に地味な活動をしている女性刑事が主役。・・地面師というサギが番組に、でたが、あまり明瞭な解答はえられなかった。「流転する老人たち」と題して、・・いろいろなサギに振り回されていく老人の姿を描いたモノと解釈した。

  第3回目は「掌中の娘」だそうだ。


<流転の解釈>

  流転を辞書で調べた。

(1)絶えず移り変わること。

(2)仏教で、生死・因果が限りなく繰り返されること。輪廻。

  輪廻、転生。大変意味が深い。・・ジロ爺さんの永遠の課題。「自分とはなにか? どこから来たのか?そして、どこへ行くのか?」・・ジロ爺さんの三文哲学が始まる。そして、おわりに、いつも「ふるさと」を口ずさむ。

{・・うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと 
   いかにいます 父母 つつがなしや 友がき 雨に風につけても 思いいずる ふるさと
   こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山はあおき ふるさと 水は清き ふるさと・・}


<流転するジロ爺さん>

(1)夕陽をあびる

  9月8日、朝から、ゴミ燃やし。残暑、すこぶる厳しい。燃やす準備はしていたので、火をつけるだけ。・・3、4回見に行って、ゴミを追加した。それでも、汗をかいた。

  午後5時30分、後片付けをする。ゴミは9割燃えた。・・西空に夕陽が沈む。いつも思う。やがて、輪廻、転生、あの光の中に、溶け込んでいくのだろうか?

 

☆(左)9月8日、午後5時40分、西空がやけに明るい。夕陽が山の端に沈むとこだった。

☆(右)9月8日、午後5時45分、あっという間に西の山の端に沈んだ。 


(2)通用門で休息

  気が向くと、仕事着に着替えて、畑仕事に精だす。畑仕事は、たとえ1分でも、妨獣帽子をかぶらないと、虫(ぶと)に刺される。着替えて、そのまま部屋に閉じこもる時もある。水やりなどは、長靴でなくても、運動靴が楽だ。

  写真は9月7日、午後5時ごろ、通用門の入り口で撮った。ダイコン、カブラなどの水やりをした。

 

☆妨獣帽子を被って、腕を組んで休息。9月7日、17:30写。

☆妨獣帽子を脱いで、鉢巻き姿を撮った。鉢巻きの中には氷が入っている。9月7日、17:30写。


(3) 軽自動車を駆る

  高齢者の自動車免許の問題が社会問題になっているので、差し控えたいが、田舎という場所と運転の腕は、あまり年令とは関係がない。80才でダメの人もおれば、90才で元気な人もいる。一概に免許返還は言えないと思う。

  私の場合、運転しているときの爽快感は、なにものにも勝る。でも、安全運転だけには、とくと注意を払っている。

  自動車を駆って病院に行く。スーパーマーケットに買い物に行く。自動車がなければ、とても、今の生活はできない。

 

☆9月6日、午前中、病院に行った際、待ち時間を利用して、車の点検に行った。私より5わまり若い整備担当のF君が、撮ってくれた。F君は私より60才若い、30才だと言った。ビックリぽん。


(4)ダイコン・カブラに水やり

  9月9日、午前10時、時は残暑なれど、真夏日の暑さだ。台風15号が、関東を直撃。千葉では風速57、5メートルの数字や、木が倒れる様子がテレビに流れた。

  丹波篠山地方は、猛烈な暑さ、わが家の車庫のカレンダーは33度を示す。熱中症に十分注意とテレビに文字が浮かぶ。

  ジロ爺さんは、2号田のダイコンと3号田のカブラに水やりをした。シルバーカーを押して、電気柵に入り、水やりは2,⒊分で終わった。激暑、身にしみて、肩をすぼめる。

 

☆9月9日、午前10時ごろ、2号田のダイコンに水やり。・・・9月1日、倅の嫁がまいたダイコンがいっせいに芽をだした。みごとなものだ。あとは、間引きがまっているようだが、ダイコンはすべて、プロの嫁に一任。 


 

☆9月9日、午前10時ごろ、3号田のカブラに水やり。・・・9月2日にジロ爺さんがまいたカブラも、芽を出した。あとは間引きがまっているが、農業用のピンセットを購入したので、俺がやる。初めての間引きとなるが、はてさて、どうなるか?

***「流転する老人」に刺激されて、厳しい毎日を生きる91才の実像を述べた。


<必死に生きる>

  大げさな言い方になった。9月第2週目(9日~14日)は文字通り、必死に生きた。ダウン寸前。

  9月9日、午後、シルバーNさんに、土手のサツキ垣剪定をしてもらった。・・あいにく、午後4時、篠山市内のS内科の予約検診日だった。30分延期したもらった。

  残暑厳しい午後だった。休憩の飲み物を用意しなければならない。少しは手伝わなくてはならない。気を使った。午後4時に終わって、戸締まりをして、篠山市内、S内科に車を走らせた。

  診察は30分で終了。寄り道をせず、午後6時に帰宅。・・後片付けをした。そのころから、気分が悪くなった。ベッドで横になった。痛めていた親指の爪に鈍痛がはしる。脈を測ると、少し不安定。・・一瞬、不整脈を発症したのではないかと、不安がよぎる。

  倅夫婦が帰宅したのは午後7時ごろ。もくもくとベッドで横になり、目を閉じる。テレビを観る気がしない。勿論、夕食は一緒に食べられなかった。

  義理娘から、声をかけてもらったが、どうすることもできない。ひたすら、ベッドにしがみついているしか方法がない。昼間の気疲れが、ドッと吹き出した感じ。

  それでも、午後9時ごろに、ようやく少し楽になった。脈も正常に戻った。爪の痛みも和らいだ。午後9時30分、夕食をいただく。刺身定食だった。

  午後11時、風呂に入ったが、そこはかとなく身の危険を感じて、早々に引き上げて、就寝。・・さて、眠れなかった。やっぱりだるい。気分が悪い。・・それでも、いつの間にか眠っていた。とりとめもない夢を、たくさんみた。

 「必死に生きる」の必死とはなにか、を思考する。必ず死ぬ。・・・いや、そう固く考えずに、一生懸命に生きると言うこと。生きる先には、必ず死があるとういこと。・・それでよろしい。

  9月10日、午後、Nさんの仕事は続く。事情を話して、あまり気を使わないことにした。・・やっぱり、キイ婆さんのやっていたことが、身にしみてうら寂しい。気を使って、60数年。キイ婆さんよ、立派につとめを果たした姿が、彷彿として浮かんでくる。

  今回は、今少し、ジロ爺さんの「必死に生きる」姿を、述べることにする。


<裏土手のサツキ垣根の剪定終わる>

  9月9日、10日、午後3時間、シルバーNさんの剪定終了。

 

☆(左)9月9日、剪定前の垣根。東端に白い姿のNさんがみえる。丁度、始まったところ。14:30写。

☆(左)9月10日、午後4時ごろ、40メートルの垣根の剪定を終わる。きれいになりました。16:30写。


<それ朝食だ、洗濯だ>

  9月10日、午前8時、昨夜の疲れが少し落ち着き、それ朝食だ。それ洗濯干しだ。忙し、忙しの毎日がはじまる。必死に生きている姿がここにある。・・・老いに鞭打ち、いつまで生きるジロ爺さん?

 

☆(左)9月10日、疲れは完全にとれないが、生きていかねば仕方がない。パン食をつくる。副食はリンゴ。豆乳入りのコーヒー。一切れのパン。マーガリンとイチゴジャム。・・親指の爪が痛いが、左手では皮はむけない。8:30写。

☆(右)9月10日、起きてすぐスイッチをいれた洗濯機が、洗い終わって、物干しに吊した。10:30写。

*** シンドイ、シンドイと言っておられない。

  9月11日、一日中、ベッドで横になった。楽である。みな、寝たきりになるのは、こういうことなのだろうか? でも、ジロ爺さんは、やっぱり起き上がる。ぶらぶら畑を見て回る。草をひく。

  9月11日、昼頃から雲行きがあやしくなった。小雨がパラツク。・・・天気予報は午後雷雨。キッチリ予想通り。午後2時ごろから激しき雨と雷。午後4時ごろには止んだ。・・空き時間は、殆どベッドで横になった。

   休息も大切だとしみじみ思った。 


<稲刈り終了>

  9月12日、午前10時30分、ハクサイの苗を見に行った。14日に買う予定を立てた。久しぶりにスーパーで買いもの。帰路、わが家の田んぼにコンバインが入っているのを目撃。

「えらいこっちゃ!稲刈りが始まっている」・・時に午前11時40分。丁度、始まったところだった。大型のコンバイン一台。 20分で昼になった。刈り取った稲を、軽自動車に運び、どうやら、昼になった様子。

  午後1時ごろ、田んぼまで車を走らせた。約30分で、3反の田んぼの稲刈りが終了した、午前中の30分と午後30分。1時間で稲刈りが終了した。収穫の喜びはひとしおである。感謝、お礼。

 

☆(左)稲刈りが始まったところ。11:40写。

☆(右)刈った稲を軽自動車に積む。終わって昼。12:00写。


 

☆(左)午後1時10分、田んぼに行くと、すでにコンバインが作動していた。13:10写。

☆(右)半分の田んぼの稲刈りが終わった。昨日の雨で、ぬかるんで大変。13:20写。


 

☆(左)あと2筋になった。はやい、はやい。13:25写。

☆(右)最後の一筋が終わった。稲刈り終了。13:35写。


<中秋の名月>

  9月13日、中秋の名月の日。・・昔から月には異常な関心のジロ爺さん。夜のとばりの降りるのが待ち遠しい。

  午後7時30分頃、居間のベッドに腰掛けて、月見のお饅頭をいただく。居間の庭先に月明かりがだだよう。「そら、名月や」と叫んで、庭先に出た。東の空に丸い月が浮かんだ。

  月を眺めながら、何故か胸がキュンとなる。今は亡き妻と、犬走りで、月見団子をいただきながら、中秋の名月を愛でた風景がうかんだ。{・・参照:2009,10,5「中秋の名月」・・2012,12,2「一日ひとつ野良仕事」<一日遅れの中秋の名月>・・2013,9,17「野良仕事の苦楽」<中秋の名月>・・2015,9,25「秋分を過ぎて」<十五夜お月さん>・・2016,9,13「小雨の秋」<中秋の名月>・・}

  10年前のブログ、2009、10.5「中秋の名月」を開き、涙なしにはみられなかった。

  今年、9月13日、中秋の名月を、なんとか撮ることができた。

 

☆(左)9月13日、午後7時46分の月。

☆(右)9月13日、午後8時10分の月。


 

☆(左)9月13日、午後8時30分の月。ストロボを使った。

☆(右)9月13日、午後8時40分の月。雲の動きが激しく、シャッターチャンスが狙えなかった。

***まあ、わが輩のデジカメでは、このぐらいだろう。 

***1ヶ月前から。痛めていた右親指の爪が、9月15日、昼過ぎ、膿や血がでた。あいにく、16日も休日。診察は17日になる。外科に行くと整形外科、整形外科に行くと皮膚科に行くように言われた。1週間前に皮膚科で受診中だった。・・自己診断のとおり、爪の中に土の泥(バイ菌)が入ったのだと思う。

***ブログは稿を改めて、続ける予定。爪の病気は1年かかるぞ!

 

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用心

2019-08-28 17:33:45 | Weblog

<3つの用心>

  91才を歩むわが輩が、この頃、毎日の生活で、もっとも用心していることが3つある。

(1)ベッドから落ちないこと。・・・妻が亡くなり、妻が使用していた居間のベッドを、そのまま使用して、1年10ヶ月が経った。少し、落ち着けば、もとの畳みの間に、戻るとばかり思っていた。しかし、家の皆は、お爺さんの生活は、居間のベッドが当然と考えていたようだ。「畳の間」と言いたいが、「居間のベッド」と、答えが返ってくるのは当然。・・でも、1年10ヶ月も経てば、居間のベッドも、住めば都である。
  確かに、ベッド生活になれた。でも、この頃、夜中にベッドから身を起こそうとして、ベッドの縁から、ずり落ちそうになったことが3回あった。寝ぼけたセイもあろうが、やっぱり、ベッドの縁に腰を据え、しっかり両足を床について、身を起こす必要を感じた。・・老人でベッドから落ちて骨折した話を、いっぱい聞く。・・自分で用心するしかない。

(2)飲食中にむせないこと。・・・嚥下障害というのかなぁ。しばしば、飲食中にむせた。注意していても喉がつかえて、むせる。咳きこむ。苦しい。だから、この頃、飲食前に、充分首の運動をして、しっかり、ものを食べることを、脳波に知らせている。・・・モノが気管支に入ると肺炎を起こすそうだ。・・・ともかく、落ち着いて食べたり飲んだりすることだ。

(3)転ばないこと。・・・80才になってから、よく転んだ。幸い骨折はしなかったが、筋を痛めて、湿布をした。外科の先生のお世話にもなった。・・・2、⒊年まえから、かがとのある運動靴を使用している。スリッパはだめ。運動靴は歩くのに最適。・・・このところ、転ぶことはほとんどない。あまり、仕事をしなくなったことと、シルバーカーのおかげと心得ている。

***その他、日常生活で、用心しなければいけないことは、いっぱいある。まあ、しかし、いまのところ、「落ちない」「むせない」「転ばない」を実践中。


<気が小さいのかなぁ?>

  昔から、一向に変わらないが、車で家を出発するとき、戸締まりが気になる。・・・絶対、閉めたはずのドアーや、消したはずの電気が気になり、再確認で引き返す。

  結果は、異常なしで決着。ハンドルをにぎる。毎回ではないが、3回に1回は引き返す。・・時々、気が小さいのかなぁ、と自嘲するが、言葉を換えれば、用心深いということになる。

  わが家で就寝の時には、特に台所の電気系統に気を配る。昔の駅長さんがしていたように、人差し指で、「これでよし」と確認する。まあ、誰も見ていないから、いいようなものの、われながら、苦笑。

***わが輩は図体がデッカイのに、意外と気が小さい。人はみな、私を豪放磊落な人と評する。大胆不敵のように見えるらしい。まあ、しかし、人の本性や性分は、持って生まれたモノで、本質的に変わらないと思う。でも、よい方向に努力して、変えることも、大切なモノだろう。


<昼ご飯> 

  8月終わりの週になって、晴天は一度もない。毎日が曇天で、時々雨がパラつく。野菜づくりの畑仕事は山ほどあるが、横目で眺めて思案投げ首。・・雨があがって、ほんなら一仕事と思って、作業着に着替えると、小雨模様。結局,中止。

  でも、中止でいいのだと思う。この頃、足腰が急に弱くなったように感じる。家の中での仕事も10分はムリ。すぐ、腰が突っ張る。腰掛けて休憩。お茶を飲むとすっきり治る。

  8月29日、曇天。わが前山に、もやのようなモノが一面たちこめる。時々、小雨。でも、あつい雲間からスウッと明るくなり、日が射すときもある。洗濯モノの乾きが今一つだが、軒下に吊し変えた。1号田のナス・マンガンジ・ピーマンを収穫した。

