うまいことに、私たちの身体は、現実を一つしかないと感じる。それで、私たちは身体を動かせる。逆にいえば(拙稿の見解では)、私たちが身体を動かすときにつかう現実だけが現実と感じられる。
この身体感覚としての現実感、これだけが、現実は一つしかないということの根拠です。現実は一つしかない、と私たちが感じるということは事実です。けれどもそれだけを根拠に、この現実だけが本物だ、ということはできない。
たとえば、現実1と2と3は、場合によって、どれも現実と感じられる。ある瞬間に感じられる現実は一つだが、数秒後には、べつの現実が本物だ、と感じたりします(たとえば、ネッカーキューブ、既出)。直観ではそのときそのとき、現実がその一つしかない。しかし論理的にはいくつもの現実があるというのはおかしい。そのうちの一つだけが現実だ、という根拠はない。どれがニセモノだということもできない。ここに、私たちの直感と論理との矛盾がある。
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