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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実と内面は無関係

2012年12月11日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

現実が内面を作っているのでもなければ内面が現実を作っているのでもなく、現実も内面もみな私たちの身体の中で作られたものだからです。しかも現実と内面は互いに無関係に作られています。現実は現実が作られる理由によって作られている。内面はまた、現実が作られる理由とは無関係な別の理由によって、作られています。

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内面を説明できない

2012年12月10日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Collier1tannhauser そういう理由で、私たちにとってのこの現実世界は、ここにこうある。それ以外に、現実世界が存在する理由はありません。そうであれば(拙稿の見解では)、現実世界が私たちの内面を説明することができないのは当然といえます。

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必要としての現実

2012年12月09日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

私たちの身体は、進化の結果、生きていくのに必要な、あるいは便利な反射や感覚を自然と身につけるようになっています。社会を作り、人と交わり、言葉を使い、人と通じあうためには人と共有できる現実をしっかり確信することが必要です。必要であるから、私たちの身体はそれができるようにでき上っています。

だれもがそうであるから(拙稿の見解では)、皆で語り合っていればこの現実世界がしっかりとここに存在することになる、あるいは互いに影響し合っていればだれもがそう確信するような身体になっている、といえます(拙稿24章「世界の構造と起源」 )。

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多重人格

2012年12月08日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Victoryolord 身体が蝶であるときは自分は蝶だと思い、身体が人間であるときは人間だと思う。日本で日本人と交わっているときはご飯がおいしいけれども、アメリカでアメリカ人だけと交わって英語を話しているとハンバーガーがおいしくなる。現実と戦えるときは現実に生きるけれども、戦えなくなると内面に沈み込む。私たちはこういうように、実は多重人格であり、日和見主義者です。

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人間の二面性

2012年12月07日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

私たちが服を着て外で人と話すときは、自分の内面を出さないようにして、客観的な現実に対応して冷静に行動する。家に帰って服を脱いでいるときは、内面の衝動にまかせて気楽に動く(拙稿19章「私はここにいる」 )。私たちはだれも大なり小なり、そうです。人間の二面性ですね。

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拝読ブログ:映画は楽しい修行です(木村晶彦の九分九厘映像評論) : 『アウトレイジ』(’10、「アウトレイジ」製作委員会 109分)・・・S++

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