  8月29日の昼ご飯。いつものようにテレビを観ながら昼食。宅配、惣菜メニュウ。{・・スタミナ焼き肉・ツナサラダ・・タンパク質22.4g、脂質12.3g、塩分4.2g・・}完食。29日は肉の日だそうだ。


<ナス・マンガンジ・ピーマン収獲。2号田ダイコン種まきのマルチの穴あけ>

  8月29日、午後2時30分、1号田のナス・マンガンジ・ピーマンを収穫。隣のサトイモ2本、ショウガ2本に追肥。10分もかかっていないが、汗びっしょり。着替えて、ベッドに横になる。

  8月29日、午後6時、2号田ダイコン種まきのマルチ穴あけをした。穴あけカッター12cmを使用。一畝、44個(22x2)チドリ植えに穴あけ完了。・・丁度、雨上がりで、約10分で終了。

  種まきは、義理娘が実施予定。日程は天候にもよるが、8月31日or9月1日になる公算大。

 

☆(左)29日、午後2時30分ごろ、ナス・マンガンジ・ピーマンを収獲。何故か疲れた。29日、19:00写。

☆(右)29日、午後6時ごろ、2号田のダイコン種まき用の、マルチ穴あけ終了。何故かあまり疲れなかった。18:15写。


<呆然自失>

  ここ一週間(26日~30日)、新聞の「おくやみ欄」に、かっての知り合いの人の名がドンドンでる。80才前後の人が多い。私の1年先輩の人もいた。無情に淋しい。

  8月30日、朝から雲行きがあやしい。案の定、午前10時ごろ、にわかに遠雷が聞こえたと思うまもなく、ザッときた。かなり激しい雨が10分ほど続いた。雷鳴も近くなったが、いつの間にか遠ざかった。

  それでも、わが輩は、テレビなどの電源を切り、ベッドで横になった。降りしきる雨の音を聞きながら、思いをめぐらす。

  わが妻、キイ婆さんは、雷が大の苦手。ゴロゴロと聞こえただけで、部屋の真ん中に布団を敷いて、身を隠した。その姿を思い浮かべて、感傷にふける。・・やっぱり、今も雷をこわがっているのかなぁ、と思うと、いじらしくてどうしようもない。

  午前11時には雨もあがり、白い雲から太陽の光が射し込んだ。でも、わずか10分のドシャブリで、側溝の水かさが増し、滔々と、粘土質の水が流れた。わずか10分で、このような状況。・・テレビ、新聞で知らされる九州地方の土砂災害の被害の状況が、解るような気がした。

  8月30日、午前中、天気は回復したが、容易にベッドから身を起こせない。いろいろな思いが交錯する中で、8月27日、病院で出会った友の姿が、瞼に焼き付いて離れなかった。

***8月27日、午前11時ごろ、0病院の待合室で、一人の男と出会った。彼は、あごを突き出して、私に合図をする。やっと、Hだと解った。Hはかって同じ職場でつとめた仲間だった。5年ほど前に、N病院ですれ違ったとき、杖などついて、かなり年とった感じがした。目で合図したきり別れた。

  そのHが目の前にいた。しきりに話しかけてくるが、意味不明瞭。・・こちらの言葉も、あまり聞こえないらしい。ともかく、すごく年とった老人がそこにいた。顔は痩せ、小さくなり、手足は骨と皮だけになっていた。・・介護施設の世話になり、病院の送り迎えなどは、施設の世話になっていた。それでも、自宅で一人暮らし。要支援1だと言った。話している内に、やっと目元にHの面影をみた。

  8月30日、突然の雷雨により、ベッドで横になったわが輩に、Hの姿が亡霊のように浮かぶ。・・でも、彼は一度も「死」の話をしなかった。よろけながら、要支援の世話になり、病院で点滴をうけると言う。

  わが輩は「死ぬ時期」について、思考をめぐらす。寝たきりになり、要介護1~5の名札をつけ、それでも「命」ある限り生きていく。・・老いの深刻さ、残酷さを垣間見たようで、わが輩は「茫然自失」、気が抜けて、ぼんやりし、我を忘れた。

  でも、8月30日、午後4時、軽自動車を運転して、買い物に行った。ハンドルを握っているときだけは、苦痛はなにもない。腰の痛みも、歩行の辛さもない。軽快感だけが、体いっぱいにひろがり、包み込む。・・安全運転。 

  この状態があと何年続くかは、誰にも解らない。 寂!


<3号田・カブラ畝できた>

  1週間、天気の日はなかったが、8月31日、朝から久しぶりに日が射した。倅の嫁が、いっせいに洗濯モノを干した。わが輩の洗濯モノも、一緒にピンチハンガーや、物干し竿に吊してもらった。(土曜日で休日)

  午前中に全部乾燥した。が、午後2時ごろから雲行きがあやしくなった。午後3時ごろ、洗濯モノを軒下から、居間の部屋に取り入れた。

  午後4時ごろ、ぱらぱらと小雨。・・でも、すぐ止んだ。 「よし、今のうちに3号田・カブラ種まきの畝をつくるぞ」

  午後4時30分~5時30分、仕事着に着替え、防虫帽子を被り、完全武装で、3号田の電気柵に入った。

  しかし、実際の労働時間は、20分ぐらいだろう。何とか、種まきの準備はできた。かなり疲れた。シンドイ。

 

☆(左)スイカの畝を、耕し、肥料・ボカシを入れ、何とか畝づくりができていた。まあ、1週間を要したかなぁ?8月31日、16:40写。

☆(右)黒マルチ(1m、0.03mm)を、張った。8月31日、17:30写。


<8月31日の夕日・夕焼け>

  3号田のマルチ張りが終わるごろ、西空に夕日が沈んでいた。庭先のレイダンディの木の間の夕日を撮った。

  陽が落ちるのがはやくなった。つい、この間まで午後6時30分頃だったが、午後6時ごろには陽が沈んだ。夕焼けが西空にひろがる。これで、今年の8月は終わった。

 

☆(左)夕陽は、まともにカメラをむけては、反射して撮れない。ズームは手ぶれする。木の葉の間から撮った。

  8月31日、17:40写。

☆(右)あっという間に、太陽は西山に沈んだ。夕焼けの空模様。明日の天気は、晴、曇、雨・・・?
 8月31日、17:58写。


<9月に突入>

 やっと8月も終わり、9月に突入した。突入なんて言葉を使わず、9月になった、9月に入った、でもいいのだが、わが輩は何となく「9月に突入」という言葉を使った。

  8月は長かった。当初、この夏を乗りきれるだろうかと、しばしばブログに記していた。いろいろなことがあったが、すべて過ぎ去った。さあ、今度は晩秋から冬がやってくる。寒い、冷たい冬を乗りきれるだろうかと、思案投げ首。

  あるご老人の言葉に、「余生を楽しむ」とあった。あるお年寄りの女の人が、「老後をどのように生きていけばよいのか、 来るべき日が近くなったようで淋しい」と、記されていた。お歳は80才半ばだったと思う。

  わが輩にとって、今一つ不明瞭な言葉に「余生」「老後」がある。 余った命、年老いた後、あまり使いたくない言葉ではある。91才を歩むわが輩には、「今」しかない。あと、どれだけ生きられるのか? 来るべき日はいつなのか?・・ヒタヒタと足音をしのばせて近づきていることは確かだが、決定打はない。

  それでいいと思っている。

  9月になり、「まだ、やってんけ」と、皆から言われながら、畑仕事に精出すジロ爺さんではある。

<2号田、ダイコン種まき終了>

  9月1日、日曜日、午前9時、義理娘が予定通り、2号田、ダイコン種まきを一人で終了。まずまずの天気で、まき終わりまで,20分もかからなかった。写真を撮る間もなかった。ともかく、仕事がはやい。 

  わが輩は、3号田のカブラ種まきにとりかかる。10分しては30分の休みで、夕方までに何とか終了。

 

☆(左)9月1日、午前9時~9時20分、2号田のダイコン種まき終了の畝。マルチの穴あけは、わが輩が、8月29日、午後6時ごろ終わっていた。(上述のブログを参照)

☆(右)9月1日、朝からそわそわしているジロ爺さん。3号田、カブラ種まきの準備。休憩は、格好の犬走りの石垣がある。膝の高さ、腰かけるのに最適。・・10分、20分、いつの間にか過ぎている。・・いつも、キイ婆さんが、そっと飲み物をもってきてくれたなぁ。・・休憩中のジロ爺さん。9月1日、15:30写。


<3号田、カブラの種をまいたぞ!>

  9月1日、朝から、3号田に入り、カブラの畝づくり、マルチの穴あけ、種まき、土かぶせ、椿の油粕をまき、もみ殻をかぶせて、・・種まき終了。まる、一日かかった。

 

☆(左)3号田、カブラ・ニンジン・ホーレンソーの種まきの準備完了。カブラ32個(4x8)、ニンジン10(2x5)、ホーレンソー10(2x5)・・・マルチの穴あけ終わる。10:00~16:00。 

☆(右)9月1日、午後4時ごろ、カブラ種まきを終了。16:30写。


<ニンジン、ホーレンソー、種まき終わる>

  9月2日、午後4時30分~午後5時、約30分で、3号田カブラの畝の続きに、ニンジン、ホーレンソーの種・・はたをまいた。ニンジンは芽がでにくいので、一晩水につけた。カブラと同じように、種をまいて(1cm間隔で約5~8粒)、野菜の土をかけ、椿の油粕をまき、もみ殻をまき、水やりをして終了。実労働は10分ほど。・・ちょっと疲れた。

 

☆(左)ニンジン(2x5)、ホーレンソー(2x5)種まき終わる。9月2日、16:50写。

☆(右)カブラ、ニンジン、ホーレンソーの種まき終了の畝。9月2日、16:50写。

***小規模、自給菜園、ここにあり。・・農作業 気力ではこぶ 足と腕


<二百十日、余談>

  9月1日は二百十日、つまり立春から数えて二百十日(にひゃくとおか)目になる。私たちは台風の日と習った。

  大正、昭和一桁生まれは、小学校で、二学期の始業式は、講堂で、必ず、台風の話を先生から聞いた。私の小学校時代(昭和10年~昭和15年)、9月1日、雨が降り、風が吹くと、必ず集団で下校した記憶がある。

  この頃、新聞やテレビで「二百十日」という言葉をみない。見落としたのかもしれない。その反面、テレビ新聞では、台風10号、13号など、詳細に台風の進路の知らせがある。今や、二百十日は死語なのだろうか?

  因みに、9月10日は「二百二十日(にひゃくはつか)」と言った。ともに台風の代名詞のように、その当時はよく使った。

  それにしても、今年もまた、次々と台風がやってくる。南太平洋に発生した台風が、北に進路をとり、沖縄方面から、90度東に変わる。その先に、日本列島が、すっぽりと台風の輪の中に入る。いつも見かける構図だが、毎年、被害のないことを祈るしか方法がない。  

 





 


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油断

2019-08-21 14:53:30 | Weblog

<油断しているわけではない>

  油断しているわけではないが、この頃、体のあちらこちらに、アザができる。痛くも痒くもないが、内出血のあとのようだ。1週間ぐらいで、もとに治まるが、何となく腹が立つ。

  多分、なにかモノが当たったか、モノにぶつかったセイだと思う。無意識というのがやっかいだ。夜の入浴の際に発見する。2、3cmぐらいのアザだが、トシのせいにしたくないが、トシのせいだと思う。

  つい、この間、(8月16日、午前3時ごろ)、左足首の 甲に痛みがはしり、K整形外科で診てもらった。幸い、その日の夕方には、治ったが、これも原因不明のままだ。

  この頃、むやみに「油断」という言葉にとりつかれている。


<油断、談義>

  古い話。・・・わが実父(村で開業医をしていた)が、「油断」という言葉をよく使った。「人間は油が切れると死んでしまう」「油断大敵」「油断してはならない」・・そんな言葉をよく使った。

  そこで、「油断」について調べた。

  油断とは、気を許して注意を怠ること。

  語源は二つ。(1)王様が臣下に油を持たせて、一滴でもこぼしたら命を断つと命じたこと。
        (2)「ゆったり」「のんびり」と言う古語。

*その他、行灯などの油の準備を怠ったため夜中に油が切れ、敵に襲われ命を落とすことから、「油断」になったという説。

*(2)は地方の方言で、四国では「ごゆっくりしてください」「ゆだんなされ」と言う説もある。

*まあ、「油断」とは、気を許して注意を怠ることと解釈したい。 


<「生きること、死ぬこと」の再掲・10箇条>

  前のブログの終わりの頁を再掲。・・生きること、死ぬことが、まいにち、頭の中をかけめぐる。・・旅に病で夢は枯れ野をかけめぐる・・芭蕉の俳句が脳裏から消え去らない。

  死の足音が、遠くの方で聞こえるが、まだ、近くにはやってこない。しかし、生きることの難しさを感じる。・・そんな気持ちを箇条書きにする。

(1)死んだらシマイとつくづく思う。四苦八苦はなくなる。楽チンだ。

(2)現世は所詮,生きている人の世の中である。死んだ人が、ぶらぶら舞い戻ってくることはない。

(3)生きている人の世の中が、トシをとればとるほど、遠くに感じる。

(4)長く生きていれば、それだけ、この世のチリやホコリをおおくかぶる。よいことはあまりない。

(5)「適当に死ぬ時期がある」と、曾野綾子さんはおっしゃる。「人間にはちょうどいい死ぬ時期がある」と、帯津良一先生はおっしゃる。

(6)わが妻は81才7ヶ月でオサラバした。死ぬまで自分のエネルギーをいっぱいためこんで、いっきに、わが腕の中で息絶えた。死ぬ時期を心得ていたのだと思う。

(7)長生きは決して幸福とは言えない。自分のことは自分でできるうちはよいが、寝込んだらどうするのや? ましてボケが高じて、夜中に徘徊したらどうなるのか。

(8)死ぬ時期は難しいが、長生きに負けない生き方をしたい。

(9)足腰や頭には限界がある。人には差があるが、帯津先生は80才頃がいいのではないかとおっしゃる。いちばん遅めでも、90才半ばぐらいだろう。その時が死ぬ時期として、ちょうどよいと。・・帯津先生は昭和11年生まれだから、わが妻と同じ年。・・・83才か?

(10)足腰や頭に、限界がくるまでにパッと散るのが最高だよね。頑張れ,ジロ爺さん!


