できません。目に見えて指さすことができるものを語ることから成り立っている科学は、結局は、目に見えないもの、指さすことができないものをきちんと語ることはできない。人の内面は、科学の対象外です。
拝読ブログ:選択肢の共有(偶然から必然が生ずるからくり。) : 社会学玄論
拝読ブログ:白雪姫と七人の小坊主達 真言宗とチベット仏教
できません。目に見えて指さすことができるものを語ることから成り立っている科学は、結局は、目に見えないもの、指さすことができないものをきちんと語ることはできない。人の内面は、科学の対象外です。
拝読ブログ:選択肢の共有(偶然から必然が生ずるからくり。) : 社会学玄論
拝読ブログ:白雪姫と七人の小坊主達 真言宗とチベット仏教
指さすことができないものを言い表そうとすれば、私たちはすぐ、言語の限界に突き当たります。文学は、結局は言語の限界を超えられません。
科学もまた言語を使って物質について語ります。たとえば脳について語る。自律神経系について語ります。科学は人の心、内面を語ることができるのか?
拝読ブログ:デマこいてんじゃねえ!
拝読ブログ:ユミルの民?獣の巨人とは?進撃の巨人9巻ネタバレ注意の感想・予想。
ちなみに文学は言葉で個人の内面を語る、といわれます。しかしそれは比喩で語られる内面の描写でしかありません。「胸が張り裂けるような悔み」とか「痛恨の極み」とかいう言葉を読めば、あああれのことかな、と内面の感情を想像できます。しかしそれは目に見える目の前の客観的な現物を指して言う言葉に比べると、それが何を言い表しているのか、正確に伝わるのかどうか、あぶなくあやしげです。
拝読ブログ:Fast Critic -ジャンクな批評- : 新潮新人賞受賞作家・門脇大祐氏インタビュー
拝読ブログ:ハートをつかみ、人を動かす広告訴求! 「コミューケーション・デザイン」って そういうことか - 玉川上水(武蔵野)の事務所から…
そういうことで私たちの身体は、なぜ私たちが現実の中に生きているように感じるのか、あるいはなぜ私たちは自分が内面の心を持つように感じるのか、自覚できません。つまり私たち人間は、そういう感性を持つようにでき上っている。そういうような感性の上にでき上っている現実世界のさらに上に作られている言語(自然言語)は(拙稿の見解では)、当然、個人の内面を語ることなどできません。
拝読ブログ:言葉の慣用性とは何か?Part92 マネーと「丸め込む」: Nameless‐valueの考えてみたいこと
拝読ブログ:現代哲学研究者の人間学―分析哲学 - 日本の哲学者
この話はしかし、このあたりから、やや面倒な話になります。この話が面倒になる理由は、私たちが私たちの身体の中で現実がどのようにして作られているのかを自覚することができないからです。また、私たちが感じるところの私たちの内面についても、それがどのようにして私たちの身体の中で作られているのかを、私たちは自覚することができません。たぶんその理由は、そのようなことを自覚することが生活上、何の利益にもならないからでしょう。さらに言えば、そのような自覚ができてしまうと、人間がふつうの社会生活をするうえで面倒なことがいろいろ起きてしまうからでしょう。
拝読ブログ:私に彼氏が出来ない理由を本気で考えるスレ : 女のつぶやき速報
拝読ブログ:日本一面積の大きい無人島と世界最大の無人島