goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

行為は観察者の内部にある

2009年12月29日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

つまり、ケニヤの草原でライオンがシマウマを襲う場合も、台風が九州地方を襲う場合も、経済不況が中小企業を襲う場合も、「襲う」という言葉を使う人は、それがそれを襲う目的を知っている。XがYをする、という形で物事の認知をするとき、私たちはXがYをする目的をすでに知っている。

逆に言えば、台風が九州を襲う場合、気象現象である台風は自分が九州を襲う目的を知らない。この光景を観察している人間が台風の行為の目的を知っている、ということでしょう。

観察者が台風の行為の目的を知っているかのごとく、その行為を「台風が九州を襲う」と表現している。この場合、「襲う」という表現は比喩として使われている。台風のなす行為の目的は台風の内部にはなくて、その行為を遠くから観察している人間の内部にある。台風のその行為を、言葉で述べようとする人間の内部にある。台風の観察者は「台風が九州地方に襲いかかり、大災害をもたらした」と実況ニュースで述べる。あるいはブログに書く。つまり、拙稿の見解を使えば、「襲う」という行為は台風の内部にはなくて、それを観察し叙述する人間の内部にある。

XがYをするとき、そのことを「XがYをする」と言うのは、その話し手が、XがYをする、と思っているからです。

拝読ブログ:相対性理論をわかりやすく説明してみる(2)

拝読ブログ:マイナークラブハウスの森林生活」木地雅映子

コメント

不況が「襲う」

2009年12月28日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_bisharinwarrior 

深刻な経済不況が中小企業を襲う場合、私たちは問題なくこの状況を理解できる。深刻な経済不況が中小企業を襲うとどうなるのか、中小企業のオーナーや働く人々にとって非常に困ったことになることはだれもが予測できる。私たちは、そういう予測を共有しています。

その予想される事態が、経済不況が中小企業を襲う(という比喩としての)目的です。経済不況は人間ではありませんから、中小企業を苦しめたいなどいう意図は持たないでしょう。しかし中小企業の苦しみに思いを寄せるとすれば、経済不況はその人たちを苦しめるために襲ってきた、害を与えるために来た、と思いたい気持ちが分かる。だから、「襲う」という比喩が使われるのです。そこを考えると、やはり、経済不況は中小企業を苦しめたいという目的を持ってそれらを襲う、と言ってよいことになる。

拝読ブログ:第二章 激動の時代: 中村紀雄(中村のりお)の議員日記

拝読ブログ:今日の献立(横浜市大病院)

コメント

無生物の目的

2009年12月27日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

私たちが言葉で「XがYをする」というとき、Xが人の場合もあり、Xが動物の場合もある。人類の言語では、言葉で言えるもの(概念)は、何でもXになれる。では、Xが無生物の場合、たとえば台風が九州地方を襲う、という場面についてはどうでしょうか?

どういう運動目的イメージが、この場面で使われるのか? 気象衛星「ひまわり」の写真のような日本列島周辺の雲の動きをイメージするのでしょうか?

では、深刻な経済不況が中小企業を襲う、という場面はどうか?

この場面を表す運動目的イメージはあり得るでしょうか? 経済不況という何か巨大で真っ黒い化け物のようなイメージが無数の人間集団の上から覆いかぶさってくる、というような絵になりますかね。マンガ家はこういうものも絵に描きます。私たちは、こういうものもなんとなくイメージできる。そのイメージはだれのものとも同じようなものだという確信も持てます。人間はだれでも、このような運動目的イメージを持てます。

拝読ブログ:明神山(ユヤノ沢)

拝読ブログ:景気循環

コメント

目的を見取る→言語化

2009年12月26日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_arabgirlwithwaterpipe

男が女を追いかけているからといって、襲おうとしているとは限らない。だいたい、人間以外の場合、動物のオスはメスを襲ったりしない。メスに害を与えるようなオスは子孫を残せないからですね。害を与える目的で追うのでなければ「襲う」とはいえない。

ある行為を観察してそれを言葉で言い表そうとしている観察者は、その行為を見るとき同時にその行為の目的を見取るから、その行為について言葉で言い表せる。

もっと一般にいうと、Zという人が「XがYをする」と言う場合、Zは、YをするXの目的が分かっている。観察者Zは、YをするXの気持ちが分かっている。ZがYをするXの気持ちになって、XがYをしようとする目的が分かって、だからXはYをするのだと思って「XがYをする」と言うところから(拙稿の見解では)私たち人間の言語はできあがっている。

拝読ブログ:煙になった言葉

拝読ブログ:脳科学者Jill Bolte Taylor博士のスピーチ

コメント

A君が泥棒でB子が警官

2009年12月25日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

たとえば、A君がB子を追って走っているのを見ても、C氏が、A君がB子よりも全然弱くて、どんな場面でもB子に打ち倒されてしまうに違いないと確信している場合、C氏はB子を襲うA君の目的が分からない。たとえば、A君が泥棒でB子が警官であることをC氏が知っている場合、しかもA君の体重がB子のそれの半分に足りないというようなケースですね。

そういう場合、C氏はA君がB子を襲うとは思わないから、「A君がB子を襲う」と言うはずがないのです。そのかわりに、たとえば「A君がB子に追いすがる」などと言うでしょう。

拝読ブログ:Fear of Knowledge

拝読ブログ:やったぁ~

コメント