<死の足音は、かすかに聞こえるのか?>

  毎日が日曜日のわが輩には、あまり関係はないが、9連休(8月10日~8月18日)が終わり、8月19日になった。

  ここ、丹波篠山地方は朝から曇天。日射しはない。久しぶりに涼しさを肌で感じた。さあ、こうなると、体がむやみに反応する。山ほどある畑仕事が、目について仕方がない。

  でも、ムリはムリ。しかし、電気柵に、もたれたツル草ぐらいは、除草できそう。ムリではない。そんな天気模様。

  死の足音は,まだはっきりと聞こえてこない。「よし、やるぞ!」・・仕事着に着替えた。

  今回はそんな様子を、写真で説明する。・・自己顕示欲がつよいのかなぁ?


<3号田西側、電気柵のツル草を除草・トマト収穫>

 

☆(左)3号田・西側の電気柵に絡んだツル草。8月19日、午前10時20分。

☆(右)ツル草の除草。とりあえず、終了したところ。8月19日、午前11時30分に撮った。実労働は30分ぐらい。いっぺんに綺麗になった。

 

 

☆(左)3号田・東側の電気柵に絡んだツル草・ジンジャーなど。午前11時35分から5分でダウン。休憩。

☆(右)3号田・東側の電気柵除草の続き。午前11時50分から5分でダウン。休憩。


 

☆(左)3号田・東側の除草、ほぼ終了。8月19日、午後5時10分。約5分。どうにか片がついた。

☆(右)隣のトマトハウスのトマトを収獲。8月19日、午後5時20分。


<裏の入り口・セメント修理>

 

☆(左)裏の入り口のセメントが割れていた。やっと日曜大工のセメントを購入。8月19日の状況。

☆(右)8月20日、午後2時30分頃、セメントで補修作業。10分でとりあえず完成。これくらいの仕事で、頭がぐらついた。汗だくだく。14:40写。


<3号田北側の電気柵の草刈り>

 

☆(左)3号田北側の電気柵、草刈り前の状況。8月21日、午後5時30分。

☆(右)3号田北側の電気柵、草刈り、とりあえず終了。草刈り機はナイロンカッター使用。8月21日、午後5時30分から午後5時50分、終了。実労働は約5分程度。準備に20分を要した。トラ刈りだが仕方がない。


<ユリ園の百合咲く>

 

☆今年、6月25日、篠山のユリ園を鑑賞した際、手に入れた6個の百合の種が、わが庭先に、みごとに咲きはじめた。             8月22日、午前11時20分に撮った。やっぱり花は心を安らかにする。


<3号田・スイカ畑からカブラの畝づくり>

 

☆8月22日、午後3時30分頃から、3号田のスイカ畑を、秋のカブラの畝づくりを開始。曇り空だが、蒸し暑い。10分でダウン。・・午後6時から再開。約20分で、何とか草引きは完了。・・あとはマルチを張って、植える準備完了予定。


<今年も夏水仙(裸百合)が咲いた>

 

☆8月23日、朝から小雨。今日一日は雨模様の様子。・・いつもの通り、掃除、洗濯、PC整理、・・時計を見ると午前10時。・・急に、小雨をついてK整形外科に車を走らせた。世話になった左足の甲、診療の結果報告と、右親指の鈍痛の診察を受けた。化膿止めの薬をいただいて午前11時に帰宅。

  庭先の花畑に咲く夏水仙を撮った。午前11時30分。・・・毎年咲いている。葉がスイセンに似ていて、花が夏に咲くことから夏水仙といわれる。夏期に葉がないことから「裸百合」とも、呼ばれているようだ。・・(キイ婆さんの話)

***キイ婆さんよ、儂よりはやく逝ってはならぬを無視して、見事にコロリとわが腕の中で息絶えた。キイ婆さんがやっていたことを、自分のことは自分ですべて実行して1年10ヶ月。・・少々飽きてきた。疲れてきた。・・でも、命ある限り生きねばなるまい。長生きに負けない生き方を、気力、体力の続く限り、実践する。難しい作業と心得ているジロ爺さんではある。


<難しい作業>

  処暑(8/23)も過ぎ、やっと朝夕少し涼しさを肌で感じるようになった。しなければならぬ畑仕事が山ほどある。じっと手をこまねいて、みているわけにもいかぬ。

  しかし、この頃、立ち仕事は5分~10分で、腰に鈍痛がはしる。腰掛けると治まるが、20分~30分休む。・・なんのことはない。10分で30分の休憩。でも、30分経てば、再び腰を上げ、次の仕事にかかる。しかし、天候のセイで、ベッドに横になりテレビ視聴する場合もある。また、PCでブログ記入する時もある。

  時は無情である。あっという間に一日が終わる。腰を使う畑仕事は、また一日延期となる。でも、台車に腰掛けてする草引きなどは30分は可能。70才、80才前半ごろは、一日で完成した仕事が、今では一週間かかる。

  家の皆は言う。「あたりまえです。トシがトシです。90才をこえて、そんなに畑仕事をしている人はありません」

  しかし、私は諦めない。生きている限り、手足を動かそうと思う。寝たきりにならないためにも、長生きに負けないためにも、できるだけ手足を使い、頭を使いたい。また、自然に咲く花々を愛でながら、気力、体力の続く限り実践する予定だ。

  このような気持ちで、生きている様子を、ブログに記入。


<3号田・サツマイモの除草>

 

☆(左)8月19日頃から、3号田の電気柵に巻き付いたツル草を取り除いた。8月22日、午後6時ごろ、サツマイモのツル草を除草。・・一回、5分~10分の作業で、何とか片がついた。8月22日、18:30写。

☆(右) 8月24日、午後6時頃から、約30分でサツマイモの畝らしくなった。ツルを巻き上げたので、かなり見やすい畝になった。収獲まで、ツルはまたのび放題になってくるだろう。さて、今年の収獲はどうか?


<わが家の稲田>

  人任せのわが家の稲田が、すっかり色づいてきた。車を運転するたびに、そこはかとなく、眺めてきた田んぼ。全面委託しているKさんに感謝。・・また、稲刈りのシーズンになってきた。今年の丹波篠山地方は、大きな災害もなく、今のところ順調。8月終わりから9月にかけて、大型の稲刈り機が、田んぼにお目見えする。・・因みに、昨年の、わが家の稲刈りは 9月14日だった。{・・参照:2018,9,15「辛抱」<無事に稲刈りが終わった>・・}

  

☆(左)8月24日、南むきに撮った。真向かいに見えているのが黒豆の館。11:24写。

☆(右)8月24日、北向きに撮った。右端の白い建物は、小学校校舎の一部。11:27写。


<野に咲く百合>

  わが裏土手に咲く百合。ネットで調べるとタカサゴユリのようだが、テッポウユリにも似ている。昔、家の前庭にタカサゴユリが群生した。その種が飛んだのと違うかと言う説もある。裏のサツキの垣を剪定していないので、草ぼうぼうの世界。とりあえず、「野に咲く百合」とした。キイ婆さんは、知っているのだけれどねぇ。

 

☆8月24日、午後2時、昼寝起きに撮った。ずっと前に庭先に咲いたタカサゴユリとは、一回り小さいようだ。


 

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無理

2019-08-12 16:43:25 | Weblog

 

<無理の無理> 

  この頃、「無理」について、考えることが多くなった。

  真夏、日中の畑仕事は、完全にムリのムリ。朝早くやればいいのだが、早起き出来ないわが輩にはムリのムリ。午後6時過ぎ、少し太陽の光が和らぐ。仕事着に着替えて、防虫帽を被り、除草作業をしようと、外に出るが、やっぱり、ムリのムリ。・・それでも、シルバーカーに座って一息入れ、畑に入る。・・10分~20分・・ムリを承知で汗を流す。・・でも、時として身の危険を漠然と感じる。後片付けはそのままにして、家に入り、ベッドで天を仰ぐ。

  そんなにしてまで、働かなくてもいいのではないか?トシがトシ。91才の誕生日を歩むご老人には、ムリのムリと皆おっしゃる。そう言われると、よけいにムリをしたくなる。でも、体力がついていかない。

  エアコンをつけて、涼しい部屋のベッドで、テレビ視聴が、いちばん身に合った仕事。まして、パソコン部屋で、指の運動をするのも、気分転換には最高。でも、1時間、椅子に座っていることは、ムリのムリ。せいぜい30分で切り上げる。

  でもなぁ。91才ひとり身で、身の回りの仕事が出来、午後10時、風呂をわかして、入浴が出来る。なんの文句がいえよう。立派に生きているアカシがある。

  ムリのムリは、畑仕事だけやないか?・・この暑い時期に、誰でも外仕事は無理というモノや。若い者でも熱中症になって、身を滅ぼす人も多い。


<無理の定義>

  「無理」をネットで調べると、次のように説明されていた。

(1)物事の筋道が立たず道理に合わないこと。また、そのさま。「無理を言われても困る」

(2)  実現することがむずかしいこと。行いにくいこと。また、そのさま。「無理な要求をする」

(3) しいて行うこと。押し切ってする。また、そのさま。「あまり無理するなよ」

  ご老体には、(1)(2)(3)どの無理に該当するかは、極めて微妙。・・しいていえば、(3)に該当するのかなぁ?


<91才、誕生記念>

  8月9日、丹波篠山市内、S内科の予約定期検診。時間は、午後4時15分。診察、薬局で薬をもらって、途中、ちょっと寄り道をして、帰宅は午後6時15分。S内科はいつもスムーズに終わる。10日から9連休が始まる。9日の診察は、時宜を得たと言えよう。先ず、安心だ。

  帰宅すると、孫娘が掃き掃除をしていた。タイミングがよかった。91才、誕生記念の写真を撮ってもらった。 

 

☆(左)わが庭先、ノウゼンカズラの横で、シャッター。8月9日、18:20写。

☆(右)玄関先で、シルバーカーに腰掛けて、シャッター。8月9日、18:25写。


<嬉しいこともある>

  8月12日、午前9時、予定通り、菩提寺の棚経も終わった。お盆の準備をした。

  8月12日、午後6時半~8時半、倅夫婦、長男、長女、わが輩の、一家5人が、丹波市の予約したスシローに行った。もちろん、ご老体のわが輩は、連れて行ってもらったことになる。(毎年6人で行っていたが、このトシになって、妻が亡くなり、5人となった。何とも言えず淋しい)

  皆は、私に気を使って、車の乗り降りから、スシローでの皿の注文など、至れり尽くせりの「おもてなし」。

  このときばかりは「無理」を忘れた。まんぷく。

   

☆(左)8月12日、丹波市のスシローに到着。孫(男)が、スシローの看板をバックに、シャッター。18:53写。

☆(右)8月12日、ものすごく混んでいたが、予約7時が優先。即刻、場所が確定。孫娘の隣がわが輩。前が倅、長男、義理娘。・・5人がテーブルを囲んだ。・・ながれまわる、「すし」など、殆ど、すべて、孫娘がやってくれた。ご老体のわが輩は食べ役専門。まんふく。感謝。・・食べるのにかまけて、ついつい写真を撮るのを忘れた。わが前には、ハマグリの赤だし、イカ寿司の一つが、皿の上に残っているところを、シャッター。19:20写。


<後片付けと熱中症対策>

  8月13日、お盆行事の準備。と言っても、わが輩はシキビの準備と迎え火のロウソクの竹づくり、それに掛け軸を床にかけることぐらい。

  台風10号が、お盆に、近畿圏内を縦断するとの予報。・・3号田の妨獣網(2mx6m)二枚の整理と、道具の後片付けの必要にかられた。

  8月13日、午後4時、太陽は西空にあり、陰ってこない。 でも、網の整理は今しかない。こう思ったのが間違いのもと。5分ほどで、ぐらついた。ムリが頭をかすめる。・・孫娘に声をかけた。網の整理を殆どやってくれた。おまけに、シャッターを切ってくれた。・・が、そこまで・・。

  顔がほてり、頭がふらつく。もう、ダメ。・・這々の体でベッドに横になる。ペットボトル500mℓの熱中症対策の水を飲んだ。・・3号田の道具の後片付けは、義理の娘が5分で、小屋にしまってくれた。

  しかし、体調はあまりよくない。エアコンをフル回転で、ベッドにずっと横たわる。午後7時ごろにやっとベッドから立ち上がった。夕食をいただき、午後8時ごろから、義理娘といっしょに、何とか、ご詠歌をあげることができた。

 

☆8月13日、午後4時ごろ、離れの裏庭で、妨獣網の整理中。ここまでは、大丈夫。5分もしないうちに、頭がぐらついた。途端に熱中症が頭をよぎった。午後4時20分、家に駆け込みベッドイン。

☆冷蔵庫の熱中症対策の塩水(ペットボトル500cc)を飲んだ。午後4時30分。

・・この塩水には、ちょっとしたハプニングがあった。9日の内科検診終了後、帰宅途中にBスーパーに立ち寄った。熱中症対策の塩水(ペットボトル500cc)を求めた。ところがいつもの塩水のコーナーに、求める水はなかった。・・女性の店員さんに尋ねた。「熱中症対策の水は当店ではおいていません。薬局でお求めください」・・(そんな馬鹿なことはない)と思いながら、レジにいくと、となりに熱中症対策の塩水(500cc)のコーナーがあった。「熱中症塩分補強」と喧伝。・・そこで、先ほどの女性の店員さんに、「何が、薬局やね。ほれ、ここに塩水があるわね」と、少し怒り気味に言った。・・あとで、やっぱり言わない方が良かったと反省。老人の特権のように聞こえたのではないか?
・・5本のペットボトルを購入した。「ライチ・ヨーグルト、発汗時の塩分補給」・・8月9日、16:00写。


<墓参り・仏壇の飾り。床の間の飾り物・大山スイカ>

  8月14日、午前10時、神戸六甲に住む娘夫婦が、菩提寺に墓参りにきた。倅夫婦と長男、長女の4人と娘夫婦の6人で、菩提寺に墓参。・・いや、わが輩はムリ。いや、行こうとすると、皆から止められた。残念!

  後刻、2・3日のうちに、必ずお墓参りをすることを、心に決めた。

 

☆(左)お盆の仏壇の準備と床の間の掛け軸。妻が亡くなって2年目のお盆の行事。準備など、すべてキイ婆さんと同じ要領。・・「キミヨさんから、みんな教えてもらいました」義理の娘の言葉に、頭が下がった。・・床の間の掛け軸は、わが輩がかけた。中央が西国33カ所霊場参りの掛け軸。(妻の長年の夢だった霊場参りを、2000年、1年かけて、二人でお参りした時の掛け軸。印鑑や筆のあとがにじまないように、寺ごとに、備え付きの扇風機をかけたり、ちり紙を押し当てて乾かした思い出がある。右は私の実父が古希に書いた般若心経。表装はわが輩の退職記念。左は西国33カ所の締めに、信州方面に一泊旅行した時、善光寺にお参りをした。その時、妻が求めた善光寺の掛け軸。「身はここに心は信濃の善光寺 導き給え弥陀の浄土へ」・・・霊場参りの時作った2枚のオイヅルを、妻は私より、私より先にかけて旅立っていった。・・残った一枚のオイヅルを、ジロ爺さん、いつかける?

