しかも、何かが何かを襲う、という場合だけでなく、何かが何かをする場合、いつでもそうだといえる。
つまり、どんな場合でも、「XがYをする」というとき、(拙稿の見解では)XがYをする目的はXの中にはなくて、「XがYをする」という言葉を発する話し手の内部にある。
しかしながら、Xが大人の人間の場合にも、XがYをする目的がXの内部にはない、という拙稿の見解には納得できない読者は多いでしょう。たしかに私たちは、自分自身を含めて(大人の)人間はだれも、意識を持って行動する場合には目的を考えて行動している、ように見える。目的を達するために行動しているように見えます。赤ちゃんはともかく、大人の人間が手足を動かす場合、それはなんらかの目的を持って動かしているはずだ、と思えますね。
拝読ブログ:今年の年賀状(定年をそろそろ意識する年になって来た)
拝読ブログ:成 長