未唯への手紙
未唯への手紙
新たなる帝国の時代
『AIを信じるか、神を信じるか』より 新たなる帝国の時代
イスラム世界の復興運動
最高の権威を求めようとする動きは、イスラム世界においても見られる。
それが、カリフ制再興の動きである。「カリフ」とは代理人を意味する。誰の代理人かと言えば、それは最後の預言者ムハンマドの代理人ということになる。ムハンマドが生きていた時代、神のメッセージを取り次ぎ、それをいかにして現実に適用するか、最終的な決定権はムハンマドが握っていた。
ところが、ムハンマドも人間であり、その命は有限である。ムハンマドの死後には、『コーラン』が編纂され、その言行はハディースにまとめられ、イスラム法が確立された。イスラム教の信者は、このイスラム法に従って生活していくことになった。
しかし当然だが、イスラム法をどのように解釈し、それを現実の生活に適用していくかで判断が分かれる場面が生まれる。たとえば、何をもって戦争を「聖戦(ジハード)」として正当化するかをめぐっては、さまざまな解釈が生まれる余地がある。なにしろ敵と味方に分かれて戦うわけで、敵と味方では主張がまったく異なるからである。
そこで求められたのが、最終的な判断を下す存在である。それは、イスラム教の多数派であるスンナ派においてカリフの役割とされた。カリフの地位は世襲されるわけではないが、ムハンマドの出身部族であるクライシュ族の男子であるといった条件がつけられた。
初代のカリフはムハンマドの友で、最初に入信したとされるアブー・バクルである。やがて、イスラム王国ウマイヤ朝以降、カリフの地位は世襲されるようになっていった。
近代に入り、オスマン帝国が滅亡すると、同時にカリフも退任した。最後のカリフはアブデュルメジト2世であり、それ以降100年近く、カリフ不在の状況が続いている。
イスラム教には組織がないことについては前述したが、問題が起こった時、その問題を解決する最終的な決断を下すことができるカリフの存在は、本来なら不可欠なはずである。最近では、イスラム教の復興という動きが起こっており、そのなかでカリフを再興する必要性が説かれるようになった。実際、イスラム国(IS)にはカリフを名乗る人物が出現したが、イスラム世界全体から承認されたわけではなかった。
イスラム教は、グローバル化と相性がいいり‥
イスラム教でもっとも重要なことは、イスラム法が遵守される世界を確立することであり、その世界は「イスラムの家」と呼ばれる。それと対立するのが、イスラム法が確立されていない「戦争の家」である。最初期のイスラム教が、戦闘に勝利することで周囲の諸部族を統合していったのも、イスラムの家を拡大することが最重要だったからである。
キリスト教や仏教では、信仰は究極的に個人のものであり、それぞれの人間が、心のなかで神や仏を信仰し、教えに従うことが決定的に重要な意味を持つ。
ところが、イスラム教では、個人の信仰の確立よりも、イスラム法によって統治される社会を生み出すことが絶対的な前提であり、そのためには、戦争の家をイスラムの家に変えていくことが必要になる。
イスラムの家は国家の枠を超えていくものであり、国民国家は意味をなさない。ところが現実には、イスラム世界は植民地化によって国境が定められ、イスラムの家も国家によって分割された。しかし、本来のイスラム教のあり方からすれば、国民国家は解体されなければならない。
日本でカリフ制再興を強く主張している中田考氏は、この点について次のように述べている(「産経新聞」2017年9月24百)。
まず、イスラム世界でカリフ制(イスラム共同体から選任されたカリフの下、全ての領域がイスラム法によって治められる)を再興し、西欧が引いた国境を廃し、イスラム法の支配の下にヒト、モノ、資本の自由な移動が保証される空間を再興する。
これは、イスラム世界が、グローバル化を本質としていることを意味する。ムハンマドは商人の家に生まれ、自らも商人として活動した。商人にとっては、市場はできるだけ広いほうがよく、国境によって妨げられることは好ましくないのである。
その点からしても、カリフ制が再興され、イスラム世界全体が風通しのいい市場として統合されることは、非イスラム世界にも影響を与えていく可能性を有している。中田氏の意見を見てみよう(同紙)。