☆(右)10キロの大山スイカ。丹波篠山のブランド商品。(家内と同級生だったUさんの大山スイカ)。 みごと。    

・・8月14日、六甲の長女夫婦の墓参の際、昼食後、皆で食べた。美味。
・・(8月13日に切って、冷蔵庫で保管。13日、18:00写)

***お盆については、わがブログに詳細に記しています。次を参照してください。

{・・参照:2010,8,29「激暑8月の総括」<お盆の行事>・・2011、8,20「お盆から処暑」・・2012,8,18「終戦記念日の前後」<嗚呼,8月15日>・・2013,8,7「立秋、でも酷暑」<今から68年前は?>・・2013,8,20「夏は甲子園」・・2014,8,15「戦後69年目の夏」<お盆の行事>・・2015,8,15「戦後70年です」・・2016,8,15「戦後71年目の夏」<疎開してきたM子ちゃん>・・2017,8,14「お盆」<お盆の行事>・・2018,8,13「初盆」<初盆となった><お墓参り>・・}


<左足首、甲に苦痛、なぜ?原因不明>

  8月15日、台風10号は日本海に抜けたが、10号の影響の円が、日本列島をすっぽりと包む。丹波篠山地方は、少々雨が降り、風も吹いたが、殆ど被害はなかった。

  8月16日、午前3時、トイレに行こうとして、ベッドから立ち上がったとき、左足首の甲のところに違和感。いや、鈍痛がはしる。トイレまでうまく足が運べない。やっぱり痛い。ベッドに戻って、足の甲を押すと、1cmほど、ぶよぶよしたところがある。ソコが痛い。

  8月16日、午前9時、篠山市内のK整形外科に車を走らせた。盆休みなしで開院されているとの情報。 実はK整形外科は初めてである。かなり混んでいたが、新しい診察券を発行してもらった。

  10分も待たないうちに、名を呼ばれて、診察室へいった。椅子に腰掛けたとき、先生が「お久しぶりです」と言われた。ビックリした。患者としては初対面である。しかし、私の心の中には、昭和43年(1968年)篠山城跡の西堀・中堀に建っていたS中学校・一年生の学級担任をしたときの、Kさんは教え子だった。51年前の話。・・多くを語らないK先生は、ニコニコしながら、「前からよく知っていますよ」と、私にうなずく。

  しかし、診察・治療は、実にスムーズに進行した。さすが、外科の先生。あっという間に、ハリを3、4本刺して、痛いと言うまもなく完了した。

  Bスーパーに寄り道をして、帰宅したのは午前11時。まあ、かすかに歩ける程度。・・午後、ひたすら高校野球実況放送を観た。午後4時ごろ、ベッドから下りたとき、痛さは殆ど消失。トントンとはいかないが、エゴエゴと普通に歩けるようになった。

  ひとときは、「もうあかんわ」と、マイナス思考だったが、急に元気になった。しかし、今回の足の甲の痛さの原因は、皆目見当がつかない。なんとしても原因究明をせねばならない。

 

☆両足首と左の足首の甲。8月16日、午前10時、K整形外科で、治療後帰宅して撮った写真。・・なぜ夜中に痛くなったのか、原因は不明。ネットで調べると、高齢で関節などが自然に痛くなるとの話。..膝のミズ抜きは、4,5回はあった。足の甲は始めてだ。寝ていた足の姿勢。昼間の後片付けなどのムリ。それに高齢。・・トシのセイにしたくないが、やっぱり、ネットに書き込まれたとおり、高齢現象なのだろう。 


<それでも、洗濯モノを干した>

  8月16日、午後4時ごろ、少し痛みがはしるが、かなりよくなった。高校野球のテレビ観戦に没頭。午後5時前だろうか、明石商業が、満塁でスクイズ成功。2対1で勝った。同じ兵庫県民である。「やったぁ!」と叫んで、ベッドから下りたとき、左足甲の痛みは、まったく消滅。・・スタスタと歩けた。

  気をよくして、2日間の洗濯モノを干した。午後5時ごろ、太陽は西に傾いていたが、1時間で乾いた。

☆8月16日、午後5時ごろ、庭の物干し竿に、洗濯モノを干した。台風10号の影響で、洗濯モノがたまっていた。・・ともかく洗濯干しが、足の甲の痛みを感じることなく、出来た嬉しさは抜群。「しっかり生きとるやないかい」。自己を叱咤激励した。8月16日、17:05写。

<デカンショ踊りのあとを偲ぶ>

  8月17日、午前10時、篠山市内K整形外科に車を走らせた。16日、足の甲手術の結果報告。「もう風呂に入ってもいいですよ」・・初診の際の残っていた事務手続きを終了。K外科をあとにしたのは午前10時30分。

  帰路、篠山城跡の北広場を通った。デカンショ祭りが15日、16日と予定されていたが、台風10号により15日は中止。16日、一日となったが、それだけに盛会だったと聞いた。

  丁度、やぐらなどの後片付けに大童の様子。何となく、16日の晩のデカンショ踊りの盛会が偲ばれた。

 

☆2枚の写真を撮って、城跡北広場をあとにした。帰路、みどり館、Bスーパーに立ち寄って、予定していた日用品を購入。帰宅は午前11時30分。・・足の痛さは全くなくなった。このまま、すっきり治まるだろうかと、ちょっと不安がよぎったが、なるようにしかならないと、高をくくって、昼食後はもっぱら昼寝三昧。高校野球をテレビ観戦 。


<生きること、死ぬこと>

  盆の行事も終わった。この頃、何をするのも億劫だ。人生に疲れたという感じがする。寝ても覚めても、生きること、死ぬことの難しさを感じる。・・そんな気持ちを箇条書きにする。

(1)死んだらシマイとつくづく思う。四苦八苦はなくなる。楽チンだ。

(2)現世は、所詮、生きている人の世の中である。死んだ人が、ぶらぶら舞い戻ってくることはない。

(3)生きている人の世の中が、トシをとればとるほど、遠くに感じる。

(4)長く生きていれば、それだけ、この世のチリやホコリをおおくかぶる。よいことはあまりない。

(5)「適当に死ぬ時期がある」と、曽野綾子さんはおっしゃる。「人間にはちょうどいい死に時がある」と、帯津良一先生はおっしゃる。

(6)わが妻は81才7ヶ月でオサラバした。死ぬまで自分のエネルギーをいっぱいためこんで、いっきに、わが腕の中で息絶えた。死ぬ時期を心得ていたのだと思う。

(7)長生きは決して幸福とは言えない。自分のことは自分できるうちはよいが、寝込んだらどうするのや? ましてボケが高じて、夜中に徘徊したらどうなるのか。

(8)死ぬ時期は難しいが、長生きに負けない生き方をしたい。

(9)足腰や頭には限界がある。人には差があるが、帯津先生は80才頃がいいのではないかとおっしゃる。いちばん遅めでも、90才半ばぐらいだろう。その時が死ぬ時期として、ちょうどよいと。帯津先生は昭和11年生まれだから、わが妻と同じ年。・・83才か?

(10)足腰や頭に、限界がくるまでにパッと散るのが最高だよね。頑張れ。ジロ爺さん!


 

   

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真夏

2019-08-03 16:29:56 | Weblog

 

<91年目の夏>

  令和元年、8月3日、午前6時、目が覚めた。珍しいことだ。窓をあけると、朝靄の中に、わが家の庭先が、うすずみ色にけむっていた。外に出て、わが家を眺めた。感無量。60年暮らしてきた妻はもういない。 

 

  「おい、今日はわが誕生日だ。91年目の夏がきた。しかも真夏だ。ひとり身だ」 

  よくもまあ、この暑い日に生まれたもんだ。わが母は大変だったろうなぁ。聞くところによれば、母は4人目の息子(わが輩)を、いともかるく、産み落としたと聞いた。しかも、大変小さく、顔はお茶碗ぐらいで、かわいらしかったそうだ。その生みの母も、平成9年4月10日、95才で他界。・・(葬儀委員長は、わが輩がつとめた)

  昭和3年8月3日生まれ。昭和を60年、平成を30年8ヶ月、令和元年を3ヶ月。(60+30、8+0、3=91・・令和で年の勘定をするのは、天文学的な数字。西暦は、はっきりしている。1928年8月3日生まれ、現在2019年8月3日。つまり2019-1928=91・・まことに簡単である。正真正銘、満91才となり、91年目の夏を歩むことになった。

<ノウゼンカズラ咲く>

  8月3日、誕生日だから、張り切ったわけではない。朝靄が立ちこめる庭先を散歩した。家の前にノウゼンカズラが咲いていた。昨年は枯れかかったが、今年はなんとか咲いた。橙色のきれいな花。花の形がトランペットに似ているところから、英語では、トランペット・フラワーという。

 

☆8月3日、午前6時半、前庭に咲くノウゼンカズラを撮った。この花は、わがブログでは歴史がある。次のブログを参照してください。
{・・参照:2011,7,28「ノウゼンカズラ余談」・・2014,7,12「養生の野菜づくり」<ノウゼンカズラ補修>・・2016,7,9「薄氷を踏む思い」<橙色のノウゼンカズラ咲く>・・ 


<収獲・焼き肉パーティー・夏ズボンとシャツ・お祝いケーキ>

  8月⒊日、朝から重い日だった。からりと晴れない。昨日午後4時ごろの夕立の影響だろう。蒸し暑い。とうとう、先日よりエアコンをいれた。

  午後2時ごろ、気になっていた3号田のスイカ畑に入った。いやぁ、まいった。5分も、持たなかった。頭がおかしくなり、熱中症の言葉がよぎった。もう、そりゃ、這々の体で家に駆け込み、水分補強、ベッドに横たわる。

  午後4時ごろ、にわかに曇り、雷鳴。夕立となった。30分ぐらいで雨があがった。

  午後6時30分頃、1号田のナス、マンガンジ、ピーマンを収穫した。居間から見ると、ぶら下がっているのが見えた。

  収穫後、シルバーカーを押して、帰る途中、孫(男)が迎えにきた。「誕生日のお祝い焼き肉パーティーです」 

  通用門入り口で、シャッター。

  晩ご飯は、お祝いの焼き肉パーティー。 食後、お祝いのズボンとシャツをいただく。それから食後のケーキ。毎度、毎度、ありがとうございます。

 

☆(左)畑仕事は防虫帽子なしでは不可能。暑いが、刺されるよりはマシ。18;40写。

☆(右)91才、誕生日お祝い焼き肉パーティー。肉は黒毛和牛の一級品。お肉は日本が一番。


 

☆倅夫婦からのお祝い品。夏に即したズボンとシャツ。それからケーキ。

 

<お祝いありがとうございます>

 

☆(左)8月3日、午後9時、一人淋しくケーキをいただく。うまい。でも、淋しい。

☆(右) 8月3日、午後1時、六甲に住む、長女夫婦からお菓子が宅配されてきた。


  

☆(左)8月1日、午後1時、亡き妻の妹(枚方市 在住。娘真弓さんはピアノの先生・プロの音楽活動。ブログ:佐野真弓ピアノ)タミーノさんからのお祝いのお菓子類。

☆(右)8月2日、午前10時ごろ、M・Iさんからのお祝いの花とお菓子。

**順番が遅くなり、申し訳ありません。

*ながーい、誕生日の一日が終わった。ジロ爺さん、91才の旅をいかに歩むや?長生きに負けないように、寝たきりにならないように、一日一日が、身をけずるように過ぎていく。


<酷暑>

  8月5日、午前8時ごろ、朝食。・・夏休みのはずだが、みな、出勤していない。いつものように、ひとり侘びしく朝食をつくる。一切れのパンとトマト、それに豆乳入りコーヒー。
  トマトは、もちろん、わが輩の手作り。パンにはマーガリンとイチゴジャムをぬる。 

☆パンの副食は、夏ミカン、リンゴ、バナナ、マクワウリ、トマトなど、四季に応じて変わる。マクワウリ、トマトは手作りのモノ。

  一通りの朝の仕事が終わり、居間のベッドで一休み。時計を見ると10時過ぎ。普通。

  洗濯モノを干したときに解ったが、外は、からりと晴れて、猛烈な日射し。気温はぐんぐんあがった。車庫の温度は35度。納屋の温度は33度。草引きをするべく外に出たが、ムリのムリ。・・居間でエアコンを入れて26度。

  毎年、このように暑かったかなぁ、と首をかしげる。やっぱり、トシとったセイと違うやろやか?と、弱音がもたげる。

  何気なくテレビを観ていると、やさしい音楽が流れた。「小さな旅」、「北海道・南暑寒丘」が映し出された。やっぱり、こういうテレビはいい。酷暑のなかに、いっぷくの清涼剤。・・映し出される景色、雨竜沼に「国領地区」という名が出た。

  「国領」は、私の生まれ故郷である。氷上郡国領村国領(現、氷上市春日町国領)、 私の30才頃まで住んだ故郷。ビックリした。ネットで検索すると、確かに北海道に、「国領地区」があった。・・故郷を偲び、なぜか瞼があつくなった。


<ブログ記事・カラー印刷、第27号となった>

 ブログの記事を、カラー印刷をして、保存してきた。1冊A4・40(A4,80頁)に収納。最初、カラー印刷にさんざん手こずったが、最近では、一つの投稿記事が終わると、すぐ印刷して保存。それが、第27号になったというわけだ。

  ブログ記事を、そのままカラー印刷、書籍化の本とは、ひと味違う魅力がある。でも、なあ、モノを多く残すのは、ほめられたことではない。まあ、これくらいの我が儘は許してもらいましょう。

 

☆(左)A4(縦30cm,横25cm)のブックファイルを収納する本箱がない。縦40cm、横60cm、幅29cmの収納箱を横にして使用。

☆(右)中身の一部。ブログ・{2019,7,12「晴雨」1頁~2頁}を掲載。まあ、こんな調子。「どこまで続くぬかるみぞ、雨降りしぶく鉄かぶと・・」、軍歌が聞こえてきた。


<生活の知恵?>

  毎日、蒸し暑い夜が続く。エアコンなしでは寝られない。息苦しい夜がやっと明け、一人暮らしの毎日が始まる。

  この頃、起きて先ずやるのが、居間のサッシ窓と炊事場兼食堂のサッシ窓をあけて、朝の涼気をいれる。ともかく部屋の空気を入れかえる。これは、居間で暮らしていた亡き妻が、窓を開放していたことを、漠然と思いだしたからだ。果たして、これが生活の知恵とは断言できないが、なにか、汚れた空気が綺麗になったような気がする。

  午前10時ごろ、窓を閉じて、扇風機、またはエアコンを入れる。でも、外の暑さ加減により、午前中、サッシ窓を開けている場合もある。里山だからできるのだろう。・・しきりに小鳥の鳴き声が聞こえる。


 

