新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

42 42 42 42 42 42 ・・・・・・

2023年04月20日 | 映画
去る15日、大谷選手の背番号が17から42に変わっています。
みーんな「42」です。MLBのことに詳しくない私には、名を残した選手に敬意を表しているのだろうぐらい・・・の知識でした。(写真はネットからお借りしました)
この数日後、BSシネマを見て「背番号42」の感動的な回答を知ることができました。

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映画『42~世界を変えた日~』
1947年、ドジャーズのGMリッキーはニグロリーグに所属していたジャッキー・ロビンソンを見いだし周囲の大反対を押しきって彼を採用します。
白人選手400人のうちに1人だけを黒人選手に変えたのです。彼にひとつだけ出した条件は「どんな差別や罵倒にも決して手を出さないこと。それに耐える勇気を持つこと。そうすれば必ず周囲は変わっていく」。

彼の入団はドジャースの中にも、相手チームにも、観客にも大きな波紋を呼び起こします。あからさまな死球、相手チーム監督からの罵倒、ロッカールームでの差別、新聞の差別記事。
球場で、街で、手荒い差別を受け何度もくずおれそうになりますが、リッキーは強い心で説得します。「耐えろ!相手を変えられるのはプレーだけ。プレーで打ち負かせ」。当時の街中での黒人差別は目も当てられないほど激しいもので、それがルールになるほど当たり前のものでした。

GM・リッキーの大学時代に、チームメイトに能力のずば抜けた黒人選手がいました。しかし彼を差別から救ってやれなくて、野球から去っていった友人に対する苦悩と後悔をリッキーはずっと持ち続けていました。その思いがジャッキーを採用した原動力だったことを打ち明けられます。
その言葉に心を動かされ、ジャッキーも耐え忍び、グラウンドで必死にプレーします。GMもジャッキーも「耐える」勇気を振り絞ったのです。その姿がやがてチームメートを変え、他球団を変え、観客の意識を変えていきます。

1947年4月15日がジャッキー・ロビンソンのドジャーズデビューの日。彼の「背番号42」はメジャーリーグでは永久欠番ですが、数々のタイトルを獲得し「人種の壁」を破って大活躍したたことを記念して、この日だけ全ての選手が「背番号42」をつけてプレーする日になっているのです。

WBCで白人、黒人、アジア人と、何の問題もなくプレーにだけ専心する選手たちの姿、そして選手たちのずば抜けた能力に歓声をあげる観客の話題はいまだに放送されています。面白く楽しく観客を魅了する野球にはこのような辛い時代があったのです。

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「あさイチ」で放送していた体にいいと言われる繊維をいっぱい取り入れた料理です。麦飯です。


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