さてこの現実が実際に現実であるためには、現実の三条件、
①どの時間どの場所であっても、その時そこには唯一の現実がある。
②その時間その場所にいればだれもがそこにある現実を同じものとして感じ取る。
③だれもがそのこと(①と②)は知っている。
が成り立たなくてはなりません。
これが成り立てば、私たちは現実に生きることができる。
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①どの時間どの場所であっても、その時そこには唯一の現実がある。
②その時間その場所にいればだれもがそこにある現実を同じものとして感じ取る。
③だれもがそのこと(①と②)は知っている。
が成り立たなくてはなりません。
これが成り立てば、私たちは現実に生きることができる。
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西洋近代のようにこの矛盾が適度に現れてくる場合、社会の近代化に寄与する。ところが現代にいたって、客観的な現実の存在感と主観的な個人的内面の存在感との矛盾が、極端にはっきりしてきています。こうなると、逆に、冷酷な現実から自分の内面だけを守ろうというニヒリズムやエゴイズムが芽生えてきます。これが蔓延すれば社会の基盤が危うくなる恐れがあります(拙稿23章「人類最大の謎」
)。
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歴史上、大宗教の時代を経て近代現代にいたって、人々はこの矛盾に敏感になってきたようです。現実と内面との矛盾から始まる自意識、自尊心などから発展して、近代社会においては、自由主義、民主主義を生み、契約に基づいた社会関係、立身出世意欲、近代組織、科学などが生まれてくる基盤となっています。
その意味で、人類が近代社会を獲得する過程で、現実と内面、そしてこれらの間の存在の矛盾、というものが必要であった、といえます。
人生のほとんどの場面で人間は現実と内面との矛盾を感じない。けれどもひどい不幸にみまわれた時、あるいは人知れない孤独に陥った時、自分の死を身体で感じるとき、人は現実のあやしさに気づく。その場合、神秘感、宗教、自意識、自尊心、個人主義など、いろいろやっかいなものが芽生えてきます。
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筆者など、この矛盾を、ちょっとあるんじゃないかと思ってしまうので、今度は、人間どうし言葉が通じることが不思議に思えてしまう(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか?」 )。これはちょっといけません。皆さんとぴったり意気投合ができなくなります。世の中うまくわたるためには、現実を身体の芯から信じられなくてはなりません。
現実は一つしかなくて、だれが感じても同じもので、だれもがその中で生きている、それしかない、と思えなくてはいけません。そうでないと、人間どうし話が通じない。社会も作れなくなります。
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