☆(左)居間のサッシ窓を開けると、前庭が視界にはいる。前栽のノウゼンカズラも見えた。

☆(右)炊事場のサッシ窓を開けると、裏庭の石段が見える。8月8日、8:00写。


<8月初旬、夕焼け、小焼けの風景>

  8月に入り、昼間は畑仕事は無理。日が落ちてからと思うが、午後6時になっても、日は沈まない。でも、日中の日射しは少し和らぎ、草引きに重い腰をあげる。目下、3号田のスイカ畑の草引きをしている。

  午後6時半頃に、西空に太陽が沈む。・・その時々の光景を写真におさめた。

 

☆8月1日、午後6時25分ごろ、西空に沈む太陽を撮った。3号田、スイカの草引きをしながら、しきりにカメラを夕日にむけた。

 

 

☆(左)8月4日、午後6時30分ごろ、西空に沈む太陽が、あっという間に、灰色の雲に閉ざされた。

☆(右)8月4日、午後6時40分ごろ、西空に聳える夏栗山の麓に沈んだ。


 

☆(左)8月5日、午後6時30分ごろ、西山に沈む太陽を撮った。3号田から。

☆(右)8月5日、午後6時48分ごろ、太陽が、夏栗山の麓に沈み、夕焼けが広がった。

***8月8日、3号田の草引きが、まだ終わらない。元気なときは30分で終わる作業だ。それが、それ、よるトシなみと、酷暑のセイで、遅々としてすすまない。やり始めて一週間は経った。

***焦っても、どうにもならない。8月終わりまでに、出来たらよいと、高をくくっているジロ爺さんではある。

<夕焼け・小焼け、一思考>

・・夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る
  お手々つないで皆帰ろう、烏と一緒にかえりましょう。

**中村雨紅作詞、草川信作曲の、大正8年に発表された「夕焼け小焼け」。童謡としては、もっとも人口に膾炙した名曲。・・夕焼けを見ると、つい口ずさんでしまうから不思議だ。そして、故郷を思い出し、5,6才頃の皆と、手をつないで、家に帰った風景を偲ぶ。

**この夕焼け・小焼けが、般若心経の最後の部分と、かかわりがあると説く、宗教学者もいる。
・・ぎゃーてい ぎゃーてい はらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼじそわか 

**なるほど、ぎゃーてい を二回繰り返せば、一番が終了する。般若心経を、ほぼ、暗唱しているので、置き換えてリズムをとるのも、まんざらではない。


<果てしなく夜がナガイ、そしてコワイ>

  80才始め頃は、それほどでもなかったが、90才になって、夜のトイレの回数がふえた。大体、寝る時間が遅い。午後11時に就寝。約2時間ごとにトイレに行く。午前1時、午前3時、午前5時。一晩で3回となる。ついこの間まで、2回だったが、3回が普通になった。

  それに加えて、トイレまで足を運ぶのが、いともあやしくなり始めた。寝ぼけ眼でいくと、危険。肩の幅に足を開いて、エゴエゴ歩きで15歩。トイレに到着。・・往復30歩の道のりを、しっかり歩かないと、転んだら大変。(亡き妻は、2,3回、転んで骨折した)

  でも、3時間眠れるときもある。その場合は一晩2回で済む。時々、1回の時もある。・・還暦、古希時代は、爆睡。トイレなど、朝方起きたとき1回で済んだ。

  91才を歩む、わが輩には、情けないが、夜、何回でも目が覚める。お医者さんの指示により、誘眠剤を使用していたが、薬剤師の「半分して飲むといいですよ」の指導で、半分にして飲用。・・効果のほどは不確実。

  でも、夜中にふらふらするのは、誘眠剤のセイだと思う。止めればいいのだが、不安。ときどき、飲むのを忘れる時がある。変化がないので、中止したときもあるが、最近では半分が常用となった。

  高齢で夜をどう過ごすかは、目下、わが輩の課題。それにしても、夏の夜はナガクてコワイ。 


<夕日をあびて、除草作業>

  8月8日、朝から真夏の日射し。そして蒸し暑い。

   でも、嬉しいことがある。夏休みで帰省(8月7日)してきた孫娘が、洗濯や食事の世話をしてくれることだ。嬉しい。心強い。・・ご老体の生活にも、何となくハリがでる。

  目下、3号田のスイカの畝の整理をしているところだが、目の前の1号田の草が、電気柵に絡みついているのが、前から気になっていた。

  8月8日、午後6時から、1号田の草刈りを決行。 夕日が西空に傾いていた。日射しも、少し和らいだ。シルバーカーに腰を下ろして、約30分で、一応、電気柵に絡みついた草ツルを除去した。

 

☆(左)電気柵に絡みついた草の様子。8月8日、午後6時、作業前に撮った。

☆(右)作業後の状況。何とか、電気柵に絡みついた草ツルを除去した。30分かかった。午後6時30分に撮った。

***有難いことに、孫娘が塩水のペットボトルを持参してくれた。そして夕食ができた知らせ。倅夫婦は用事で、ともに不在。感謝、感激、雨あられ。後片付けをして、家に入ると、午後7時前。「プレバト」が始まるところだった。孫娘が、ベッドに夕食を運んでくれた。何から何まで、よく気がつく孫娘。

  心で手をあわすジロ爺さんではあります。



 


 

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郷愁

2019-07-25 12:59:37 | Weblog

<梅雨時の昼食>

☆7月25日、昼食。もちろん宅配の惣采が今日のメニュウ。{・・肉じゃがとちくわの磯辺揚げ・・タンパク質29.7g・脂質13.4g・塩分3.8g・・} 

  梅雨、まだ晴れやらず、毎日、ムシムシする暑さが続く。それでも、一人で生きていかねばならない。朝食から、午前中の仕事を終わり、やっとベッドで、一服。 新聞をみる。

  悲しきかな、今日もわが中学時代の友(M)が亡くなっていた。びっくりした。いま腰を下ろしているベッドは、家具商を経営している Mから購入したものだ。15年前に、亡き妻のために仕入れた。

  Mは、昭和45年、旧制中学校を卒業して、神戸の家具商店に勤め、大阪万博時代、丹波で家具の百貨店を経営した事業家であった。いま、そのベッドに腰を下ろして、訃報の記事をみた。感慨無量。ご冥福を祈る。

☆この前のブログ投稿が7月12日、約13日ぶりに新規投稿となった。もちろん前のブロブには20日頃まで、記しているので、あまり空いた感覚はない。


<郷愁>

  郷愁には、二つ意味がある。

(1)他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。
(2)過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。

  いずれにしろ、過去の思い出に耽ることだ。わが輩には故郷は3つある。
  一つは生まれ故郷(1才~27才)氷上郡国領村国領(現・丹波市春日町国領)。 
  いま一つは、(28才~32才)京都府船井郡殿田(現・南丹市日吉町殿田)。
  三つめは、現在住んでいる丹波篠山市(32才~90才)。 

・・やっぱり、生まれ故郷の幼児期の思い出が、薄れいく記憶のなかに、よみがえる。その一つに「ビョウコウチンの敵の陣」がある。それは次のごとし・・・。


<ビョウコウチンの敵の陣>

  昭和7年頃、私の5、6才頃だったと思う。私の近所に同じ年の2人の男の遊び仲間がいた。その頃は雪がよく降った。絣の着物の時代だった。私たち3人は、雪でトーチカ(防備陣地)をつくり、大きな太い枯れた竹筒を抱え、トーチカに突進した。
「・・ビョウコウチンの敵の陣・・」3人で金切り声をあげた。爆弾三銃士の話である。爆弾を抱えて敵のトーチカに花と散った光景を演出していたのである。まさに戦争の時代を反映していた。・・みな鼻水を出していた。ローソクのような鼻水、黄色の鼻水、青い色の鼻水・・。みんな着物の袖で鼻水を拭いた。しまいに着物の袖は寒さに凍りついて、カリカリになっていた。それでも鼻水を拭く。しまいに凍りついたカリカリで自分の鼻を切る。血が滲みでる。それでも竹筒を抱えて突撃をくりかえす。おしまいに、みんな手がかじかんで、泣きながら家に帰った。
  当時はどこの家庭にも、お婆さんがいて、金だらいに湯を汲んで、「よう遊んできたのう、早よ、こ
の湯に手を入れや」と言いながら、鉄瓶の口から熱い湯をそろりそろりと注いでくれた。・・このような光景は大正、昭和にかけての子供たちはみんな経験している。(現在の子供で鼻水を出している子は一人もいない)

  その後、Sちゃんも、Tちゃんも、小学校に行くまでに、はやり病で、亡くなった。・・かすかに覚えている。棺のあとからお盆をもって、シクシクと墓場まで、皆に囲まれていった。二人の人生はなんだったんだろう?・・でも、90才のわが想いのなかに、しっかりと息づきている。うーんと唸って、お茶を飲んだ。

{・・ビョウコウチンは「爆弾三銃士」の軍歌の一節。作者・与謝野鉄幹(与謝野晶子の夫)は明治の熱血詩人。爆弾三銃士の話は単なる事故を美談に仕立てたという話もあるが、昭和7年1月未明に、上海事変が勃発したのは事実である・・}

{・・廟行鎮(ビョウコウチン)の敵の陣、我の友隊すでに攻む 折から凍る二月(きさらぎ)の 二十二日の午前5時・・}


<花摘む野辺に日は落ちて>

  昭和10年、7才で小学校1年生。男では私一人。しかし、近所に同級生の女の子が4人いた。一緒に小学校に通ったが、男女共学ではなかった。しかし、帰宅すると、いっしょに遊んだ。タンポポのような草花で、どちらが強いか勝負をした。やっぱり、花を摘んだり、マリをついたり、いっしょに歌を唄ったりして遊んだ。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる。お手々つないで、みな帰ろ、からすといっしょに帰りましょ」

  翌日、学校に行くと、他人行儀、顔があっても、お互いに素知らぬ顔をした。この女の子も、二人はなくなった、後の二人の消息は不明。・・幼児期にお医者さんごっこをして遊んだ。役は決まっていた。お医者さんはわが輩。病人はSちゃん。看護婦はMちゃんとAちゃん。女中はKちゃん。ときどきKちゃんが、病人になることがあった。

  昭和15年ごろ、「誰か故郷を思わざる」という歌が流行った。歌は霧島昇だったかなぁ。きれいな声だった。よく歌った。令和になっても、色あせない名曲だと思う。

{・・花摘む野辺に 日は落ちて みんなで肩を組みながら 唄をうたった帰り道 幼馴染のあの友この友 誰か故郷を思わざる・・}

  つい、口に出てくるから、不思議だ。歌詞をおぼえられない私にとっては、心に残っているのだろう。


<卆寿の旅・第15号が宅配>

  7月26日、正午、玄関でベル。郵便局からの宅配便で、「卆寿の旅・第15号」が届いた。gooブログのバックアップ・書籍化を利用し、第15号となった。「2018,12,3~2019.6,25」414頁。

  7月16日、仕上がり見本、印刷オーダー受付のメールがきて、10日後に わが手元に届いたわけ。2010年(平成10年)に、第1号が発刊されて、2019年(令和元年・7月)に、15号となった。一つの歴史がここにある。でも、あとのモノに迷惑かなぁ?・・しかし、目下、わが輩の生きがいだから、許してたもれ。

  1号~13号は、「八十路の旅」・・14号~15号は、「卆寿の旅」・・齢90才になり、題名をかえて、ブログを続行したワケ。あと一週間で満91才になる。いつ卒業できるのだろう?

 

☆本の表紙と内容の一頁。7月26日14:00写。・・仕上がり見本までは簡単にできたが、印刷製本、郵送方法がうまく出来ず、さんざん困ったことを報告しておこう。・・でも、無事到着。あとは送金のみ。

☆本の内容の頁は、<ぼけたらアカン、アホになれ>~<ハクロニシキと私>312頁、313頁を載せた。


<トマト・カボチャ大収穫>

  7月26日、午後6時ごろ、2号田のトマトが電気柵越しに、3,4つ色づいているのが見えた。夕日が山の端に沈みつつあった。仕事着に着替えて、2号田に入った。ビックリぽん。一個、少し青いのが落ちていたが、あとの15個は完熟であった。

  トマトづくりの名手・キイ婆さんも、このトマトには舌を巻くだろう。遺影を持ってきて、みせてやった。それにしても5本のトマトの苗から、ドンドン生る。上の枝に白いトマトが、ぎっしりへばりついている。生り年なのだろうか?

  トマトのとなりの畝のカボチャが気になった。カボチャのツルがサツマイモのツルを覆いつくして、広がっていた。目についた2個のカボチャも、ついでにもいだ。

  とりあえず、トマト16個とカボチャ2個を収獲。意気揚々とは言葉のあや。這々の体で、シルバーカーで、持ち帰った。時計を見ると午後6時10分。・・一休み。

  どうも、あとのカボチャが気になって仕方がない。再度、2号田に入った。エビスカボチャのツルを引っ張ると、でるわ、でるわ、エビスカボチャを8個も収穫。・・たった1本のエビスカボチャの苗ですよ。正直、ビックリした。10個を収獲したのは始めてだ。これも、キイ婆さんがおれば、どう言うだろうか?・・しかし、トコトン疲れた。汗びっしょり。・・夕食もままならず、しばらくベッドで轟沈。・・午後8時ごろ、小康状況、夕食。 

 

☆(左)7月26日、午後6時ごろ、収獲したトマト(16個)と エビスカボチャ(2個)。

☆(右)7月26日、午後7時ごろ、収獲したエビスカボチャ(8個)を追加して撮った。再度、言っておこう。一本のエビスカボチャの苗から、10個のカボチャの収穫。ワレながら始めて・・。


<赤松の剪定>

  7月27日、午前10時ごろ、台風6号が紀伊半島に上陸した。

  丹波篠山地方も、朝から雨模様、小降りだが、降ったり止んだり、畑仕事はムリ。2号田のカボチャのツルの後片付けがしたいが、できそうにない。それでも、午前11時ごろ、雨がちょっと止んだ。サツマイモの葉を起こした。

  まあ、今日はベッドのお守りと、PC、書類の整理などに時間をついやした。でも、PCは長時間はムリ。せいぜい30分ぐらいが限度。30分ブラブラして、また机に向かう。

  7月27日、午後4時ごろ、台風6号は熱帯低気圧になったが、関東では引き続き警戒が必要とテレビが報じている。丹波篠山地方は風も雨も降らず、雷鳴もなし。ブラブラしていると、わが家の東庭の松の木、のび放題が目につく。

  じんべいを、仕事着に着替えて、脚立を運び、剪定をした。この赤松は、わが古希時代、わが山で、未生の松の木(70cmぐらい)を、引き抜いて、東庭に植樹。・・最初はなかなか成長しなかったが、20年もすれば、立派な庭の木になった。・・でも、退職後、ひと頃、植木に凝ったことがあったが、庭木はあまり植えない方が良い。最近、つくづくそう思う。植木は、成長した姿を、とくと想像して植える必要がある。・・でも、今は、不要の木はドンドン、伐採中。