カリフ制再興が成功すれば、西欧にも影響が及び、ナショナリズム(民族主義/国家主義)の虚構性、領域国民国家の欺隔に人々は気付き始める。
帝国への服従
ムハンマドの死後、イスラム教は周囲に広がり、そこには、「イスラム帝国」が生み出された。イスラム帝国(アッバース朝)は中東から、西は北アフリカ、東は中央アジアからインドにまで広がった。カリフ制再興は、このイスラム帝国を再興することにつながっていく。
ロシアや中国の場合にも、それは国民国家というよりも、それを超えた帝国としてとらえたほうがわかりやすい。ソ連の解体によってさまざまな国家に分裂したが、それもソ連が社会主義の帝国であったからである。
中国も、過去の歴史のなかでさまざまな王朝が存亡を繰り返してきた、中華帝国にほかならない。その指導者に権力が集中する傾向が見られるのも、帝国再興への歩みを続けているからと見ることもできる。
ヨーロッパには、国民国家を超えたEUの共同体が存在している。それをヨーロッパ帝国としてとらえるならば、イギリスが離脱するのは、イギリス連邦という帝国であるからだろう。実際に、かつては「大英帝国」と呼ばれていた。
アメリカも、合衆国であり、州の力が強いことから考えて、国民国家というよりも、やはりひとつの帝国としてとらえることができる。
中田氏は、前掲の『帝国の復興と啓蒙の未来』のなかで、「19世紀は西欧列強による世界の植民地化の時代、20世紀が二度にわたる世界大戦による西欧の破産とその破産管財人である米ソによる残務処理の時代であった。そして21世紀は、西欧の覇権の下にあった文明、中国文明、正教/ロシア文明、インド文明、そしてイスラーム文明の再興による、世界的な文明の再編の時代である」と指摘している。
ここには、中田氏の願望が反映されている部分もあろうが、グローバル化か国民国家の枠組みを揺るがしていることはまちがいない。その世界に生きる個々の人間は孤立し、自らの無力さを痛感するしかない。そうなると、そこには服従への道が待ち受けているのである。
イスラム世界の復興運動
最高の権威を求めようとする動きは、イスラム世界においても見られる。
それが、カリフ制再興の動きである。「カリフ」とは代理人を意味する。誰の代理人かと言えば、それは最後の預言者ムハンマドの代理人ということになる。ムハンマドが生きていた時代、神のメッセージを取り次ぎ、それをいかにして現実に適用するか、最終的な決定権はムハンマドが握っていた。
ところが、ムハンマドも人間であり、その命は有限である。ムハンマドの死後には、『コーラン』が編纂され、その言行はハディースにまとめられ、イスラム法が確立された。イスラム教の信者は、このイスラム法に従って生活していくことになった。
しかし当然だが、イスラム法をどのように解釈し、それを現実の生活に適用していくかで判断が分かれる場面が生まれる。たとえば、何をもって戦争を「聖戦(ジハード)」として正当化するかをめぐっては、さまざまな解釈が生まれる余地がある。なにしろ敵と味方に分かれて戦うわけで、敵と味方では主張がまったく異なるからである。
そこで求められたのが、最終的な判断を下す存在である。それは、イスラム教の多数派であるスンナ派においてカリフの役割とされた。カリフの地位は世襲されるわけではないが、ムハンマドの出身部族であるクライシュ族の男子であるといった条件がつけられた。
初代のカリフはムハンマドの友で、最初に入信したとされるアブー・バクルである。やがて、イスラム王国ウマイヤ朝以降、カリフの地位は世襲されるようになっていった。
近代に入り、オスマン帝国が滅亡すると、同時にカリフも退任した。最後のカリフはアブデュルメジト2世であり、それ以降100年近く、カリフ不在の状況が続いている。
イスラム教には組織がないことについては前述したが、問題が起こった時、その問題を解決する最終的な決断を下すことができるカリフの存在は、本来なら不可欠なはずである。最近では、イスラム教の復興という動きが起こっており、そのなかでカリフを再興する必要性が説かれるようになった。実際、イスラム国(IS)にはカリフを名乗る人物が出現したが、イスラム世界全体から承認されたわけではなかった。
