拙稿の見解によれば、これら古典哲学から中世の神学を経て近代哲学に至る華々しかった形而上学的な論争は、残念ながら、恐竜のように滅亡してしまって今日に子孫を残していません。近代哲学が中心的な問題としていた存在論と認識論、観念論と経験論の論争なども、現在では化石のように過去の哲学史として残っているだけといえます。
これらの哲学論争は、はじめから現実世界の存在を大前提にしています。そうすると現実世界を感知する感覚器官のアウトプットは何か、などという問題が派生してくる。視覚とは何か?触覚とは何か?それらと現実世界との関係はどう考えればよいのか?視覚と触覚の統合は可能か不可能か?などの諸問題が出てきています。
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