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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

リンゴの存在理論

2011年07月02日 | xx5存在は理論なのか

Almatadema_the_roses_of_heliogabalu この現実世界は本当に存在するのか? 現実の中に私は生きているのか? 私が死んでも現実は変わらずに続いていくのか?

これらの疑問は、つまりは、ここにあるこのリンゴは本当にここにあるのか、という問題です。

拙稿の言葉遣いを使えば、これは次のような問題になります。

このリンゴが存在するということはどういう理論なのか?

そもそもこのリンゴが存在するということは理論なのか?

私たちはなぜこのリンゴが存在するという理論を信じているのか?

このリンゴが存在するという理論はいかにして成り立っているのか?

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現実は存在するか

2011年07月01日 | xx5存在は理論なのか

さて本章のまとめとして、現代人の私たちは、長い歴史を持つ哲学のこういうテーマに関してどう考えればよいのか? というより、拙稿としては本章をどうまとめれば読者に次章を読む気にさせることができるのか?

拙稿本章の議論の流れでは、ここにあるように思える現実世界は本当に存在するのか、という(哲学らしい)問題をいろいろな側面から、またかなり真面目に正面からも取り上げてきました。そしてそうすることで、古来の哲学の諸問題といわれている存在の問題、自我の問題、他者の問題、そしてそれらに付随する生死あるいは人生と世界の存在問題などが解けていく可能性を調べてみました。

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ドライな思想風景

2011年06月30日 | xx5存在は理論なのか

Almatadema_the_education_of_the_chi ここに見えるリンゴに反射する光エネルギーがいかにして観察者の脳神経系の連鎖的活性化を引き起こすかという問題は科学であるけれども、ここに見えるリンゴは本当に存在するのか、という問題提起は科学ではありません。哲学の対象でしょう。科学の問題は科学と技術が発展していけば、いつかは答えが見つかる。しかし哲学の問題と思われるものは、たぶん答えがない。

現代科学は現象から帰納的に原因を推定し理論を作っていく。その理論によって逆に現象を予測しそれが当たっていればその理論を科学とする。それだけのルールで着々と進んでいきます。存在の問題などはおいてけぼりにされます。存在は本当に存在しているのか、などとつぶやいている拙稿などあっというまに時代から振り落とされるでしょう。まさに、答えの出ない哲学など無視して科学と経済は進んでいく、という現代のドライな思想風景はここからきているともいえますね。

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リンゴが観測できるわけ

2011年06月29日 | xx5存在は理論なのか

現実世界の存在を大前提にすれば、当然、リンゴがここにあるからリンゴが目で見える、ということになります。リンゴの科学を進める場合、リンゴがここにあるからリンゴが観測できる、というところからまず議論が出発するでしょう。そして網膜に映る映像から脳神経系はどのようにしてリンゴが存在することが分かるのか、という近代認識論から引き継いだ現代認知科学の問題が出てくる。それはそれで科学として重要な課題になっています。

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物質の実在という前提

2011年06月28日 | xx5存在は理論なのか

Almatadema_tepidarium_lawrence_al_4 近代哲学から現代哲学への過渡期と見ることもできる十九世紀後半の西洋哲学は、勃興する科学の影響を受けて、現象から帰納的に原因を推定し、あるいは感覚情報から世界の実在を推定する理論を作っていきました(たとえば、一八八三年 フリードリヒ・ニーチェツァラトゥストラはかく語りき』既出、一八八六年 フリードリヒ・ニーチェ善悪の彼岸)。これらの理論によれば、世界は現象から理論によって推定され、現象と理論の整合性によって存在を推測される、とされます。現代科学は、本質的にこの時期の哲学を下敷きにしているとされています(一九八三年 カール・ポパー『現実と科学の狙い』既出)。

実際に科学を進めている現場の科学者はずっと素朴で、科学哲学や科学基礎論などに深くかかわる気はなく、単純に現実世界の存在を大前提にして理論を組み立てています。現在最先端の宇宙論や脳科学や認知科学も当然、物質の実在という同じ前提を使っています。

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