 

☆(左)7月27日、午後4時、庭の赤松の姿。新芽がのび放題。午後4時ごろから剪定にかかる。

☆(右)剪定後の赤松。まあ、こんなモノだろう。でも、すっきりした。午後4時30分に撮った。 

 

<弱り目に祟り目>

  7月29日、午後2時ごろから、裏庭焼却場で、畑の残渣(ウリ、キュウリ、カボチャなど収穫後の整理)を燃やした。山とつまれたゴミの山。 前から気になっていたが、天気のせいで、不能。

  やっと、29日、午後晴れた。一気に燃やした。でも、雨で湿っており、いつもより燃えにくかった。

  それにしても夏である。暑い。半分は燃やした。 もちろん、殆どは残渣を火に入れるだけ。10分しては1時間休み。汗だくだくである。

  29日の夜、さすがに疲れて、テレビで水泳を観たり、娯楽番組を観たり、身心を休めた。

  ところが、午後10時ごろ、納屋のタオルを持った時、激痛が左手に走った。瞬間、「ムカデにやられた」と思った。振り払ったタオルから、何もみえない。ムカデなら、見えるはず。・・痛み止めを塗ったが、刺すような激しい痛みは、なかなか治まらなかった。でも、まだムカデだと思っていた。撃退の薬品をスプレーした。・・隠れていれば、たいてい、のそのそと這い出るはずだ。だが、影も形もない。

  午後11時30分頃、どうにか痛みも少し和らいだ。でも、時々、ピリピリと劇痛が走る。・・右手使用で入浴後、土間にでると、刺されたとき投げつけたタオルの方向に、もぞもぞとうごめくモノがいた。・・どうやら、犯人はハチのようだ。でも、スズメバチのように大きくはない。小柄の黒いハチだった。疑心暗鬼だが、ハチに違いなかった。

  日中の仕事で、大変疲れたとき、ハチに刺された。弱り目に祟り目とはこのことだ。泣きっ面にハチ。

 でも、28日から29日にかけては、疲れたせいで爆睡。夜中に一回のトイレですんだ。

 29日、朝、痛みはかなり治まっていたが、左手がポンポンに腫れた。

 29日、朝、8時30分、篠山市内のA皮膚科に、車を走らせた。診察の結果、大したことはないようで、塗り薬と飲み薬を処方してもらった。「注射は?」「入りません」と言うことだった。

  29日、午前10時に帰宅。気のせいか、腫れはひかないが、痛みは殆どなくなった。

 

☆左手と右手を撮った。左手の甲がポンポンに腫れている。刺されたのは手のひら。小指と薬指の根元付近。手の甲まで腫れた。でも、午後1時ごろには、全く痛みはなくなった。29日、午後5時ごろには、痒みがはしるも、腫れがだいぶんひいた。


<90才、獅子奮迅の働き>

  7月29日、午前9時50分、皮膚科で診察を終えて帰宅。・・午前10時過ぎから、洗濯器にスイッチ。・・さあ、忙し忙しの毎日が始まる。こんな日に限って、洗濯モノが多い。皮肉なもんだ。

  午前中、PC・ブログ書きこみ、左手の刺されたあとのフクラミは、かなりひいたが、完全ではない。手を握るとちょっと指に違和感を感じる程度。

  昼食は、宅配の惣菜がおかず。メニュウは{・・焼き肉炒め・焼きなす&出し巻き・・タンパク質(28.8g)・脂質(22.7g)・塩分(4.3g)・・}

  徹子の部屋・岩下志麻との対談。美しい柄の着物をふんだんに公開。テレビを観ながら、ゆっくりと昼食。 途中で、やっぱり暴れん坊将軍・吉宗に切り替えた。そのうち、いつの間にかウトウト。ベッドから腰を上げて、時計を見る。午後2時30分。

 

☆29日、午前11時30分頃、洗濯ものを干す。日が射す。乾き早いだろう。それにしても、シャツのオンパレード。いかに、汗をかいたかの証明。28日、よく働いたの証明? ・・いや、じっとしていても汗をかいた。

☆いつもの宅配惣菜で昼食。12:20写。

***午後はゴミ燃やし。・・ふと獅子奮迅という言葉を思い出した。よろよろの90才の老人の使う言葉ではない。・・獅子という百獣の王が、激しく奮い立つ様子を獅子奮迅という。あえて使用した。「90才、獅子奮迅の働き」

<刺したのはハチ、ゴミ燃やし>

  7月29日、午前10時、地面にハチの死骸。わが手のひらを刺したのはハチに違いない。ムカデと思っていたが、黒いハチだった。スズメバチのように大きくはない。むしろ小さいハチだった。尻より鋭い針を出していた。

  7月30日、午前10時30分、O病院泌尿科定期検診。スムーズに進行。11時30分に帰宅。・・病院の待合室、テレビ掲示板に4字熟語が映った。2題でたが、解読できなかった。

(1)好○嘖○   (2)一○一○  ・・記帳してネットで調べると

(1)好評嘖嘖  (2)一得一失 

  7月30日、午後5時から裏庭のゴミを燃やした。汗びっしょり。

 

☆刺した犯人は、ハチのようだ。尻から鋭いハリがでていた。ムカデより、痛くて腫れた。7月30日、16:00写。

☆ゴミもやしの様子。高く積まれた野菜の残渣を焼却。17:30~16:00、約30分。汗かくのもムリはない。シャワーして着替えた。18:00写。

 

   


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晴雨

2019-07-12 18:00:24 | Weblog

<晴れたり、曇ったり、雨が降ったり>

  7月11日、12日、梅雨空である。晴れたり、曇ったり、雨が降ったりの毎日が続く。うっとうしい。でも、命ある限り生きねばなるまい。しかし、90才の坂道を下るのは大変。ちょっと荷が重すぎる。畑仕事があるからだ。しなければいいのだが、それがそれ、負けん気のジロた爺さん、歯をくいしばって、腰を伸ばし、膝を引きずりながら、外にでる。困った性分だ。

  そんなときに限って、とんでもない畑仕事が追い打ちをかけた。電気柵のおかげで、猿の被害はなくなった。安心して高をくくっていた。山里の畑仕事は、そう甘くない。電気柵は、天井がない。カラスという強敵がいた。

  やっぱり、電気柵の中の野菜には妨獣網が必要であった。

  今回はその模様を写真いりで、記すことにした。


<11日の被害と対応>

  7月11日、昼寝時、テルあり、「ジローさん、前の畑にカラスが入って、キュウリを食べていますよ」

  寝ぼけ眼を、こすって、2号田にいった。食い荒らされた5、6本のキュウリが、散らばっていた。(そういえば、昨年も防獣網でまいたわい)

  3号田のスイカが気になった。今年はあまり出来が良くないが、4個ほどなっていた。わらをかぶせて、防護した時だった。いや、まいった。防護した横にスイカがあったんだ。見事に穴をあけられた。2号田のマクワウリも一つ穴をあけられた。

  犯人はカラスに違いなかった。3羽の大きなカラスが、飛び交い、山裾に逃げた。

  7月11日、午後4時ごろ、2畝のキュウリに防獣網をかぶせた。午後5時ごろ、3号田のスイカに防獣網をかぶせた。これは応急処置。

  7月11日、午後6時ごろ、すべての野菜を収穫した。しんどかった。

☆1号田・ナス、ピーマン、マンガンジ。・・2号田・キュウリ。・・3号田・トマト。・・大収穫。疲れが出るが喜びがマサル。19:00写。

 

☆(左)被害を受けたスイカとマクワウリ。アライグマの爪痕のようにも思えるが、カラスのくちばしもなかなか鋭い。

☆(右)2号田のキュウリに防獣網をかぶせた。11日、17:00写。


 

(左)2号田の2本のキュウリにも防獣網を張った。11日、17:00写。

(右)3号田のスイカに防獣網をかぶせた。体力の限界。応急処置。11日、18:00写。


<12日の自力と他力>

  7月12日、朝、起床、午前7時30分。曇り。雨は落ちてこない。身の回りの仕事を終えて、一休み。窓に日がさしてきた。洗濯ものがいっぱい。洗濯機、「洗う」にセット。午前10時ごろ、洗濯ものを干す。陽が照った。

  午前10時10分頃、電柱にカラスを発見。カラスはジロー畑のキュウリ、スイカなどなど、情報を伝えて、一気に3、4羽の来襲となった模様。ワルガシコイ奴だ。猿除け鉄砲で追い払う。

  3号田、スイカ、トマトなど、防獣網を張らねばならないが、体力がない。じっと腕を組んで、ベッドでテレビ。

  PCを開き、検索。そのうちに昼になった。

  午後、12時30分頃、テレビを観ながら昼食。徹子の部屋は中村メイコと、ご主人が対談。午後12時30分からは、吉宗を見た。やっぱり、これが一番肩がこらない。

  午後1時すぎ、テルがあった。いつも世話になっているシルバーNさんから。・・えたりやおうと、事情を説明。「午後2時ごろに伺います」・・ありがたや、ありがたや。・・自力で、がんばっていれば、必ず他力の風が吹く。・・五木寛之さんの言葉もまんざらではない。

  午後2時から午後4時ごろまで、スイカ、トマトに防獣網を張っていただいた。加えて、ちょっと、3号田周辺の草も刈ってもらった。勝手知った仲、殆ど、指示なし、・・わが輩は、檻の仕掛けをしただけ。

  午後4時、急に雨が降り出した。洗濯ものの取り入れ成功。・・自力と他力の哲学を思考。

 

☆7月12日、洗濯干しの状況と電柱のカラス。午前10時過ぎに撮った。

 

 

☆午前10時半頃、畑仕事の出で立ちを、通用門前で自動シャッター。姿だけはやる気マンマンだが、10分働き引き上げた。

☆12日の昼食。宅配惣菜。天ぷら盛り合わせ・じゃが煮。{タンパク質27.1g、脂質37.6g、塩分3.3g}・・・天ぷらはうまかった。

 

 

☆3号田のスイカとえびすカボチャの成長状況。・・網をかぶせた。12日、午後3時30分撮った。


 

☆(左)Nさんが、スイカに防獣網をかぶせた。完成。15:00写。

☆(右)Nさんが、3号田・電気柵周辺の草刈り。わが輩が仕掛けた捕獲檻が、左にかすかに見える。16:10写。

**夢のように12日が過ぎた。午後10時、入浴。手足を伸ばし、湯を手でかける。風呂は、気候的にもいまが最高。・・生きている実感がそこにある。


<年寄りの冷や水>

  7月13日~15日、3連休。毎日が日曜日のジロ爺さんには、あまり影響がないはずだった。それがそれ、ちょっと違うのだなぁ。ウイークデイは、一人暮らし。掃除、洗濯、朝食、昼食などなど、身の回りのことはみな自分でする。

  さて、休日になると、倅夫婦が、すべてやってくれた。野菜の収穫、草刈り、畑仕事などまでも。・・ベッドインとブラブラ散歩の時間が多くなった。 楽チンだ。

  ところが、7月15日、夕方、草刈り機の刃を変えたのが、いけなかった。ほんのちょっと試しに、草刈りをしてみようと、5号田に登る坂道(フキがはえていたところ、草ぼうぼうの世界)に、草刈り機を回した。もちろん、完全武装をしての行動。

  10分ぐらいで終了。いや、終了と言うよりは、何となく体力に限界を感じて、止めたが本音。

  効果てきめん。15日、午後7時ごろ、右腰に激痛。湿布をしたり、痛み止めを飲んだりして、一人ベッドの上でモンモンとした。休日で、診療はダメ。堪え忍んだ。

  それでも、午後9時ごろに、やっと、痛みも治まってきた。なんとか、夕食をいただくまでに回復した。午後10時ごろ、今度は、左の腰のまわりに鈍痛。・・でも、耐えられぬことはない。・・午後11時ごろには、風呂に入ることができた。

  今回ほど「年寄りの冷や水」を感じたことはなかった。70才代の後半、80才代の中頃にも、「年寄りの冷や水」を味わっている。ブログにも2、3回、記したと思う。

  でも、90才代の「冷や水」は、深刻だった。絶対、ムリは出来ないことを、痛切に感じた。寝たきりの長生きにならないためにも、今後の生き方は、極めて大切だ。ジロ爺さん、どう生きる? 

  因みに、「年寄りの冷や水」は、{・・老人が冷水を浴びるような、高齢に不相応な危ない行為や、差し出がましい振る舞いをするのを、警告したり、冷やかしたりして言う言葉・・}と、定義されていた。 

  

☆(左)7月15日、ほんの5、6mの草ぼうぼうの坂道を、草刈り機で刈った。これが「年寄りの冷や水」となった。

☆(右)7月15日、午後4時ごろ。3号田のトマトを収獲。冷蔵庫に入れて、2日後、17日、午後3時撮った。完熟のトマトになった。ジロ爺さん、得意顔。ちょっと鼻がたかい。 

 
<喜びもある>

  6月14日に仕込んだ梅ジュース。1ヶ月で熟成。7月14日、取り出して瓶にいれた。この梅ジュースは完璧。我ながら自慢したくなるほどコクが深くて美味。3、4倍に薄めて飲用。

  自分でつくった喜びは、年寄りの暖かい水となる。

 

☆小梅1k、氷砂糖1k、リンゴ酢1カップ。6月14日~7月14日、1ヶ月で熟成。
7月17日、15:00写。
**小梅は梅干しに漬けかえて、ただいま、熟成中。「そんなに梅干し作ってどうしてんや?」とは、家の者の意見。「これが長生きに負けない生き方や」ジロ爺さんの心の叫び。


<今年のトマトは上出来>

  7月19日、午前10時30分ごろ、散歩中、3号田のトマトハウスのトマトが2、3個、色づいているのが目にとまった。2日前に収獲したところだが、もがねばなるまい。

  しかし、体も心も、何となくおもい。一つは天候のセイ。気象庁の発表。
{・・東シナ海を北上する台風5号や、梅雨前線の影響で、今日19日から20日にかけて、南西諸島や、西~東日本は雷を伴った非常に激しい雨の降るところがあるでしょう。・・}

  ここ、丹波篠山地方は、雲はおもく、時々ぱらぱらと雨が落ちるていど。風はない。でも、うっとうしい空模様である。心が晴れないのは、訃報の知らせが、次々とコールされてくる。19日は、一年先輩の葬儀の日。葬儀は後輩に託した。同じ校長として暮らした思い出が、つぎつぎに浮かんだ。5、6年前から体調がすぐれないとは聞いていたが、・・ダメだったか。

  19日、午前11時30分頃から、トマトを収獲した。見た目より、実際にハウスに入ると、熟したトマトが多かった。

  収穫後、シルバーカーを押して、帰るとき、ぱらぱらと雨が落ちてきた。

  ハウスのとなりの畝、サツマイモが、一本のえびすカボチャに、おおい尽くされ、何が何だか解らなくなった。たった、一本のえびすカボチャの苗である。3つほどカボチャをみたが、どうなっているのか、見当がつかない。これも、あとのお楽しみというところか?・・

