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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

神様の存在の必要性

2011年07月07日 | xx5存在は理論なのか

昔から宗教で問題になっている神様の存在にしても、同じことが言えます。神が必要な場合には神が存在する。神が存在するという理論を私たちが信じる。それを信じるように私たちの身体は作られている。神の存在を現す宗教の施設が作られる。宗教の活動が営まれる。それに関連した職業を持つ人々が存在する。そうしてその場合、とうぜん、神は見える。つまり私たちの前に現れるでしょう。あるいは目では見えないにしても身体で感じられるはずです。逆に私たちの身体にとって神が必要でない場合には神は存在しない。現れない。つまり目に見えない。身体で感じられない。必要なものは感じられる。感じられるものは存在する。感じられないものは存在しない。

拝読ブログ:神の存在証明について。:

拝読ブログ:デカルト的、神の存在証明

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ダークマターの研究

2011年07月06日 | xx5存在は理論なのか

Almatademaancientegypt 宇宙のダークマター(暗黒物質)は観測できない。だからダークマターは私たちの身体に必要ない、と言えるような気がしますね。しかし一方、銀河の広がり方を観測するとダークマターが存在しなければ納得できるような物理学理論が成り立たない。こういう場合、どう考えればよいか? 物理学理論は私たち現代人の文明生活に必要である。その理論が成り立たないような現象があっては困る。そういう理由でダークマターは必要である、といえます。私たちの身体にとって、そういう理由で宇宙のダークマターが存在することは必要であります。よって、ダークマターの研究は世界中の職業的物理学者の仕事になっています。つまりその研究資金が政府の負担で、あるいは社会の負担で、支出されているという事実がその必要性を現しているといえます。

拝読ブログ:ダークマター 

拝読ブログ:疑問考 - 未知と既知の境界線 ダークマターの存在

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見えるべきもの

2011年07月05日 | xx5存在は理論なのか

逆にいえば、私たちが、それが存在していることを目で見て、あるいは手で触って知ることができないものは、はじめから私たちの身体がそれを必要としていない。目で見ることができるものは、それが見えることが身体にとって必要だから見える。つまり、見えるべきものは見えるし、見えるべきでないものは見えない、というだけのことです。

拝読ブログ:科学的とはどういう意味か/森博嗣

拝読ブログ:物書きは、この未曾有の大惨事にたじろぐべきだ

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リンゴとして存在する

2011年07月04日 | xx5存在は理論なのか

Almatadema_unconscious_rivals_1893 そう考えれば、リンゴが存在することを目で見て手で触って私たちが知ることができるのは当然です。リンゴは(拙稿の見解によれば)、はじめから、私たちの身体にとってリンゴとして存在していることが必要であるから、私たちの身体がそれを リンゴとして感知するのである。そのような場合、しかもそのような場合に限り、リンゴはリンゴとして存在する。

拝読ブログ: ねんざ

拝読ブログ:映画『 アンダルシア 女神の報復 』感想

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理論を信じる

2011年07月03日 | xx5存在は理論なのか

この問題に関して、拙稿の見解をまとめると、こうです。

まず私たちの身体が栄養源としてリンゴを必要とするところから話がはじまる。リンゴが存在することが私たちの身体にとって必要だからリンゴは存在する。そのようにして存在するからリンゴは私たちの目に見えるようになる。また手で触れるようになる。そうして存在するリンゴを私たちの目が見たり手が触ったりするということが、私たちには分かる。そのようにリンゴが存在するからその存在するリンゴを私たちの目が見たり手が触ったりする、という理論を私たちは信じている。そういう理論を信じることが必要であるから私たちの身体はそういう理論を信じるように作られている。

拝読ブログ:Literature Reviewのプチ書き方講座(60

拝読ブログ:再読:「ウェブ×ソーシャル×アメリカ――〈全球時代〉の構想力」

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