昔から宗教で問題になっている神様の存在にしても、同じことが言えます。神が必要な場合には神が存在する。神が存在するという理論を私たちが信じる。それを信じるように私たちの身体は作られている。神の存在を現す宗教の施設が作られる。宗教の活動が営まれる。それに関連した職業を持つ人々が存在する。そうしてその場合、とうぜん、神は見える。つまり私たちの前に現れるでしょう。あるいは目では見えないにしても身体で感じられるはずです。逆に私たちの身体にとって神が必要でない場合には神は存在しない。現れない。つまり目に見えない。身体で感じられない。必要なものは感じられる。感じられるものは存在する。感じられないものは存在しない。
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拝読ブログ:デカルト的、神の存在証明