 

☆(左)7月19日、午前11時45分、トマト収穫。完熟。納屋のテーブルに並べて撮った。 

☆(右) 7月19日、トマトハウスのとなり、⒊畝に、えびすカボチャが広がった状況。手前の黄色く枯れた葉が、最初の1本のえびすカボチャの苗。ところどころ、妨獣網をかぶせている。トマトも、スイカも、キュウリも被害はない。カラスの姿は、皆目見えなくなった。


<今年も前庭に夾竹桃が咲いた>

  7月20日、前庭が草ぼうぼうである。いつもみかける蔓草がのび放題。あらゆる草木に巻き付いて天に昇る。・・長靴を履いて畑に入り、ツルを引っ張った。途端に足がもつれ、ツルに足をとられて、前向きにもんどりうって、草むらに倒れた。

  幸い、草むらで、小枝がわが身を守ってくれたようだ。かすり傷ひとつなく無事。事なきを得た。誰も見てないやろなぁ、あたりを見渡した時、ピンクの花に気がついた。

  亡き妻が教えてくれた夾竹桃(キョウチクトウ)だった。「今年も咲いとるやん」・・ジロ爺さん、独りごちた。

 

花が桃に、葉が竹に似ているところから、夾竹桃と名付けられた。非常に生命力のある花で、原爆の広島にいち早く咲いた花で広島市の花になっている。詳細は次のブログを参照してください。
{・・2011,8,6「利口バカ」と「バカ利口」・・2012,7,21「天気が変です」<わが庭の花も満開です>・・2017,7,20「生き方上手」<キョウチクトウ(夾竹桃)>・・2018、7.20「微妙」<夾竹桃・百日草>・・}



  

      

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追憶

2019-07-05 14:41:13 | Weblog

 <絶不調>

  7月になり、体調すこぶる不良。プロ野球の選手で、こんな時「絶不調」と言った人がいた。まさに、わが輩も目下「絶不調」である。反対語は「絶好調」。

  とりわけ7月4日、一日中ベッドのお守り。寝て暮らした。仕事らしい仕事はしていないが、体がだるい。汗をかく。ちょっと散歩しても、何となく気分が重い。少しは梅雨という気候のセイだろうと、慰めもする。

  自分の身の回りのことが、自分で出来るだけマシと思え。でも、7月4日、洗濯モノを干すとき、ぐらついた。なんとか身を立て直して、難を免れたが、転けたらダメとため息。足を上げろ、膝を伸ばせ、腕を振れ、かけ声だけは立派だが、体のシンがだるい。病院へ車を走らせるテ(手段)もあるが、なんとなく億劫だ。 寝ているしか方法はない。

  そんな時、訃報が相次いだ。その一人に、高島忠夫(88才没)さんがいた。


<昭和~平成のエンターテイナー>

  高島忠夫さんとは、関西学院大学で、いっしょだった時期がある。彼は当時は高嶋と言っていた。神戸御影生まれのボンボンで、甘いマスクで人気があった。学校にはあまり来なかった。ジャズに凝って、当時大流行だった社交ダンスの演奏をしていたこともあった。

  2年後、ばったり音信不通。映画入りしたとの話だった。そのうち、ズカガールの寿美花代さんと結婚し名をはせた。雲上の人になった。

  7月1日、午後12時「徹子の部屋」で、緊急追悼番組として、高島忠夫さんが登場した。65才(1995年)、67才(1997年)、69才(1999年)、その時々の対談が放映。甘いマスクと話術には定評があった。

  7月2日、神戸新聞に「昭和~平成のエンターテイナー」と題した記事があった。楽しませてくれる娯楽や催しの仕掛け人というところだろうか?・・「高島忠夫さんを悼む」と題して佐藤利明さんが、追悼文を掲載。彼の業績が詳しく述べられていた。

  でも、晩年は病の連続で、必ずしも幸運であったとはいえないような気もした。ご冥福を祈る。


<わが関学時代を追憶>

  高島忠夫さんが亡くなった知らせで、しきりに、わが関西学院大学(関学)時代に思いをはせた。戦後、昭和24年、新制大学が施行の年。新制高校3年生が受験の権利。高校を卒業しないと新制の大学受験はできない。・・戦後、東京に行き、明治学院専門学校に入学したが、中退した。(当時のいきさつは、ブログに掲載しているので、今回は割愛。)

  昭和24年4月、関西学院大学英文科に入学した。芦屋・打出浜、叔父さん宅の豪邸に下宿。阪神電車、今津で阪急に乗り換え、宝塚線の仁川で下車。大学に通った。・・硬式野球部に入り、捕手をやったが、秋にスライディングで、半月板を痛め、1年で辞めた。わずか1年だったが、藤江君(10年前に他界)とバッテリーを組んだ思い出がある。(藤江君は卒業後、プロ球団南海に入り、川上哲治に一度もヒットを許さなかった。・・後、阪神のピッチング・コーチに就任)

  昭和24年8月、夏休み、藤江君と、わが母校、柏原高校で野球指導した思い出がある。わが家に下宿した。根っからの野球人で、野球のことしか頭になかった。年齢はわが輩より2つ年下。そうそう、阪神のピッチング・コーチ時代、確か昭和56年(1981年)、阪神タイガース、江本投手の「ベンチがアホやから、野球なんかやってられるか」の有名なセリフの場面が、テレビで放映されたとき、ベンチからボールをもって、投手交代を告げる藤江君が映った。

 わが輩は硬式野球をやめて、ソーシャルダンスの同好会をつくった。当時、社交ダンスは大流行。大学3年時代、大阪ダンス協会から、1級の資格免許をもらった。また、ビリヤード(3つ玉)にも凝った。

  高嶋忠夫さんには、ダンスパーティで、1度演奏してもらったことがあった。彼はドラムもたたき、歌もうまかった。確か、モナリザを歌ったと思う。Mona Lisa、Mona Lisa、men have  nemed you.・・はじめの歌詞だけがが頭にのこる。

 英米文学にも凝った。フォークナーのサンクチャリーに取り組んだが、最後までちんぷんかんぷんだった。伊那谷の老子・加島祥造さん(2015年1、92才没)のようには、翻訳できなかった。

 関西学院大学の4年間は、わが人生で、最も輝いた時代、青春謳歌の時代だった。この時代のことは、ブログにもあまり記していないので、いろいろ刺激を受けて、あえて、記した。

  昭和28年3月、卒業。就職試験を受けたが、採用の通知が来て、健康診断、レントゲン検査で不採用。全く自覚症状無し。昭和29年、3月読売新聞社が大阪に新設。合格したが、レントゲン検査で不採用。・・京大医科大学病院、K内科に勤務の義理の兄を訪問。そこで始めて重度の肺結核と診断された。(あとから聞いたが、余命半年だったようだ)・・3年間、国立篠山病院別館(陸軍病院療養所)に入院した。・・たまたま、義兄が国立篠山病院の副院長に就任したのをきっかけに、3年間、療養生活と相成った。

  華やかだった大学生活から、一気に奈落の底に突き落とされた。その時の模様は、次のブログを参照されたい。

{・・参照:2013,1,18「一円の本が来た」<病は人を強くする>・・2017,3,11「短編小説」<乙女の死、仁川忍>・・}

**古いアルバムから、関学時代の写真を2枚、複写掲載した。数少ない写真のほんの一部。

☆(左)昭和24年、8月、突き指で右手を痛めた。手の下に持っているのはバット。バッテングには高評価。

☆(右)昭和26年、芦屋打出浜・叔父さんの家に下宿。たばこなんか吸って、英語の原文を読んでいるところか?


<大丈夫?>

  6月終わり頃から梅雨に入り、絶不調の毎日が続く。今年の夏は、本当に大丈夫なのか? 乗りきれるのか、はなはだ心許ない。

  7月7日、日曜日、わが食卓で、みなでご飯を食べながら、私が、「今年の夏をこせるだろうか?」と、ボソボソ言うと、倅の嫁が、「いつも、そう言ってられますが、それだけご飯が食べられたら大丈夫です」一刀両断。・・「それに結構、車でお出かけです」

  確かに、ご飯は全部いただく。時々、車で買い物に行ったり、予約検診には、キッチリと、忘れずに行く。・・ただ、畑仕事が、とてつもなくシンドイ。野菜の収穫もままならぬ有様。それが悔しい。ついつい、ベッドで横たわる時間が多くなる。汗をかく。エアコンは使用しない。扇風機を弱にセット。なんとか息づく。

  今年の梅雨はいつあけるのか?  朝食、昼食、食器洗い、洗濯など、朝の仕事はなんとか、ひとりでやれる。ただ、食器洗いなど、立ち仕事は、長時間はムリ。PCなど、腰掛け仕事は30分は可能。

  解った。要は立ち仕事がムリなんだ。腰、膝に負担がかかる仕事はムリなんだ。でも、コソコソした仕事はできる。シルバーカーに腰かけての仕事は、なんとかできる。

  結論。・・90才、それでいいのと違う。ノロノロ、コソコソで、この夏を乗りきろう。 


<夏野菜の収獲はたけなわ>

  7月6日、土曜日、夕方、倅の嫁が、夏野菜を収穫。見事なもの。思わず、呟いた。「いこう、いこう、と思っとたけど、ゆけんかった」・・「毎日、収獲しないと、ダメです」・・これも一刀両断。

  7月8日、わが輩が、午前10時ごろ、1、2、3号田の電気柵の入り口を開けて、野菜などを収獲。 わずか30分、疲労困憊。・・30分の休憩で回復。・・その時、急用あり、車をとばす。何故だろう?車の運転するのが大変楽チン。快適だ。だが、高齢者の事故多発。社会問題視されているので、無言。

 

☆(左)7月6日、午後4時30分、倅の嫁の収獲。キュウリ、ナス、ピーマン、マンガンジ、トマト、ウリ。写真は午後7時ごろ撮った。

☆(右)7月8日、午前10時30分から11時、約30分で、わが輩、ジロ爺さんが収獲してきた、ウリ、トマト、キュウリ、ナス。見事な朝市。12:30写。 ・・しかし、キイ婆さん時代は、この3倍の収獲があったゾ。  


<バラの剪定>

  2、3年の間に、わが庭のバラの木が、私の背丈をはるかに越えた。手もとどかなくなった。剪定をするべきだが、要領が判らない。ネットで調べたが、今一つ不明瞭。

  ふと、Yさんを思い出した。10年程前に、わが近くの集落に、空き家を手に入れて、夫婦で引っ越して来た人。「農村でバラ園を作ってみたい」との話。

  10年も経てば、まさにバラ園であった。家の周りは見事なバラが咲き誇っていた。彼は私の無農薬の野菜作りに興味をいだいていた。微生物をバラに有効利用できないかということで、交流を深めたことがあった。

  2年ほど、出会っていなかったが、彼のバラ園を見て、さすがやなと口ずさんだ。

  7月8日、日曜日、午後4時ごろ、夫婦でわが家にやってきてくれた。その時、奥様から、バラを寄せ集めた花鉢をいただいた。「ほんの出かけに、咲いていた花を摘んで集めたものです」との話。びっくりした。嬉しかった。

  そして、わが家のバラの木を、少し手入れをして、「冬に、剪定してあげます」との話。バラには一季咲き、二季咲き、四季咲きとあって、わが家のバラは四季咲きだそうだ。

  心から、バラの博士に、頭を下げた。感謝!

 

☆7月8日、わが庭の背丈を越えたバラ。午後4時ごろ撮った。

☆Yさん夫妻持参のバラのアレンジメント。嗅覚の鈍いわが輩にも、バラの香りの芳醇が伝わる。聞くところによれば、香水のほぼ100%にバラの香りが使われているとの話。16:30写。

  バラについては次のブログにも記載。・・バックナンバーで開くと早いです。

{・・参照:2011,5,25「5月の花素描」<バラの花>・・2014,5,18「無知を知る」<今年もバラの花が咲きました>・・2018,5,20「必死」<わが朝食と日本晴れ>・・} 

 

<心・こころ>

  言葉に表せないものに「心」がある。

  家内が亡くなって、1年半年が過ぎた。感心することの一つを述べる。

  倅夫婦は、毎日、帰宅すると、仏壇まえで、線香をたて、手をあわす。水とご飯を供える。 一日も欠かしたことがない。また、孫も帰宅すると、必ず仏壇のまえで、手をあわす。

  私たちが結婚したのは、昭和35年(1960年)、家内はそれまで祖父と二人きりで生活してきた。その、祖父が亡くなったのが昭和41年(1966年)。・・約5年、私たち3人と子供2人、まあ、5人が、ともに暮らしてきた。

  祖父は大変言葉少ない人で、無口、勤勉、謙虚を地で行く人だった。毎朝、仏壇の前で線香をたて、お祈りしていたように思う。

  私は、盆と正月、春分、秋分に、仏壇の前に座るぐらいで、毎日、手を合わせたことはなかった。家内は、祖父の死後、51年、私と共に暮らしてきた。祖父は81才でなくなった。いみじくも、家内は51年後、81才で亡くなった。

  家内は祖父の姿を見て育ってきたのだと思う。

  いま、倅夫婦は家内の姿をみて、暮らしているのだろうか? 倅夫婦は時々言う。「お婆さんはこのようにしとったった」

  私が実行しなければならないことを、倅夫婦が実行している。私は気が向けば、線香をたて、般若心経をとなえ、南無阿弥陀仏で締めくくる。あまり気が向かない。私には信仰心がないのだろうか? ・・昔はよく言った。「こころで祈っとる」

  それは、本当に祈りを捧げたことにはならない。懺悔の気持ちでいっぱいである。ほんまに懺悔していますか?

  私は長い間、教育の仕事をしてきた。体で教えたこともある。心をこめて説いたこともある。所詮、それは給料という仕事のセイだったのだろうか。・・本当の教育は、黙って後ろ姿を見せる家内の姿ではないだろうか。心が通じ合うとき、そこに教えという、こころが育ち、はぐくむのではないか、・・ふとそんな気がして、仏壇に線香をたてた。

  7月9日、午後8時、記す。


<追憶の彼方>

  7月10日、午後4時、O病院眼科の予約検診。最近、目がかすみ、目やにがでる。検査を受けた。眼底・視力とも異常なし。かすみと目やには、気候のセイかも、と言うことで、目薬を処方。

  帰宅後、2号田のマクワウリ、3号田のトマトを収獲した。ワレながら上出来と胸を張った。

  7月10日、午後11時に就寝。少し蒸し暑いので、扇風機をつけた。お休みタイム、2時間弱にセット。・・いつの間にか眠っていた。夜、トイレに起きた。午前3時。よく眠れた感じ。それは良かったが、トイレの帰りに、食卓に座ったのがいけなかった。目の前に、梅酒があった。大さじいっぱい、杯に入れて口に含む。飲まない。口の中が芳醇に満たされる。そして、一滴づつ、喉を越す。その感覚がたまらなく、何とも表現しようがないほど、ともかくまろやかだ。(亡き妻の作品である)

  夜の静けさの中に、生きている実感が胸にせまる。・・同時に、過ごし来し思い出が心をとらえる。私を、追憶への彼方にいざなった。箇条書きにする。

(1)弱冠30才で、余命半年と宣告され、死んだ自分がそこにいた。

(2)病院で、知り合った妻と「同病相哀れむ、二人で一人」と、誓い合って結婚した自分がそこにいた。

(3)大阪万博時代、元気だった、上半身裸で、中学生に野球を教えた。監督。強いチームをつくったなぁ。野球理論は、野村監督より上だろうなぁ?

