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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

意識行動=目的行動?

2010年01月04日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

しかも、何かが何かを襲う、という場合だけでなく、何かが何かをする場合、いつでもそうだといえる。

つまり、どんな場合でも、「XがYをする」というとき、(拙稿の見解では)XがYをする目的はXの中にはなくて、「XがYをする」という言葉を発する話し手の内部にある。

しかしながら、Xが大人の人間の場合にも、XがYをする目的がXの内部にはない、という拙稿の見解には納得できない読者は多いでしょう。たしかに私たちは、自分自身を含めて(大人の)人間はだれも、意識を持って行動する場合には目的を考えて行動している、ように見える。目的を達するために行動しているように見えます。赤ちゃんはともかく、大人の人間が手足を動かす場合、それはなんらかの目的を持って動かしているはずだ、と思えますね。

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観察者の内部

2010年01月03日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_tigeronthewatchii 

PがQを襲う、と言うとき、PがQを襲う目的はPの内部にはない。Pの内部にはなくて観察者Rの内部にある。拙稿はそう言いたい。

この見解を強く一般化すれば、(拙稿の見解では)Pがライオンである場合にかぎらず、すべての動物にこれは当てはまる。さらにPが保育園児である場合も幼稚園児である場合も、当てはまる。実は(拙稿の見解では)大人の人間である場合も当てはまると考えます。つまり、PがQを襲う、と言うとき、PがQを襲う目的はPの内部にはない。Pの内部にはなくて観察者Rの内部にある。Pが人間であろうとなかろうと、この見解は敷衍できる。

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自動的に動物は動く

2010年01月02日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

ライオンには食欲はあるかもしれないが、食欲という概念は持っていない。結果的に食べる運動はするでしょうが、食欲を満たすために食べるとか、栄養を取るために食べるとか、というような目的概念は持っていません。もちろん、栄養とか、食事とかランチとかいう概念も持っていません。

ライオンは、動物の生理として体内の血糖値が下がると餌食を襲う運動シミュレーションが活性化するような身体の仕組みになっているだけでしょう。ライオンは(拙稿の見解では)目的を持って行動しているわけではない。自動的に身体が動いてライオンの身体がなすべき仕事をこなしてしまうだけです。空気が重力と熱力学の法則にしたがって九州のほうへ渦巻いていく台風と同じことです。

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食べるという概念

2009年12月31日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

PがQを襲う。

この言葉の構造を、すこし詳しく、調べて見ましょう。まずPが台風の場合などには、PがQを襲う目的はPの内部にはない。Pの内部にはなくて観察者Rの内部にだけある。Pが台風のような気象現象である場合は、だれもこの見解に納得するでしょう。

ではPがライオンのような動物である場合はどうか? 拙稿の見解では、この場合もライオンPの内部には人間である観察者Rが思っているような目的はない。ライオンは餌食を襲うときの運動目的イメージとして特定の形式の運動シミュレーションを体内に持っていることは明らかですが、それは人間の観察者Rが思っているような目的ではない。観察者の人間Rは、ライオンがシマウマを食べて食欲を満たそうとしてそれを襲う、と思っている。しかし拙稿の見解では、ライオンは食欲とか食べるとかいう概念は持っていません。

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目的は観察者の内部にある

2009年12月30日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_combatdecoqs

では、次にその台風が人間である場合はどうか? 幼稚園児の大風君が同じ年長組の九周君を襲う場合です。大風君が九周君の持っているボールを狙って襲いかかる。これを見ている先生は、「X月X日。プレイルームで、大風が九周に襲いかかり、大騒動をもたらした」と日誌に書くでしょう。先の例の台風の内部には襲いかかる目的がないのに、大風君の内部には襲いかかる目的があることになっている。

PがQを襲う場合、それを見ているRという観察者が「PがQを襲う」と言ったとすれば、拙稿の見解では、RはPがQを襲う目的を知っている。つまり、このとき、PがQを襲う目的は観察者Rの内部にある。

ここで(拙稿の見解では)、PがQを襲う目的はPの内部にあるというよりもむしろPの内部にではなくて観察者Rの内部にある、という点に注意してください。

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