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ベーシック・インカム

『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』より 終わりなき競争からの脱却

ベーシック・インカムは、「すべての国民または審査に合格した住民に対し、就労の意志の有無を問わず、また資産状況の如何を問わず、言い換えれば所得の源泉とは別個に、かつ同居家族の状況とも無関係に、国家が保障する所得」と定義できる。

ベーシック・インカムは、「ミニマム・インカム(最低所得保障)」とはまったく別物である。ミニマム・インカムは、所得がいわゆる「貧困ライン」を下回らないようにすることが目的で、給付に際しては資産や収入を調査するし、積極的に求職活動をすること(イギリスの場合、失業給付は「求職手当」という名称に変更された)、あるいは賃金が極端に低いことが受給条件となる。これに対して、べIシックーインカムは無条件に全市民に支給される。給付額は、理想的には、各人がどれだけ働くかを自由に選択しうるだけの水準であることが望ましい。

ベーシック・インカム(ときに「市民所得」と呼ばれることもある)という発想には、きわめて長い歴史がある。最初の提唱者は一七世紀のホッブズであり、一八世紀にはイギリス出身の社会哲学者卜マス・ペインが、一九世紀にはフランスの哲学者シャルル・フーリエの後継者が続いた(ジョン・スチュアート・ミルも好意的に言及した)。ジェファーソンの系譜に連なるアメリカの思想家も、ベーシック・インカムを支持した。その後も、クエーカー教徒、社会主義者、経済学者のジェイムズ・ミード、サミュエル・ブリタン、社会哲学者のアンドレ・ゴルツらがベーシック・インカムに賛同している。一九四三年には、リベラルな政治活動家リース・ウィリアムズ女史が「社会配当制度」を提唱した。所得税を財源として、所得の多寡を問わずすべての世帯に支給し、国民所得が増えれば社会配当も増額されるしくみである。もっと最近では、たとえばミルトン・フリードマンの「負の所得税」も社会保障の安上がりな提供方法とされている。負の所得税は、所得が下限を割り込んだすべての人に支給される一時払いの現金である。市場水準の賃金では最低限の生活もできない場合に、所得に上乗せする形で支給する「ベーシック・インカム」も提唱されている。これは従来、税額控除の形で広く実施されてきたものに相当する。

初期のベーシック・インカム論者の大半は、国民にはベーシック・インカムを受け取る権利あるいは資格があるとする。代表的な主張は、そもそも国家が略奪したのだから、その償いとして、国民には国家の継承資産(天然資源おょび世襲資産のストック)を共有する権利がある、というものだ。彼らの多くは、個人の自立と余暇の価値を重んじる。

無条件無差別の所得保障という純粋な形のベーシック・インカムは、つねに二種類の反対に遭ってきた。第一に労働意欲を削ぐ、第二にそんなものを支給する財源はどこにもない、という。こうした反論の結果、ベーシック・インカム制度を実際に採用しているのはアラスカとアラブ首長国連邦(部分的な適用)だけとなっている。これらの国や地域は多くの労働力を要しない天然資源で富を築いているため、国民に提供できる雇用機会が少ないという事情がある。

しかし、問題が窮乏ではなくゆたかさであって、政策の主目標が成長の最大化ではなく基本的価値の確保だとしたら、二種類の反論はどちらも力を失う。この状況では、むしろ余暇をより魅力あるものにして労働意欲を抑えるべきだ。それに、富裕国はしだいにベーシック・インカムを捻出することが可能になっている。無条件のベーシック・インカムが支給されれば、現在フルタイムで働かざるを得ない人の多くが、パートタイムを選択できるようになるだろう。現状では、どんな条件でどれだけ働くかの決定権は資本の所有者が握っているが、その選択肢が労働者全員に与えられるようになるはずだ。ブリタンは二〇〇五年に、たいへん魅力的な表現でベーシック・インカムの論拠を示した。

「ベーシック・インカムの目的は、市民一人ひとりを小さな地主にすることにある。マルクス主義者がさんざん非難した私有財産と不労所得は、けっして本質的な悪ではない。問題は、持ち家を除きそれを持っている人があまりに少なく、その少数だけが経済的自立に伴う恩恵をすべて享受していることだ。われわれが望むよりよい社会では、そうした恩典がもっと広く分配されているはずである」

少々紛らわしいのだが、ベーシック・インカムと呼ばれているものは二つの形をとりうる。一つは資本の授与、もう一つは年間所得の保障である。資本は将来の期待利益を現在価値に割り引いたものにすぎないから、厳密にはどちらも同じだと言えるかもしれない。ただし、資本の所有者には選択肢が生まれる。所得で生計を立ててもいいし、資本を使って家を買ったり、事業を興したりしてもいい。もちろん貯蓄してもいいし、人に貸してもいい。所得保障が生涯にわたって生活を安定させるのに対し、資本授与は選択の自由度を高める。どちらかと言えば、私たちは資本授与を支持する。可処分資産を広く分配するという所期の目的を達成し、ひいては尊敬と人格の基盤作りに寄与すると考えられるからだ。ただし、ある基本的価値が他の基本的価値を排除することがあってはならない点を考慮すれば、ベーシック・インカム制度は資本授与と所得保障の二本立てにするか、どちらかを選べるようにするとよいだろう。
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