(4)平成元年、めでたく定年退職。妻に言った。「退職金はすべて貴女のモノです」「離れの小屋を建てましょう」・・・(この家が倅夫婦の住宅となった)

(5)結婚して50年、神戸新聞社から金婚のお祝いと、写真と表彰状をもらった。81才、73才。

(6)そして、そして、2017年、11月14日、最愛の妻が、私の腕の中で、先に逝ってしまった。

(7)一人で身の回りの世話をやっているジロ爺さん。2018年には胃の手術(ポリープ摘出)をした。その後、一度も病院に行かず、そのまま。治ったのかなぁ?・・まあ、飯がめっぽううまいから大丈夫だろう。

**森羅万象、「いま」と言う一瞬の「時」があるだけだ。ああ、ヒルティの「眠られぬ夜のために」を、思い出した。でも、彼は敬虔なクリスチャンだ。横目でながめるしか方法はない。

**ジロ爺さん、ベッドに入らないと、風邪をひきますよ。夜風がつげる。・・おっと、現実に戻ろう。・・それからベッドに横になったが、目が冴えて眠れない。・・そのうち、朝方、うとうと。・・いつの間にか、夜が明けた。

  

☆7月10日、マクワウリとトマト。午後4時20分撮った。

☆7月11日、午前3時頃の梅酒。コーヒーの容器に入れ替えてくれたのは、義理の娘。キイ婆さんの作った梅酒のツボが3つある。


 

☆平成21年(2009年)5月10日、金婚夫婦の表彰状と記念写真。表彰状の絵は孫娘が書いたものが、新聞社より送られてきたものを添付。81才、73才。約10年前の話。ちょうど、ブログ開設一年後、{‥参照:2009,5,11「金婚夫婦祝福式典に参列」・・}詳細に記載。開いてください。バックナンバーで。





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謳歌

2019-06-25 16:24:19 | Weblog

<存分に楽しんでください>

  今回のタイトルは謳歌。

  卆寿の旅を歩むわが輩にとっては、今少し不釣り合いな言葉。PCで検索すると次の3点が説明されていた。
(1)声をそろえて歌うこと。
(2)声をそろえて褒めること。
(3)恵まれた幸せを楽しみ喜び合うこと。存分に楽しんでいる様子を表す。

  それにしてもPC(personal computer)はモノ知りである。図書館に行く必要がない。平成元年、吾輩の定年退職時、退職記念にワープロを購入した。平成10年、中央公民館生涯学習・専任指導主事を退職した時(すべての役職から身を引く)、一台のPCを買った。皆が言った。「ワープロにしとき」・・でも、わが輩は忠告を無視して、パソコンを買った。

  爾来、20年、PCの世話になった。とりわけ、満80歳、傘寿記念に、ブログ「八十路の旅」を開設した。「できる、gooブログ」の解説書一本やりで、取り組んできた。(ときどきプロの手をお借りしたが・・)そして、今は「卒寿の旅」を歩んでいる。謳歌しているというといい過ぎかな?

  もちろん、わが輩の謳歌は(3)の「存分に楽しんでいる様子を表す」ということになるのかなぁ?


<朝食・買い物に行った>

  6月25日、起床7時30分。朝食にとりかかる。一切れのパンにマーガリンとイチゴジャムをつける。コーヒー豆乳と、河内晩柑、3つの赤いのはプラム。プラムは昼に残した。

  朝の仕事がスムーズに進行。時計は10時30分、「よし、今から河内晩柑を買いに行くぞ」・・着替えて出かけた。義理娘が、買ってくれた河内晩柑が、常用してきた甘夏と同じくらい密度が濃くて美味。味を占めて買いに行ったわけ。 

 

☆(左)6月25日、朝食の晩柑。皮をむいて、実だけにするのに時間がかかる。ハサミを使用、ぶくろを除く。パン食では、欠かせない副食。うまい。

☆(右)6月25日、午前11時30分、Bスーパーで晩柑3つを買って、ショッピングカートを押して、出ようとしたとき、知り合いの女の方に出会い、シャッターをきってもらった。

 

<わがPC・1号田のナス、ピーマン>

 

☆(左)今、使用中のわがPC。この一台のみ。モノ知りです。知らぬことは一つもない。検索するだけで、すべてヒット。いま、PCなくしては生活できないのではないか。ちょっと、不安。6月25日、14:30写。

☆(右)1号田のナス・ピーマン。両端に杭を打って、一本の竹竿をわたしている。ナス・ピーマンの支柱。・・・かなり大きく育ってきた。花も咲いた。6月25日、14:50写。 


<わが家の謙虚なガクアジサイ>

  わが家の3号田、電気柵の電源の隣に、ガクアジサイが咲いている。まだ蕾もあるので、満開はこれからだろう。溝のところに毎年咲く。もちろん冬場は枯枝ではだか。春先から緑の葉をつけ始める。

  ちょっと変わったアジサイだが、風流である。6月25日、9:45写。 

 

☆ガクアジサイをネットで検索した。次のごとし。

{・・ガクアジサイの特徴は花の形です。中心に集まっている小さな蕾のようなものが花びらで、その外側にはガク(葉っぱが変化して花を守る部分)が、大きな花びらのようについています。この様子が額縁に似ているところから「ガクアジサイ」と名付けられました。・・}
{・・ホンアジサイは「移り気」「浮気」「高慢」というネガティブな花言葉を持つのに対して、ガクアジサイの花言葉は「謙虚」となっています。これはホンアジサイよりもガクアジサイの方が、装飾花の数が少なく、その姿が謙虚に見えることにちなんでいるとされています。・・}


<玉水ゆり園のユリが咲いた>

  6月25日、1号田の土手に白ユリが咲いた。これは、昨年7月初旬、篠山・玉水ゆり園を鑑賞した時、店長Mさんから5本のユリ苗をいただき、植えたモノ。1年経って5本ともついた。黒、橙色、ピンク、茶色の花が、それぞれ咲いたが、咲くや否や、害虫に食べられた。最後に白のユリが咲いたワケ。 やっぱり、花も忌避剤をかける必要を感じた。竹酢液の希釈液でもよいが、わが輩は椿の油粕、また、ニームを持っているので、今後はそれを活用予定。

  ゆり園鑑賞記録は、次のブログを参照されたし。{・・2018,7,6「虚空」<{篠山・玉水ゆり園を鑑賞>・・} 

  

☆6月25日、朝から快晴。・・午後6時ごろ1号田電気柵の外側に咲いた白ユリ。昨年の球根から咲いた。丁度、夕日が夏栗山の稜線に沈んでいくところだった。18:30写。

 

<夕日が沈む>

  1号田の白ユリを眺めていると、夕日が沈むところだった。夕日、8分の模様、4題。

 

☆(左)裏庭から、木々の間・葉隠れに夕日が映っていた。この角度から夕日を撮ったのは、はじめて。
6月25日、18:37写。

☆(右)家の前庭からシャッター。黒い影は夏栗山(なつぐりやま)。・・山の左肩稜線に沈むところ。ピンク模様はハレーションか?ZOOM40mで撮った。18:42写。 

 

(左)2号田の電気柵のところから撮った。もみの木の葉隠れの夕日。すごい光りだ。18:43写。

(右)あっという間に沈んだ夕日。あとは夏栗山の稜線がくっきりと聳える。白い線は飛行機雲だろう。
18:45写。


<一人今を生きる>

  6月終わりの週、一日一日が、90才のわが身を、けずるように過ぎていく。時候は今が一年で、一番いいときかもしれない。パジャマ姿で、ちょっとした仕事ができる。秋のように寒くなるのと違い、暖かくなるので、風邪はひきにくい。

  6月26日、一日中晴れた。洗濯日和。PCの閲覧など、朝の仕事の終わりは、午前10時。・・やっぱり疲れた。ベッドでごろ寝。蒸し暑い。部屋の温度は℃23。

  漠然とテレビを観ていると、関西地方もやっと梅雨入りが宣言された。{・・気象台は関西・近畿地方の梅雨入りを発表しました。過去もっとも遅い梅雨入りの記録を更新しました。・・}

  加えて、寒冷前線が日本列島を縦断すると報じた。27日には、寒冷前線が台風になったと発表。令和1号との話。・・それに、「G20 OSAKA SUMMIT 2019」の、交通規制報道がテレビをにぎやかにしていた。

  大阪城が映る。かって、妻とアベックで2度も3度も大阪城へ足を運んだ。思い出がそよ風のように、私の胸をくすぐる。昭和、万博時代だから、半世紀前の話だ。・・妻は逝ってしまった。・・太閤さんではないが「夢のまた夢」と呟く。


<一人で今を生きながら、気をつけていることが3つある>

(1)誤嚥に注意。ご飯の時はもちろんだが、飲み物を飲むときも、しっかり頭に「今から食べます。飲みます」と指令を発するようにしている。もちろん、首の運動もしている。 水を飲む時にも、むせるので要注意だ。

(2)転倒しないこと。出来るだけ、かがとのある靴を履くようにしている。室内でも、転ぶことがあるので要注意。転けたら終り、と心がけている。それでも、よろめく。

(3)毎晩、風呂に入る。長湯はしない。この頃は40度が適温。ついつい長く浸かる。ただ、だた数十秒でもいい。自分で風呂を沸かし、どっぷりと浸かることは、至福の極み。風呂の時期も今がいい。調子にのらないこと。ふらつく前にあがる。風呂の場合、危険を伴うが、楽しみの部分もある。

<楽しみも3つある>

(1)午後、昼寝とテレビ。正午から、「徹子の部屋」、暴れん坊将軍吉宗などを観る。午後1時~2時までの、韓国ドラマを観ること。「トンイ」も終わり、ちょっと淋しいが、中国ドラマもあり、昼寝時のゴールデンタイム。

(2)夏野菜と散歩。キュウリの収獲。体の調子をみて働くこと。たとえ10分でも、畑に出ることは、楽しみだ。加えて、自家用車を運転して、ショッピングに出かけること。デートできれば最高だが・・?

(3)PCを開く。他人のブログを開く。自分のブログを作成する。時間制限30分をめど。読書。


<マクワウリの生長・
ナス、ピーマン、マンガンジ、最初の収穫>

  楽しみの一つ、散歩の足を2号田に向ける。隣のマクワウリがかなり大きくなった。(キュウリの収穫はすでに5回ほど)

  6月29日、午後7時ごろ、倅の嫁が 1号田のナス、ピーマン、マンガンジを収穫。思わず言った。「りっぱなもんやないかい、誰が作ったんや?」・・それが余分の言葉なんだ。

 

☆葉がくれに顔を出したマクワウリ。6月27日、10:00写。

☆収穫のナス、ピーマン、マンガンジ。6月29日、19:10写。
(畑の様子は上述:<わが
PC・1号田のナス、ピーマン>を参照してください)


<気晴らしにユリ園に行った>

  ここ、丹波篠山地方は、7月になって、天気の日は一日もない。梅雨空が続く。気分もすこぶる重い。でも、時として、急に重い腰を上げて、畑にでて、夏野菜の収獲をする。ドッと疲れがでる。ベッドイン。

  7月2日、午後4時過ぎ、気晴らしに、篠山・玉水ゆり園・あじさい園に行った。自家用車が3台のみ。空いていた。午前中は大型バスが10台きて、超満員だったようだ。

  見物客は、数人。いつもながら地の利を得て、ゆっくり鑑賞。・・でも、かなり歩いた。30分で充分。

  昨年、7月6日に、始めて鑑賞に行った。その時の様子は、次のブログに掲載している。
{・・2018,9,6「虚空」<篠山・玉水ゆり園を鑑賞>・・} 

 

☆ゆり園、入り口の左と右のゆり。60種、10万本だとか。7月2日、16:05写。


 

☆入り口から数十メートル歩いて、左と右のゆり。60種。10万本も納得。16:15写。


  

☆ゆりの次のコーナー。案内標識の通り、ゆりの遅咲きと中咲きを巡る。ゲートを通り抜けるとアジサイが満開であった。かなり広い場所に咲き誇っていた。たまたま、神戸からお越しの二人のお嬢さんに、撮ってもらった。
16:20写。・・ドームで一休み、球根を買った。顔見知りの園長から、ゆりの球根を追加していただいた。


<今年も、桔梗(キキョウ)が咲いた>

  今年も、キイ婆さんが、ずっと世話していた前畑の桔梗が咲いている。この花は、テッセンと違って、花の命は長いようだ。7月終わり頃まで咲く模様。

 

☆キイ婆さんが立てた支柱が倒れたので、新たに4本の支柱をたて、ナイロン紐で目印にした。桔梗を見るたびに思い出す。テッセンだ。色合いがよく似ている。フェルメールの絵。「青いターバンの少女」。居間のテレビの上の壁に飾っているので、自然に毎日目にする。
{・・参照:2016,7,3「はや半年が過ぎた」<桔梗(キキョウ)が咲く>・・2017、7,20「生き方上手」<キキョウ(桔梗)>・・} 


<ゆりの球根を植えた>

  7月2日、午前11時過ぎ、篠山、玉水ゆり園を訪問をした時、手に入れたゆりの球根を、バラの木のとなりに植えた。盆過ぎに咲くとの話。昨年のゆりが今年みごとに咲いただけに、何となく楽しみだ。
  ところで、午前11時ごろから、植え終わったのは11時30分、・・30分も要していない。腰が痛くなり、トコトン疲れた。・・少し、土を耕し、6個の球根を植え、土をかぶせ、肥料を入れ、椿の油粕をまき、2ℓ活性液を注いで終了。
  這々の体で、部屋に戻り、ベッドイン。・・午後12時半頃、やっと回復、昼食。・・今更ながら体力の衰えを痛感。こうして身をけずりながら、90才の坂道を下る。そう、死に急ぐこともなかろうと言う気も、そこそこある。

 

☆ゆりの球根と植えた場所。ほんの2mぐらいの空き地に植えた。こんな遊びのような仕事に疲れるとは何事ゾ!  叱咤激励するも、むなしさだけが、梅雨空にひびく。7月⒊日、11:30写。

 



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