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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

心身二元論

2012年12月06日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

The_knight_errant この問題。西洋では心身二元論などと言って大問題であることになっていますが、東洋では、たとえば心身一如、あるいは色即是空などと言って全然問題ではないということになっています。拙稿によればどちらも間違いです。

拝読ブログ:二元論に抗して;弁証法的一元論の必要性とマルクス主義 - 草莽崛起~阿蘇地☆曳人のブログ - Yahoo!ブログ

拝読ブログ:お金学 二元論的思考

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物質と精神

2012年12月05日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

逆に、私の内面が感じることだけが意味があって、現実などは内面で感知することの一部でしかないのだから大して重要ではない、という考え方も、ちょっと変わり種ですが昔からあります。私がいい気持になれさえすれば現実はどうでもいいのだ、あるいは、私が死んでしまえば何もかも意味がない、私が死んだら世界などなくなると思えばよい、という極論も、現代人の間では案外、多くの共感を呼ぶでしょう。

現実と内面。客観と主観。身体と心。物質と精神。ニワトリとタマゴ、どちらが先か?

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アンリ・ベルクソン『物質と記憶──身体と精神の関係についての試論』 - Atlas ou le gai savoir inquiet

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空理空論は無意味

2012年12月04日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Princes 現実の中に生きるのか、生きないのか、それが問題だ、となる。

人は現実に生きるべきであって、あらゆる意味は現実の中にだけあるのだ、ということであるならば、私の心とか内面とかは、気にかける必要がない。私が何かを感じているとしてもそれは現実がどうであるかを察知するための情報収集でしかないから、その情報に対応して現実をどのように操作すべきか、ということだけが意味がある。現実とあまり関係のないことを私の内面が感じたとしても、そういう夢とか理想とか正義とか、プライドとか優越感とか劣等感とかトラウマとか、芸術とか哲学とか形而上学とか、などなどの空理空論は無意味というべきである。となります。

拝読ブログ:司法書士佐藤直樹のここだけの話:ブログの過去記事は消しておくほうがいいと思う!

拝読ブログ:2012年3月4日 空理空論:日記帳

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実は虚無

2012年12月03日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

そうであれば、現実と矛盾するようにみえる私たちの内面などはなるべく無視するほうが生活上有利であることになります。逆に、内面にこそ本当の意味があると思ってしまうと、内面を無視しなければならない現実は、無意味な虚無でしかない、そんな現実の中で努力しても空しい、となるでしょう。

どちらが正しい生き方なのか?

拝読ブログ:混ざっとるがなぁ! | にせウサ注意報なブログ

拝読ブログ:眠れない夜: Blowin' in the wind 風に吹かれて

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現実の中で懸命に生きる

2012年12月02日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Peace_concluded 実際、私たちはこの三条件をいつも満たしている現実の中に生きていると確信しています。だれもが、この現実の中で懸命に生きていこうとします。そうしなければ子孫を残すことができません。そういう生き方をするような身体に進化した結果、そういう祖先の子孫である私たちがここでこういう話をしているといえます。

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