イスラム教は、グローバル化と相性がいいり‥
イスラム教でもっとも重要なことは、イスラム法が遵守される世界を確立することであり、その世界は「イスラムの家」と呼ばれる。それと対立するのが、イスラム法が確立されていない「戦争の家」である。最初期のイスラム教が、戦闘に勝利することで周囲の諸部族を統合していったのも、イスラムの家を拡大することが最重要だったからである。
キリスト教や仏教では、信仰は究極的に個人のものであり、それぞれの人間が、心のなかで神や仏を信仰し、教えに従うことが決定的に重要な意味を持つ。
ところが、イスラム教では、個人の信仰の確立よりも、イスラム法によって統治される社会を生み出すことが絶対的な前提であり、そのためには、戦争の家をイスラムの家に変えていくことが必要になる。
イスラムの家は国家の枠を超えていくものであり、国民国家は意味をなさない。ところが現実には、イスラム世界は植民地化によって国境が定められ、イスラムの家も国家によって分割された。しかし、本来のイスラム教のあり方からすれば、国民国家は解体されなければならない。
日本でカリフ制再興を強く主張している中田考氏は、この点について次のように述べている(「産経新聞」2017年9月24百)。
まず、イスラム世界でカリフ制(イスラム共同体から選任されたカリフの下、全ての領域がイスラム法によって治められる)を再興し、西欧が引いた国境を廃し、イスラム法の支配の下にヒト、モノ、資本の自由な移動が保証される空間を再興する。
これは、イスラム世界が、グローバル化を本質としていることを意味する。ムハンマドは商人の家に生まれ、自らも商人として活動した。商人にとっては、市場はできるだけ広いほうがよく、国境によって妨げられることは好ましくないのである。
その点からしても、カリフ制が再興され、イスラム世界全体が風通しのいい市場として統合されることは、非イスラム世界にも影響を与えていく可能性を有している。中田氏の意見を見てみよう(同紙)。
カリフ制再興が成功すれば、西欧にも影響が及び、ナショナリズム(民族主義/国家主義)の虚構性、領域国民国家の欺隔に人々は気付き始める。
帝国への服従
ムハンマドの死後、イスラム教は周囲に広がり、そこには、「イスラム帝国」が生み出された。イスラム帝国(アッバース朝)は中東から、西は北アフリカ、東は中央アジアからインドにまで広がった。カリフ制再興は、このイスラム帝国を再興することにつながっていく。
ロシアや中国の場合にも、それは国民国家というよりも、それを超えた帝国としてとらえたほうがわかりやすい。ソ連の解体によってさまざまな国家に分裂したが、それもソ連が社会主義の帝国であったからである。
中国も、過去の歴史のなかでさまざまな王朝が存亡を繰り返してきた、中華帝国にほかならない。その指導者に権力が集中する傾向が見られるのも、帝国再興への歩みを続けているからと見ることもできる。
ヨーロッパには、国民国家を超えたEUの共同体が存在している。それをヨーロッパ帝国としてとらえるならば、イギリスが離脱するのは、イギリス連邦という帝国であるからだろう。実際に、かつては「大英帝国」と呼ばれていた。
アメリカも、合衆国であり、州の力が強いことから考えて、国民国家というよりも、やはりひとつの帝国としてとらえることができる。
中田氏は、前掲の『帝国の復興と啓蒙の未来』のなかで、「19世紀は西欧列強による世界の植民地化の時代、20世紀が二度にわたる世界大戦による西欧の破産とその破産管財人である米ソによる残務処理の時代であった。そして21世紀は、西欧の覇権の下にあった文明、中国文明、正教/ロシア文明、インド文明、そしてイスラーム文明の再興による、世界的な文明の再編の時代である」と指摘している。
ここには、中田氏の願望が反映されている部分もあろうが、グローバル化か国民国家の枠組みを揺るがしていることはまちがいない。その世界に生きる個々の人間は孤立し、自らの無力さを痛感するしかない。そうなると、そこには服従への道が待ち受けているのである。
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